Quantcast
Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
Viewing all 1050 articles
Browse latest View live

[転載]江戸時代の建築など新たに古民家2軒改装 「洲本レトロこみち」入居者募集 兵庫

$
0
0

江戸時代の建築など新たに古民家2軒改装 「洲本レトロこみち」入居者募集 兵庫

産経新聞 8月22日(土)7時55分配信
 洲本市中心部の古い街並みを活用し、地域活性化を目指す「城下町洲本再生委員会」が、「洲本レトロこみち」(同市本町)にある江戸時代に建設されたという建物など2軒を改装することを決め、新たな入居者を募集している。

 同委員会は昔懐かしいまちの魅力を再発見し、地域活性化につなげようと、平成24年から年2回「城下町洲本レトロなまち歩き」を開催。飲食や雑貨など多くの出店者が集い、観光客でにぎわうイベントとなった。

 同委員会に協力する店舗は当初、映画館「洲本オリオン」と美容室など3店だったが、24年12月には「こみち食堂」がオープン。その後、県や市が助成する古民家再生事業も活用しながら店舗数は増加。現在は17店舗となった。建物の解体工事前日に、同委員会の野口純子会長(72)が偶然出会った持ち主を説得して解体を免れるなど、古民家の保存と協力店舗の拡大を進めてきた。

 今回は県の助成を受けて2軒の改修工事を行い、入居者を募集している。1軒は江戸時代の建築とされる木造一部2階建ての元マージャン店。敷地面積約55平方メートルで、瀬戸内寂聴さん原作の映画「夏の終り」のロケでも使われた。もう1軒は木造2階建ての店舗兼住宅。敷地は駐車場も含め約90平方メートルで、約25年前までは鮮魚店だったという。家賃4~5万5千円で、工事前なら自己資金による内装の変更も可能という。

 野口会長は「新築にはない、古民家の魅力を知ってほしい。いい人に入ってもらえれば」と話す。

 問い合わせは委員会事務局の土屋久美子さん(電)080・6753・4669。
最終更新:8月22日(土)7時55分
産経新聞

転載元: nk8**6eのブログ


[転載]初めて洲本

$
0
0




2914.10.16(木)
泉大津から真っすぐ帰る予定であったが、
淡路島の良さを知り、洲本に向かうことにし、今朝行動開始。
天気も良く13時10分に洲本港大桟橋陸に向かって左側に着ける。
先ずはトイレを確認して、すぐ観光案内所へ。バスセンターにある。
地図をもらい、風呂、コインランドリー、大型スーパーなどを確認。

洲本は予想していたより遥かに大きな町であった。
イオンとマイカルという巨大と言って良いスーパが2つある。
色々な店も多く、人も多い。
洲本に代表的な神社は厳島神社。参拝。コンクリで出来ている。
大きな神社はもう一つ洲本八幡神社が有るだけらしい、意外であった。
2時間ほどかけて町を一巡りして艇に戻る。

風呂に行きたかったので遠いが出掛ける。
15分位の所に東光湯というのがあるが、木曜で休み。
地元の人はきれいな湯だと言っていた。
洲本は店も木曜休みが多い。
20分はかかるさらに先にある銭湯まで行く。420円。
地方の銭湯に入るのはその地の生がみられて実に楽しい。
さっぱりしたところで、帰りは6時過ぎる。もう暗い。
驚いたのは洲本は実に飲食店が多い。
観光客用では無い、地元の人用の大衆用から高級らしき店まで、数多くある。
洲本の人が飲み食いが好きなのだろう。

夕食はヨットマンに知られた店との評判の「梅本食堂」
桟橋から5分かからないくらい。
入ってみると地元のなじみ客らしいのでいっぱい。
ビールは大瓶で冷蔵ケースから自分で出して、栓を抜き、自分のテーブルまで持ってくる。

