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[転載]フェロニッケルを脱硫

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本発明は、フェロニッケル脱硫方法に関し、より詳しくは、粗フェロニッケル熔湯と脱硫剤の接触頻度を増加させて、効率的な ... また、粗フェロニッケルと別に産出される スラグは、原料鉱石中の酸化鉄の大部分と二酸化ケイ素及び酸化マグネシウムを含ん で ...
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フェロニッケル脱硫方法【課題】撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ 還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中の イオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケル脱硫する方法において、前記 レードル内 ...

フェロニッケルの脱硫方法
【課題】撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置を、該撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整することを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法を提供する。
【解決手段】前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置は、該撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整されることを特徴とする。
【技術分野】
0001 本発明は、フェロニッケルの脱硫方法に関し、さらに詳しくは、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成するとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止することができる脱硫方法に関する。
【背景技術】
0002 フェロニッケルは、鉄とニッケルの合金であり、ステンレス鋼及び特殊鋼の原料として使用されている。その一般的な製造方法としては、ニッケルを含有するケイ酸マグネシウム鉱石であるガーニエライト鉱を原料鉱石として、焼成工程、還元熔解工程及び精製工程からなる乾式製錬方法が用いられている。なお、ガーニエライト鉱の代表的な組成としては、乾燥鉱換算でNi品位が2.1~2.5重量%、Fe品位が11~23%、MgO品位が20~28重量%、SiO2品位が29~39重量%、灼熱減量が10~15重量%である。
0003 ここで、まず、焼成工程においては、原料鉱石に無煙炭等の石炭(炭素質還元剤)と必要に応じて熔剤を添加してロータリーキルン等で焼成され、炭素質還元剤を含有する焼鉱が生成される。次に、還元熔解工程においては、前記焼鉱が電気炉又は熔鉱炉等の還元炉で還元熔解に付され、粗フェロニッケルとスラグとが形成される。なお、還元炉から産出される粗フェロニッケルの組成は、炭素質還元剤の調合量の調製によって、15~25重量%のニッケル品位に調整され、原料鉱石中の大部分のニッケル及びコバルトと一部の鉄を含むとともに、イオウ、炭素、ケイ素、クロム、リン、マンガン等の不純物を含有する。
0004 次いで、粗フェロニッケル熔湯はレードルに出銑され精製工程で処理され製品となる。 粗フェロニッケルは、最初の精製工程で脱硫に付される。脱硫処理では、機械撹拌装置を備えたレードル又は電気誘導撹拌式精製炉を用いて、カルシウムカーバイド等の脱硫剤を添加して粗フェロニッケル中のイオウをスラグ中に硫化カルシウム(CaS)として固定除去し、粗フェロニッケル中のイオウを所望の含有量まで低下させて、高炭素フェロニッケル(JIS:フェロニッケルH1-2)を製造する。
さらに、低炭素フェロニッケル(JIS:フェロニッケルL1-2)を製造する場合には、続いての精製工程で酸化吹練に付される。酸化吹練処理では、高炭素フェロニッケルの熔湯を転炉に装入し、これに熔剤を添加して純酸素ガスによる吹錬を行って、熔湯中の炭素、ケイ素、クロム、リン、マンガン等の不純物元素を酸化除去する。
0005 これら精製工程で得られる精製フェロニッケル熔湯は、最後に鋳造され製品化される。鋳造方法としては、底部に熔湯排出装置(スライディングノズル)を持った鍋を介してあるいは傾転により熔湯を排出し、鋳型に注入してインゴット製品とするか、又は水砕してショット製品とする方法がとられている。
0006 ところで、フェロニッケル製錬方法の経済性の向上が望まれており、粗フェロニッケルの脱硫精製工程においては、高脱硫効率を達成することが重要な課題であった。例えば、粗フェロニッケル熔湯からの脱硫処理の代表的な方法としては、機械撹拌装置を備えたレードルを用いる方法が実施されている(例えば、特許文献1参照)が、より効率的な方法が求められている。
0007 ここで、機械撹拌装置を備えたレードルを用いる方法について、その課題を詳細に説明する。図1は、従来技術による機械撹拌装置を備えたレードルの撹拌羽根の模式配置図を示す。
図1において、レードル1内に粗フェロニッケル熔湯2が装入され、回転軸3で保持された撹拌羽根4が熔湯2の内部に浸漬された状態で、熔湯2の表面に脱硫剤が投入され脱硫処理が行なわれる。ここで、撹拌羽根の大きさ及び形状、並びに撹拌羽根の粗フェロニッケル熔湯内での設定位置は、レードルの大きさ等により種々の条件が選ばれて使用されている。この撹拌羽根としては、一般に、不定型耐火物製のものが用いられ、その形状としては撹拌力を上げるためにスクリュータイプもあるが、複雑な形状では1550~1600℃と高温の粗フェロニッケル熔湯中では寿命が著しく短いことから、簡単な構造のものが一般的に用いられる。また、撹拌羽根の粗フェロニッケル熔湯内での設定位置としては、熔湯の撹拌を十分におこなうため、撹拌羽根を熔湯内に完全に浸漬させた状態で用いられていた。
0008 以下に、撹拌羽根の熔湯内での設定位置についてさらに詳細に説明する。通常、機械撹拌装置を備えたレードルにおいて、その脱硫効率は熔湯と脱硫剤の接触頻度によって支配されるので、レードルの開口部を広くとり、熔湯の表面(以下、熔湯面と呼称する場合がある。)の面積を大きくするのが有利である。しかし、レードルの開口部を広くすると、熱損失が大きくなるという欠点がある。ここで、レードル容量が大きくなる程、レードルの保温性が高くなるので、大容量のレードルでは、レードル高さを低くしレードル開口部を広くとることができる。逆に、レードルの保温性が低い小容量のレードルでは、レードル高さを高くして、レードル開口部は小さくしなければならない。
0009 このため、脱硫剤との接触頻度を増加させて脱硫効率の上昇を図るべく、レードル容量が大きいほどレードルの開口部を広くとることが主流となっている。その結果として、熔湯内での撹拌を十分に行うため、撹拌羽根を完全に熔湯内に浸漬させることが行なわれている。このように撹拌羽根を完全に熔湯内に浸漬させた場合、熔湯面にはその中心部に撹拌羽根の回転軸が見える。このときの熔湯の撹拌方向から熔湯面での熔湯の動き方としては、図1の矢印で示すように、レードル内壁側から撹拌羽根の回転軸へと向かい、回転軸近傍で熔湯内に巻き込まれていく状態である。
0010 このような状況下では、脱硫剤はその効率からレードル内壁と中心部の回転軸の中間位置に投入されるのが一般的であるので、脱硫反応の進行とともに生成されたスラグは、熔湯との比重差から熔湯面に浮いてきて中心部の回転軸周辺に集まってくることになる。レードルの開口部が広い場合には、この撹拌羽根の回転軸周辺に集まってくるスラグ層がある程度まで拡大しても脱硫が行なわれるが、特にレードルの開口部が小さい場合には、スラグ層が拡大すると、熔湯と脱硫剤の接触が阻害されて脱硫剤の脱硫効率が悪化するだけでなく、脱硫終了後に撹拌羽根の回転軸に付着して固化したスラグを除去する作業が必要となり、脱硫精製工程での作業負担が増加するという問題があった。
0011】
【特許文献1】特開昭61-284549号公報(第1頁、第1図)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
0012 本発明の目的は、上記の従来技術の問題点に鑑み、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成するとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止することができる脱硫方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
0013 本発明者らは、上記目的を達成するために、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法について、鋭意研究を重ねた結果、前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置を特定の条件に調整したところ、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成するとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止することができることを見出し、本発明を完成した。
0014 すなわち、本発明の第1の発明によれば、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、
前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置を、該撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整することを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法が提供される。
0015 また、本発明の第2の発明によれば、第1の発明において、脱硫剤は、脱硫する際に生成するスラグを撹拌によりレードル内壁側に移動させて新たに現れた熔湯の表面に接触するように投入されることを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法が提供される。
0016 また、本発明の第3の発明によれば、第1の発明において、前記撹拌羽根は、所望の長さ、幅及び高さの寸法の板状材を逆T字型に回転軸に取付けた構造であり、熔湯内での撹拌力に応じて該高さを調整することを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法が提供される。
【発明の効果】
0017 本発明のフェロニッケルの脱硫方法は、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成することができるとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止して、脱硫精製工程での作業負担を低減することができるので、その工業的価値は極めて大きい。
【発明を実施するための最良の形態】
0018 本発明のフェロニッケルの脱硫方法は、撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置を、該撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整することを特徴とする。
0019 本発明の方法において、レードル内での撹拌羽根の設定位置を、撹拌羽根が完全に粗フェロニッケル熔湯内に浸漬されないように、撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整することが重要である。これによって、撹拌羽根の回転にともなう粗フェロニッケル熔湯の動き方が改善されるので、熔湯面上で熔湯と脱硫剤の接触が効果的に行なわれ脱硫効率が良好な状態で保たれる。さらに、撹拌羽根の回転軸へのスラグの付着が抑えられるので、これを除去する作業が不用になる。
0020 以下に、本発明の方法による脱硫方法とレードル内での撹拌羽根の設定位置の作用について、図を用いて詳細に説明する。図2は、本発明による撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードルの撹拌羽根の模式配置図と撹拌羽根の回転にともなう熔湯の動き方を表す。
図2において、レードル1内に粗フェロニッケル熔湯2が装入され、回転軸3で保持された撹拌羽根4の上端部分が熔湯面より上部に出るように浸漬された状態で、熔湯2の表面に脱硫剤が投入され所定時間脱硫処理が行なわれる。
0021 ここで、レードル内での撹拌羽根の設定位置は、撹拌羽根が完全に熔湯内に浸漬されないように、撹拌羽根の上端部が熔湯面より上部に出るように調整されている。このとき、熔湯面上には、撹拌羽根の上端部と中心部に撹拌羽根の回転軸が見える状態であり、このときの熔湯の撹拌方向から熔湯面での熔湯の動き方としては、図2の矢印で示すように、中心部にある撹拌羽根近傍からレードル内壁側へと向かい、レードル内壁側で熔湯内に巻き込まれていく状態である。
0022 ここで、脱硫剤の投入は、特に限定されるものではなく、レードル内壁と中心部にある撹拌羽根の中間位置に投入されるが、この中で、特に脱硫する際に生成するスラグを撹拌によりレードル内壁側に移動させて新たに現れた熔湯の表面に接触するように行なうことが好ましい。すなわち、脱硫反応の進行とともに生成するスラグは、粗フェロニッケル熔湯との比重差から熔湯面に浮上するが、撹拌によりレードル内壁側へと移動されるので、新たな熔湯面が現われる。この新たに現れた熔湯面に脱硫剤を投入することにより、脱硫剤と熔湯は継続して接触でき、高脱硫効率を維持することができる。また、同時に、撹拌羽根へのスラグの付着も軽減される。
0023 ただし、本発明の方法では、レードル内壁側での熔湯内への巻き込みが弱い場合に、レードル内壁側へ移動されたスラグはレードル内壁に付着しやすくなるという懸念がある。しかしながら、この付着されたスラグは、レードル内からフェロニッケル熔湯を排出した後に、レードルを傾転させて固形物をスラグポットへ人力により掻き出す作業の際に、同時にかつ容易に除去される。
0024 上記方法で用いる撹拌羽根の形状としては、特に限定されるものではなく、所望の撹拌力に応じて種々の形状のものが用いられるが、高温の粗フェロニッケル熔湯中での寿命が長く、所望の長さ、幅及び高さの寸法の板状材を逆T字型に回転軸に取付けた簡単な構造のものが好ましい。
0025 上記方法で用いる撹拌羽根の高さは、特に限定されるものではなく、熔湯内での撹拌力に応じて所望の寸法に設計されることが好ましい。これによって、熔湯内での撹拌力を調整することができるので、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成することができるとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止して、脱硫精製工程での作業負担を低減することができる。すなわち、本発明の方法では、従来技術に比べて熔湯内での撹拌羽根の設定位置が上部に引き上げられ、熔湯内部での浸漬部分が減少しているため、熔湯内での撹拌が弱まることが懸念されるが、必要に応じて、所望の高さの撹拌羽根を用いることができる。
0026 上記方法で用いる粗フェロニッケル熔湯としては、特に限定されるものではなく、電気炉、熔鉱炉等の還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯が用いられる。その代表的な組成としては、例えば、ニッケル品位が15~25重量%、イオウ品位が0.3~0.6重量%、炭素品位が1.5~2.5重量%及びケイ素品位が0.5~2.0重量%である。また、還元炉から出銑される温度は、1300~1500℃である。
0027 上記の方法で用いる脱硫剤としては、特に限定されるものではなく、カルシウムカーバイド、石灰窒素及び両者の混合物が挙げられるが、高脱硫効率が得られるカルシウムカーバイドを主体とする脱硫剤が好ましい。ここで、脱硫反応としては、粗フェロニッケル中のイオウを精製炉スラグ中に硫化カルシウム(CaS)として固定除去することによって行なわれる。上記脱硫剤の形状及び純度は、特に限定されるものではなく、粉状又は顆粒状の市販の工業用薬品が用いられる。
0028 上記の方法で用いる脱硫剤の添加量は、出銑された粗フェロニッケル中のイオウ品位と使用する脱硫剤の脱硫効率から経験的に得られたものであり、例えば、粗フェロニッケル中のイオウ品位が0.4~0.5重量%の場合には、粗フェロニッケル1トン当たり10~20kgである。
0029 上記方法で用いる粗フェロニッケル熔湯の温度は、1550~1600℃の所定温度に昇温される。すなわち、熔湯の温度が1550℃未満では、粗フェロニッケル熔湯と脱硫剤の撹拌による接触が不十分であるため脱硫が十分に進まない。一方、熔湯の温度が1600℃を超えると、スラグの熔融が過度に進むので生成したスラグの全体がレードル内壁で熔着を起こして排出が困難になる。
0030 以上の方法によって、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成することができるとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止して、脱硫精製工程での作業負担を低減することができる。
【実施例】
0031 以下に、本発明の実施例及び比較例によって本発明をさらに詳細に説明するが、本発明は、これらの実施例によってなんら限定されるものではない。なお、実施例及び比較例で用いたイオウの分析は赤外線吸収法で行った。
0032】
(実施例1)
電気炉から産出された1550~1600℃の温度の粗フェロニッケル熔湯(イオウ品位:0.4重量%)14トンを機械撹拌装置を備えたレードルに装入し、これに脱硫剤としてカルシウムカーバイド240kgを投入して脱硫処理を行った。
ここで、レードル内の粗フェロニッケル熔湯面の直径は1500mm、及び熔湯高さは1550mmであり、使用した撹拌羽根のサイズは長さ700mm、幅250mm及び高さ300mmの板状材を逆T字型に回転軸に取付けた構造のものであった。
また、レードル内部の撹拌羽根の設定位置は、図2の概要図に示すように、撹拌羽根の上端部が粗フェロニッケル熔湯面より上になるように調整された。なお、撹拌羽根の下端から粗フェロニッケル熔湯面までの距離(撹拌羽根浸漬深さ)を220mmとったので、撹拌羽根の上端は粗フェロニッケル熔湯面より80mm上に出た状態であった。また、撹拌回転数は60rpmで固定したままで行なった。
また、カルシウムカーバイドの投入位置は、撹拌羽根とレードル内壁の間の中間位置に投入した。
0033 上記脱硫処理を開始後、所定の経過時間(脱硫時間)毎に粗フェロニッケル熔湯をサンプリングし、イオウ品位を分析した。結果を図3に示す。また、撹拌羽根浸漬深さ、撹拌羽根高さ及び撹拌回転数とともに、製品スペックを満足する実操業での脱硫管理目標値(イオウ品位0.01重量%以下)に到達するまでの時間(処理時間)、及びスラグの撹拌羽根への付着状況を表1に示す。
0034】
(実施例2)
撹拌羽根のサイズで撹拌羽根の高さが450mmであること、及び撹拌羽根の下端から粗フェロニッケル熔湯面までの距離(撹拌羽根浸漬深さ)を380mmとったので、撹拌羽根の上端は粗フェロニッケル熔湯面より70mm上に出た状態であったこと以外は実施例1と同様に行ない、脱硫処理を開始後、所定の経過時間(脱硫時間)毎に粗フェロニッケル熔湯をサンプリングし、イオウ品位を分析した。結果を図3に示す。また、撹拌羽根浸漬深さ、撹拌羽根高さ及び撹拌回転数とともに、処理時間、及びスラグの撹拌羽根への付着状況を表1に示す。
0035】
(比較例1)
レードル内部の撹拌羽根の設定位置は、図1の概要図に示すように、撹拌羽根を完全に粗フェロニッケル熔湯内に浸漬した状態であり、撹拌羽根の下端から粗フェロニッケル熔湯面までの距離(撹拌羽根浸漬深さ)を515mmとったので、撹拌羽根の上端より粗フェロニッケル熔湯面は215mm上にあったこと、及び撹拌回転数を上昇させたこと以外は実施例1と同様に行ない、脱硫処理を開始後、所定の経過時間(脱硫時間)毎に粗フェロニッケル熔湯をサンプリングし、イオウ品位を分析した。結果を図3に示す。
また、撹拌羽根浸漬深さ、撹拌羽根高さ及び撹拌回転数とともに、処理時間、及びスラグの撹拌羽根への付着状況を表1に示す。なお、撹拌回転数の上昇は、当初の60rpmでは脱硫反応が進むにつれて生成したスラグが撹拌羽根の回転軸周辺に集まってきたので、熔湯内への巻き込みを良くするために、60rpmから80rpm、最大100rpmまで変化させた。
0036】
【表1】
0037 表1、図3より、実施例1又は2では、撹拌羽根の設定位置は撹拌羽根の上端部が粗フェロニッケル熔湯面より上になるように調整され、本発明の方法に従って行われたので、
粗フェロニッケル熔湯中のイオウ品位が急激に低下し、高脱硫効率が得られることとともに、撹拌羽根へのスラグの付着が防止されることが分かる。さらに、実施例2では撹拌羽根の高さを増すことによって、撹拌力を上げ、脱硫効率を向上させていることが分かる。
これに対して、比較例1では、撹拌羽根の設定位置がこれらの条件に合わないので、脱硫効率において満足すべき結果が得られないことが分かる。
【産業上の利用可能性】
0038 以上より明らかなように、本発明のフェロニッケルの脱硫方法は、フェロニッケル製錬分野で利用される粗フェロニッケル熔湯からの脱硫方法として好適である。特に、レードルの開口部の大きさにかかわらず高脱硫効率を達成することができるとともに、撹拌羽根の回転軸へのスラグ付着を防止して、脱硫精製工程での作業負担を低減することができるので、レードルを用いる脱硫方法として広い分野で利用されることができる。
【特許請求の範囲】
【請求項1 撹拌羽根を用いる撹拌装置を備えたレードル内へ還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を装入後、脱硫剤を投入し該熔湯中のイオウをスラグ中に固定、除去して粗フェロニッケルを脱硫する方法において、
前記レードル内において、撹拌羽根の設定位置を、該撹拌羽根の上端部が前記熔湯の表面より上部に出るように調整することを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法。
【請求項2 脱硫剤は、脱硫する際に生成するスラグを撹拌によりレードル内壁側に移動させて新たに現れた熔湯の表面に接触するように投入されることを特徴とする請求項1に記載のフェロニッケルの脱硫方法。
【請求項3 前記撹拌羽根は、所望の長さ、幅及び高さの寸法の板状材を逆T字型に回転軸に取付けた構造であり、熔湯内での撹拌力に応じて該高さを調整することを特徴とする請求項1に記載のフェロニッケルの脱硫方法。
【図面の簡単な説明】
【図1】従来技術による機械撹拌装置を備えたレードルの撹拌羽根の模式配置図である。
【図2】本発明における機械撹拌装置を備えたレードルと撹拌羽根の模式配置図である。
【図3】実施例1、2と比較例1での脱硫時間による粗フェロニッケル熔湯中のイオウ品位の推移を示す図である。
【符号の説明 1 レードル
2 粗フェロニッケル熔湯
3 回転軸
4 撹拌羽根
【IPC】C21C1
【公開番号】特開2006-265645(P2006-265645A)
【公開日】平成18年10月5日(2006.10.5)
【出願番号】特願2005-86159(P2005-86159)
【出願日】平成17年3月24日(2005.3.24)
【出願人】(593213342)株式会社日向製錬所
Www.xtekunoroji.Com X技術 http://www.xtekunoroji.com/4K/2006265645.html



【課題】還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を攪拌式精製炉へ装入後、脱硫剤 を添加し該熔湯中のイオウを精製炉スラグ中に固定、除去してフェロニッケル脱硫する 方法において、高脱硫効率を達成するとともに、脱硫処理後に精製炉からフェロニッケル ...