飲み食いした後、マルナカで食材を仕入れ艇に戻り直ぐ寝る。

泉大津→洲本港 26.1マイル
慌ただしく、出港準備。
隣の艇の台風用対岸ロープを引き上げ、艇にまとめる。
これで対岸ロープは終わりかと思っていたら後、2艇あると解り、続いて引き上げる。
あと、きのうやり残した作業、タオル類の洗濯とガスコンロ清掃などなど、
している内に、4時過ぎに起きたのに、時間が経ってしまった。
泉大津マリーナ内でメインを揚げ、赤燈台を交わしたんのが、8時10分。
天気はほぼ晴れ、今の季節は海の上が実に気持ち良いですね。
このコースは南からも北からも本船が非常に多い。
大阪湾を斜めに横断するので、本船との行き会いの間が解り難い。
2度ほど、本船を避け、方向を転換した。
泉大津に近づくと次第に海面が静かになる。
大きな湾の様になっているためか。
港のズット沖から銀色の丸い建築物が良く見える。
後で解ったが、これが目的桟橋に掛る屋根であった。

洲本に0.5マイル位になってから急に浮遊物が増えだす。
さらに、一面浮遊物だらけになる。大きな材木や葉や枝を付けた木々が海を覆っている。
BW33はペラが深くにあるのとスケグが大きい為か流れ藻が引っ掛かり難い。
しかし、ついにガリガリとペラに何かが絡む。なんとかエンジン停止までは行かなかった。
浮遊物が無い所は無いので、材木や木が無さそうな所を選んで、赤燈台を目指す。
設定航路は灯台前の一文字に引っ掛からずに灯台に到着する。
赤燈台を右に見て港内に入り、左がわにある白燈台の防波堤に沿ってさらに奥へ。
右手にRの付いた銀色の屋根の下に大桟橋。
聞いていた左側に船を着ける。
いままで、いろいろ立派んな桟橋に着けさせてもらったが、
洲本のこの桟橋が最も立派で大きい。
ビットが太く丸いステンレスでできている。
舫いを完了して13時30分
桟橋の前には大きな建物があるが、桟橋近辺は人気が無い。

桟橋に無断係留禁止の看板があり、電話。
向こうに出かけて手続きするのでは無く、来てくれる。

本来の手続きは全てFAXのやり取りで行う。
金銭のやり取りも、管理事務所から送られて来る請求書に基づき、振り込み。
この形式しか取らないそうだ。

桟橋でヨットを着けられるのは陸に向かって左側と一番前面のみ。
右側は着けてはいけないそうだ。港湾管理事務所以外が管理しているようだ。


写真:
・今までで一番立派で巨大な桟橋をECHO POINT独り占め。
・遠くの銭湯
・ヨットマンに有名な白梅食堂
・桟橋に設置してある注意書き

転載元: DONのヨット暮らし

[転載]洲本温泉 足湯

$
0
0
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-0f-e8/senshouji2005/folder/1483952/87/45819187/img_0?20071020124945

今回は、おてらから歩いて行ける 洲本の足湯 を紹介いたします。
三熊山のふもと、洲本城の堀跡、洲本温泉の泉源の一つにある足湯、潮騒の湯です。
洲本温泉でごゆっくりできない方、
法事・お墓まいりのおかえりにはぜひどうぞ。
季節問わず いちねん中、ほっとする の~んびりスポットです。
ご紹介おくれてすみません。

【洲本温泉潮騒の湯・足湯】 tel.0799-22-3158 洲本温泉観光旅館連盟
寺町からは徒歩12分くらい。お散歩コースです。
大浜海水浴場の近く、文化資料館近く、洲本警察署の前。洲本八幡神社となり。無料駐車場もあり。
屋根つき。湯船は、淡路島の形。入浴は、無料。ただし足のみ、靴とくつ下を脱いでどうぞ。
弱アルカリ性単純温泉。効能は神経痛や関節痛、冷え性などに。
近くの人もあったまっていきます。なお、飲用は不可です。
地元に伝わる「しばえもん狸」のお話の中の、洲本八狸の一、
柴助(しばえもんの息子)像もここにあります(写真右側の、後ろ向き二頭身)。
大浜の近くですので、夏には泳いだ後にも。
警察署の前ですので、なんとなく安心な足湯です。

転載元: すもと てらまち 専称寺 【 ブログ せんしょうじ 】

[転載]ISO26000の唄・・・2013年の贈り物

$
0
0
 
事実の無視と捏造、とことん偏向する、そんな放送局と闘う国民に歌を作ってくれた方がおられます。
国際規格「ISO26000」は企業にコンプライアンス(法規の順守など社会的責任)を科する規定です。
 
ISO26000の唄・・・2013年の贈り物
 
ピンとこない方は、まずこの導入記事(Sara様のブログから)を見てください。
『反日既存メディアへお問い合わせしましょう!』: http://blogs.yahoo.co.jp/wood72046/34645510.html
ただし、これまでの抗議や苦情を全部、この方法に置き換える訳ではありません。
従来方法は今のまま継続するのが良いですね。
 