【課題】還元炉から出銑された粗フェロニッケル熔湯を攪拌式精製炉へ装入後、脱硫剤を添加し該熔湯中のイオウを精製炉スラグ中に固定、除去してフェロニッケルを脱硫する方法において、高脱硫効率を達成するとともに、脱硫処理後に精製炉からフェロニッケル熔湯を排出し、次いで炉内に残した精製炉スラグを排出する際に、該スラグを容易にかつ効率良く掻き出しスラグの排出処理時間を短縮することができる脱硫方法を提供する。

【解決手段】粗フェロニッケル熔湯の温度を1550~1600℃に昇温するとともに、組成調整剤を添加して、脱硫処理後の精製炉スラグの組成を、酸化カルシウム(CaO)品位が40~55重量%、及び二酸化ケイ素(SiO)品位が5~10重量%になるように調整することを特徴とするフェロニッケルの脱硫方法などによって提供する


www.pacific-metals.co.jp/file/.../20091106073142-1.pd...
ニッケル事業. A.フェロニッケル. (1)原料仕入から製品販売までのフロー ・・ 9. (2)原料 仕入から製品販売までのフロー ・・ ..... 粗フェロニッケル. 鋳銑機. ショット. ショット鋳造 機. PN脱硫装置. 高温排ガス. H/C. フェロニッケル. ドライヤー. スラグ.
フェロニッケルを製錬する際に副生成物として得られるフェロニッケルスラグ微粒砂を 用いて、天然砂と同等以上の強度を有する骨 ... ニッケル熔湯14に脱硫剤を投入し、 撹拌羽根12で撹拌して粗フェロニッケル熔湯14中の硫黄を除去するフェロニッケルの 脱硫 ...
2015年1月29日 - 撹拌羽根12を有する撹拌装置11を備えた取鍋10内で、還元炉から出銑された粗 フェロニッケル熔湯20に脱硫剤を投入し、撹拌羽根12により撹拌することで熔湯20中 の硫黄を精製スラグ21中に固定し分離する脱硫方法において、脱硫処理 ...
2015年1月15日 - フェロニッケル熔湯に脱硫剤を投入し、撹拌羽根により撹拌することで熔湯中の硫黄 を精製スラグ中に固定し分離する脱硫方法において、粗フェロニッケル熔湯内に浸漬 させる撹拌羽根の浸漬深さを、脱硫処理の進行に伴って段階的に制御し ...
ci.nii.ac.jp/naid/110001468250 - キャッシュ
11 高硫黄含有フェロニッケル脱硫について : フェロニッケルの撹拌羽根による脱硫 II( フェロアロイ・高炉スラグ, 製銑, 日本鉄鋼協会 第 95 回(春季)講演大会). 木村 皓; 大平 洋金属(株)八戸工場. 木村 三四郎; 大平洋金属(株)八戸工場. 榊 宏一; 大平洋金属( ...
www.nirs.go.jp/db/anzendb/NORMDB/PDF/46.pdf
これらの中で、珪ニッケル鉱はフェロニッケルの主要な原料である。 ニッケル鉱石に .... ④脱硫工程:粗フェロニッケルには不純物として硫黄が含まれているため、低周波 ... 電気炉で発生したスラグは鉄鋼用原料、コンクリート用細骨材、アスファルト用. 細骨材  ...
www.chugoku.meti.go.jp/.../setouchi_saisei_h22fy_02.pdf
製鋼スラグにはこのほか、転炉等から出綱した溶綱に脱硫、脱燐、脱ガス等の処理を する場合に生成する「二次精錬スラグ」などがある。 高炉スラグ ... 溶鉄を転炉に挿入 する前に、溶鉄の脱硫、. 脱珪、脱燐等 .... ラグやフェロニッケルスラグ等がある。 産業 廃棄 ...

転載元: 健康リスクのブログ


[転載]日向市は土壌汚染(5万㎡以上)や放射性廃棄物(8000本以上)の多いところですね。公共の安全と安心を守るために、日向市の環境汚染について考えてみましょう。

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日向市は土壌汚染(5万㎡以上)や放射性廃棄物(8000本以上)の多いところですね。

日向市役所は「企業が安全と言っているから安全だ」ど当事者能力が低い。

日向市役所はJIS製品で無いものをJIS製品だと言って、工業標準化法に定める規定の違反行為を行った。

公共の安全や安心を守るために、日向市の環境汚染について考えてみましょう。

日向市土壌汚染で検索

iwj.co.jp/wj/open/archives/208316 - キャッシュ
2014年11月22日 宮崎県日向市に住む、3人の子どもの母親、黒木睦子さんのアカウントである。一介の主婦である黒木さんに対し、地元の企業が名誉毀損と損害賠償請求を求めて民事裁判を起こしたというのである。

――何か、有害なものが降ってきているなと疑われたのは、いつですか?
黒木「2012年5月頃です」
――疑うきっかけとなったのは、子どもやご両親が症状を訴え始めたからですか?
黒木「私も含めて咳が止まらない。子どもは今でも具合が悪い。病院へ行っても『風邪』と診断されるだけです」
――なるほど。ただの風邪という診断で終わってしまうと。因果関係を証明するのは難しいと思いますが、確かだと感じる理由があるのですか?
黒木「グリーンサンドを積み出してから始まったことなので、これしかないな、と自分は思っています」
 ツィッター上では一部、「黒木さんの自宅は現場から3kmも離れている。被害を受けるには遠すぎないか」「子どもの診断書はあるのか」といった批判的な投稿がみられる。しかし、黒木さんはインタビューの中で、こう繰り返した。
 被害を受けたのは、自宅ではなく、第三工区の目の前にある夫の実家でのことである。そこで、黒木さんの子どもたちは多くの時間を過ごすといい、工事が始まる2年前まではめったに風邪を引かない体質だった子どもたちが、工事が始まると同時に、頻繁に咳をするようになったというのだ。また、第一工区と第二工区も夫の実家のある場所から、1分と離れていない。

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2012年7月、黒木さんは、地権者の了解を得て、沈殿槽の水を採水し、検査機関に水質検査を依頼した。結果、環境基準値をはるかに超える、ヒ素や鉛、総水銀が検出されたというのだ。
▲黒木さんがブログに掲載している「有害」を示す水質検査のデータ画像

黒木「周りの噂では、『ここには全部グリーンサンドが入ることになるぞ』と。今、山を削っているところなどに」
――黒木さんのように、問題に関わるわけではなくても、地元の方は問題として認識しているのですか?
黒木「『あまりいいもんじゃねえ、製錬所のじゃろうが。処分する場所がないから捨てよっちゃわ』と言っていますね。『土地の地権者も、ただでは埋めさせんわ』とみんな噂では言っています」
▲日向製錬所はインタビューに応じなかったが、弁護士を通して質問書を送ったところ、回答を寄せた
――今回、訴状が来たのはいつですか?
黒木「日向製錬所から10月1日、(運搬業者の)サンアイからは10月2日です。突然、裁判所から封書届きました」
――内容は読んで分かりましたか?
黒木「内容が一方的で、私が悪いというものばかりです。全然意味が分からない。なぜ、そこまで書けるのか、意味が分かりません」
――黒木さんをある意味黙らせようという意味で訴えたとしたら、恐いとは思わないのですか。子どもも3人いらっしゃいます。もう、やめようと思ったことは。そこまで強い意志を持って続けられるのはなぜですか?
黒木「子どもです。それから、あそこに新しく家をたてないといけないし、親も看なければいけない。これからがあるからです。困るから、きれいに片付けてもらいたい」
――ブログを始められたのは今年ですよね。ツィッターも。なぜ始めようと?
黒木「新聞社とかが、信用したらそれっきりになったので(信用して取材を受けたが、記事にならなかったので)、自分でやるしかないと思って」
――地元じゃない人たちからの反響がとても大きいですが、どう思いますか?
黒木「他人事ではなく、自分の身になって考えてもらえるのかなと思っています」

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県の内外から駆けつけた、黒木さんの支援者で法廷の傍聴席は満席に

 翌日11月14日は、宮崎地方裁判所延岡支部第二法廷において、第一回口頭弁論が行われた。
(IWJ・ぎぎまき)
(後編に続く)
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          blogs.yahoo.co.jp > 地域> 日本> 宮崎県 - キャッシュ
          土壌汚染対策法に基づく要措置区域・形質変更時要届出区域
          (平成27年6月1日現在)


          形質変更時要届出区域
          H22.9.13

          宮崎県日向市大字日知屋字古田町81-2の一部、88-2の一部、70の一部、79-2の一部
          237㎡
          第4条砒素及びその化合物

          形質変更時要届出区域
          H22.10.25
          宮崎県日南市大字平野字大節8339-7の一部
          483 ㎡
          第4条鉛及びその化合物

          形質変更時要届出区域
          H23.12.15
          宮崎県日向市大字日知屋字塩矢16863番1の一部
          71 ㎡
          第4条鉛及びその化合物

          形質変更時要届出区域
          H24.6.25
          宮崎県日向市船場町1番2の一部、2番1の一部及び3番3の一部並びに日向市大字日知屋字ウノハイ15807番2の一部
          51,937 ㎡
          第14条六価クロム化合物鉛及びその化合物


          東ソー日向

          設立営業開始資本金所在地敷地面積
          平成7年7月7日(昭和40年操業開始)
          平成7年10月1日
          15億円(全額東ソー株式会社出資)
          本社・日向工場
          〒883-0065 宮崎県日向市船場町1番地
          257,000m2
          1961年(昭和36)1965年(昭和40)1970年(昭和45)1971年(昭和46)1975年(昭和50)1975年(昭和50)1987年(昭和62)1994年(平成6)1995年(平成7)1995年(平成7)2009年(平成21)2010年(平成22)2014年(平成26)
          日向市細島港臨海工業地区企業誘致契約
          (株)鐵興社日向工場として、電解二酸化マンガン(EMD)の製造を開始
          発電所運転開始
          電解金属マンガンの製造を開始
          東洋曹達工業(株)と(株)鐵興社が合併、東洋曹達工業(株)日向工場となる
          高純度四三酸化マンガン(ブラウノックス)の製造を開始
          社名変更により、東ソー(株)日向工場となる
          品質保証国際規格(ISO9002)認証取得
          電解金属マンガンの製造を中止
          東ソー(株)から分社独立、東ソー日向株式会社設立
          Ti極電槽が国立科学博物館「重要科学技術史資料」(通称:未来技術遺産)に登録
          鶴の内鉱滓処分場(管理型)の運用を開始
          化学法マンガン酸化物(CMO®)の製造を開始


          日向工場は天然の良港、細島港に面した257,000平方メートルの工場敷地を有し、電解二酸化マンガン(EMD)、化学法マンガン酸化物(CMO®)および高純度四三酸化マンガン(ブラウノックス)の生産を行っています。

          生産品目

          電解二酸化マンガン
          化学法マンガン酸化物
          ブラウノックス



          詳しいことは、宮崎県の担当部署に聞けば分かります

          平成20年4月25日 宮崎県知事が、日向製錬所 旧細島工場跡地の地下水から、ヒ素、フッ素、セレンが基準を超えて検出されたので、防止対策と原因調査を日向製錬所に指導しました。

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          1962年の 日向市細島港
          東ソー辺りが陸地化しています。
          現日向製錬所はまだ海です。

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          1987年の細島港
          日向製錬所の工場がはっきり分かります。
          日向製錬所の北側の森林が伐採されています。
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          2009年 日向製錬所


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          公益財団法人宮崎県環境科学協会が
          試料名:宮崎県日向市大字富高字山下2003番地の
          計量証明書を発行しました。
          計量証明書の番号:No水質 2012-01529


          平成24年(2012年)8月10日付

          カドミウム  0.0096 mg/l
          総水銀    0.0073mg/l
          セレン    0.030mg/l
          鉛      2.1mg/l
          六価クロム  0.02mg/l
          ヒ素     0.52mg/l
          フッ素    20mg/l
          ホウ素    0.23mg/l
          シアン    0.1mg/l未満
          水素イオン濃度  6.9(27℃)
          公益財団法人宮崎県環境科学協会の担当者k氏が、黒木さんに計量証明証の内容を説明した。






          www.asyura2.com/14/senkyo172/msg/706.html - キャッシュ
          http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4135.html
          2014/10/10 Fri. 22:19:53 真実を探すブログ


          宮崎県日向市在住の主婦の方が近所で行なわれている不法投棄を指摘したところ、逆に業者から訴えられていることが判明しました。実際にこの産業廃棄物で苦しんでいる方の話によると、(有)サンアイという運搬会社が付近の土地を下見して、トラックなどで日向製錬所から排出されているゴミを捨てているとのことです。
          しかも、そのゴミは付近の川も汚染し、水などを通して農作物や畜産なども汚れている可能性があると見られています。被害にあった主婦の方は行政などに相談するも、結局はたらい回し状態にされ、今度は業者から訴えられてしまったようです。


          更に質が悪い事に、警察などに相談しても「警察も手が出せないものがある」と言われ、対応を全くしてくれないと主婦の方は証言しています。これが全て事実だとすれば、物凄い大問題です。実際に産業廃棄物を撮影した写真や映像が有ることから、この件は事実である可能性が高いと言えます。


          日向製錬所を調べてみると、「住友金属鉱山株式会社」という住友財閥の源流企業の名前が出て来ました。「住友金属鉱山株式会社」は日本で最も歴史ある企業の一つで、とんでも無い規模の大企業です。今回の件に本体が関与しているかは分かりませんが、県知事らの名前も出て来ているようなので、関係は否定出来ないと推測されます。現に行政や警察などが全く動いていないわけで、かなり不気味です。
          いずれにせよ、住友財閥を抜きにしても、このような産業廃棄物問題は放置するべきではなく、今後も注目するべき問題であると私は考えています。
          *土地の地権者はサンアイや日向製錬所とは別に居て、ゴミの投棄を認めているようです。主婦の方に届いた訴状には「損害賠償請求事件」と書いてあった模様。


          ↓産業廃棄物がトラックから投棄される瞬間


          www.magazine9.jp/article/biboroku/16145/ - キャッシュ
          2014年11月19日 -
          小欄ではSLAPP(スラップ)訴訟について何度か触れてきたが、また宮崎県で同じ問題が起こっている。産業廃棄物の不法投棄に悩まされた主婦がこれをネット上で指摘したところ、名誉毀損だとして業者から訴えられたのだ。
          この主婦は、日向市に住む黒木睦子さん。家の近くで、日向製錬所がニッケル精錬過程で出るスラグ(鉱滓=こうさい)を捨てている。じき、家族に咳が止まらないなどの症状が表れるようになったという。彼女は精錬所と、スラグを運んでいるサンアイに投棄をやめるよう要請し、また県と市に指導するよう申し出た。
          しかし、日向製錬所は「国も認めた安全な物であり、製品だ」として撤去を拒否。県は「グリーン・サンドは産廃でない」、市は「製錬所が無害と言っているのなら無害である」と、まったく埒が開かない。


          そのスラグが積まれているところの沈殿池の水を調べると、環境基準値の鉛210倍、ヒ素50倍、フッ素20倍、総水銀15倍、カドミウム3倍、セレン3倍が検出された。黒木さんはこのデータを県に持っていったが信じてもらえず門前払いだったそうだ。本当に不思議な話だ。産廃について、後ろ暗いことでもあるのかと疑われても仕方がない。

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          日向製錬所が製造する商品名「グリーンサンド」を用いて行われた
          宮崎県日向市西川内地区の造成工事について、
          「行政処分の指針」に基づき、
          廃棄物の該当性について検討した資料の黒塗り部分を
          開示べきとする異議申し立てについて、
          宮崎県公文書開示審査会に諮問しました。

          宮崎県知事 河野俊嗣



          宮崎県公文書開示審査会

          宮崎県公文書開示審査会は、宮崎県情報公開条例第19条の規定に基づき設置された県の附属機関です。

          1.審査会の役割

          1. 開示決定等に対する不服申立てについて、実施機関からの諮問に応じて審議を行なうこと。
          2. 情報公開の運営に関する重要事項について、実施機関の求めに応じて意見を述べること。

          2.審査会委員

          会長 
           郷俊介 弁護士
          委員
           飯田三和 税理士
           井手真弓 社会保険労務士
           佐保忠智 大学教授
           新名惠美子 総務省行政相談委員等

          beingtt.blog.fc2.com/blog-entry-17.html - キャッシュ
          2014年11月10日 - 【これは酷い】宮崎県で産業廃棄物汚染を指摘していた主婦が訴えられる! ... を 2012 年頃から、議員である日向市市議会議員の鈴木富士男氏他の土地に大量にに廃棄して おり(同社は廃棄ではなく、運搬 .... 農業用土壌改良材」とやらの埋め立てなので、普通 、この種の投棄に必要なアスファルト防水が行われず投げ棄てただけ

           廃棄物処理法から見て住友金属の排出したグリーンサンドは廃棄物です

          廃棄物該当性の判断について
          取引価値の有無
          ・占有者と取引の相手方の間で有償譲渡がなされており、なおかつ客観的に見て当該取引に経済的合理性があること。
          ・実際の判断に当たっては、名目を問わず処理料金に相当する金品の受領がないこと、
          ・当該譲渡価格が競合する製品や運送費等の諸経費を勘案しても双方にとって営利活動として合理的な額であること、
          ・当該有償譲渡の相手方以外の者に対する有償譲渡の実績があること等の確認が必要であること。

          平成25年3月29日 「行政処分の指針について」 
          環境省 産業廃棄物課長



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          鉱滓スラグガイドラインに規定する販売上の留意点

          鉱滓スラグガイドライン
          販売上の留意点

          1) 各会員は、鉄鋼スラグ製品の販売において、販売先に対し、名目の如何を問わず販売代金以上の金品を支払ってはならない。
          仮に、各会員が支払う運送費や業務委託費等が販売代金以上となるおそれがある場合は、各会員は、販売先以外の第三者を運送業者や業務委託先等として選定しなければならない。
          なお、各会員は、販売先に販売代金以上の金品が還流することを認識・把握しながら、販売先以外の業者(運送業者を含む)に対し、販売代金以上の金品を支払ってはならない。

          2) 出荷場所と使用場所の関係から、運送費が販売代金以上となるおそれがある場合は、各会員は、複数の運送業者から見積もりを取るなど運送費の妥当性を検証しなければならない。

          eco.pref.miyazaki.lg.jp/wp-content/uploads/.../01todokede.pdf
          改正土壌汚染対策法の施行により一定規模以上の土地の形質変更を行う場合には、 事前の届出が義務付けられました ∼ .... 日向保健所. 0982-52-5101. 日向市、門川町 、美郷町、諸塚村、椎葉村. 延岡保健所. 0982-33-5373. 延岡市. 高千穂保健所.




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          saigaijyouhou.com/blog-entry-4135.html - キャッシュ
          2014年10月10日 - 宮崎県日向市在住の主婦の方が近所で行なわれている不法投棄を指摘したところ、逆 に業者から訴えられていることが判明しました。実際に ... しかも、そのゴミは付近の川も 汚染し、水などを通して農作物や畜産なども汚れている可能性があると見られています 。被害に ...... あるのは土壌汚染だの水質汚染を検査する項目ばかり。
          onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-c8a8.html - キャッシュ
          2014年11月17日 - マスコミでは報じられないが、宮崎県日向市の主婦黒木睦子さんが、(株)日向製錬所と (有)サンアイから名誉毀損で提訴 .... 宮崎県に問い合わせすると、「日向市西川内地区 におけるグリーンサンドを使用した造成工事に係る土壌汚染対策法 ...



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          日向市 放射性廃棄物で検索


          mainichi.jp/area/miyazaki/.../20150623ddlk45020297000c.ht...
          毎日新聞 2015年06月23日 地方版
           旭化成は、旧ウラン濃縮研究所(日向市竹島)の低レベル放射性廃棄物について、新たに地下貯蔵庫を建設していることを明らかにした。9月までに完成し、来年5月までに稼働を始める方針。
           同社延岡支社によると、2011年の東日本大震災を契機に検討していた。貯蔵庫は研究所の隣接社有地の地下約8メートルに建設している。床1・39メートル、壁1・1メートル、天井1メートルの厚さのコンクリート壁で囲み、面積約4000平方メートル。液状化対策も施し、震度7の地震、高さ15メートルの津波にも耐える設計にした。
           旧研究所では1991年まで原発用のウラン濃縮技術を研究していた。約2200平方メートルの建屋内には現在もウラン含有固化物や汚染された研究機材など200リットルドラム缶換算で約8300本の廃棄物があり、専門家の指導の下、県・日向市・門川町と結ぶ安全協定に基づいて放射線量を定期測定するなどして管理している。ヨウ素、セシウムなどは含まず、周辺に影響を及ぼすレベルの放射線量ではないという。
          2015年6月23日 - 旭化成:放射性廃棄物管理へ、地下貯蔵庫を建設 日向市の旧研究所 /宮崎 毎日 新聞 2015年06月23日 地方版 旭化成は、旧ウラン濃縮研究所(日向市竹島)の低 レベル放射性廃棄物について、新たに地下貯蔵庫を建設していることを ...
          kojimata.tumblr.com/.../放射性廃棄物保管の倉庫旭化成が県... - キャッシュ
          非常になかなか酷く面白い!!!##. 東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け 、旭化成延岡支社は31日、日向市竹島町の旧ウラン濃縮研究所で排出された放射性廃棄物などを保管する倉庫の見学会を開き、日向市議や同市選出の県議らに安全性 ...
          www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/275.html - キャッシュ
          2015年6月23日 - 旭化成延岡支社(延岡市)は22日、日向市の社有地で保管している低レベルの放射性廃棄物について、南海トラフ巨大地震や津波に耐えられる地下保管施設の建設を進め ていると明らかにした。9月完成の見通しで、来年5月頃の廃棄物の ...
          twitter.com/mutsukuroki - キャッシュ
          日向市竹島の旭化成ウラン濃縮研究所隣接地で計画されている低レベル放射性廃棄物処分場の工事施工は「西松建設」。日向市では住友金属鉱山の子会社日向製錬所の 産廃訴訟だけが話題にされている。川内原発再稼働と旭化成、そして住友金属鉱山 ...


          放射能廃棄物処分場は 既に建設中!日向市竹島旭化成ウラン濃縮研究所隣接地では 既に掘削作業が進められてました。まもなく 生コン打設が始まるそうです。総量は1万5千m3。それにしても広いというのが第一印象。
          twitter.com/hanayuu/status/635213808890281984 - キャッシュ
          2015年8月22日 - 日向市は汚染が多い 放射性廃棄物管理状況 旭化成 日向細島事業所 8,030 本 土壌 汚染要措置区域等 日向市船場町1番2他 東ソー51,937 ㎡ 六価クロム 鉛 環境汚染は 、企業の言いなりにならず、市民がしっかり学び判断する ...




          www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_13046.html - キャッシュ
          2015年6月24日 - 旭化成(東京)は、日向市竹島の細島1区事業所内に保管する旧ウラン濃縮研究施設の 低レベル放射性廃棄物について、南海トラフ巨大地震や津波に備えて地下保管する ための施設建設を進めている。9月に完成する見通しで、廃棄物 ...
          2015年6月24日 - 旭化成(東京)は、日向市竹島の細島1区事業所内に保管する旧ウラン濃縮研究施設の 低レベル放射性廃棄物について、南海トラフ巨大地震や津波に備えて地下保管する ための施設建設を進めている。9月に完成する見通.
          kyoya5052.blog52.fc2.com/blog-entry-1694.html - キャッシュ
          2015年7月25日 - 日向市に旭化成のウラン濃縮研究所があったこと、その廃棄物が今も保管されている ことも知りませんでした。 ... 旭化成は南海トラフ巨大地震による津波に備えるため、日向で保管している放射性廃棄物を来年5月までに新たに作る地下の ...