ISO26000は現在国内に定着中で、国会の批准も終わっていますが、対象の企業がこの基準を導入していないと意味が薄いです。
まず、企業のホームページに行って「企業情報」、その中から「企業理念」に行って調べてください。サイト内検索が可能なホームページもあります。
概して言えば、大企業や欧米への輸出中心の企業は、この国際基準を導入していることが多いです。
 

転載元: くにしおもほゆ

[転載]新居浜市の環境(公害)事例と対策 住友金属鉱山 住友磯浦工場 住友大江製造所 住友菊本製造所 惣開小学校

$
0
0
新居浜市の環境イメージ


主な公害事例と対策


イメージ


イメージ

新居浜市の環境 住友金属鉱山 住友磯浦工場 住友大江製造所 住友菊本製造所 

イメージ

大生院村(おおじょういんむら)は愛媛県東予地方新居郡にあったである。1955年(昭和30年)に、泉川町中萩町船木村とともに新居浜市に編入合併され、自治体としては消滅した。その翌年、一部地域は西条市に区域変更した。現在の新居浜市の西端の山すそから平地にかけての一帯。


磯浦工場
所在地
〒792-0002 愛媛県新居浜市磯浦町17-3

周辺地図


  フッ素2ppmを含む培養液を用いた水耕栽培でイネの生育は抑制され, 根から吸収されたフッ素はイネの体内に蓄積された.フッ素の土壌による吸収力は特異的に大きいことが知られている.そこで土耕栽培によるイネの生育に及ぼすかんがい水中フッ素の影響を検討した.水稲品種コシヒカリの土耕栽培ではフッ素濃度が0, 5, 10, 20, 30, 50および100ppmの7水準のかんがい水を用いた.その結果, 土耕栽培においてフッ素5〜30ppmのかんがい水はイネの出葉, 草丈および分げつ数にほとんど影響を及ぼさなかったが, フッ素50および100ppmのかんがい水は分げつ数を抑制することが明らかとなった.
  フッ素100ppmの上位第2および3葉の光合成速度は低下したが, 葉身中のクロロフィル含量に影響はみられなかった.1株当り穂数および1株当り籾数はフッ素50ppmで低下の傾向を示し, フッ素100ppmで有意に減少した.籾および葉鞘(稈を含む)の乾物重はフッ素50および100ppmで有意に低下することがわかった.
 水質汚濁防止法による公共用水域に排出されるフッ素の許容濃度は15mg L^-1であるが, 5〜10ppmのフッ素を含む培養液による水耕栽培でイネの生育は著しく抑制された.そこで水耕栽培で許容濃度内である低濃度域のフッ素がイネの生育に及ぼす影響を検討し, イネの経根的吸収によるフッ素の蓄積を明らかにしようとした.

 フッ素濃度が0, 2, 4および6ppmの4水準の水耕液でコシヒカリを栽培し, イネの生育に及ぼすフッ素の影響を検討した.その結果, フッ素はイネの草丈および分げつ数を抑制した.とくに分げつ数はフッ素の濃度による影響の差異が明確に認められ, フッ素濃度が高いほど分げつ数が低下することを明らかにした.
 1株当り穂数および1株当り籾数もフッ素濃度が高いほど減少した.また, 籾, 葉身, 葉鞘(稈を含む)および根に及ぼす影響は出穂期以降が顕著で, フッ素濃度が高いほど乾物重は減少した.葉身中のフッ素含量(ppm, w/w)は培養液中のフッ素濃度が高くなるほど, また生育期間が長くなるほど増大し, 経根的に吸収されたフッ素は玄米, 葉身, 葉鞘(稈を含む)および根に蓄積されることがわかった.






イメージ
惣開小学校


新居浜市立惣開小学校(にいはましりつそうびらきしょうがっこう)は、愛媛県新居浜市王子町一丁目にある公立小学校
1895年明治28年)宇摩郡別子尋常高等小学校分教場として設立 1898年(明治31年)住友惣開尋常高等小学校として独立 1941年昭和16年)市立の学校となり、新居浜市立惣開国民学校と改称 1947年(昭和22年)新居浜市立惣開小学校となる 1979年(昭和54年)3月 床下に住友金属鉱山のスラグによるカドミウムが含まれる結晶物が隆起した[1]

惣開小学校の歴史(抜粋)

 年月日  主な動き  児童数
明治28(1895)年6月20日 旧接待館敷地 宇摩郡別子尋常高等小学校分教場(尋常科4年制)
75
明治31(1898)年11月27日 住友市立惣開尋常高等小学校として独立 敷地拡張
134
 
明治32(1899)年  高等科併置 
204
 
明治35(1902)年  校舎を磯浦海岸に移転  
289
 
昭和8(1933)年10月10日  住友重機械工場設立のため王子町1の3の現在地へ移転 
400
 
昭和16(1941)年3月  住友私立より新居浜市立惣開国民学校と校名改称 
451
 
昭和22(1947)年3月  国民学校令廃止 市立惣開小学校と校名改称 
1,602
 
昭和52(1977)年       
1,792
 
昭和53(1978)年


昭和54年3月6日 
若宮小学校に児童を分離 

床下に結晶物が隆起、結晶中にはカドミウムが含まれており、住友金属鉱山が埋立てたスラグが原因。
結晶の処理は住友金属鉱山が行うことで合意 鉱滓投棄現場からの汚水対策としてPH処理槽を設置 
1,292
 
昭和55(1980)年  鉄筋コンクリート3階建新校舎2棟、体育館等落成 
602
 
昭和60(1985)年10月  創立90周年記念行事
王子が丘トリム、影法師日時計等設置
タイムカプセル埋設 
662
 
平成7(1995)年12月  創立100周年記念式典 
431


 カドミウム中毒(カドミウムちゅうどく)は、カドミウムによる中毒。カドミウムは人体の構成に不可欠な物質ではない。カドミウムとその化合物は低濃度でも極めて強い毒性を示し、生物の体内や生態系生物濃縮を引き起こす。
 カドミウムは産業現場でよく用いられる極めて毒性の強い金属である。カドミウムの曝露許容量は低く、微量のカドミウムしか存在しない場所でも過剰曝露が発生することがある。
 カドミウムは電気めっきにおいて広く用いられるが、電気めっき工程それ自体が過剰曝露を引き起こすわけではない。カドミウムは一部の工業用塗料にも含まれ、塗料の噴射により危険を生じることがある。
 カドミウム含有塗料を、きさげ作業(スクレーピング)やブラスト処理によって除去すると、深刻な危険を伴う可能性がある。また電池の種類によっては製造時にカドミウムが用いられるものがある。カドミウム曝露への対処は、工業全般、造船、建設、農業の各分野ごとに所定の基準に従って行う[1]