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          転載元: 環境は正義感のブログ

          [転載]宮崎県日向市の日向製錬所の奥(北)の海神社はとっても良いところですね! 日向岩陰湧水恵比寿さまが鎮座されておられます。1625年から尊敬し奉られています。

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          ホーム >  宮崎県の神社 >  日向市 >  海神社(かいじんじゃ)
          海神社(かいじんじゃ) 高ヒット [地図表示]

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          日向製錬所の前の道を北に進みます。

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          10トンダンプが走っている道路ですので、観光バスも通れそうですね。


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          鳥居の前は観光バスが駐車できるスペースがあります。


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           永二年、当地仏崎の浜に連夜不思議なる燈明を漁夫が発見し、現地を調査したところ、不思議なご尊体の鎮座したところを拝見した。
           村人等は、驚喜して直ちにこれを村中に議して永二年旧十一月十七日仏崎の浜に接する、字ナゴラに一宇を建立しご尊体を迎え奉安したところ、たちまちにして航海漁業等ご神威が顕れたので、村中が同日を以て大祭日(現、新暦十一月二十三日)と定め、儀礼を崩さず龍王権現と崇敬し、村中の氏神として今日に及んでいる。
           ご尊体座したところはいまなお、人に知られ殊に石の美しいことを不思議として伝えている。

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          海神社の由来
            海神社のご祭神は、大綿津見命でありますが、その由来は次のように言い伝えられております。
          寛永2年(西暦1625年)の頃、佛?崎の浜(海神社の東方約200m)毎晩不思議なともし火が、あかるのど漁師が発見したので、現場に行ってみたところ、畏(かしこ)くも御尊体が鎮座されておられました。
          これを聞いた梶木の人達は、非常に驚喜して村中にはかり寛延2年旧暦の11月17日に、現在の地に御神殿を建造し御尊体を迎えて奉安いたしました。
          その後、直ちに御神威が航海や漁業等にあらわれましたので、村の人達は龍王権現様と崇敬し奉るようになりこの旧暦の11月17日を村の氏神様の大祭の日と定めて、毎年その夜は夜通し神楽奉納などの祭礼を行ってまいりましたが、太平洋戦争後は新暦の11月17日に祭礼を行う様になり、またその後小中学生が神輿を担ぐようになってから、勤労感謝の日に変わり現在に至っております。

          なお御神殿は明治24年 旧暦の8月20日に改築し、大正10年2月17日に修築いたしましたが、その後昭和55年3月25日に現在の御神殿に新築いたしております。







          地図  [KML] [地図表示]

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          本殿は、有名な  の設計です


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          権現神社ともいうようです






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          岩がオーバーハングしている下に、
          湧水のウォーターカーテンに守られて恵比寿様が鎮座しておられます。

          日向岩陰湧水恵比寿


          郵便番号883-0062
          住所宮崎県日向市日知屋15782-乙
          御祭神大綿津見神(おおわたつみのかみ)
          旧社格無格社
          御神徳
          社殿本殿(大社造)4坪 拝殿(大社造)6坪
          創立年月日永二年(1625)旧十一月十七日
          例祭日十一月二十三日
          主な祭典
          文化財
          駐車場有り
          最寄ICからのアクセス日向ICより車で約25分
          最寄駅からのアクセスJR日向市駅より車で約15分


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          道が広くなっているところが海神社です↑

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          白く見える辺りが本殿です↑


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          海神社前の海岸は素足で歩くと痛そうです




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          綺麗な海の横に日向製錬所があります



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          海神社は、水産業・農業をはじめ水によって生計を立てる人の守護神であり、開運厄除の神でもあります。

          水を汚すと逮捕されることがあります。
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          壌汚染対策法第四条の第一項について、
          認識不足により提出が遅延しました。

          再度このようなことのないように徹底致しますので
          今後ともよろしくご指導いただきますようよろしくお願いいたします。


          第四条 土地の掘削その他の土地の形質の変更(以下「土地の形質の変更」という。)であって、その対象となる土地の面積が環境省令で定める規模以上のものをしようとする者は、当該土地の形質の変更に着手する日の三十日前までに、環境省令で定めるところにより、当該土地の形質の変更の場所及び着手予定日その他環境省令で定める事項を都道府県知事に届け出なければならない。


          第六十六条 次の各号のいずれかに該当する者は、三月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
           第四条第一項の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者

          転載元: 観光立国のブログ

          [転載]宮崎県水源地域保全条例  日向市東郷町の美味しい水

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          やめようポイ捨て、宮崎県日向市 東郷 まちづくり協議会



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          日向市
          観音滝
          (かんのんたき)
          日向市東郷町落差 25m 自然林に溶けながら時を刻む風景は、四季折々にうつろい、見る人の心に鮮やかな陰影を残す。春には、岸壁につつじが咲き、近くに観音像がある。



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          宮崎県発行の「グリーンサンド造成工事における廃棄物該当性の検討について」は黒塗りばかりで、廃棄物でない理由が全く分かりませんでした。
           
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          日向市東郷町山陰地区


          トップページ> NN事業の概要> NN事業の効果 > 宮崎県 > 農業生産基盤と環境基盤の整備を契機とした、中山間地域農業の活性化
          宮崎県

          農業生産基盤と環境基盤の整備を契機とした、中山間地域農業の活性化

          • 宮崎県東郷町では、ほ場整備の実施により、農業生産法人育成や農地集積を推進。
          • 活性化施設の利用により、中山間地域の資源を活かした農産加工グループ等の育成等や特産品開発を推進。
          東郷地区(宮崎県東郷町)
          事業名:中山間地域総合整備事業(一般型)
          受益面積:66ha
          工期:平成8年度~平成15年度
          主要工事:ほ場整備、農道、営農飲雑用水、活性化施設
          生活環境基盤
          活性化施設において地域の資源を活用した農産物加工品の生産加工グループ等の技術の向上及び特産品の開発が行われている。
          農産加工特産品数の増加
          地場産品を使用した特産品数
          農産加工特産品
          農業生産基盤
          ほ場整備(A=26ha)の実施により、農業生産法人が平成15年度までに6生産法人が設立され、大豆などの集団作付けが実施されている。また、農地の利用権設定も進んでいる。
          農業生産

          農業生産

          利用権設定面積(東郷町全体:ha)


          環廃産発第1303299号
          平成25年3月29日

          各都道府県・各政令市産業廃棄物行政主管部(局)長 殿

          環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課長


          行政処分の指針について(通知)

          廃棄物該当性の判断について

          ① 廃棄物とは、占有者が自ら利用し、又は他人に有償で譲渡することができないために不要となったものをいい、これらに該当するか否かは、その物の性状、排出の状況、通常の取扱い形態、取引価値の有無及び占有者の意思等を総合的に勘案して判断すべきものであること。

           廃棄物は、不要であるために占有者の自由な処理に任せるとぞんざいに扱われるおそれがあり、生活環境の保全上の支障を生じる可能性を常に有していることから、法による適切な管理下に置くことが必要であること。
           したがって、再生後に自ら利用又は有償譲渡が予定される物であっても、再生前においてそれ自体は自ら利用又は有償譲渡がされない物であることから、当該物の再生は廃棄物の処理であり、法の適用があること。

           また、本来廃棄物たる物を有価物と称し、法の規制を免れようとする事案が後を絶たないが、このような事案に適切に対処するため、廃棄物の疑いのあるものについては以下のような各種判断要素の基準に基づいて慎重に検討し、それらを総合的に勘案してその物が有価物と認められるか否かを判断し、有価物と認められない限りは廃棄物として扱うこと。なお、以下は各種判断要素の一般的な基準を示したものであり、物の種類、事案の形態等によってこれらの基準が必ずしもそのまま適用できない場合は、適用可能な基準のみを抽出して用いたり、当該物の種類、事案の形態等に即した他の判断要素をも勘案するなどして、適切に判断されたいこと。
           その他、平成12年7月24日付け衛環第65号厚生省生活衛生局水道環境部環境整備課長通知「野積みされた使用済みタイヤの適正処理について」及び平成17年7月25日付け環廃産発第050725002号本職通知「建設汚泥処理物の廃棄物該当性の判断指針について」も併せて参考にされたいこと。


          ア 物の性状
           利用用途に要求される品質を満足し、かつ飛散、流出、悪臭の発生等の生活環境の保全上の支障が発生するおそれのないものであること。
           実際の判断に当たっては、生活環境の保全に係る関連基準(例えば土壌の汚染に係る環境基準等)を満足すること、その性状についてJIS規格等の一般に認められている客観的な基準が存在する場合は、これに適合していること、十分な品質管理がなされていること等の確認が必要であること。


          イ 排出の状況
           排出が需要に沿った計画的なものであり、排出前や排出時に適切な保管や品質管理がなされていること。


          ウ 通常の取扱い形態
           製品としての市場が形成されており、廃棄物として処理されている事例が通常は認められないこと。


          エ 取引価値の有無
           占有者と取引の相手方の間で有償譲渡がなされており、なおかつ客観的に見て当該取引に経済的合理性があること。実際の判断に当たっては、名目を問わず処理料金に相当する金品の受領がないこと、当該譲渡価格が競合する製品や運送費等の諸経費を勘案しても双方にとって営利活動として合理的な額であること、当該有償譲渡の相手方以外の者に対する有償譲渡の実績があること等の確認が必要であること。


          オ 占有者の意思
           客観的要素から社会通念上合理的に認定し得る占有者の意思として、適切に利用し若しくは他人に有償譲渡する意思が認められること、又は放置若しくは処分の意思が認められないこと。
           したがって、単に占有者において自ら利用し、又は他人に有償で譲渡することができるものであると認識しているか否かは廃棄物に該当するか否かを判断する際の決定的な要素となるものではなく、上記アからエまでの各種判断要素の基準に照らし、適切な利用を行おうとする意思があるとは判断されない場合、又は主として廃棄物の脱法的な処理を目的としたものと判断される場合には、占有者の主張する意思の内容によらず、廃棄物に該当するものと判断されること。

           なお、占有者と取引の相手方の間における有償譲渡の実績や有償譲渡契約の有無は、廃棄物に該当するか否かを判断する上での一つの簡便な基準に過ぎず、廃プラスチック類、がれき類、木くず、廃タイヤ、廃パチンコ台、堆肥(汚泥、動植物性残さ、家畜のふん尿等を中間処理(堆肥化)した物)、建設汚泥処理物(建設汚泥を中間処理した改良土等と称する物)等、場合によっては必ずしも市場の形成が明らかでない物については、法の規制を免れるため、恣意的に有償譲渡を装う場合等も見られることから、当事者間の有償譲渡契約等の存在をもって直ちに有価物と判断することなく、上記アからオまでの各種判断要素の基準により総合的に判断されたいこと。
           さらに、排出事業者が自ら利用する場合における廃棄物該当性の判断に際しては、必ずしも他人への有償譲渡の実績等を求めるものではなく、通常の取扱い、個別の用途に対する利用価値並びに上記ウ及びエ以外の各種判断要素の基準に照らし、社会通念上当該用途において一般に行われている利用であり、客観的な利用価値が認められなおかつ確実に当該再生利用の用途に供されるか否かをもって廃棄物該当性を判断されたいこと。

           ただし、中間処理業者が処分後に生じた中間処理産業廃棄物に対して更に処理を行う場合には産業廃棄物処理業の許可を要するところ、中間処理業者が中間処理後の物を自ら利用する場合においては、排出事業者が自ら利用する場合とは異なり、他人に有償譲渡できるものであるか否かを含めて、総合的に廃棄物該当性を判断されたいこと。


          ② 廃棄物該当性の判断については、法の規制の対象となる行為ごとにその着手時点における客観的状況から判断されたいこと。
           例えば、産業廃棄物処理業の許可や産業廃棄物処理施設の設置許可の要否においては、当該処理(収集運搬、中間処理、最終処分ごと)に係る行為に着手した時点で廃棄物該当性を判断するものであること。

          宮崎県日向市  ゴミの山が目の前で非常に困ってます

          (株)日向製錬所が排出しているフェロニッケルスラグがあちこちの山に捨てられてます。国 「山に捨てているのは、ただの鉄くずです」 宮崎県 山に捨てている鉄くずを「商品だ、産廃と判断しない」 日向市 「(株)日向製錬所が安全といってるから安全。」 グリーンサンド(フェロニッケルスラグ)は商品だ、と県はいってますがグリーンサンドはグリーンサンドでないです。ただのゴミです。

           








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          宮崎県水源地域保全条例

          (目的)
          第1条 この条例は、水源地域の保全に関し、県、県民及び土地所有者等の責務を明らかにするとともに、水源地域内の土地の所有権等の移転等について必要な事項を定めることにより、水の供給源としての水源地域が持つ水源の 涵かん養の機能(以下「水源 涵かん養機能」という。)の維持に寄与することを目的とする。
          (定義)
          第2条 この条例において「水源地域」とは、第9条第1項の規定により知事が指定した地域をいう。
          2 この条例において「土地所有者等」とは、水源地域内の土地であって規則で定めるものの所有権、地上権その他規則で定める使用及び収益を目的とする権利(第10条第1項並びに第13条第2項及び第3項において「所有権等」という。)を有する者をいう。
          (県の責務)
          第3条 県は、水源地域の水源 涵かん養機能を維持するため、市町村、県民及び土地所有者等との連携協力により、水源地域の保全に関する施策を推進するものとする。
          (県民の責務)
          第4条 県民は、水源地域の保全に対する理解を深め、県及び市町村が実施する水源地域の保全に関する施策に協力するよう努めなければならない。
          (土地所有者等の責務)
          第5条 土地所有者等は、水源地域が水源 涵かん養機能を有することを深く認識し、県及び市町村が実施する水源地域の保全に関する施策に協力するよう努めなければならない。


          (公表)
          第15条 知事は、前条の規定による勧告を受けた者が、当該勧告に従わなかったときは、規則で定めるところにより、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる。


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          住友金属鉱山の日向精錬所から排出された不要になったステンレス鉱滓(フェロニッケルスラグ、グリーンサンド)を不法投棄している件について宮崎県に問い合わせすると、「日向市西川内地区におけるグリーンサンドを使用した造成工事に係る土壌汚染対策法第4条に基づく届出はございません」との回答をえました。
          環境省の土壌汚染対策法に関するQ&Aによると
          「再生砕石を砂利にして地面に盛る場合は、土地の形状が変更されることから、法第4条第1項の土地の形質の変更に当たる。」と示されています。
          土壌汚染対策法の第4条による届け出をしなかったので、土地所有者等は、土壌汚染対策法により第六十六条の規定により、三月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処されることになります。





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          転載元: 不法投棄不法占拠対策のブログ

          天橋立は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つ

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          天橋立

             
          北側(傘松公園)からの眺望 - 斜め一文字
          天橋立は京都府北部にある
          天橋立は京都府北部にある
          天橋立
          京都府内における天橋立の位置
          雪舟筆「天橋立図」(京都国立博物館蔵、国宝) 東側より - 雪舟観
          天橋立は、京都府宮津市宮津湾内海阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つ。2013年の観光入込客数は1,781,900人で、京都市を除いた京都府内の観光地で第1位である[4]



          地理[編集]

          天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代後氷期完新世、約6千年前)に急速に成長し、2〜3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる[5]
          砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の林が生え、東側には白い砂浜が広がる。

          文化的景観[編集]

          古代より奇勝・名勝として知られ、一例として平安時代百人一首小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」が見られる。今日広く知られている天橋立を松島宮島と並び称した『日本三景』という語句の文献的初見は、1689年(元禄2年)に刊行された貝原益軒の著書『己巳紀行』において、天橋立について記された箇所とされている。第二次世界大戦後は1952年昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定、3年後の1955年6月1日に若狭湾国定公園の指定区域となった。現在は2007年8月3日に新設された丹後天橋立大江山国定公園の指定区域となっている。
          930320北側
          京都府、宮津市などは「天橋立-日本の文化景観の原点」という名で、文化庁に対し世界遺産暫定一覧表記載資産候補としての提案を行ったものの暫定リストに選ばれなかった。しかし、カテゴリーIa「提案書の基本的主題を基に、作業を進めるべきもの。」 という前向きな評価を受けた。2014年に「宮津天橋立の文化的景観」として重要文化的景観に選定されている。

          天橋立の眺望[編集]

          天橋立の眺めは一般に下記のものが有名である。特に、斜め一文字と飛龍観は著名である。
          南側からの眺望 - 飛龍観
          • 斜め一文字:北側の傘松公園からの天橋立の眺め。名前のとおり斜め一文字に見える景観からその名がついた。
          • 飛龍観文珠山の山頂にある天橋立ビューランドから見る南側からの眺め。龍が天に登る姿に見えることからその名前がついた。
          • 一字観:西側の大内峠一字観公園からの天橋立の眺め。天橋立が横一文字に見える景観からそのように呼ばれている。
          • 雪舟観:東側からの天橋立の眺め。左に掲げた雪舟筆「天橋立図」が描かれたことが由来である。

          名所・施設[編集]

          周辺

          • 廻旋橋 - 天橋立の大橋立と小橋立を結び、橋の中央部分が90度回転する可動橋1923年に人力で動く橋が完成し、1957年から現在の電動式になった。湾奥部にある日本冶金工業関連の貨物船や大型の遊覧船を通すために橋を回転させるほか、2009年からは日曜日に限り船が通らないときも回転させるようになっている。
          • 知恵の輪灯篭 - 廻旋橋の脇に立つ灯篭。元々近くを往来する船の安全を祈って建立された。この灯篭の輪を3回くぐり抜けると知恵が授けられると言い伝えられている。
          • 智恩寺 - 808年(大同3年)に創建され、古くから知恵を授かる文殊信仰の寺院として知られている。境内には重要文化財の多宝塔がある。
          • 籠神社
          • 阿蘇の船屋

          景観をめぐる問題

          天橋立の空中写真。(1975年撮影)
          砂州の外海側(写真下方)に設置された小型の堆砂堤が多数見える。内海側(写真上方)には設置されていない。外海側のみが、潮流による侵食を受け続けていることが分かる[7]
          国土交通省国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
          砂州の侵食
          近年、天橋立は侵食により縮小・消滅の危機にある。これは戦後に河川にダムなどが作られ、山地から海への土砂供給量が減少し、天橋立における土砂の堆積・侵食バランスが崩れたためであるとされてきた。しかし、最近の研究[8]では土砂の主な供給源とされる真名井川他からの流入だけでは、砂州を形成するにはもともと不足であることや、江戸時代後期に土砂の流入がそれほど増えていないのに砂州が成長したことなどから、土砂は2200年前の巨大地震による土石流で既に海底に蓄積されたもので河川からの流入量の変化より、むしろ侵食の原因は湾内の海流の変化が原因であるとされる。 侵食を防ぐため、行政では写真の南側よりの眺めである飛龍観の右側のノコギリ状になっている砂浜部分に養浜を行うために砂州上に小型の堆砂堤を多数設置し、流出する土砂を食い止めている。
          松食い虫の大量発生
          松食い虫の大量発生のため、一時は松の立ち枯れが頻発し全滅の危機に瀕した。その後、害虫の駆除が行われた結果、小康状態を保っている。
          流木の漂着
          豪雨などで流木が大量に漂着し景観を損ねてしまうことがある。2013年の台風18号でも大量の流木等が漂着した[9]
          「カキ殻島」の発生
          天橋立によって隔てられた内海である阿蘇海に、2000年頃からカキが異常繁殖するようになり、カキの殻が大量に天橋立周辺に堆積し、「カキ殻島」が形成されるようになった。景観を損ねているため、京都府は2015年7月11日から大掛かりな撤去作業を開始している[10]

          交通

          最寄り駅は、京都丹後鉄道宮津線天橋立駅である。
          天橋立の南端部へは同駅から徒歩すぐに位置している。北側の傘松公園へは同駅から路線バスか観光船(丹後海陸交通)またはモーターボート(同社および天橋立遊船)、もしくは砂州を徒歩などで府中駅へ。同駅から天橋立ケーブルカーに乗車し、傘松駅から徒歩。

          広域アクセス

          鉄道
          JR西日本と京都丹後鉄道を直通する特急を利用した場合、京都駅からの所要時間は約2時間である。嘗ては新大阪駅大阪駅からの直通特急も運行されていたが、2011年3月12日のダイヤ改正をもって定期列車は廃止され、多客期の臨時列車の運行のみなされている。
          空路
          最寄りの空港であるコウノトリ但馬空港へ、大阪国際空港(伊丹)からの定期航空路が日本エアコミューターにより運航されている。同空港からは豊岡駅までの連絡バスが全但バスにより運行されており、同駅にてKTR宮津線への乗換えが可能である。大阪国際空港で日本航空の東京便と連絡。



          アクセス


          京都丹後鉄道宮豊線「天橋立駅」または「岩滝口駅」から
            丹海バス(経ヶ岬・蒲入・伊根方面行き)で「丹後郷土資料館」下車
            すぐ

          「天橋立駅」から車で15分

          京都縦貫自動車道「与謝天橋立IC」から車で10分
                       「宮津天橋立IC」から25分
           


          京都府立丹後郷土資料館
          〒629-2234 京都府宮津市字国分小字天王山611-1


          価値の高い帝釈峡遺跡で、日本の考古学を学ぶ

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          www.hiroshima-u.ac.jp > ... > 研究施設・プロジェクト - キャッシュ


          広島大学大学院文学研究科帝釈峡遺跡群発掘調査室
          Taishaku-kyo Sites Research Centre, Graduate School of Letters, Hiroshima University
           
          帝釈峡遺跡群は、広島県東北部の庄原市から神石郡に広がる帝釈石灰岩地帯に位置しており、石灰岩の洞窟、岩陰を利用した数多くの石器時代遺跡が発見されています。遺跡群の発掘調査は、1962年の帝釈馬渡岩陰の第1次調査以来、毎年継続して実施しており、2011年で50年を迎えました。そして、1977年からは帝釈峡の地に帝釈峡遺跡群発掘調査室が開設され、現地調査の拠点となっていますが、国立大学でもこのような考古学の発掘調査実習施設が設置されているのは東京大学と本学のみです。
           

          帝釈峡遺跡群の洞窟、岩陰遺跡では、縄文時代を中心に旧石器時代から古代以降にまでおよぶ、各時代・各時期の遺物包含層(文化層)が整然と連続して堆積しており、石器時代の変遷を復元する際の基準となってきました。
           さらに、石灰岩地帯に立地していることから、通常、石器時代のような古い遺跡では残りにくい人骨、動物骨、貝類の遺存に恵まれ、考古学のみならず、人類学、古生物学、地質学などの分野からも注目を集め、特色ある学際的な研究が進められています。
          遺跡群調査研究の端緒となった帝釈馬渡岩陰遺跡の調査風景
          (庄原市東城町)
           
          30次にわたり調査の行われた帝釈観音堂洞窟遺跡
          (神石郡神石高原町)