新居浜市の環境 住友金属鉱山 住友磯浦工場 住友大江製造所 住友菊本製造所 
イメージ

新居浜市の環境 住友金属鉱山 住友磯浦工場 住友大江製造所 住友菊本製造所 

転載元: 瀬戸内海の底質を護るのブログ

[転載]日向製錬所後背地における土壌汚染対策法の文書は、届出等がなされていない。

$
0
0
日向の空に舞う鳥よ いつまでも、いついつまでも、日向の海と山を優しく見守っておくれ

イメージ




イメージ



イメージ

日向製錬所後背地における土壌汚染対策法の文書は、届出等がなされていない。

イメージ

土壌汚染対策法 一定の規模以上の土地の形質変更の届出について

 土壌汚染対策法の規定により、3,000㎡以上の土地の形質変更を行う場合は事前に届出が義務付けられております。詳しくはこちらを御覧ください。

〇届出が必要となる土地の形質変更(土壌汚染対策法第4条第1項)
切り土(掘削)や盛り土など、土地の形状を変更させる行為の合計面積が
3,000㎡以上である工事等※において届出が必要となります。
※異なる敷地で行う工事であっても、同一の事業の計画や目的の下で行われるものは全体を一つの
行為とみます。
ただし、次の①~⑥に該当する行為については届出の必要はありません。
①イ~ハのいずれにも該当しない行為
イ.土壌を形質変更する区域外へ搬出する行為
ロ.土壌の飛散又は流出を伴う行為
ハ.掘削の深さが50cm以上である形質変更
②農業を営むための通常行われる行為であって、土壌を形質変更する区域外
へ搬出しないもの
③林業の用に供する作業路網の整備であって、土壌を形質変更する区域外へ
搬出しないもの
④鉱山関係の土地で行われる形質変更
⑤非常災害のために必要な応急措置
⑥掘削が無い、盛り土のみの形質変更
〇届出を行う者
土地の形質変更をしようとする者
一般的には、工事計画を決定する者や土地を借りて開発行為等を行う者が該
当します。
(具体例)開発業者、工事発注者など
〇届出の際に必要な書類
以下の書類を3部(保健所、環境管理課、届出者控え用)作成し、提出してく
ださい。
様式や記載例については、県ホームページよりダウンロードできます。
・一定の規模以上の土地の形質の変更届出書
・土地の形質変更の対象となる土地の所在地の地図
3千~1万5千分の1程度の縮尺地図
3千~1万5千分の1程度の縮尺地図
・土地の形質変更をしようとする場所を明らかにした図面
切り土(掘削)部分、盛り土部分が区別して表示され、それぞれに係る地番、面積及び
面積算定根拠が表示された図面(工事図面の写しでも可)
・土地の所有者等であることを証明する書類
(具体例)登記事項証明書及び公図の写し
官公署が発行する証明書等は、届出日前3ヶ月以内のもの
・土地の所有者等の土地の形質変更の実施についての同意書
届出者と土地の所有者等が異なる場合
・土地利用履歴書
土壌汚染のおそれを判断するための資料となるので、分かる範囲で記入
・工事工程表
工事のおおまかな流れが分かるもの
〇届出期限
土地の形質変更に着手する30日前まで※
※「着手する日」とは、土地の形質変更そのものに着手する日を指し、契約事務や設計等の準備行為
を含みません。また、届出期限については罰則規定があります。
〇届出先
土地の形質変更の対象となる土地の所在地を管轄する保健所
※宮崎市内については宮崎市環境保全課
〇届出後の県の対応(土壌汚染対策法第4条第2項関係)
届け出られた土地のうち、切り土(掘削)部分の土地が以下に示す汚染のおそ
れの判断基準に該当する場合、土地所有者等に対し土壌汚染状況調査を命ずるこ
とがあります。
①特定有害物質による汚染状態が法の基準に適合しないことが明らかである土

②特定有害物質又は特定有害物質を含む固体若しくは液体が埋められ、飛散、
流出又は地下に浸透した土地
③特定有害物質を製造、使用又は処理する工場等がある(あった)土地
④特定有害物質又は特定有害物質を含む固体若しくは液体を貯蔵又は保管して
いた工場等がある(あった)土地
⑤②から④と同等程度に特定有害物質による汚染状態が基準に適合しないおそ
れがある土地
お問合せ先電話番号管轄市町村
環境管理課0985-26-7085
中央保健所0985-28-2111 国富町、綾町
日南保健所0987-23-3141 日南市、串間市
都城保健所0986-23-4504 都城市、三股町
小林保健所0984-23-3118 小林市、えびの市、高原町
高鍋保健所0983-22-1330 西都市、高鍋町、新富町、西米良村、木城町、川南町、都農町
日向保健所0982-52-5101 日向市、門川町、美郷町、諸塚村、椎葉村
延岡保健所0982-33-5373 延岡市
高千穂保健所0982-72-2168 高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町
〇お問合せ
事前の届出が義務付けられておりますので、工事等の予定を考慮し、余裕を
持って県環境管理課及び管轄保健所までお問い合わせください。
宮崎市内で土地の形質変更を行う場合は、
宮崎市環境保全課


 【様式・記入例】

【お問い合わせ先】
宮崎県環境森林部環境管理課水保全対策担当
電話:0985-26-7085






土壌汚染対策法Q&A

<よくある質問>
法第4条関係(土壌汚染のおそれがある土地の形質の変更が行われる場合の調査(一定
規模以上の土地の形質の変更関係))

Q1 届出要件はどうなっているか?
A1 盛り土及び掘削工事の合計面積が3,000 ㎡以上となる工事。
(ただし、盛り土のみの場合を除く)
※ 掘削面積は、掘削深度に関係なく、実際に掘削が行われる土地の垂直投影面積を指します。
※ 原則として、仮置きの土壌であっても盛り土として面積要件に含めます。
※ 同一の手続において届出されるべき土地の形質の変更については、土地の
  形質の変更が行われる部分が同一の敷地に存在することを必ずしも要せず、
  土壌汚染状況調査の機会をできる限り広く捉えようとする法の趣旨を踏ま
  えれば、同一の事業の計画や目的の下で行われるものであるか否か、個別
  の行為の時間的近接性、実施主体等を総合的に判断し、当該個別の土地の
  形質の変更部分の面積を合計して3,000 ㎡以上となる場合には、まとめて
  一の土地の形質の変更の行為とみて、当該届出の対象とすることが望ましい。