           ニュース
           リンク


          広島県,帝釈峡石灰岩地帯に分布する岩陰・洞窟遺跡群。縄文時代から先土器時代の遺物を出土。現在 25遺跡が確認され,そのうち馬渡,寄倉,名越,観音堂,堂面などが調査されている。寄倉,観音堂では,縄文時代全般にわたる土器,石器,骨角器が出土。
          www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/92142.pdf
          6 -. 1 日本列島の誕生とひろしま~ 帝 釈 峡. たいしゃくきょう. 遺跡群. いせきぐん. ~. 1 帝釈峡遺跡群とはどのような遺跡でしょうか? 帝釈峡遺跡群は,庄原市東城町. から 神石郡神石高原町,府中市上. 下町にまたがる50か所以上の洞窟. どうくつ. 遺跡や岩  ...
          www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=688 - キャッシュ
          翌昭和37年(1962)から帝釈峡遺跡群発掘調査団、昭和52年、(1977)から広島大学 文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室が調査を進め、42ヵ所の洞窟、岩陰遺跡と、2ヵ所の 開地遺跡が明らかとなった。そのうち帝釈馬渡(まわたり)・帝釈寄倉(よせくら)・帝釈 ...
          umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DJinruis/taisyaku/history.html - キャッシュ
          帝釈観音堂洞窟遺跡は、1964(昭和39)年から1995(平成7)年まで30次におよぶ調査 が実施された、帝釈峡遺跡群を代表する遺跡のひとつである(広島大学帝釈峡遺跡群 発掘調査室,2002)。後述の帝釈寄倉岩陰遺跡の南南東約7 km、下帝釈地域(帝釈 ...
          中国山地の縄文文化―帝釈峡遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
          Amazon.co.jp: 中国山地の縄文文化―帝釈峡遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」): 河瀬 正利: 本.
          価格:1,620円 (2015年11月14日現在)




          www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/31/1/.../ja/
          福井万千 (1968) 豊松・堂面遺跡の第一次・第二次調査. 帝釈峡遺跡群発掘調査団編「 帝釈峡遺跡群の調査研究3」: 30-35; 古瀬清秀 (1982) 帝釈穴神岩陰遺跡 (第2次) の 調査. 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報, 5: 13-28; 古瀬清秀 (1983) ...
          ameblo.jp/hirodai-kouko/entry-11080154244.html - キャッシュ
          帝釈峡遺跡群発掘調査室特設ページを. 開設していただきました。 右下矢印 下記URL から 左下矢印. http://www.hiroshima-u.ac.jp/bungaku/project/taisyaku/. 夏の調査 期間中、学長に視察に来ていただいた様子や. 現在調査中の遺跡など ...
          www.rekishijin.jp/rekishijin/20110916/ - キャッシュ
          広島県庄原市から神石高原町に点在する「帝釈峡遺跡群」は、主に旧石器時代から 縄文時代に到る計55の遺跡が確認されている、 日本でも珍しい大規模な遺跡地帯で「 原始古代のタイムカプセル」とも言われる。 昭和36年(1961)に発見され ...



          bookstore.yahoo.co.jp/shoshi-235702/ - キャッシュ
          広島県北東部を中心に広がる石灰岩地帯にある帝釈峡遺跡群。出土する土器や石器、 獣骨などから見る、縄文時代の人々の暮らし。※この商品は紙の書籍のページを画像 にした電子書籍です。文字だけを拡大することはでき.
          ci.nii.ac.jp/ncid/AA12051740 - キャッシュ
          広島大学大学院文学研究科帝釈峡遺跡群発掘調査室年報. 広島大学大学院文学研究 科帝釈峡遺跡群発掘調査室 ヒロシマ ダイガク ダイガクイン ブンガク ケンキュウカ タイ シャクキョウ イセキ グン ハックツ チョウサシツ. 継続前誌:1件 ...
          ci.nii.ac.jp/ncid/AN00213723 - キャッシュ
          広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報. 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘 調査室 ヒロシマ ダイガク ブンガクブ タイシャクキョウ イセキ グン ハックツ チョウサシツ. 継続後誌:1件. 書誌事項. 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報. 広島大学 ...
          blog.goo.ne.jp/.../e/8a0abb348a441632dcaf3d5e7a5315ed - キャッシュ
          帝釈峡遺跡群は、広島県庄原市と神石郡にまたがる地域に所在します。この遺跡群は、 1961年9月10日に馬渡林道工事の際に発見され、1961年11月1日に試掘調査が行 われました。1962年8月から発掘調査が始められ現在でも調査が ...
          opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.../AN00213723 - キャッシュ
          フォーマット: 雑誌; 責任表示: 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室 [編]; 巻次(年 次): 1 (1978)-15 (2001); 出版情報: 広島 : 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室, 1978-2001; 継続後誌: 広島大学大学院文学研究科帝釈峡遺跡群発掘調査室年報 ...

          www.kankou.pref.hiroshima.jp > ... > 観光スポット - キャッシュ
          帝釈縄文人と出会う、一万年の旅。-帝釈峡岩陰遺跡群の出土遺物を中心に、石灰岩 台地特有の動植物や東城地域の民俗文化財などを展示しています。1万2000年前の「 無文土器」や固有種の陸貝「タイシャクギセル」など、珍しい博物資料がいっぱいです。


          庄原市帝釈峡博物展示施設 時悠館

          博物館キャンプ場
          -帝釈縄文人と出会う、一万年の旅。-帝釈峡岩陰遺跡群の出土遺物を中心に、石灰岩台地特有の動植物や東城地域の民俗文化財などを展示しています。1万2000年前の「無文土器」や固有種の陸貝「タイシャクギセル」など、珍しい博物資料がいっぱいです。国指定重要無形民俗文化財の「大山供養田植」・「比婆荒神神楽」の記録映像を100インチの大画面で上映しています。


          books.google.com/books/about/帝釈峡遺跡群.html?id...
          帝釈峡遺跡群. Front Cover · 潮見浩. 吉備人出版, 1999 - 156 pages.


          帝釈峡遺跡群

          前表紙
          吉備人出版, 1999 - 156 ページ



          sanasen.jugem.jp/?eid=2240 - キャッシュ
          2015年1月21日 - 中国山地の縄文文化~帝釈峡遺跡群 河瀬正利. 2015.01.21 Wednesday | by sanasen. 中国地方の山奥にある帝釈峡は石灰岩地帯であり、川によって削られて出来 た岩陰がたくさん分布している。 1960年代になって、ここに生活していた縄文人たちの 痕跡 ...
          www1.plala.or.jp/CUE/cave_doumen.html - キャッシュ
          日本では、後期旧石器時代以降の洞窟遺跡が発見されていますが、 世界規模で見れ ば、人類500万年の歴史のうちの大部分を ... 成羽(なりわ)川の支流域にあたる天田( てんだ)川流域にも、帝釈峡遺跡群を構成する洞窟遺跡や岩陰遺跡が点在しています。


          豊 松 堂 面 洞 窟 遺 跡

           この遺跡は昭和三十九年(1964)調査の結果、古代人の遺跡であることが 明らかにされた。広島大学と帝釈峡遺跡群発掘調査室により昭和四十二年 (1967)第一次調査より昭和五十八年(1983)第十五次調査をもって一応完了 した。洞窟前面は道路工事の時に一部削りとられたが、本来岩廂(ひさし) は道路半ばにまで出ていた。
          発掘の動機は洞部入口の壁面が崩落し埋葬人骨の一部が露出していたこと による。
          調査の結果、第十層以下の(遺物)包含層は縄文時代早期のものであること が確認されている。
          埋葬人骨は数体発掘されているが、頭を東に横位屈葬と考えられ縄文時代 前期・後期の墓壙と推察される。

          出土遺物の主なものは
           土  器(縄文土器・繊維土器・押型文土器)
           石  器(石鏃「せきぞく~石製のやじり」・削器・彫器 等)
           自然遺物(カワニナ・カワシンジュ貝・シジミ・マイマイ・キセル貝・木炭等)
               (獣骨はシカ・イノシシ・タヌキ・ネズミ・ヘビ・カエル・鳥類等)

          この遺跡は数千年前の古代人の生活を知るための貴重な資料として大切に 保存したいものである。

             昭和五十九年(1984) 四月
          豊松村文化財保護委員会A





          休暇村より帝釈峡最大の見所、上帝釈の雄橋(おんばし)へ向かう途中、『帝釈峡まほろばの里』の看板が目に留まります。この看板の示す方へ少し登ると、たいへん奇抜な建築物が見えてきます。この建物が帝釈峡唯一の博物展示施設『時悠館』(じゆうかん)です。
          中へ入ると、まるで洞窟のようなトンネル状の廊下が続いており、帝釈峡の遺跡群の出土遺物の紹介や地元、東城町の歴史や古代の民族資料などが展示、紹介されています。
          トンネルを抜けると円形の建物になっており外周に沿って進むと比婆荒神神楽を大画面で見る映像シアターのコーナーや、帝釈峡に生息する動物たちの剥製(はくせい)が展示されているコーナーなどがあります。縄文時代や弥生時代の生活様式、また、カルスト台地である帝釈峡の植物や昆虫なども紹介されており、子供から大人まで楽しむことができます。
             
          帝釈縄文文化に触れる資料館 帝釈峡博物展示施設 時悠館. 東城地域. 観る. 住所: 庄原市東城町帝釈未渡1909. 営業時間: 9:00~17:00. 定休日: 毎週水曜日(祝日の 場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月4日). TEL: 08477-6-0161. FAX ...

          概要


          帝釈峡岩陰遺跡群の出土遺物を中心に、石灰岩台地特有の動植物や、東城地域の民俗文化財などを展示しています。国指定重要無形民俗文化財の「大山供養田植」・「比婆荒神神楽」の記録映像を100インチの大画面で上映しています。


          詳細

          TEL
          08477-6-0161
          住所
          庄原市東城町帝釈未渡1909
          駐車場
          有り 普通車110台、大型車可
          営業時間
          9:00~17:00
          定休日
          毎週水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月4日)
          価格
          (一般・高校生以上)400円、団体(20人以上)320円
          ※中学生以下無料
          アクセス
          お車/中国自動車道東城ICから車で約20分
          備考
          事前予約の団体に限り当館職員による展示解説可



          www.jalan.net/kankou/spt_34602cc3292012484/ - キャッシュ
          時悠館は帝釈峡遺跡群からの出土品の展示を中心に、帝釈峡の自然・東城の文化など を紹介しています。

          辻村寿三郎人形館(広島県三次市歴史民俗資料館) 辻村寿三郎

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          辻村寿三郎人形館(三次市歴史民俗資料館) 

          0824-64-1036
          ホームページ
          辻村寿三郎人形館(三次市歴史民俗資料館)
          地図データ
          地図データ ©2015 Google, ZENRIN
          地図データ地図データ ©2015 Google, ZENRIN
          地図データ ©2015 Google, ZENRIN
          地図
          地形
          航空写真
          ラベル
          2 km 

          幼少期を三次市で過ごされた世界的に有名な人形作家辻村寿三郎氏の作品を多く展示しています。
          一階には辻村寿三郎氏の人形をメインに、二階には三次人形や稲生物怪録等、ここでしか見れない貴重な史料を展示しています。
          建物は、国の登録文化財に登録されている歴史ある建物で、昭和2(1927)年に三次銀行本店として建てられました。

          インフォメーション

          電話番号住所営業・受付時間利用料金定休日駐車場
          0824-64-1036
          三次市三次町1236番地
          午前10時~午後5時 ※入館は16時30分まで
          一般800円(税込)、学生400円(税込)、中学生以下無料
          毎週水曜日・年末年始(水曜日が祝日・振替休日の場合は開館)
          普通車18台、バス2台


          www.jusaburo.net/ - キャッシュ
          辻村寿三郎公式ホームページ. jusaburo.net. ENTER · 入口.
          www.jusaburo.net/top.html - キャッシュ
          東京人形町のアトリエは、9月12日をもちまして、 一般公開を終了させていただきました 。 広島県三次市の【辻村寿三郎人形館】にて引き続き展示をしておりますので、どうぞ よろしくお願い申し上げます。 ↓【寿三郎みよし】facebookはこちら↓ (2015/11/12更新) .
          ja.wikipedia.org/wiki/辻村寿三郎 - キャッシュ
          辻村寿三郎. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動先: 案内、 検索. 辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう、1933年(昭和8年)11月11日-)は、日本の人形作家 、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。

          辻村寿三郎とは

          -辞書(コトバンク)
          1933- 昭和後期-平成時代の人形師。昭和8年12月15日満州(中国東北部)生まれ。昭和31年歌舞伎の小道具製作会社藤浪(ふじなみ)にはいり,3年後に独立。48-50年NHKテレビの連続人形劇「新八犬伝」でモービル児童文化賞,52年「真田-デジタル版 日本人名大辞典+Plus
          www.jusaburo.info/ - キャッシュ
          11月の開催日. 月, 火, 水, 木, 金, 土, 日. 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 12月の開催日. 月, 火, 水, 木, 金, 土, 日. 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21.
          • ★特選★【ジュサブロー】振袖・半襦袢セット 辻村寿三郎 a1705
            現在3,600円
            入札13件
          • 【京都かぐや】556■辻村寿三郎 ジュサブロー 訪問着
            現在1,200円
            入札3件
          • 辻村寿三郎(ジュサブロー)作ロング丈の菊柄小紋
            現在38,880円
            入札0件
          • ポストカード 辻村寿三郎 十二星座
            現在500円
            入札0件
          • y8/寿三郎と作る小さな人形たち 辻村寿三郎 サイン入り
            現在3,000円
            入札0件
          www.konishi.co.jp/html/jusaburo/ - キャッシュ
          辻村寿三郎の人形の展示館。館内見取り図、展示作品インデックス。東京都中央区。
          news.livedoor.com > 芸能> 芸能総合 - キャッシュ
          18日の「アウト×デラックス」で人形師の辻村寿三郎氏がオネエであると告白。「タチ( 男性との行為でリードする側の意)です」と明かした。マツコが大喜びする中、「おタチ芸者 です」と辻村氏はノリよく話していた.
          s-bellkochan.com/4175.html - キャッシュ
          こんにちは、調べル子です!9月18日放送の『アウトデラックス』で、伝説の人形師・辻村寿三郎さんが語る壮絶な半生を語られるそうです!またアウトなトークも気になります!. ..
          www.mhst.jp/jusaburo/jyusaburo_miyoshi.htm - キャッシュ
          辻村寿三郎人形館◇ 故郷(ふるさと)広島三次に世界へ誇れる 唯一の“常設館”として 開館いたしました “過去10年以内に制作された人形がたくさん(50体近く)見れます” “ 人形配置・演出などの監修をされました” 三次の歴史ある建物の中で見る人形は ご 来館 ...
          ja-jp.facebook.com/jyusaburo/ - キャッシュ
          寿三郎みよし、三次市, 広島県 - いいね!408件 · 26人が話題にしています · 4人が チェックインしました - 世界的人形アーティスト「辻村寿三郎」の人形館が平成25年10月 に広島県三次市三次町に開館しました。世界でひとつの寿三郎館です。ぜひ、お越し 下さい ...

          藤原 純友(893年?-941年)は、平安時代中期頃の貴族、海賊。右大弁藤原遠経の孫。大宰少弐藤原良範の3男。弟に藤原純乗

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          藤原純友

             
          藤原純友(1855年頃画)

          藤原 純友(ふじわら の すみとも、寛平5年(893年)? - 天慶4年6月20日941年7月21日))は、平安時代中期頃の貴族海賊右大弁藤原遠経の孫。大宰少弐藤原良範の3男[1]。弟に藤原純乗がいる。官位従五位下[1][2]伊予
          瀬戸内朝廷に対し反乱を起こしたことで知られる。純友の乱は関東平将門が起こした乱と併せて承平天慶の乱と呼ばれる。


          生涯

          藤原氏の中でもっとも栄えた藤原北家の出身で大叔父には藤原基経がいるが、早くに父を失い、都での出世は望むべくも無く地方官となる[3]
          当初は父の従兄弟である伊予藤原元名に従って伊予として、瀬戸内に跋扈する海賊を鎮圧する側にあった。しかしながら、元名帰任後も帰京せず伊予国に土着する。承平6年(936年)頃までには海賊の頭領となり[4]、伊予(愛媛県)の日振島を根城として千艘以上の船を操って周辺の海域を荒らし、やがて瀬戸内海全域に勢力をのばした。
          関東平将門が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こし、藤原純友の勢力は畿内に進出、天慶2年(939年)には純友は部下の藤原文元摂津国須岐駅にて備前播磨国備前介藤原子高播磨介島田惟幹)を襲撃させ、これを捕らえた。翌天慶3年(940年)には、2月に淡路国・8月には讃岐国国府を、さらに10月にはついに大宰府を襲撃し略奪を行った。
          朝廷は純友追討のために追捕使長官:小野好古、次官:源経基、主典:藤原慶幸大蔵春実による兵を差し向け、天慶4年(941年)5月に博多湾の戦いで、純友の船団は追捕使の軍により壊滅させられた。純友は子息の藤原重太丸伊予国へ逃れたが、同年6月に伊予国警固使橘遠保により討たれたとも、捕らえられて獄中で没したともいわれているが、資料が乏しく定かではない。[5]。また、それらは国府側の捏造で、真実は海賊の大船団を率いて南海の彼方に消息を絶ったともいわれている。
          将門の乱がわずか2ヶ月で平定されたのに対し、純友の乱は2年に及んだ。また、純友の合戦の様子は『純友追討記』として、追補使により政府への報告がなされたとされ、一部が『扶桑略記』に引用されている。
          藤原純友を祀った神社として、現・岡山県松島純友神社、現・愛媛県新居浜市の中野神社がある。

          逸話

          純友が反乱を起こした当時、関東では平将門が反乱を起こしていたが、将門と純友は共同謀議をしており、将門と共に京都を制圧した時には関白になる計画を描いていたという[6][注釈 1]。ただしこの謀議は比叡山で行なわれたとされ、将門と純友が比叡山から平安京を見下ろして「将門は王孫なれば帝王となるべし[6]、純友は藤原氏なれば関白とならむと約し」とあるなど、当時の将門や純友は関東と伊予から動いていないため史実ではない。[7]


          藤原純友が登場する作品

          参考文献



          五島 遣唐使で検索

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          遣唐使ゆかりの地をめぐる 「万葉の里探訪」

          東シナ海に浮かぶ五島は黒潮と季節風に頼って海を渡る民にとっては風待ちの港として知られていました。遣唐使時代には日本最後の寄泊地として立ち寄り、数多くの船がこの島から出港していました。島内に点在している遣唐使にまつわる史跡、観光スポットを巡るモデルコースを紹介。海沿いの素晴らしい景色を満喫しながらのドライブが楽しめますよ!

          モデルコース


          福江港
          「万葉の里探訪」コースMAP
          福江港
          車で20分(約15km)国道384号線で岐宿方面へ
          魚津ヶ崎公園内 「遣唐使船寄泊地の碑」
          遣唐使船日本最後の寄泊の地として「肥前風土記」にも記載されている魚津ヶ崎。岬の突端には記念碑が建てられ、今でも遣唐使として海を渡った空海に思いを馳せる人々が訪れています。
          春には菜の花、夏にはひまわり、秋にはコスモスが咲き誇る公園は感動的!
          「万葉の里探訪」コースMAP
          住所:
          五島市岐宿町岐宿1218-1


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          五島うどんセット 稲庭うどん、水沢うどんとともに 日本三大うどんの一つに数えられて いる「五島うどん」です!! 椿油を使用しており、細くてコシが強いのが特徴です。付属 の飛魚だしと合わせるとより一層美味しく頂けます。
          サイト内リンク:
          施設のご案内 - 交通アクセス - 道の駅 遣唐使ふるさと館 - プライバシーポリシー
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          三井楽町の婦人会の方と共同で地元の食材、地元の調理法にこだわった、郷土料理 バイキングを実施しております。五島うどん、ひじきの煮物、山菜の天ぷらなど季節の 料理約40種類を提供しています。 郷土料理だけでなく、カレー、グラタン、パスタなど 当店の ...
          www.iokikai.or.jp/siomatinominato.hukue.html - キャッシュ
          東シナ海に浮かぶ五島は、黒潮(対馬暖流)と季節風を使って海を渡る民にとっては、水 の豊かな緑あふれる島として知られ、遣唐使時代には、遣唐使船最後の寄泊地として、 さらに日宋貿易に引き継がれ、中世には、室町幕府の勘合貿易船、江戸時代の日明 ...
          www.qsr.mlit.go.jp/n-michi/michi_no_eki/.../kentoushi.html - キャッシュ
          道の駅遣唐使ふるさと館は、長崎県初の離島の「道の駅」です。九州では鹿児島県奄美 大島に続いて二駅目の離島の「道の駅」となります。五島列島は、その大部分が西海 国立公園に指定されており、美しい海と豊かな自然に恵まれています。また、教会、寺社  ...
          2015年7月21日 - 長崎県五島列島の福江島には、奇跡と言っていいほど手付かずの美しい海や岬が あります。おしゃれなカフェこそありませんが、平和なこの土地には、遣唐使達の夢を 詰め込んだ遣唐使船の歴史がしっかりと刻まれています。 遣唐使船は、 ...
          道の駅 遣唐使ふるさと館 レストラン(五島/バイキング(ビュッフェ))の口コミや情報、 地図・☎電話番号などを【ぐるなび】がご紹介。五島周辺のバイキング(ビュッフェ)情報も 掲載。 よくある検索キーワードや旧店名:道の駅 遣唐使ふるさと館 みいらく万葉村.
          blog.goo.ne.jp/lunta.../abe6df3150b33dbcdc076ebe5ef4195c - キャッシュ
          11月1日 続き 本日のお昼は五島うどん。 昨晩うかがった政彦神社の宮司さんの説 では遣唐使が中国から製法を持ち帰った日本で一番歴史のあるうどん、とのことだが 地獄炊きといって直接鍋に乾麺を入れてゆで、そのままつゆにつけて ...