<例外行為>
①次のいずれにも該当しない行為
 イ 土壌を当該土地の形質の変更の対象となる土地の区域外へ搬出すること。
 ロ 土壌の飛散又は流出を伴う土地の形質の変更を行うこと。
 ハ 土地の形質の変更に係る部分の深さが50cm 以上であること。
   → 最深部が50cm 以上あれば、その他の掘削深度が50cm 未満でも届出が必要
     です。掘削の最深部が50cm 未満でも飛散又は流出又は区域外へ搬出があれ
     ば届出の対象です。また、最深部が50cm 未満であっても、土壌の区域外へ
      搬出、飛散又は流出を伴う土地の形質の変更は届出の対象です。

②農業者によって日常的に反復継続して行われる軽易な行為(耕起、収穫等)
 → 土地改良事業のように通常の土木工事と同視することができるものは、届出
   の対象となります。

③林業の作業路網(木材を道路まで運搬するまでの通路)の整備
 → 作業路網は林道ではないので注意。(林道は届出の対象です。)

④鉱山関係の土地(鉱山保安法に規定する鉱山)において行われる形質変更
 → 採石場が該当

⑤非常災害のために必要な応急措置として行う行為
 → 道路災害で応急的に行われるものが該当。災害復旧工事において、応急
   工事完了後に行われる本復旧工事は応急措置とはみなされないので注意。

<その他、届出が不要となるケース>
① 盛り土のみの場合。(調査命令を発出する範囲は掘削範囲が対象であり、盛り土
  のみの場合、届け出られても調査命令がかけられないため)

② 海や川などの水面下の土(底質)を掘削する場合。

③ 開口部を除くトンネル工事部分(トンネルの「開口部」の垂直投影面積の合計
  が3,000 ㎡以上の場合は届出が必要。)

④ H22.4.30 以前に工事が着工されている場合(附則第3条)。ただし、連続的に工
  事が行われている同一工事に限る。(第1期工事、第2期工事のように、工事と
  工事の間が数日あり連続して行われない場合は、H22.4.30 以前に工事が着工さ
  れている工事以外の工事については届出が必要)(Q10 参照)

<届出対象となる例>以下に届出の対象となる例を示します。
(例1) 発注、契約は改正法施行前(~H22.3 末)に完了。今年度分の施工面積
     は2,000 ㎡。次年度以降の施工面積は2,000 ㎡。(合計4,000 ㎡)
      → 契約日は届出要件と何の関係もありません。

(例2) 3,230 ㎡の形質変更のほとんどが盛り土であり、わずかな面積で掘削工事
     が行われる。掘削深度は概ね30cm だが、最深部は60cm。土壌の飛散や
     流出、搬出はない。
     → 最深部が50cm 以上あれば、届出が必要です。

(例3) 同一工事計画・目的の工事であるが、飛び地であり、工事が複数年に及ぶ場合。
  → 届出要件は同一の敷地に存在することを必ずしも要しません。また、
    工事が複数年に及ぶ場合でも、3,000 ㎡以上であれば個別の行為の時間的
    近接性、実施主体等を総合的に判断します。

(例4) 河川堤防工事、砂防ダム工事、道路工事、区画整備事業、宅地造成、建
    築物の建て替え工事等通常の土木工事と同視することができるもの。

Q2 届出書(添付書類)は2部提出されるが、うち1部は写しでよいか?
A2 良い。原本と相違ないことの自己証明まで入っているとなお良いです。

Q3 現時点で工事着工未定であるが届出してもよいか?
A3 良い。ただし、法的要件である「土地所有者(全員分)の形質変更の同意書」
   及び「掘削位置の図面(形質変更しようとする場所を明らかにした図面)」
   の添付は必要です。