          航路と遣唐使船

          遣唐使の航路
          遣唐使船は、大阪住吉住吉大社で海上安全の祈願を行い、海の神の「住吉大神」を船の舳先に祀り、住吉津大阪市住吉区)から出発し、住吉の細江(現・細江川。通称・細井川。細井川停留場)から大阪湾に出、難波津(大阪市中央区)に立ち寄り、瀬戸内海を経て、那津福岡県福岡市博多区)に至り大海を渡る最後の準備をし出帆。その後は、以下のルートを取ったと推定されている。
          1. 北路
            • 北九州(対馬を経由する場合もある)より朝鮮半島西海岸沿いを経て、遼東半島南海岸から山東半島の登州へ至るルート。
            • 630年から665年までの航路だったが、朝鮮半島情勢の変化[8]により使用しなくなった。
          2. 南路
            • 五島列島から東シナ海を横断するルート。日本近海で対馬海流を横断して西進する。
            • 702年から838年までの航路。
          3. 南島路
            • 薩摩坊津鹿児島県南さつま市)より出帆し、南西諸島経由して東シナ海を横断するルート。
            • 杉山宏の検討により、存在が証明できないことが判明している。気象条件により南路から外れた場合にやむを得ずとった航路と考えられ[9]、南路を取って漂流した結果に過ぎず採用の事実はないとする説もある[10]
          663年白村江の戦いで日本は朝鮮半島での足場が無くなり、676年唐・新羅戦争新羅が半島から唐軍を追い出して統一を成したため唐と新羅の関係が悪化し、日本は北路での遣唐使派遣が出来なくなり、新たな航路の開拓が必要になった。なお、665年の遣唐使は、白村江の戦いの後に唐から日本に来た使節が、唐に帰る際の送唐客使である。
          839年の帰路は、山東半島南海岸から黄海を横断して朝鮮半島南海岸を経て北九州に至るルートがとられたようである。
          遣唐使船はジャンク船に似た構造で帆を用いていた。耐波性はあるものの、気象条件などにより無事往来出来る可能性は8割程度と低いものであった。4隻編成で航行され、1隻に100人程度が乗船した。
          後期の遣唐使船の多くが風雨に見舞われ、中には遭難する船もある命懸けの航海であった。この原因に佐伯有清は遣唐使船の大型化、東野治之は遣唐使の外交的条件を挙げている。東野によれば、遣唐使船はそれなりに高度な航海技術をもっていたという。しかし、遣唐使は朝貢使という性格上、気象条件の悪い6月から7月ごろに日本を出航(元日朝賀に出席するには12月までに唐の都へ入京する必要がある)し、気象条件の良くない季節に帰国せざるを得なかった。そのため、渡海中の水没、遭難が頻発したと推定している。


          歴史

           日本が最初に遣唐使を派遣したのは、舒明天皇2年(630年)のことである。推古天皇26年(618年)のの滅亡と続く唐による天下平定の情報は日本側にも早いうちから入っていた可能性があるが、聖徳太子蘇我馬子・推古天皇と国政指導者の相次ぐ崩御・薨去によって遣使が遅れた可能性がある。ちなみに、高句麗は唐成立の翌年、新羅と百済はその2年後に唐への使者を派遣している。
           だが、この第1次遣唐使は結果的には失敗であった。唐は帰国する遣唐使に高表仁を随伴させたが、高表仁は日本にて礼を争い、皇帝(太宗)の言葉を伝える役目を果たせずに帰国した(争った相手については『旧唐書』は倭の王子、『新唐書』は倭の王とする)。『日本書紀』にはこのような記述は存在しないものの、高表仁の難波での賓礼以降、帰国までの記事が欠落すなわち高表仁と舒明天皇の会見記事が記載されておらず、何らかの異常事態が発生したことを暗示している。
           詳細は不明であるが、唐側が日本への冊封を意図して日本がこれを拒んだなどのトラブルが想定されている。その後、しばらく日本からの遣使は行われず、唐側も突厥高昌との争いを抱えていたため、久しく両者間の交渉は中絶することになる[1][2]

           その後、白雉4年(653年)から天智天皇8年(669年)まで6度の遣唐使が相次いで派遣されているが、朝鮮半島情勢を巡って緊迫した状況下で行われた遣使であった。地理的に唐から離れていた日本は国際情勢の認識で後れを採り、特に斉明天皇5年(659年)の第4次遣唐使は唐による百済討伐の情報漏洩を阻止するために唐側によって抑留され、2年後に解放されて帰国するまでの間に日本側では百済救援のために唐との対決を決断する(白村江の戦い)。
           その後の遣使は両国の関係改善と唐による「倭国討伐」の阻止に向けた派遣であったと考えられる。やがて、唐と新羅の対立が深まったことで危機的状況は緩和され、日本側も壬申の乱の混乱とその後の律令体制確立への専念のために再び遣使が行われなくなる[3]

           遣唐使の歴史にとって大きな画期になるのは、大宝2年(702年)に派遣された遣唐使である。日本側の遣使の意図は不明(一時期有力視された石母田正の「大宝律令を唐側に披露した」という説は、唐王朝は周辺諸国の律令編纂を認めなかったとする説が有力となったことから成立困難となっている)だが、当時則天武后の末期にあたり、唐(当時は「」)の外交が不振な時期であったため、積極的な歓迎を受けた。
           日本国号変更(「」→「日本」、どちらも同じ国号「やまと」だが漢字表記を変更)が通告されたのもこの時と推定されているが、記録の不備あるいは政治的事情からか遣唐使が唐側を納得させる説明が出来ず、後の『旧唐書』に「日本伝」と「倭国伝」が並立する遠因になったとみられている[2][3]

           8世紀になると東アジアの情勢も安定し、文化使節としての性格を強めていく。この時代には唐側は日本の遣唐使を朝貢使とみなして「20年1貢」を原則とした[4]が、日本側は天皇の代替わりなどを口実にそれよりも短期間での派遣を行った。また、宝亀6年(775年)の遣唐使の際には唐の粛宗の意向で帰国する遣唐使に随行する形で唐側からの使者が派遣されている(ただし、大使の趙宝英は船の難破によって水死し、判官が代行の形で光仁天皇と会見している)[1]。その一方で、正史や現行の律令など唐王朝にとって重要な書籍・法令などは持ち出しが禁じられており、また遣唐使を含む外国使節の行動の自由は制約されていた[5]

           9世紀に入ると遣唐使を取り巻く情勢が大きく変わってくる。まず、唐では安史の乱以後、商業課税を導入した結果、国家の統制下とは言え民間の海外渡航・貿易が許されるようになったことである(これは新羅に関しても同様で、9世紀前半の張保皐の活動はその代表的な存在である)[1]
           また、安史の乱以後の唐の国内情勢の不安定が外国使節の待遇にも影響を与え、延暦23年(804年)の遣唐使の時には唐側から厚く待遇されて帰国を先延ばしにすることを勧められる程(『日本後紀』延暦24年6月乙巳条)であったが、承和5年(835年)の遣唐使の時には唐側より遠回しに早急の帰国を促され留学生に対しても留学期間の制限を通告される(円仁『入唐求法巡礼行記』(唐)開成4年2月24・27日条)などの冷遇を受けた[6]

           一方、日本側の事情としては遣唐使以外の海外渡航を禁止していた「渡海制」の存在も影響し、遣使間隔が空くことによって渡海に必要な航海技術造船技術の低下をもたらし、海難の多発やそれに伴う遣使意欲の低下をもたらした。結果的には「最後の遣唐使」となった承和5年(835年)の遣唐使は出発に2度失敗し、その間に大使藤原常嗣と副使小野篁が対立して篁が乗船を拒否して配流され、帰国時にもその航路を巡って常嗣と判官長岑高名と対立するなど諸問題が一気に露呈した[6]

           更に留学生・請益生(短期留学生)を巡る環境の悪化も問題として浮上していた。元来留学生は次の遣使(日本であれば次の遣唐使が派遣される20-30年後)まで唐に滞在し、費用の不足があれば唐側の官費支給が行われていたが、承和の留学生であった円載の時には官費支給は5年間と制約され、以後日本の朝廷などの支援を受けて留学を続けた(なお、円載の留学は40年に及んだが、帰国時に遭難して水死する)。
           また、留学――現地で長期間生活する上で必要な漢語(中国語)の習得に苦労する者も多かった。天台宗を日本に伝えた最澄は漢語が出来ず、弟子の義真が訳語(通訳)を務め、橘逸勢は留学の打ち切りを奏請する文書の中において、唐側の官費支給が乏しく次の遣唐使が来るであろう20年後まで持たないことと並んで、漢語が出来ずに現地の学校に入れないことが挙げられており(『性霊集』巻5「為橘学生与本国使啓」)、最終的に2年間で帰国が認められている[7]

          唐の衰退による政治的意義の低下、唐・新羅の商船による文物請来、留学環境の悪化など、日本国内の造船・航海技術の低下など、承和の遣唐使とそれに相前後する状況の変化は遣唐使を派遣する意義を失わせるものであり、寛平6年(894年)の遣唐使の延期とその長期化、ひいては唐の滅亡による停止(実質上の廃止)に至る背景が延暦・承和の派遣の段階で揃いつつあったと言える[6]




          Q.A.Q.A.
          安心してください。 余裕で回れます。 スノーケリ...
          解決済み-回答数:2-質問日時:2015年10月13日
          ホントだよね~ 百済を滅ぼした、新羅王の[金春秋]なんか、日本に人質に来てたくせに、

          [転載]宮崎県日向市新庁舎の建設予定地には南北方向に大きな高低差のあることが判明しました。その高低差は何で埋めたのでしょうか? 土壌汚染は??

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          市役所・支所・施設「新庁舎建設」> 新庁舎建設事業費の見直しについて(平成27年8月21日)
          市役所・支所・施設

          新庁舎建設

          更新日:2015年9月4日

          新庁舎建設事業費の見直しについて(平成27年8月21日)

          1.新庁舎建設事業費の見直し

           平成25年8月の「日向市新庁舎建設基本構想」の策定から2か年が経過しましたが、この間、東日本大震災復興事業の本格化に加え、首都圏における都市再開発事業や東京オリンピック関連施設建設需要等が高まったこともあり、建設市場は上昇を続けています。
           このような中、新庁舎建設事業の推進に当たっては、建設市場の高騰に対応するため、基本計画の策定、基本設計・実施設計と、あるゆる段階において事業費縮減に向けた方策を採用してきましたが、昨今の建設市場の高騰は尋常ではなく、事業費の見直しを行わざるを得ない状況となっています。
          • 新庁舎の規模:延床面積 約11,500平方メートル
          • 新庁舎の構造等:鉄筋コンクリート造4階建 免震構造
          • 見直し後の事業費
          区  分事業費(千円)備   考
          新庁舎建設工事費(第1期)4,960,000基本構想(平成25年8月)3,950,000千円
          (約25%上昇)
          工事単価 32 ⇒ 43.1万円/平方メートル
           〃 工事監理費40,000 
          現庁舎の解体費200,000 
          外構・植栽工事費323,016 
          委託料・賃借料15,984 
          事務費6,000 
          合  計5,545,000 
           基本構想でお示しした概算事業費は、構想策定当時、建設または建設が進められていた8市の新庁舎の1平方メートル当たりの工事単価の平均値32万円/平方メートルを採用して算出したものです。
           今回の事業費の見直しにより、工事単価は43万1千円となりましたが、平成26年度以降に発注された自治体庁舎の状況を調査したところ、その工事単価は、平均で約46万7千円となっています。

          2.工事費増の要因

          (1) 建設市場の高騰

          (2) 支持地盤の性状に伴う設計変更

           工事費増のもうひとつの要因は、新庁舎建設地の地盤性状に伴う設計変更です。平成26年に実施したボーリング調査により、新庁舎の建設予定地には南北方向に大きな高低差のあることが判明しました(図参照:地表面からの深さが最少8メートル、最大18メートル)。支持地盤の傾斜が判明したことにより、新庁舎の設計については、国土交通大臣の構造評定の取得が必要となり、更に、基礎まわりの強化に要する経費として、約1億8千万円の事業費が必要となりました。
          地盤の状況




          日向市新庁舎建設事業 建築主体工事

          根切り総掘 自立山留内10,631.00 m3

          建設発生土運搬  場外運搬 受入地敷均し 10,631.00 m3

          転載元: 不正を告発できる教育のブログ

          縄文人

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          縄文人

             
          縄文人と縄文犬の復元模型(国立科学博物館の展示)
          縄文人(じょうもんじん, Jomon people)とは、日本列島縄文文化と呼ばれる文化形式を保持していた集団




          概略

           旧石器時代後の、約1万6,500年前の紀元前145世紀から約3,000年前の紀元前10世紀にわたる縄文時代の文化は、概ね現在の日本に分布していた。そのため、この地域に居住していた縄文土器を作る新石器時代人を縄文人と見ることが出来る[1]
           この縄文人は時期によって異なるが地域ごとに4-9のいくつかの諸集団に別れていたと考えられている[2]。日本列島(旧石器時代のこの海域は後述のように、現在とは相当に異なった海岸線を持っていた)に居住していた後期旧石器時代の人々が、後に縄文文化と総称される文化形式を生み出し、日本における縄文人諸集団が出現したと推測されている。

          形質的特徴

          縄文時代晩期人の男性の頭骨(レプリカ)。宮野貝塚岩手県)出土。国立科学博物館の展示[3]
          縄文時代後・晩期人の女性の頭骨(レプリカ)。蝦島貝塚(岩手県)出土。国立科学博物館の展示[3]

            縄文人の形質的な特徴を一般的に表すと、次のようになる。まず身長は平均して成人男性で160センチ弱、成人女性で150センチ弱。いわゆる彫りが深い顔立ちであり眉間が突き出しているが、一方で鼻の付け根が引っ込んでいる。眉毛は濃く、目は大きめで、まぶたは二重、唇はやや厚めで顎の骨が発達している。

           こうした特徴を持つ人々が日本列島に出現した時期は、最終氷期の最寒冷期(紀元前160世紀すなわち1万8000年前に氷河が堆積して海水面が最も低くなり、オホーツク海から北海道に歩いて渡れるようになった時期)が終わった後と見られる。ただし、既に日本列島に居住していた後期旧石器時代人の形質が変化したものなのか、列島外から移住してきた人々の影響があるのかは不明である[4]

           日本列島に住む人々の形質は、弥生時代以降現代に近いものに変化していくが、これについて列島外から移住してきた人々の遺伝的影響を重視する見解と、生活習慣の変化を重視し、列島外からの遺伝的影響は比較的限定されたもので、縄文人の系統はそのまま現代日本人につながっているとする見解がある。

          縄文人のルーツ

          形質人類学から見た縄文人のルーツ

           形質人類学の分野では、化石人骨が比較的多く見つかっている東南アジア日本列島の旧石器時代人との類似を指摘する研究が多い。

          これまでに出土した化石人骨と縄文人の関係を見ると、縄文人に最も近いとされているのは沖縄島出土の港川人(およそ1万8000年前)であるが、形質面から見ると縄文人は港川人の次の段階とまでは言えず、両者の間には更に1つか2つのミッシングリンクがあると考えられている[5]港川人の頭骨はワジャク人に近く、柳江人山頂洞人(中国)にはそれほど似ていない為、少なくとも琉球弧の縄文人の祖先は環太平洋方面から来たのではないかと考えられている[6]

          縄文人観の歴史的変遷

          縄文時代の日本列島に住んだ人々に対するイメージは、その時々の日本社会の風潮と呼応して様々に移り変わってきた[19]
          「日本列島の先住民族」としての縄文人
          明治期には縄文人は「石器時代人」と呼ばれ、日本列島の先住民族と考えられていた。この時期には皇国史観の影響力が強く、日本人の祖先は「天孫族」と呼ばれており、記紀神話にあるように列島史のある段階で別の場所から日本列島にやって来た人々であるとされていた。その為、「石器時代人」はいわゆる日本民族の祖先ではなく、アイヌの祖先あるいはアイヌ神話に登場するコロポックルではないかと考えられており、この論点を巡って「アイヌ・コロポックル論争」と呼ばれる論争も発生した。
          こうした見方は鳥居龍蔵による「固有日本人論」にも受け継がれたが、一方で昭和に入ると浜田耕作が縄文人を日本民族の祖先と見る説を発表し、学界に一石を投じた。

          「高級狩猟民」としての縄文人
          1930年代には唯物史観が登場し、縄文人を経済面から新たに捉え直そうとする動きが始まる。代表的な論者として山内清男が挙げられる。山内は縄文人を、男性が狩猟・漁労に従事し、女性が採集活動に従事するという分業体制を持った、発達した狩猟採集民族であったと考えた。

          弥生文化の母体としての縄文人
          第二次世界大戦後には出土史料に基づく考古学が発展し、それまで弥生人に単純に置換された存在と見られていた縄文人を、弥生文化を主体的に受容して弥生人へと変化していった人々として捉え直す論調が生まれてきた。

          「人類史上類例の無い狩猟採集民」としての縄文人
          1970年代以降には更に研究が進展し、それまで動物性食料に依存していたと思われていた縄文人が、実際にはクリなどの堅果類や芋などの根茎類を多く食べていたことが明らかとなった。また同時期のヨーロッパの新石器時代人が農耕牧畜を行っていたとされた[20]のに対し、1970年代には縄文人によるヒエ栽培や、縄文後期の水稲を含む稲作の存在が研究者の間でも周知とはなっていなかった。
          この結果、縄文人は当時の日本列島の生態系に適合した食料獲得システムを構築し、1万年間の長きに渡って豊かな狩猟採集食文化を維持した、人類史上にも他に類例の無い人々であったとの見方が登場した。

          「海洋民族」としての縄文人
          伊豆諸島産の黒曜石が縄文時代やそれ以前に[21]東日本各地で使用されていたことに注目した小田静夫や橋口尚武らの研究により、関東地方の縄文人が縄文早期中葉には内海での漁労に加えて伊豆諸島など外海へも進出していたことが明らかとなった[22]
          また「縄文土器がバヌアツで表層採取された」というニュース(これについては事実の解釈を巡って議論が続いている[23])にも注目し、縄文人が南太平洋に進出してポリネシア人の祖先になったという説を唱える者や、エクアドルで縄文式土器に似た土器(バルディヴィア土器)が出土したことを理由に、縄文人が南米大陸に到達していたという説を唱える者さえも出現した[24]

          縄文人と海

          縄文人は基本的には狩猟採集民であったが、その中には海に深く関わっていた人々も存在したことが知られている。

          勾玉の分布

          遅くともBC5,000年頃(縄文時代中期)には勾玉が作られていたことが判明しており、特に新潟県糸魚川の「長者ヶ原遺跡」からはヒスイ製勾玉とともにヒスイの工房が発見されており、蛍光X線分析によると青森県の「三内丸山遺跡」や北海道南部で出土されるヒスイは糸魚川産であることが判明しており、縄文人が海を渡って広い範囲でお互いに交易をしていたことが考えられている。後年には日本製勾玉は朝鮮半島へも伝播している[30]

          貝類の採集

          縄文人が貝類を食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、代表的な遺跡として横須賀市の夏島貝塚が挙げられる[31]。縄文早期の半ばには瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。採取対象は当初は河口等の汽水域に生息するヤマトシジミであったが、やがて内湾干潟の牡蠣礁で得られるカキや、やはり内湾の軟泥干潟から容易に得られるハイガイなどにその中心は移る[32]
          また、腕輪やペンダントの原材料として採取された貝類もある。特に目立つのが大型の定住性カサガイの一種で岩礁潮間帯低部から採取されるオオツタノハガイの利用である。オオツタノハガイは主に屋久島やトカラ列島に生息するが、縄文期には、特に縄文後期・晩期を中心に、関東全域から北は北海道の有珠10遺跡でも出土している。これについて、原材料となったオオツタノハガイは南九州から運ばれたという説と、三宅島以南の伊豆諸島にも生息域があったのではないかとの説が対立している[33]
          オオツタノハガイの他には暖流域の浅海から得られるタカラガイの一種ハチジョウタカラガイも広く利用された。

          伊豆諸島への進出

          前述のように、先史時代の日本列島住民が今日の伊豆諸島に進出したのは旧石器時代である。しかし、縄文期の遺跡に限ると最も早いものでも縄文早期の半ばのものとなる。この時期の遺跡としては伊豆大島下高洞遺跡、神津島せんき遺跡、三宅島の釜ノ尻遺跡などがある[34]
          縄文前期の末には黒潮の本流を越えた[35]。縄文人が八丈島に進出し[36]、倉輪遺跡からは関東、南東北、中部、関西地域の土器が発見されている。

          九州島と南島・朝鮮半島間の交流

          縄文前期には九州島を中心として轟式土器と呼ばれる土器が広く使用されるようになった。轟式土器は九州島周辺の他、種子島や屋久島、朝鮮半島南部にも分布しており、これらの島々・半島間を航行した縄文人集団が存在したことを伺わせる。日本列島周辺や南西諸島周辺、朝鮮半島周辺の島々は国ができる以前からこれらの海域を行き来する海洋民族によって既知だったと推測される。
          また轟式に続いて登場した曽畑式土器も、奄美大島高又遺跡、沖縄島の読谷村渡具知東原遺跡、朝鮮半島の慶尚南道にある釜山市の東三洞貝塚などから発見されている[38]。縄文人が黒潮本流を越えた例としては、この曽畑式土器を持った集団による縄文前期の九州島・奄美大島間の航海が最も古く、関東における三宅島・八丈島間の航海よりおよそ800年早いものであるとされている[39]

          縄文人の用いた舟艇

          これまでに出土した事例に見る限り、縄文人が航海に用いたのは一本の丸太を刳り抜いた丸木舟であったと考えられている[40]。帆柱の跡やオール受けの跡は検出されていないため、(カイトセイリングのように帆柱を用いない形式での帆走を行った可能性は否定出来ないまでも)基本的にはパドリングによる推進であった可能性が高い。
          船体の断面は関東地方出土の丸木舟を見る限りでは半月型[41]あるいは三日月型であり、弥生時代以降の凹型断面の丸木舟とは異なる特徴を示している。船体長は最大で残存長7メートルから8メートルのものまであるが(例えば千葉県香取郡多古町島(七升)出土の縄文前期のものは残存長7.45メートル、残存幅0.7メートル)、小さいものでは4メートル以下のものも多数出土している。
          なお、1982年には松江市内の小中学校の教師の有志5名により、「からむしII世」と名付けられた丸木舟による黒曜石の運搬実験が行われ、隠岐宮尾遺跡から本州の松江市美保関町の七類港まで15キロの黒曜石を1日で運搬することに成功している[43]

          宇和島の歴史

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          宇和島藩

             
          宇和島城天守
          竹輪笹に阿吽の向かい雀の宇和島紋
          宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた。藩庁は宇和島城に置かれた。


          前史: 江戸時代以前の宇和島

          海賊の藤原純友
          宇和の領主となった藤堂高虎

           宇和島湾の西方約28kmの沖合に日振島と呼ばれる島があるが、平安時代海賊の巣窟であり、藤原純友の乱では純友配下の海賊が根拠地としていた[1]。もともと純友は京都で権勢を振るっていた藤原北家の出身で[1]藤原冬嗣の曾孫良範の子とされる(別説では伊予の在地豪族高橋氏出身とも)[2]
           純友は中央で権勢を握れず、伊予の国司として赴任し、最初は海賊追討と鎮撫で一定の功績を立てて都に戻ることを許されたが、海賊行為が再燃したため紀淑人と共に海賊鎮撫のために伊予に赴いた[2]。ところが天慶2年(939年)秋、純友は自ら海賊活動を開始した[2]。純友は備前介藤原子高の鼻を削ぎ、妻を奪い、子を殺すなど横暴を極めた[3]。純友は、京都で出世コースから外れた自分と同じ境遇に置かれた中級官人層を味方に引き入れて、西国に一大勢力を形成した[3]

           当時、関東では平将門が反乱を起こしていたが、将門と純友は共同謀議をしており、将門と共に京都を制圧した時には関白になる計画を描いていたという[3][4]。これは異説も多いが、当時東国の反乱鎮圧にも追われていた朝廷は純友懐柔策を行い[3]、純友は従五位下に叙せられた[5]
           だが純友は備中淡路で海賊行為を行い武器などを強奪した[5]。しかし将門が平貞盛藤原秀郷により討たれたため[5]、朝廷は西国に軍勢を向けることが可能になり、次第に純友は追い詰められていく[6]天慶4年(941年)5月、純友は大宰府を攻めて占領したが、小野好古率いる朝廷軍の追討を受けて撃破され、純友は伊予に逃亡したが、6月に橘遠保に捕縛されて息子の重太丸と共に斬殺され、純友の乱は平定された[6]

           治承・寿永の乱(源平合戦)時には平氏追討で活躍した戦功により、源義経が朝廷より伊予守に任命されている[7]
           室町時代になると室町幕府より宇和郡は藤原北家傍流の伊予西園寺氏公経が知行国守となる[8]。戦国時代になると、大内義隆毛利元就大友宗麟土佐一条氏長宗我部氏など周辺諸大名により宇和島地方は侵略を受け、西園寺氏はこれらの勢力と敵対と同盟を繰り返して存続した[8]長宗我部元親の四国制覇の際、西園寺公広は宇和島で抵抗したが敗れて降伏する。その直後、豊臣秀吉四国攻めにより元親は降伏して土佐一国を安堵され、伊予は四国平定で功績があった小早川隆景の領土となり、南伊予支配は隆景の養子で異母弟の秀包に任され、家臣の持田右京が実際の支配を担当した[9]。隆景は九州征伐でも戦功を立て、そのために筑前筑後に新たな領土を与えられて移封となり、同じく九州征伐で戦功を立てた秀吉の家臣戸田勝隆が伊予大洲10万石(実際は7万石)の領主となった[9]。ところが戸田は隆景と違い苛酷な統治を行い、元領主の西園寺公広や土居・観修寺・法華津ら西園寺旧臣をことごとく追放、後に公広を謀殺した[10]
           戸田は合戦には強いが、殺人を平気で行う狂人だったとされ[10]、その統治では一揆がたびたび起きているが、戸田はこれを鎮圧すると反徒の大量虐殺を行ったり、板島(宇和島)城下で殺人・強奪・強姦を行ったりしたという(ただし『清良記』による脚色説も根強い。また戸田暴君説を唱えているのは司馬遼太郎である)[10]。ただし異説もあり、日振島の年寄に対して年貢を免除し、一揆鎮圧後に旧城主に懐柔策をしていること、荒地の開発や紅花の栽培奨励とその買上を行ったりと、戸田なりに民政の安定と殖産振興に尽力していた[11]。戸田は秀吉の朝鮮出兵が始まると、福島正則の副将格として出兵したが、この際に宇和島地方の社寺の銘木・霊木まで伐採して船材としたということから、暴君として非難されている[12]文禄の役では講和交渉を務め、帰国中に巨済島で発病して文禄3年(1595年)10月に狂死し、嗣子がなく戸田家は断絶した[12]

           戸田家が断絶した後、宇和郡7万石の領主として秀吉の家臣藤堂高虎が入った[13]。高虎は6年を費やして板島(宇和島)城築城工事を行っている[13]慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いで高虎は東軍(徳川方)として参戦し、その功績により戦後、徳川家康より伊予今治藩20万石に加増移封され、板島(宇和島)には高虎の従弟藤堂良勝が城代として置かれた[14]
           ところで関ヶ原の直前、宇和郡松葉(現在の西予市宇和町)の土豪三瀬六兵衛毛利輝元と通じて松葉騒動という反乱を起こしたが、高虎は鎮圧して支配体制を固めた[14]。高虎は家康の下で順調に出世を遂げ、慶長13年(1608年)に伊勢津藩22万石の藩主として加増移封された[14]



          歴史

          (※ 合併して新市になる以前の吉田町三間町津島町の出来事については、それぞれのページを参照。)

          市制以前

          市制発足から新市まで

          藤原純友の乱&日振島

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          平安 武士の始まり②(承平・天慶の乱)





          知られざる宇和海 日振島 藤原純友財宝伝説の行方



          藤原純友の乱

            承平天慶の頃、瀬戸内海では海賊による被害が頻発していた。従七位下伊予掾の藤原純友は海賊の討伐に当たっていたが、承平6年(936年)頃には伊予国日振島を根拠に1000艘を組織する海賊の頭目となっていたとされる。

           しかし最近の研究では、純友が鎮圧の任に当たった海賊と、乱を起こした純友らの武装勢力の性格が異なっていることが指摘されている。純友が武芸と説得によって鎮圧した海賊は朝廷の機構改革で人員削減された瀬戸内海一帯の富豪層出身の舎人たちが、税収の既得権を主張して運京租税の奪取を図っていたものであった。
           それに対して純友らの武装勢力は、海賊鎮圧後も治安維持のために土着させられていた、武芸に巧みな中級官人層であり、彼らは親の世代の早世などによって保持する位階の上昇の機会を逸して京の貴族社会から脱落し、武功の勲功認定によって失地回復を図っていた者達であった。
           つまり、東国などの初期世代の武士とほぼ同じ立場の者達だったのである。しかし彼らは、自らの勲功がより高位の受領クラスの下級貴族に横取りされたり、それどころか受領として地方に赴任する彼らの搾取の対象となったりしたことで、任国の受領支配に不満を募らせていったのである。

           また、純友の父の従兄弟にあたる藤原元名が承平2年から5年にかけて伊予守であったという事実に注目されている。純友はこの元名の代行として現地に派遣されて運京租税の任にあたるうちに富豪層出身の舎人ら海賊勢力と関係を結んだとされている。

           天慶2年(939年)12月、純友は部下の藤原文元備前藤原子高播磨島田惟幹摂津国須岐駅にて襲撃させた。ちょうど、東国で平将門が謀反を起こし新皇を称したとの報告が京にもたらされており、朝廷は驚愕し、将門と純友が東西で共謀して謀反を起こしたのではないかと恐れた。
           朝廷は天慶3年(940年)1月16日小野好古山陽道追捕使、源経基を次官に任じるとともに、30日には純友の懐柔をはかり、従五位下を授け、とりあえずは兵力を東国に集中させた。純友はこれを受けたが、両端を持して海賊行為はやめなかった。

           2月5日、純友は淡路国の兵器庫を襲撃して兵器を奪っている。この頃、京の各所で放火が頻発し、小野好古は「純友は舟に乗り、漕ぎ上りつつある(京に向かっている)」と報告している。朝廷は純友が京を襲撃するのではないかと恐れて宮廷の14門に兵を配備して2月22日には藤原慶幸山城の入り口である山崎に派遣して警備を強化するが、26日には山崎が謎の放火によって焼き払われた。
           なお、この一連の事件と純友との関係について純友軍の幹部に前山城掾藤原三辰がいる事や先の藤原子高襲撃事件などから、実は純友の勢力は瀬戸内海のみならず平安京周辺から摂津国にかけてのいわゆる「盗賊」と呼ばれている武装した不満分子にも浸透しており、京への直接的脅威と言う点では、極めて深刻な状況であったのではとする見方もある。

           2月25日、将門討滅の報告が京にもたらされる。この報に動揺したのか、純友は日振島に船を返した。その影響か6月には大宰府から解状と高麗からの牒が無事に届けられ、7月には左大臣藤原仲平呉越に対して使者を派遣している。

           だが、東国の将門が滅亡したことにより、兵力の西国への集中が可能となったため、朝廷は純友討伐に積極的になった。5月に将門討伐に向かった東征軍が帰京すると、6月に藤原文元を藤原子高襲撃犯と断定して追討令が出された。これは将門討伐の成功によって純友鎮圧の自信を深めた朝廷が純友を挑発して彼に対して文元を引き渡して朝廷に従うか、それとも朝敵として討伐されるかの二者択一を迫るものであった。

           8月、純友は400艘で出撃して伊予国、讃岐国を襲って放火。備前国、備後国の兵船100余艘を焼いた。更に長門国を襲撃して官物を略奪した。10月、大宰府と追捕使の兵が、純友軍と戦い敗れている。11月、周防国の鋳銭司を襲い焼いている。12月、土佐国幡多郡を襲撃。

           天慶4年(941年)2月、純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破った。純友軍は西に逃れ、大宰府を攻撃して占領する。純友の弟の藤原純乗は、柳川に侵攻するが、大宰権帥橘公頼の軍に蒲池で敗れる。
           5月、小野好古率いる官軍が九州に到着。好古は陸路から、大蔵春実は海路から攻撃した。純友は大宰府を焼いて博多湾で大蔵春実率いる官軍を迎え撃った。激戦の末に純友軍は大敗、800余艘が官軍に奪われた。純友は小舟に乗って伊予に逃れた。同年6月、純友は伊予に潜伏しているところを警固使橘遠保に捕らえられ、獄中で没した。



          藤原 純友(ふじわら の すみとも、寛平5年(893年)? - 天慶4年6月20日941年7月21日))は、平安時代中期頃の貴族海賊右大弁藤原遠経の孫。大宰少弐藤原良範の3男[1]。弟に藤原純乗がいる。官位従五位下[1][2]伊予

          生涯

            藤原氏の中でもっとも栄えた藤原北家の出身で大叔父には藤原基経がいるが、早くに父を失い、都での出世は望むべくも無く地方官となる[3]
            当初は父の従兄弟である伊予藤原元名に従って伊予として、瀬戸内に跋扈する海賊を鎮圧する側にあった。しかしながら、元名帰任後も帰京せず伊予国に土着する。承平6年(936年)頃までには海賊の頭領となり[4]、伊予(愛媛県)の日振島を根城として千艘以上の船を操って周辺の海域を荒らし、やがて瀬戸内海全域に勢力をのばした。

           関東平将門が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こし、藤原純友の勢力は畿内に進出、天慶2年(939年)には純友は部下の藤原文元摂津国須岐駅にて備前播磨国備前介藤原子高播磨介島田惟幹)を襲撃させ、これを捕らえた。翌天慶3年(940年)には、2月に淡路国・8月には讃岐国国府を、さらに10月にはついに大宰府を襲撃し略奪を行った。

           朝廷は純友追討のために追捕使長官:小野好古、次官:源経基、主典:藤原慶幸大蔵春実による兵を差し向け、天慶4年(941年)5月に博多湾の戦いで、純友の船団は追捕使の軍により壊滅させられた。純友は子息の藤原重太丸伊予国へ逃れたが、同年6月に伊予国警固使橘遠保により討たれたとも、捕らえられて獄中で没したともいわれているが、資料が乏しく定かではない。[5]。また、それらは国府側の捏造で、真実は海賊の大船団を率いて南海の彼方に消息を絶ったともいわれている。
          将門の乱がわずか2ヶ月で平定されたのに対し、純友の乱は2年に及んだ。また、純友の合戦の様子は『純友追討記』として、追補使により政府への報告がなされたとされ、一部が『扶桑略記』に引用されている。

           藤原純友を祀った神社として、現・岡山県松島純友神社、現・愛媛県新居浜市の中野神社がある。

          小野好古   

           
          小野好古 時代 生誕 死没 官位 主君 氏族 父母 兄弟 子 特記
          事項
          Ono no Yoshifuru.jpg
          小野好古(菊池容斎画)
          平安時代前期 - 中期
          元慶8年(884年)
          康保5年2月14日(968年3月20日
          従三位参議
          醍醐天皇朱雀天皇村上天皇冷泉天皇
          小野氏
          小野葛絃
          好古道風
          永樹千古大蔵春実
          一説には小野小町の従弟
          テンプレートを表示
          小野 好古(おの の よしふる、884年元慶8年) - 968年3月20日康保5年2月14日))は平安時代中期の公卿参議小野篁の孫で、大宰大弐小野葛絃の子。弟に三蹟の一人小野道風がいる。異名は「野大弐」。官位従三位・参議。

          経歴

            939年天慶2年)の天慶の乱藤原純友の乱)鎮圧の追捕山陽南海両道凶賊使長官として九州下向。追捕使判官(第3等官)藤原慶幸、主典(第4等官)大蔵春実等と共に、大宰府を襲撃した藤原純友軍を博多津にて撃退する。

            947年(天暦元年)参議として公卿に列し、962年(応和2年)従三位に至る。
          歌人としても活躍し、『後撰和歌集』(4首)・『拾遺和歌集』(2首)に入首。また、大宰府にて曲水の宴を始めたとも伝えられる。

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          関東で平将門の乱が起こっていた頃…
          瀬戸内海では海賊被害が続いていました。海賊の多くは租税や労役を逃れた農民が、船をうばって海賊になったものでした。
          「なりゆきで海賊になんかなっちまったけどよう。大丈夫かなァ」

          「安心しろ。なにしろ俺たちの大将の純友さまは、
          藤原氏でも一番えらい、北家のご出身だぞ」

          藤原純友

          藤原純友は藤原氏の中でももっとも栄えた藤原北家(不比等の次男藤原房前を祖とする)の血筋です。しかし早くに父を失い地方官として生きることを余儀無くされます。
          純友は四国伊予に伊予掾(いよのじょう)として赴任し海賊を討伐する任にあたります。
          任期が切れた後も純友はそのまま伊予に住みつきますが、いつしか日振島(ひぶりしま)を中心に1000艘の舟を率いて略奪行為を働くようになっていました。

          紀淑人(きのよしひと)の懐柔

          承平6年、朝廷から派遣された伊予守紀淑人(いよのかみ きのよしひと)は、たちまちに瀬戸内海の海賊を鎮圧します。
          「お前たちか瀬戸内の海を荒らしまわっていたのは」

          「何とぞ、寛大な御処置を…」

          「ふむ…ロクに土地も与えられず、まともな衣類も着れないでは
          心がすさむのも無理からぬこと。お前たちに土地と衣類を与えよう。
          もう一度まじめにやってみる気はあるか?」

          「は、ははーっ」

          天慶の乱

          紀淑人の寛大な処置に、藤原純友もいったん矛を収めましたが…

          「やはり俺には農民など性にあわん!!」
          「ま…待て純友!」

          天慶2年(939年)藤原純友は紀淑人の制止を振り切り、ふたたび反乱を起こします。藤原純友の乱(天慶の乱)です。
          時を同じくして関東では平将門が常陸国府を襲撃します。将門の噂を聞いて、藤原純友はますます勢いづきます。
          「平将門とな。東国にもそのような気概のある男がいるのか。
          一度会ってみたいものだ…」
          藤原純友は将門と呼応するように摂津に侵攻、備前介藤原子高(びぜんのすけ ふじわらのこたか)を襲撃。
          「目指すは京ぞ」
          そのまま都へ攻め上る勢いでした。
          朝廷では関白藤原忠平以下、大騒ぎになっていました。
          「西国の純友と関東の将門が手を結ぶようなことになったら、
          京都は一たまりもありません」
          「うぬぬ…どうすればよいのじゃ」
          寺々に読経を行わせ賊徒の鎮圧を祈らせましたが、そんなことではどうにもなりませんでした。

          大宰府炎上

          翌天慶3年、朝廷は小野好古(百人一首に歌を採られている小野篁の孫)を山陽道追捕使に任じる一方、藤原純友に従五位の官位を与えます。
          「ふん。この純友を官位でつろうというのか。安く見られたものだ」
          純友には官位による懐柔は通用しませんでした。淡路、讃岐、伊予、備前、備後、阿波、備中と次々と攻撃します。しかし940年関東で平将門が破られると関東方面の心配がなくなった朝廷は、すぐさま小野好古・源経基らを瀬戸内海へ派遣します。
          小野好古・源経基らは藤原純友の本拠地伊予を攻撃。不意をつかれた藤原純友は海上に難を逃れ、九州大宰府へ向かいます。
          かつて天智天皇が朝鮮・中国からの守りにために築かせた「水城」とよばれる堀と土塁からなる大宰府の守り。しかし、純友軍の前には何の役にも立ちませんでした。
          「燃やせ!皆殺しにしろ!」
          純友軍は大宰府になだれ込み放火、略奪を欲しいままにします。しかし小野好古・源経基らの船団に博多湾の海戦で敗れ、純友軍はその船団の大半を失います。

          純友の最期

          「くっ…今は退くのだ。ふたたび立ち上がる、その日のために」
          しかし、再起の日はありませんでした。純友は小舟に乗って伊予に逃れましたが、6月20日警護士橘遠保によって子息・重太丸(しげたまろ)とともに捕えられ、斬られます。残党も討ち取られました。
          これら承平・天慶年間(931-947)に起こった平将門・藤原純友による反乱をあわせて承平・天慶の乱と言っています。



          日振島

             

          地理

          島の形は北西から南東に細長く延びており、島の北には属島の沖の島竹ヶ島(いずれも無人島)、西には横島が隣接、さらに南方約5kmには御五神島があるが、他の有人島とは群島を形成していない。また、島全体が山の形をしており、平地は少なく、切り立った崖が多い。特に西側海岸は懸崖が続く。
          行政区画としては宇和島市に属し市域の最西端にあたる。島の大部分と属島の横島沖の島竹ヶ島の全域は足摺宇和海国立公園に属している。

          地名(島名)の由来

          昔から船の往来があり、島民がたいまつの火を振ることで灯台の代わりをしたことに因む、との説がある。

          歴史

          [転載]939年 藤原純友の乱

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          939
           藤原純友の乱

          ☆純友が、苦策、兵挙げ、失敗す
                (939)



          ■ポイント整理■
          藤原純友が瀬戸内海西部の海賊集団を従えて,日振島を拠点として反乱をおこし,
          淡路(兵庫県)・讃岐(香川県)などの国府をおそい,大宰府を攻めた。
          平将門の乱とあわせて「承平・天慶の乱」という。


          メルマガに載せられないゴロあわせ
          ☆純友は、くさいクソして瀬戸内海
                (93 9)

          転載元: 「だすだす」のぐんのび 中学社会 テストに出る時事問題

          [転載]1868年 五か条の御誓文

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          今日の年号ゴロ合わせ
          ^-^( 〇 )^-^



          1868年 五か条の御誓文


          ひとつやろうや御誓文
           (1   8 6 8)


          ■ポイント整理■
           五か条の御誓文…1868 年、明治天皇に誓う形でだし、外国の文化を取り入れ、世論にしたがって新しい政治を行うことを示す。
           越前藩(福井県)の由利公正(ゆりきみまさ)と土佐藩(高知県)の福岡孝弟(たかちか)が原案をつくり、それに木戸孝允が修正を加え、1868年3月14日に発表された。

           一 広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ。
           一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ オコナフヘシ
           一.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マザラシメンコトヲ要ス
           一.旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。
           一.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ。
          我国未曽有ノ変革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先シ、天地神明ニ誓ヒ、大ニ斯国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ。

          <現代語訳>
          一、政治のことは、会議を開き、多くの人の意見を聞いて決めよう。
          一、身分に関係なく、みんなが心を合わせて、国の政策を行おう。
          一、公家や武士、庶民の区別なく、みんなの志がかなえられ、失望のない社会にしよう。
          一、これまでの悪い慣習をやめ、国際社会のルールに従おう。
          一、新しい知識を世界の各国に求め、国家の繁栄をはかろう。
          わが国は、今までに前例のない大改革をこれから行うので、私はみずから先頭に立ち、天地の神々に誓い、重大なる決意のもとに、国政の基本方針を定め、国家・国民の安定を図る大方針を確立するつもりである。諸君にもこの趣旨にしたがい、努力をお願いしたい。

           五榜の掲示 …国民に対して、一揆・キリスト教を禁止する。
           第二札  徒党を組んでの訴えはかたく禁止する。
           第三札  キリスト教はかたく禁止する

           江戸を東京 に改める。年号を 明治 と定める。
           江戸城を皇居とする。首都を京都から東京へ移す。


          写真は左から順に由利公正・福岡孝弟・木戸孝允


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          転載元: 「だすだす」のぐんのび 中学社会 テストに出る時事問題


          五島列島は長崎県に属し、九州の最西端に位置し、東シナ海の東部に浮かぶ島々である。

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          地理
          五島列島は長崎県に属し、九州の最西端に位置し、東シナ海の東部に浮かぶ島々である。
          長崎県には非常に多くの島があるが、五島列島は多くの島々が本土や他の島とは少し離れた位置に密集しており、「五島」と総称されるまとまりを形作っている。島々は連なった山々が溺れ谷になって海に沈み高い部分だけが残った複雑なリアス式海岸線をもつ地形である。

          「五島」と呼ばれてはいるが、大きな島だけでも7~8あり、地図上は5つの島とはいえない。歴史の項に述べるように、五が縁起のよい数字と考える中国の思想から「五島」と総称される(五島市の記述も参照のこと)。
          五島列島は北東から南西に長く伸びている。そのため、全体を大きく二つに分けて、五島市がある五島最大の福江島を中心とする南西の島々を下五島(しもごとう)、2番目に大きな中通島(なかどおりじま)を中心とする北東部は上五島と呼ばれている。

          歴史

          古代から五島藩の成立まで

            五島列島に人が住み着いたのは早く、一部には旧石器時代にすでに人が住みついていたという。島では旧石器時代以降、縄文時代弥生時代の遺跡が非常に多く発見されている。

            日本人の先祖の大部分がどこから来たのかについては多くの説があるが、五島列島は済州島朝鮮半島などに近く、また最近でもベトナムからの難民を乗せた船が何度も五島に流れ着くなどしており、大陸南部から海流にまかせて流されれば五島に着く可能性も充分にある。五島では島々が密集していながら地続きではなく、全体としてはかなり大きいといえる五島列島のどこにいてもたいてい海が見える。このような自然環境は漁労民には大きな利点であった。

            遺跡などから考えると、縄文時代の生活は同じ時代の本土と変わらないものであったが、その後弥生時代になると本土発祥の生活様式などがやや遅れて五島に伝わってくるようになったと思われる。 ただし、時代が下っても平安時代には後期遣唐使が最後の寄港地とするなど、本土から距離があるとはいえ大陸に近いということもあり、中央の文化と長く隔絶された状況ではなかった。