Q4 届出書の「土地の所在地」は、全地番を記入する必要があるか?
A4 原則として全地番ですが、「○○番地 他○筆」のような記載でも構いません。

Q5 着工予定の30日前までに届出が間に合わないので期間短縮できないか?
A5 できない。着工予定の30日前までに必ず届出してください。違反した場合、
  「三月以下の懲役又は三十万円以下の罰金」とされています。なお、着工と
  は実際に土壌を掘削、盛り土することを指します。

Q6 届出者は誰が行うこととなっているのか?
A6 「土地の形質の変更を行おうとする者」です。(H22.3.5 の局長通知に解釈が
   記載されています。この中では、「計画の内容を決定する者」とされ、「開発
   者>土地所有者」、「発注者>受注者」とされています。未届出等により処罰
   を受ける場合がありますのでご注意ください。)

 調査命令が土地の所有者にかけられるので、土地の所有者が届出を行うべ
きとも考えられますが、開発者(発注者)が個人である場合、個人からの届
出は法の周知も難しく現実的ではないので、本県では「施工業者(受注者)」
に届出(または届出の必要性の連絡)を行ってもらうようお願いしています。
(ただし未届出による罰則適用は法解釈通りです)なお、公共工事において
は、委託先への分割発注もあることから、自治体が届出者となります。本県
の場合、誰から届出されても受け付けます。ただし、調査命令がかけられる
のは土地の所有者等になりますのでご注意ください。

Q7 土地所有者の同意書は全員分必要か?
A7 全員分必要。土地所有者が死亡・不明等で同意書の提出が困難であっても、
  全員分の同意書が必要です。共有地等で一つの土地に多数の土地所有者がい
  るときも同様です。

Q8 形質変更の場所は、盛土と切土を分けて表示する必要があるか?
A8 盛土と切土は、必ず分けて表示する必要があります。これは、調査命令が切
   土範囲に対して発せられるためです。工事図面に加筆したもので構いません。

Q9 土地の利用履歴の記載はどのようにするのか?
A9 特定有害物質の使用、保管、飛散等の観点から記載をお願いしているもので
   すが、当該土地が以前「山林」であった場合は、「○○年まで山林」といっ
    た一言の記載で構いません。また、一筆ごとに土地利用履歴を分けて記載す
    る必要はありません。なお、施設があった場合は、少なくとも何の施設かく
    らいの記載をお願いします。

Q10 農林、土木等における公共事業は全て対象になるか?
A10 土壌汚染対策法第4条により、「盛土と掘削土」の合計面積が3,000㎡
    以上となる全ての形質変更(例外行為(非常災害のために必要な応急措置と
     して行なう行為等)は除く)が対象となります。
   また、年度毎の合計面積が3,000㎡未満であっても、一連の事業計画
   区間の合計面積が3,000㎡以上となる場合は対象となります。一連の事
   業計画かどうかは、客観的に一連とみなされるもの(個別の行為の時間的近
   接性、実施主体等を総合的に判断)を指します。

Q11 現在施工中の工事の取扱いは、どの様にしたら良いですか?
A11 法改正前から連続的に施工されている場合は届出不要です。「連続的に」と
   あるので、第一期工事、第二期工事のように工期が分かれている場合は施工
   中の期までが届出不要となり、それ以降の期の工事は届出の対象となります。

Q12 届出をすると必ず調査命令がなされるのか?
A12 特定有害物質の使用、保管、飛散等の観点から汚染のおそれがあると判断し
   た場合にのみ調査命令をかけます。
   なお、調査命令は掘削範囲にしか及びません。

Q13 土壌調査の結果、汚染が見つかった場合どうするのか?
A13 区域の指定(要措置区域または形質変更時要届出区域)が行われます。

Q14 調査命令を受けた場合、土壌汚染状況調査は誰がどの様にして行うのか?
A14 調査命令は、「土壌汚染のおそれのある土地や、土壌汚染により健康被害が
   生じるおそれがあると県(政令市)が認める時など:法第3条~第5条」に
   土地の所有者等に出されるものであり、環境大臣が指定した「指定調査機関」
   に依頼して調査することとされています。
※【指定調査機関リスト】
「環境省HP」→「水・土壌・地盤環境の保全」→「土壌関係」→「市街
地土壌汚染対策」の中の「土壌汚染対策法に基づく指定調査機関」に掲載が
あります。