           古事記国産みにおいて、イザナギイザナミが大八州を生んだ後、更に「児島」「小豆島」「大島」「女島」「知訶島(ちかのしま)」「両児島(ふたごのしま)」を生むが、この中の知訶島が五島列島である。古くは福江島を「おおぢか(大知訶、大値嘉)」と呼び、上五島の島を「こぢか」と呼んでおり、現在行政区画上ではたまたま五島列島に入れられていないものの五島列島の一部としてその北に位置する小値賀島(おぢかじま)がその呼称の名残である。 また、イザナギ・イザナミが生んだ最後の「両児島(ふたごのしま)」は五島の南に離れて浮かんでいる男女群島のことであるとするのが通説である。五島列島に比してかなり小さい男女群島は現在の行政区画では五島市に入るが、この島も女島灯台がおかれるなど近年に至るまで重要な島であった。 これらの事からも、古代において五島列島や周辺の島々が中央にもよく知られていたことが分かる。

           740年天平12)に大宰少弐藤原広嗣が乱を起こしたが敗れ、肥前国松浦郡の値嘉嶋長野村で逮捕され、断首されている。
           その後中世に至るまで五島列島の土着の民衆に大きな変化はみられなかったが、政治的勢力としては中世には松浦党がその拠りどころにし、戦国時代には倭寇(後期倭寇)頭目で貿易商人の王直が活動の一拠点とした。

          倭寇王直は「五峰王直」の名でも知られるが、この五峰とは五島のことである。五という数字を尊ぶ中国の発想から、ヤマトにおける「ちかのしま」は中国からは「五島」と呼ばれるようになり、それが我が国にも伝わって五島の呼び名が定着したといわれる。
           鎌倉時代に五島列島北端の宇久島(うくしま)から興った宇久氏が勢力を伸ばし、やがて五島列島のほぼ全域を支配下に収める。14世紀後半には拠点を五島最大の島である福江島に移した。
           豊臣秀吉が九州を征服すると宇久氏当主純玄はこれに臣従して領地支配を認められ、前後して五島氏と姓を改めた。江戸時代には五島藩福江藩)となった。

          藩政時代以後

           江戸時代の五島列島は大半が五島藩の領地となった。同藩の分家として福江島富江に富江陣屋を置いた富江領交代寄合)があり、中通島の一部などにも富江領が存在したが福江領と富江領の領民間で漁業権などをめぐる衝突がしばしば起こった。
           このほか、小値賀島とその属島については平戸藩松浦氏)の領地となっていた。
           明治に入り、富江領は本藩へ合併されたがほどなく廃藩置県となり、福江県・平戸県を経て現在の長崎県になった。

          観光

           五島は本土と離れており、大きな工場などがないせいか手付かずの自然が残っている。素朴な風土やキリシタンの歴史を物語る多くの古いカトリック教会など、五島の観光は他では味わいがたい風情がある。海産物をはじめとして、全国的にも有名な五島うどんかんころもち、上質なことで知られる椿油などみやげ物も多い。
           大瀬崎灯台は雄大な景観で有名である。また、高浜海水浴場など美しい砂浜が残されているのも魅力の1つ。夏休みの間は無人島での地引網体験の実施や、海底が見える大きな観光用グラスボートの運行などもあり、家族で楽しむことができる。

           五島列島は、お互いに隣り合っているがほとんどが架橋されていない島同士である。しかも鉄道はなく、バスも本数が少ないなど、公共交通機関はあまり便利とはいえない。 五島列島を観光するならば一度に五島全部を見ようとせず、観光する島を絞って、事前にレンタカーや貸切タクシーの予約をしておくのがよいだろう。 早めの計画や直前の確認は、台風を避けるためにも有効である。

           五島列島までのアクセスは、福岡空港長崎空港から五島福江空港に1日3往復程度の飛行機便があるほか、長崎市・福岡市からのフェリー、長崎市からの高速艇(ジェットフォイル)がある。また、夏場は関西空港から五島福江空港までの直行便が運行される。
           2007年1月23日、文化庁が長崎の教会群とキリスト教関連遺産のユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リスト入りを決めた。長崎県内の20箇所ある構成資産のうち、五島列島では6箇所の教会群が暫定リスト入りをしている。

          産業

           五島藩の城下町であった福江では以前から商工業が見られたものの、元来五島では大多数が半農半漁の生活であった。現在ではこれに加えて観光も五島の主要産業となっている。
          五島列島の周囲は日本屈指の好漁場であり、五島の海産物は古くからよく知られている。現代においても五島の水産物は味がよく、例えば五島の鮑(アワビ)は現代でも中国で最高級品とされるほど有名である。 鮑に限らず、同じ海産物であっても都会では味わえないうまさがあるというファンも多い。近年ではインターネットによる通信販売なども盛んになり、都会でも手軽に味わえるようになった。

           五島列島では複雑な海岸線を生かした養殖漁業も盛んに行われている。また、上五島の中通島ではオイルショック後に国策として石油備蓄基地が建設されている。かなりの面積や人口をもつとはいえ本土から離れた五島では大きな国の施設はめずらしく、異色の存在となっている。
           豊富な水産資源に比べると、土地にはあまり恵まれておらず、山がちで平野が少ない。火山灰質の土地も耕作向きではない。 このためか近世の甘藷(かんしょ、さつまいも)伝来以降、五島には甘藷が根付いており、甘藷を薄く切って天日で干した「かんころ」と呼ばれる干し芋や、これを餅にまぜてついた「かんころもち」という緑色の餅菓子は五島のシンボルである。

           五島では稲作も盛んである。夏場を過ぎると台風の通り道となるため、早稲の栽培が盛んで、多くの田では8月のお盆休みぐらいには稲刈りを終えてしまう。
           ごく最近、五島列島近海での石油埋蔵の可能性が高いとの政府発表があった。詳細な調査はまだこれからだが、将来技術的・経済的に採掘可能となれば、五島列島近海に海上油田ができ、五島列島にも石油関連産業の施設が作られるという期待もでている。

           関連項目

          外部リンク

          明星院 (五島市)の名は弘法大師空海により命名されたと伝えられている

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          明星院 (五島市)

             
          明星院所在地位置宗旨宗派本尊正式名札所等文化財
          Gotoh fukue myohjohin02.jpg
          五島市吉田町1905番地
          北緯32度40分57.8秒
          東経128度49分19.5秒
          座標: 北緯32度40分57.8秒 東経128度49分19.5秒
          真言宗
          高野山真言宗
          虚空蔵菩薩
          明星院
          五島八十八カ所霊場第一番札所
          銅造如来立像
          本堂
          木造阿弥陀如来立像
          テンプレートを表示
          明星院(みょうじょういん)は、長崎県五島市にある高野山真言宗の仏教寺院。五島の真言宗本山
          本尊は虚空蔵菩薩。五島八十八カ所霊場第一番札所。
          本尊は秘仏とされており容易に見る事はできない。


          歴史

            明星院の名は弘法大師空海により命名されたと伝えられている。 中国から帰った空海が明星院に虚空蔵菩薩が安置してあると聞き赴き、虚空蔵求聞持法にて真言「ナウ ボゥ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ」を100万回唱え終えた日の未明、明けの明星(火星)から凄まじい光が差すのをのを見て「中国で収めた密教が今後の日本の済世利民に役立つ事の仏の証明を頂いた」として大変お喜びになり、この寺を「明星院」と名づけたという。

            五島では最も古くからある寺院で空海により真言宗へ改宗し、五島列島の大半を治めた福江藩五島氏代々の祈願寺とされ栄えた。

          寺院

          注目すべきは、本堂の入り口上部の飾り彫りが龍や雲などではなく「象」である事。空海、最澄が帰国する前から存在している寺のためインド仏教の影響を伺える。
          本堂の天井には様々な仏教画が格天井に描かれており、四隅には「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が描かれている。
          住職曰く「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の美声を聞くと一瞬にして悟りを開いてしまうと言われている。
          さらに、本尊側から本堂入り口に向かって格天井を見ると(通常は入れません)格天井の仏教画の色が光の加減で鮮やかになり、さらに美しく映える。

          また、かつては拝観料がかかっていたが、現住職になられてから(2010年10月現在)拝観料は無料になっている。

          行事


          2月3日 節分・星祭大護摩祈祷会
          • 2月15日 常楽会
          • 2月21日 初大師・星祭大護摩祈祷会
          • 3月中日 春季彼岸法会
          • 4月21日 正御影供(大師祭)年中最大行事
          • 6月15日 祖師降誕会(青葉祭)
          • 8月7日 施餓鬼会
          • 8月15日 盂蘭盆会
          • 9月中日 秋季彼岸法会
          • 9月13日 本尊法会(旧)
          • 毎月21日 月並御影供

          文化財等

          重要文化財(国指定)
          • 銅造如来立像 - 像高26.2センチメートル。飛鳥時代末期、7世紀半ば頃の制作。左手首から先が失われており、本来の像名は不明だが、寺伝では薬師如来像とする。[1]
          県指定有形文化財
          • 本堂 - 1778年(安永7年)に焼失後当時の福江藩主五島盛運により再建されたもので、五島における現存最古の木造建築物である。
          • 木造阿弥陀如来立像
          その他
          • 境内庭園の石橋 - 1810年(文化7年)架橋。

          所在地・アクセス

          五島市吉田町1905番地
          • 五島市中心部から車で約10分。
          • 県道49号を富江方面に向かい大円寺を過ぎたあたりで観光看板に従い右折し約400m。
          • 駐車場4~5台
          • 定期観光バスも運行されている。
          • 本堂拝観時間 9:00~17:00頃

          画像

          正門近景(2013年6月撮影) 
          正門脇より本堂を望む(2013年6月撮影) 

          脚注

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          1. ^像高、制作年代は『月刊文化財』213号(第一法規、1981)所収の解説による。

          [転載]鉄鋼スラグ製品の管理に関するガイドライン

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          鉄鋼スラグ製品の管理に関するガイドライン

          2015年1月14日改正
          鐵鋼スラグ協会
          鉄鋼スラグ製品の管理に関するガイドライン

          1.目的
           鐵鋼スラグ協会各会員(以下「各会員」という。)が鉄鋼スラグ製品を販売するにあたり、取引を円滑に行うとともに、需要家(ここで需要家とは、各会員が行う鉄鋼スラグ製品の販売先のみではなく、鉄鋼スラグ製品の使用方法や施工方法を実質的に決定する者(例えば施主、施工業者、設計コンサルタントなど)を含むものとする。また、ここで各会員の販売先とは、売買契約によって鉄鋼スラグ製品を購入する者をいう。)での利用に際しその特性を活かし適切な使用がなされるために、製造・販売者として遵守すべき事項を本ガイドラインで定める。

          2.適用範囲
          2-1.鉄鋼スラグ製品
           本ガイドラインは、各会員が販売する全ての鉄鋼スラグ製品に適用する。

          (1)各会員が自ら鉄鋼スラグのみで製品を製造する場合
          各会員が自ら鉄鋼スラグのみで鉄鋼スラグ製品を製造する場合には、その製品を本ガイドラインにおける鉄鋼スラグ製品とする。

          (2)各会員自ら他の材料と混合調製(鉄鋼スラグを破砕・整粒し、他材と混合し、鉄鋼スラグ製品を加工・製造すること)する場合
           各会員が自ら鉄鋼スラグ(他の会員から購入したものを含む)と他の材料を混合調製した後、そのままの状態で使用される場合には、混合調製後の製品を本ガイドラインにおける鉄鋼スラグ製品とする。

          (3)会員が販売した後、会員以外の第三者が他の材料と混合調製する場合
           各会員が鉄鋼スラグ(他の会員から購入したものを含む)を会員以外の第三者に販売した後で、会員以外の第三者が鉄鋼スラグと他の材料を混合調製した後、そのままの状態で使用される場合には、各会員から会員以外の第三者へ原料として販売する鉄鋼スラグを本ガイドラインにおける鉄鋼スラグ製品とする。他方、会員以外の第三者が会員から購入した鉄鋼スラグを原料として他の材料と混合調製したものの品質管理は、本ガイドラインの適用範囲に含まれないものとする。

          2-2.廃棄物として処理される鉄鋼スラグの扱い
           使用場所・用途に応じて適用する環境安全品質を満たさない鉄鋼スラグは、鉄鋼スラグ製品として販売せず、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に従って、適正に処理しなければならない。

           産業廃棄物処理業者に処理を委託し鉄鋼スラグ製品として再生される場合、及び鉄鋼スラグ製品として再生できずに処分場で埋め立て処分される鉄鋼スラグは、本ガイドラインは適用されず、平成27年1月14日付日本鉄鋼連盟「産業廃棄物処理業者に処理を委託する鉄鋼スラグ等の管理指針」(別添1参照)を適用するものとする。但し、当該産業廃棄物処理業者がセメント会社の場合は、平成24年4月1日付日本鉄鋼連盟「セメント会社に産業廃棄物処理を委託する鉄鋼スラグの管理指針」(別添2参照)を適用するものとする。

           また、ある会員が、他社から「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に従って処理することを委託された「鉱さい」(ここで「鉱さい」とは、処理委託された鉄鋼スラグ及び鋳物砂をいう。)を自ら処理した後、鉄鋼スラグ製品として再生する場合は、再生後の製品を本ガイドラインにおける鉄鋼スラグ製品とする。


          3.各会員の責務
           各会員は、本ガイドラインに定める事項に従い、自社の鉄鋼スラグ製品に関わる管理マニュアルを整備するものとし、鉄鋼スラグ製品の製造・販売にあたっては、本ガイドライン並びに当該自社のマニュアルを遵守しなければならない。
          各会員は、本ガイドライン等を遵守することを通じて、法令遵守はもとより、鉄鋼スラグ製品の品質に対する懸念(膨張に対する懸念等)、鉄鋼スラグ製品に起因する生活環境の保全上の支障が発生するおそれ(高pH水流出等)等を未然に防止するとともに、鉄鋼スラグ製品への信頼の維持・向上に努めなければならない。




          4.鉄鋼スラグ製品の品質管理

          (1)備えるべき環境安全品質

          ① 鉄鋼スラグ製品が備えるべき環境安全品質として、法律、法律に基づく命令、条例、規則及びこれらに基づく通知(以下「法令等」という。)、JIS、国・自治体の各種仕様書や学会・協会等の最新の要綱・指針で定められているものがある場合は、各会員はこれを遵守しなければならない。





          ② 各会員は、鉄鋼スラグ製品の使用場所を管轄する自治体が定めるリサイクル認定等の独自の認定制度に適合する製品として、鉄鋼スラグ製品を販売するときは、当該認定に関して自治体が定める環境安全品質基準に従わなければならない。



          ③ 法令等、JIS、国・自治体の各種仕様書や学会・協会等の最新の要綱・指針などに明確な環境安全品質の定めがない場合は、各会員は、鉄鋼スラグ製品の環境安全品質の適合性については、使用される場所等や用途に応じて適用される基準(別紙1-使用場所・用途に応じた鉄鋼スラグ製品に適用する環境安全品質基準参照)を遵守しなければならない。

           なお、別紙1に挙げた鉄鋼スラグ製品のうち、他の材料と混合調製した状態でそのまま使用される製品(会員が他の材料と混合する場合および会員以外の第三者が他の材料と混合する場合の双方を含む)については、混合調製に関する公的規格等がない間の予防的措置として、混合調製後の鉄鋼スラグ製品に加えて、混合調製前の鉄鋼スラグにおいても、別紙2に定める環境安全品質(別紙2-他の材料と混合調製した状態でそのまま使用される鉄鋼スラグ製品に適用する環境安全品質基準参照)を適用する。


          (2)前項の環境安全品質以外の品質規格等

          ① 鉄鋼スラグ製品が備えるべき品質規格等として、法令等、JIS、国・自治体の各種仕様書や学会・協会等の最新の要綱・指針等で定められているものがある場合は、各会員はこれを遵守しなければならない。

          ② 各会員は、鉄鋼スラグ製品の使用場所を管轄する自治体が定めるリサイクル認定等の独自の認定制度に適合する製品として、鉄鋼スラグ製品を販売するときは、当該認定に関して自治体が定める品質規格等に従わなければならない。

          ③ 法令等、JIS、国・自治体の各種仕様書や学会・協会等の最新の要綱・指針等で明確な品質規格等の定めがない場合は、各会員は、需要家との間で品質規格等を取り決め、これを遵守しなければならない。
          但し、各会員が販売する製鋼スラグを使用した鉄鋼スラグ混合路盤材は、道路用鉄鋼スラグ(JIS A 5015:2013)で規定する水浸膨張比の出荷検査に合格したものでなければならない。



          (3)出荷検査
           鉄鋼スラグ製品の出荷検査は、原則として、製造・販売者により、JISまたは需要家との間の取り決めに従い行われることとする。
           但し、鉄鋼スラグ製品の環境安全品質に係る分析検査は、製造・販売者とは別法人のJIS Q 17025若しくはJIS Q 17050-1及びJIS Q 17050-2に適合している試験事業者、または環境計量証明事業者として登録されている分析機関により、製造ロット毎に、最低でも1ヵ月に1回以上行わなければならない。ここで製造ロットとは、工場ごとの製造実態、品質管理実態に応じて、製造事業者が規定するものとするが、特殊鋼電炉会社会員においては、鋼種製造において、蛍石やクロム合金を多量または頻繁に使用するため、製品ヤードの鉄鋼スラグ製品の積み付け山を一つの製造ロットとして管理しなければならない。但し、その積み付け山は、1ヵ月の製造量を最大とする。

           また、その結果に係る記録については、少なくとも10年以上の保管期限を定めて保管されなければならない。なお、本ガイドラインにおいての環境計量証明事業者とは、計量法に基づく計量証明の事業区分が「水又は土壌中の物質の濃度に係わる事業」の登録を受けた者とする。
           また、需要家から要求があった場合には、各会員は、環境安全品質に係る記録を提出することとする。




          5.鉄鋼スラグ製品の販売管理
          5-1.受注前
          (1)需要家への品質特性の説明
           各会員は、需要家から鉄鋼スラグ製品の引き合いがあった場合は、需要家が、法令を遵守するとともに、不適切な使用により生じ得る環境負荷に関する理解を深めるために、用途に応じてパンフレットや技術資料を提供する等して、需要家に対して書面で鉄鋼スラグ製品の品質特性と使用上の注意事項(pH特性、膨張特性等)を説明しなければならない(別紙3参照)。



          (2)受注前現地調査要否の判断、受注可否の判断、施工中及び施工後の調査要否の判断
           各会員は、需要家から鉄鋼スラグ製品の引き合いがあった場合は、需要家から使用場所(運送、施工中の一時保管場所を含む。以下同じ)、使用状態、施工内容、施工方法などの説明(別紙4-面談、現地調査項目例参照)を受けた上で、使用場所の現地調査の要否を判断し、必要と判断される場合には現地調査を行わなければならない。当該現地調査を踏まえ、事前に関係者間で協議した結果、施工中(一時保管場所を含む)、施工後を通じて必要な対策を講じてもなお、法令違反を惹起する疑い、または生活環境の保全上の支障が発生するおそれがある場合は、各会員は、販売を見合わせなければならない。また、販売可能と判断したものについて、各会員は、施工中・施工後の調査の要否を判断し、必要と判断される場合には施工中・施工後の調査をしなければならない。
           使用場所の現地調査項目は、別紙調査項目例を基準に、各会員にて予め定めるものとする。

           受注前現地調査により販売可能と判断した場合においても、各会員は、施工中及び施工後の留意点について、需要家に説明するとともに、必要に応じて行政・近隣住民との事前協議を行うこととする。



          (3)受注前現地調査の実施基準、受注可否の判断基準、施工中及び施工後の調査の実施基準

          ①使用場所の受注前現地調査の実施基準、②受注前現地調査の結果に基づいた受注可否判断基準(別紙5-受注可否判断基準例参照)、③施工中・施工後の現地調査の実施基準は、各会員にて予め定めるものとする。但し、少なくとも3,000t以上の案件については、各会員は、受注前現地調査を実施しなければならない。




          (4)販売上の留意点

          1) 各会員は、鉄鋼スラグ製品の販売において、販売先に対し、名目の如何を問わず販売代金以上の金品を支払ってはならない。

           仮に、各会員が支払う運送費や業務委託費等が販売代金以上となるおそれがある場合は、各会員は、販売先以外の第三者を運送業者や業務委託先等として選定しなければならない。
          なお、各会員は、販売先に販売代金以上の金品が還流することを認識・把握しながら、販売先以外の業者(運送業者を含む)に対し、販売代金以上の金品を支払ってはならない。

          2) 出荷場所と使用場所の関係から、運送費が販売代金以上となるおそれがある場合は、各会員は、複数の運送業者から見積もりを取るなど運送費の妥当性を検証しなければならない。

          3) 各会員は、販売した鉄鋼スラグ製品は原則転売・転用を禁止とし、転売・転用をする場合は販売者の了解を得ることを購入者に書面にて周知徹底しなければならない。

          (5)受注前現地調査、需要家との面談等の記録
           受注前現地調査、需要家との面談、需要家に鉄鋼スラグ製品の品質特性と使用上の注意事項の説明を行った事実等については、各会員は、予め各会員にて定める様式(別紙4-面談、現地調査項目例参照)により記録に留め、少なくとも納入完了から10年以上の保管期限を定めて保管しなければならない。また、需要家との間で取り決めた品質規格等については、各会員は、書面で需要家に提出しなければならない。



          5-2.受注・納入
          (1)受注を決定し、鉄鋼スラグ製品を納入する場合には、各会員は、需要家との契約条件に従って試験成績表を提出しなければならない。

          (2)鉄鋼スラグ製品が使用される場所に応じて適用される環境安全品質とそれへの適合性については、各会員は、契約書あるいはその他の方法で需要家に提示しなければならない。


          (3)各会員は、鉄鋼スラグ製品を納入する場合は、法に基づき、需要家に化学物質等安全データシート(英: Material Safety Data Sheet、略称 MSDS)あるいは安全性データシート(英: Safety Data Sheet、略称 SDS)を発行しなければならない。


          5-3.鉄鋼スラグ製品の運送
           鉄鋼スラグ製品の運送に際しては、各会員は、代金受領、運搬伝票等で鉄鋼スラグ製品が確実に需要家に届けられたこと確認しなければならない。また、需要家が製造元及び販売元を確認できるように、納入伝票等には、製造元及び販売元の各会員名称を記載しなければならない。




          5-4.施工中の調査
          (1)施工中の調査では、各会員は、施工場所(運送、一時保管を含む)の調査を行い状況の確認をしなければならない。特に、高pH水流出対策(高pHとはpHが8.6(海域9.0)を超える場合をいい、鉄鋼スラグ製品の含有物質の溶出により高pH水が発生し、公共用水域に影響を及ぼすおそれのある場合には、対策を実施しなければならない)、粉塵対策の実施状況を調査・点検しなければならない。但し、少なくとも3,000t以上の案件については、各会員は、施工中の調査を少なくとも3ヵ月に1回以上実施しなければならない。なお、各会員は、施工中の調査結果を記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定め保管しなければならない。



          (2)状況確認の結果、運送、保管、施工に際して、鉄鋼スラグ製品の取扱い等に不具合が認められる場合は、各会員は、必ず需要家に正しい取扱い方法について注意喚起し、それを記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定めて保管しなければならない。また、必要に応じて行政庁と協議し、それを記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定めて保管しなければならない。
           特に、施工中の鉄鋼スラグ製品の各会員および需要家による製造事業所外での一時保管については、各会員は、定期的に見回り調査を実施し、高pH水溶出対策、粉塵対策の実施状況を調査・点検し、記録するとともに、各会員および需要家による一時保管において在庫過多による野積みが生じないよう、各会員および需要家での在庫は使用量の3ヵ月分を上限の目処とする。3ヵ月以上の長期間にわたり利用されずに放置されている場合には、各会員は、速やかにその解消を指導し、指導に従わない場合は、行政と相談の上、撤去を含め、速やかな対策を講じなければならない。

          (3)5-1.(2)で受注前に施工中及び施工後の調査を不要と判断したものについても、問題発生のおそれのあるものについては、各会員は、調査を実施しなければならない。



          6.施工後の調査
          (1)各会員は、施工場所や利用用途等の特徴に応じて、施工後の調査の期間、頻度についての判断基準を各会員にて定めなければならない。また、各会員は、施工後の施工場所の状況に応じて、調査期間の延長や頻度の見直しを実施しなければならない。

          但し、少なくとも
          3,000t以上の案件については、各会員は、施工後の調査を実施しなければならない。


          (2)事前の現地調査で施工後の調査が必要と判断された場合は、各会員は、需要家と相談の上、施工後の調査を、必要な期間、必要な頻度で行い、調査結果を記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定め保管しなければならない。


          (3)施工後の調査の結果、施工後使用場所に高pH水溶出が認められる等、環境への影響が懸念される場合は、各会員は、速やかに需要家と協議し、それが鉄鋼スラグ製品の品質に起因する場合、必要な措置を講じなければならない。需要家における使用が原因の場合、各会員は、需要家に対して、必要な注意喚起を行わなければならない。これらにあたり、各会員は、必要に応じ行政庁と協議することとする。各会員は、これらについて記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定め保管しなければならない。

          (4)施工後の調査を必要なしと判断した案件においても、使用場所に異常が認められた場合は、前項に準じる。


          7.行政・住民等からの指摘・苦情等が発せられたとき及びその懸念が生じたときの対応
           鉄鋼スラグ製品の運送・一時保管・施工中・施工後の一連のプロセスにおいて、行政・住民等からの指摘・苦情等が発せられたとき、またはその懸念が生じたときは、その原因が鉄鋼スラグ製品に起因するか否かを問わず、各会員は、需要家と協力して速やかに原因究明にあたるとともに、鉄鋼スラグ製品に起因する場合は、需要家と、必要に応じて行政・住民等と協議の上適切な対策をとることとし、需要家その他の関係者の行為に起因する場合には、必要に応じ当該関係者に注意喚起を行い、必要に応じて行政庁と協議することとする。

           また、鉄鋼スラグ製品に起因するか否かを問わず、各会員は、鉄鋼スラグ製品に対する信頼・評価が毀損されることがないよう適切かつ迅速な対応を図ることとする。これらの対応は鉄鋼会社各会員が主導し、販売会社と相互協力して行うこととする。本項の措置については記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定め保管しなければならない。





          8.マニュアルの整備と運用遵守状況の点検及び是正措置
           各会員は、本ガイドラインに定める事項を、自社の鉄鋼スラグ製品に関わる管理マニュアルとして整備しなければならない。
           各会員は、ガイドライン及びマニュアルの社内教育を定期的に実施し、自社のマニュアルの規定に従い運用しているかどうか、保管すべき記録を保管しているかどうか等マニュアルの運用遵守状況について、定期的に点検を行い、不適正な運用がなされている場合には是正措置を講じなければならない。なお、教育・点検及びその是正措置については記録に留め、少なくとも10年以上の保管期限を定め保管しなければならない。
           また、各会員は必要に応じて、販売会社や販売代理店に対しても、ガイドライン及びマニュアルの教育を実施し、鉄鋼スラグ製品の製造・販売に関わる遵守事項を周知徹底することとする。


          9.鐵鋼スラグ協会への報告
            各会員は、ガイドラインに基づく自社のマニュアルの整備状況を半期毎に鐵鋼スラグ
          協会に報告しなければならない。


          10.ガイドラインの定期的な点検・整備
           本ガイドラインは、少なくとも1回/年の点検を行い、必要に応じて改正を行う。

          <土木用材、地盤改良用材、路盤材等に使用する場合の留意事項>
          1.pH特性
          (1)留意点

          ◎【陸域での使用】
          ・鉄鋼スラグ製品に接した水が土壌を介さないで、外部に流出する恐れがある場合には、コンクリート再生路盤材やセメント安定処理土を使用する場合と同様、アルカリ吸着能の高い土壌で覆土したり、炭酸ガス等で中和処理した後に排水する等の対策を実施する必要があります。

          ◎【海域での利用】
          ・鉄鋼スラグ製品が海水に直接投入する場合、水酸化マグネシウムが析出することによって海水が白く濁る可能性があります。事前検討により、環境に支障を及ぼさないことを確認した上で使用して下さい。


          (2)技術情報
          ・鉄鋼スラグ製品は、含有する石灰の影響で、水と反応するとpHが10~12.5に上昇し、コンクリート再生路盤材、セメント安定処理土と同等のアルカリ性を示します。
          ・わが国の土壌は一般的に酸性土壌であるため、鉄鋼スラグ製品から溶出したアルカリ成分は、土壌に吸着中和されます。


          2.膨張特性
          (1)留意点
          ・エージング処理を行っていない製鋼スラグを用いた製品は、膨張する特性があり、構造物への影響が無いことを成績表等により確認した上で使用して下さい。
          ・エージング処理をした製鋼スラグ用いた路盤材は、エージング処理後の膨張特性について、JIS等で定められた試験方法による成績表等を確認した上で使用して下さい。


          (2)技術情報
          ・製鋼スラグは、遊離石灰を含有し、水と反応して膨張する性質があります。
          ・膨張安定化方法には、長時間屋外で自然の降雨等により養生させる「自然エージング」あるいは高温蒸気を利用する「蒸気エージング」があります。
          ・高炉徐冷スラグが富配合の水硬性粒度調製鉄鋼スラグに高炉水砕スラグを添加すると、水和物としてエトリンガイトが生成する場合があります。また、エトリンガイト生成量が多量になると路盤の膨張によって路面が隆起することがあります。

          3.粉じん特性
          (1)留意点
          ・鉄鋼スラグ製品の内、バルクタンクローリー車での輸送やサイロでの保管がなされない製品については、乾燥状態や風速により




          土壌環境・地盤環境の環境影響評価・環境保全措置・評価・事後調査の進め方
          1 総論
           土壌は地殻の最表層生成物であり、地表の岩石(母岩)等がその場の気候、生物、地形、人為と経過した時間(年代)の相互作用のなかで、一定の形態と機能を獲得した自然物である。岩石の風化物は土壌の母材であるが、母材に生物-気候要素が作用すると土壌ができる。森林などにおける土壌層位は、有機物層のA0層と土壌作用に応じてA、B、C層に区分され、母岩(基盤)はR層と表記される。ただし、一般に造成工事などの改変を受けた土地および大雨による土砂流出が起きた土地等ではこのような土壌層位は認められない。
          地盤は建設や防災等で対象とする人類の生活基盤・活動範囲として関係する地層部分を指し、各種構造物を支える土台としての地面および地下のある範囲をいう。地盤は、狭義には自然地盤の中の未固結地盤(土砂地盤、土質地盤)を指し、広義には自然地盤の固結地盤(岩石地盤、岩盤)や人工地盤を含めて呼称することがある。

           地質は、ある地域の土地を構成する岩石・地層の種類、重なり方の順序、空間的な配置のしかた、現在の状態にいたるまでの歴史などを包括的に示す語である。
           土壌、地盤、地質は、それぞれ明確に分けられるものではなく、図3-1-1に示すように、その扱いには共通する部分と区別すべき部分がある。
           土壌と地盤は、本来、多面的な機能(荷重支持機能、保水機能、通気機能、浄化機能、養分の貯蔵機能など)とそれに基づく様々な役割(生活・社会基盤施設を整備する場、多様な生物が生存する場、地下水を涵養する場、食料等を生産する場、廃棄物を受け入れる場など)を有しており、次世代に引き継がねばならない人類の貴重な財産である。

           本検討においては、「土壌環境」では、土壌層位が認められない人工改変地等も含めて対象とする。「地盤環境」では、人工地盤も含めて対象とする。なお、重要な地質は、別途「地形・地質」(「自然環境のアセスメント技術(III)」(環境省総合環境政策局、2001))で扱っている。
          図3-1-1 土壌、地盤、地質の関わり
          1-1 土壌環境の環境影響評価の進め方

          1)土壌環境の環境影響評価の基本的な考え方


          (1)土壌環境の特徴

           土壌は地殻の最表層生成物であるが、それは、物質循環、特に水循環やエネルギーフローに関与し、降水の流動や貯留、地下水の涵養、生態系の維持などに重要な役割を果たしている。

           土壌は、自然環境を保全する上でも重要な役割を持っている。物理的には生物の生息・生育基盤として必要な通気性や保水性を維持 し、 化学的には生物の生存に不可欠な有機物や有効成分を保持し、また、土中の土壌動物、バクテリア、菌類はその生物活動のなかで有機物の分解に深く関与している。土壌の持つこのような機能は、生物にかけがえのない生息・生育基盤を提供している。

           したがって、環境影響評価を進めるにあたっては、土壌が「環境」の基盤をなしていることや、その機能が多様でかつ相互に関与しつつ成り立っていることなどを考慮に入れておくことが重要である。

           実際の土壌環境の環境影響評価においては、物理的、化学的及び生物的な要素に係る機能として、「保水通水機能」「生態系の構成要素としての機能」「生産機能」「物質収容機能」などが代表的なものとして取り扱われることが多いので、留意が必要である。また、土壌にはレッドデータに類するような学術的・希少性の見知から評価すべきものがあり、これらの土壌の保全についても環境影響評価では考慮される必要がある。


          【留意事項】環境影響評価を行うにあたっての留意事項
           土壌の有する各機能は、従属するミクロ的要素である土性や三相分布、保水性、土壌の構成等の集合体としての結果である。このため、単一のミクロ的要素にのみ焦点をあてた環境影響評価を行うことは、全体あるいは各機能としての評価に結びつかない恐れがあることに留意が必要である。
           土壌汚染は、有害物質を含む原材料や溶剤などを保管した場所、使用した場所、廃棄物を処理した場所、及びばい煙等に含まれている汚染物質が降下した範囲など、汚染物質の移動経路に沿って発生する。したがって、これらの発生源や移動経路における汚染物質の環境中への負荷を回避・低減することにより、事業実施による新たな土壌汚染の発生を未然に防止することができる。
           その他、鉱脈や地層特性に起因する自然由来の土壌汚染や、温泉開発等の施工により周辺環境に新たな環境負荷を及ぼす場合があることに留意が必要である。

           土壌汚染が発生することによる周辺環境への影響は、人の健康への影響だけでなく、生活環境への影響、生態系への影響など多様である。また、土壌汚染対策を行なうことによる土壌環境の変化が、周辺環境の土壌機能などに影響を及ぼす可能性もある。したがって、周辺の土地利用や水系等の地域特性や事業特性を十分に踏まえた環境影響評価が必要である。
           環境影響評価の対象となる開発事業においては、切土、盛土、埋立などによる土地の改変行為や地下水環境の変化などにより土壌の持つ機能や構造が変化する。したがって、土壌環境の環境影響評価は、生産活動や自然由来による土壌汚染と地下水環境や多様な生態系の保全などに関係する土壌機能の側面から捉えることが必要である。



          図3-1-2 土壌環境と生態系の関わり
          A層:土壌の最上部で、有機物の集積によって生成され、腐植にとみ、植物が直接生活する土層である。
          B層:A、C層の中間で、C層よりも風化が進み、A層からの酸化物が集積する層である。
          C層:母岩の風化したもので、A、B層のベースとなる。土壌生成を受けていないため、土壌の母材とされる。
          R層:風化されていない岩石の組織を残した、固い部分の母岩層である。

          転載元: 移動式防犯カメラのブログ

          [転載]鉄鋼スラグ製品が基準を超えるふっ素及び六価クロムを含んでいた件

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          当社の鉄鋼スラグ製品が基準を超えるふっ素及び六価クロムを含んでいた件について

          2014年 8月 4日
          大同特殊鋼株式会社

          当社の鉄鋼スラグ製品が基準を超えるふっ素及び六価クロムを含んでいた件について

          当社の渋川工場から出荷し、群馬県内の工事に使用された鉄鋼スラグ、鉄鋼スラグを含む砕石及び直下の土壌から各々の溶出量及び含有量の基準を超えるふっ素及び六価クロムが検出された件につきまして、現在までの対応状況、内部調査の結果及び再発防止に向けた取り組みについてお知らせします。
          本件に関しましては、地域住民の皆様や関係各方面の方々に多大なるご迷惑をおかけしておりますことに衷心よりお詫び申し上げます。

          1. 経緯

          2013年6月、渋川工場が製品化した鉄鋼スラグを路盤材として使用した渋川市施設内市道の土地形質変更時の事前調査におきまして、基準を超えるふっ素及び六価クロムが検出されたことが群馬県・渋川市議会で報告され、2014年1月には「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に基づく群馬県の立入検査を受けました。以後、渋川市、独立行政法人水資源機構、国土交通省関東地方整備局、群馬県が既に完工した道路工事等を調査したところ、表1の結果が各ホームページに公表されました。 
          ( )内は最大の検出値、-未調査
          表1
            公表日 施工時期 調査対象 調査母数 ふっ素超過件数 六価クロム超過件数溶出量 含有量 溶出量 含有量基準値
          0.8mg/l 基準値
          4000mg/kg 基準値
          0.05mg/l 基準値
          250mg/kg渋川市水資源
          機構国土交通省
          関東地方
          整備局群馬県
          2014年
          6月30日
          1995年~
          2009年
          スラグ3832(13)35(24,000)3(0.23)0
          土壌3828(8.7)2(4,600) 4(0.13)0
          2014年
          3月27日
          2004年~
          2009年
          スラグ88(2.5)8(19,000)3(0.085)0
          土壌60000
          2014年
          3月28日
          2008年~
          2013年
          スラグ61(4.4)000
          土壌11(2.0)0--
          2014年
          5月9日
          2009年〜
          スラグ60000
          土壌-----
          基準値は スラグ:JIS A 5015 環境安全品質基準 土壌:土壌汚染対策法における指定基準
          <調査結果の詳細は下記ホームページをご参照下さい>
          ・国土交通省関東地方整備局:http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/kikaku_00000182.html

          2. 当社の対応

          (1)対策本部等の設置

          本件が渋川市議会で報告された2013年6月以降、翌7月から含クロム鋼スラグ製品、2014年1月から鉄鋼スラグ製品全量の製造販売を中止するとともに、東京本社内に社長直轄の対策本部を設置して、2014年1月までに販売された76万トンの鉄鋼スラグ製品の最終需要家及び使用場所の調査を開始いたしました。
          さらに2014年3月に問題解決の促進を図るべく対策促進本部を本社に設置し、①基準超過品が出荷された原因の解明、②販売された鉄鋼スラグ製品の需要家・使用場所の調査及び必要な対応、③行政に対する報告、④社内内部統制・ガバナンスの調査・改善を進めております。また販売業者との不適切な取引と新聞に報道された事実についても調査いたしました。

          (2)出荷済み製品への対応

          渋川工場で2014年までに出荷した鉄鋼スラグ製品76万トンのうち、自治体、行政等の工事に路盤材として使用された工事箇所につきましては、現在関係者と協力しながら真摯に対応しているところです。
          具体的には、独立行政法人水資源機構の群馬用水管理用道路につきましては関係者の強い要望を受け、緊急性も高いと判断し、現在進行している対策(路盤材の撤去および復旧など)について同機構と協議し相応の負担を行うこととしました。その他の工事箇所につきましては、生活環境上の支障を除去する措置が必要な場合は、現場の状況を考慮し、県のご指導を受けながら、販売先や使用先と適切な対応を協議したうえで、誠意をもって協力させていただく考えです。

          3. 基準超過品が出荷された背景と原因

          (1)検査管理体制の整備状況

          渋川工場における鉄鋼スラグ製品の品質管理は、次の体制にて行っておりました。
          ・2009年6月以前
          この時期の品質管理は粒度や膨張率などの物性値を中心に行っており、ふっ素、六価クロム等の重金属については出荷管理基準を定めていませんでした。
          ・2009年7月以降
          渋川工場のマニュアル整備にあたり、重金属 5項目(ふっ素、六価クロム含む)について土壌環境基準相当の出荷管理基準を制定し、年1回の計量証明事業者による検査(含有量・溶出量)を実施導入しました。2009年7月からは天然砕石と混合して鉄鋼スラグを製品化しており、ふっ素についてはロット毎にエージング処理した段階でふっ素含有量を測定、基準以内に収まる混合率を決定し、その作成した模擬サンプルで含有量を測定したうえで、混合作業を委託もしくは自ら実施して出荷していました。

          (2)基準超過品の出荷を防げなかった理由

          今回の基準超過問題の原因は、渋川工場の鉄鋼スラグ製品の品質管理体制、具体的には検査の方法と頻度、管理基準の設定などにおいて基準超過品を確実に把握し、出荷を防止するための品質管理が不十分であったためと結論づけました。結果として、鐵鋼スラグ協会ガイドラインに定める会員会社としての責務を果たせておりませんでした。
          県、市などの調査結果において、基準超過は、2009年6月以前の出荷品に集中しています。すなわち、表1記載の渋川市等による調査母数(スラグ)合計58件のうち、2009年7月以降の出荷品での基準超過は1件です。
          渋川工場のマニュアル整備により、出荷管理基準を制定する前の2009年6月以前は、環水土第44号通知(平成13年3月28日) (*)に路盤材として利用された再利用物は土壌環境基準の範囲外であるとの記載があり、重金属に関する品質管理は不要と誤って判断してしまい、重金属についての出荷管理基準が無い状態で運用していたため、土壌環境基準を超過するスラグが出荷されました。
          天然砕石と混合して製品化した2009年7月以降は、ふっ素を出荷管理基準に入れ、上述の通り模擬サンプルで含有量を測定したうえで出荷していましたが、溶出試験は年1回の計量証明事業者による定期検査のみであり、多様な鋼種を溶解する渋川工場において1件の溶出量基準値超過が発生したものと考えます。なお、2009年7月以降には六価クロムの基準値超過は発生しておりません。
          (*)環水土第44号
          第2 土壌環境基準の項目追加等の内容 (3)再利用物の取扱い ②再利用物への適用
          (Ⅱ)道路用等の路盤材や土木用地盤改良材として利用される場合には、再利用物自体は周辺の土壌と区別できることから、これらには適用しない。

          (3)業務提携先との取引内容について

          2009年7月から2012年6月まで、天然砕石との混合、需要家への製品説明、工事場所の事前調査、工事完了後のトレース等を委託する業務提携先に対して、鉄鋼スラグ代金の月総額を上回る販売管理費を支払っていました。この支払は、当社に代わって生産・販売業務を行ってもらう対価の趣旨でした。なお、2012年7月以降は、当社で生産・出荷するスキームに切り替えております。

          4. 再発防止に向けた取り組み

          (1) 渋川工場における鉄鋼スラグ路盤材の生産停止

          渋川工場における鉄鋼スラグ路盤材の生産及び出荷は、2014年1月から停止しており、製品の環境安全品質を完全に確保できるまで停止を継続します。
          鉄鋼スラグの資源化は、廃棄物の発生抑制、ならびに資源の有効活用という社会の要請に応える重要な事業活動ですので、社会的責任を果たせるよう、生活環境に影響を与えないため、また安心安全を確保するための品質管理を徹底してまいります。

          (2)鉄鋼スラグ製品 品質安全総点検の実施

          2014年3月から6月までの4ヶ月間をかけて、鉄鋼スラグ製品の取り扱いについて、社内外の基準やガイドラインに即した事業活動が行われているか否かを、渋川工場以外の拠点を対策促進本部が調査・確認しました。現時点で、改善すべき異常は見つかっておりません。今後も定期的に調査・確認を行ってまいります。

          5. 反省と処分

          今回、渋川工場が生産した鉄鋼スラグ製品の問題につきまして、今回の事実を厳粛に受け止め、役員全員に平成25年度決算における役員賞与を支給しないことといたしました。
          また県当局の当問題に対する判断が出た時点で、経営責任について判断いたします。

          6. 今後の対応

          今回の経験を経営の大きな反省材料とし、上記の再発防止はもちろん、地域社会の信頼回復に向けた取組みを徹底してまいります。なお、出荷済み鉄鋼スラグ製品の使用状況の調査につきましては今後も継続して真摯に対応する事をお約束申し上げます。
          以 上

          お問い合わせ

          大同特殊鋼株式会社 総務部広報室

          転載元: 企業の社会的責任のため、市民は社会的責任をはたさなくては

          [転載]尖閣諸島が中国領ではない5つの理由

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          転載]尖閣諸島が中国領ではない5つの理由


          『尖閣諸島が中国領でない5つの理由』

          1. 国際法は、1971年まで日本の尖閣諸島の領有に一度も抗議を行わなかった中国の権原を認めない。

          2. 尖閣諸島を発見したのは中国人ではなく琉球人である。

          3. 中国が尖閣諸島を実効支配した歴史的事実は存在しない。

          4. 林子平の『琉球三省並三十六島之図』(1786)は、当時の日本が尖閣諸島を中国領と認めた根拠にはならない。

          5. 尖閣諸島がかつて中国領であった歴史的事実が存在しない以上、カイロ宣言は尖閣諸島と無関係である。

          結論:中国による尖閣諸島の領有権の主張は、中国の帝国主義以外の何ものでもない。



          転載元: 松尾竹文が全世界の皆さんに呼びかけ・ハンドルネームで拡散します。

          転載元: 環境は正義感のブログ

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