Q15 トンネル工事等で発生する掘削ずりの扱いはどの様にすべきか?
A15 道路工事に盛り土として利用しても構いません。ただし、盛り土として利用
する場合は、形質変更の事前届出の面積要件の対象となりますので、切土面
積と合わせて3,000 ㎡以上になる場合は、届出が必要です。なお、公共工事
で自然由来重金属による指定基準超過のおそれがある土壌を掘削する場合、
「建設工事における自然由来重金属等含有岩石・土壌への対応マニュアル(暫
定版)」を参考にしてください。
掲載URL:
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/recycle/recyclehou/manual/index.htm

法第14条関係((自主調査結果による)指定の申請)

Q1 指定の申請をして何のメリットがあるか?
A1 以下のケースでメリットがあります。
① 汚染のある土地の売買を行いたいが、浄化する費用もない場合、形質変更
    時要届出区域に指定されれば、「汚染はあるものの、県が対策不要として認
    めた土地」として掘削除去等による莫大な費用負担をすることなく売買が
    可能になります。

② 要措置区域の周辺の土地に汚染土壌を一旦保管したい場合、指定の申請を
    行い、指定されることにより可能になります。

③ 要措置区域の周辺の土地で汚染土壌の指示措置(揚水、遮水壁設置等)を
     行いたい場合、指定の申請を行い、指定されることにより可能になります。

Q2 自主調査結果の県への報告は義務があるか?
A2 本県では自主調査結果の報告義務はありませんが、自主調査された場合は汚
      染がなかった場合も含め、その結果を県水環境課へ報告してください。
      法第16条~21条関係(汚染土壌の搬出等に関する規制)

Q1 汚染土壌の搬出、処理等の規制はどの様なものがあるか?
A1 要措置区域等の汚染土壌を搬出しようとする者は、搬出に着手する日の14
     日前までに「汚染土壌の搬出時の届出等(法第16条)」を県(政令市)に
     届出する必要があります。また、汚染土壌の搬出者は、汚染土壌処理業の許
     可を受けた業者(汚染土壌処理業者)に処理を委託する必要があります。(法第18条)

Q2 汚染土壌の運搬に関する規制等はあるか?
A2 汚染土壌を運搬する場合は、「汚染土壌の運搬に関する基準(運搬基準)」に
     従い運搬する必要があります。
     ・ 運搬に伴う汚染の拡散の防止措置を講ずること。(第65 条第1号等関係)
     ・ 汚染土壌とその他の物の混合及び分離をしないこと。(同条第5号関係)
     ・ 汚染土壌の保管をしないこと(一定の要件に該当する場所で行われる積替
        えのための一時的な保管を除く)。(同条第7号関係) 等
  また、汚染土壌を搬出する者は、その汚染土壌の運搬又は処理を他人に委託
する場合には、環境省令で定めるところにより、当該委託に係る汚染土壌の引
き渡しと同時に当該汚染土壌の運搬を受託した者に対し、管理票を交付しなけ
ればなりません。
  なお、廃棄物の処理及び清掃に関する法律と異なり、汚染土壌の運搬は許可
制ではありません。



イメージ

イメージ


イメージ
道が広くなっているところが海神社です↑

イメージ

白く見える辺りが海神社本殿です↑


イメージ

海神社前の海岸は素足で歩くと痛そうです


イメージ 1
社有地につき立入禁止 日向製錬所



イメージ
綺麗な海の横に日向製錬所があります

イメージ 2

働く車 お仕事ご苦労様です
勤労感謝

イメージ 3
WA480  日向製錬所 No7
磁選作業中(重機に注意)
安全第一 ご安全に!

転載元: 地震・雷・火事・親爺のブログ

[転載]三井住友建設株式会社の新東名高速道路の建設工事における火薬類取締法違反行為

$
0
0


三井住友建設株式会社の火薬類取締法違反について


2011年02月08日
中日本高速道路株式会社[名古屋支社、名古屋市中区、支社長・岩田久志(いわた・ひさし)]が平成23年1月17日にお知らせしました、新東名高速道路の建設現場における火薬類取締法違反について、火薬類譲受・消費許可を受けていた場所以外の2箇所で火薬類の消費を行っていたとの報告が三井住友建設株式会社よりありました。
弊社としましては、この事態を重く受けとめ、内部基準に照らし合わせ請負人に対して処分を行う予定です。
1 工事名及び請負人
工事名:第二東名高速道路 郡界川橋(ぐんかいがわばし)工事
請負人:三井住友建設株式会社
2 報告のあった内容
豊田市中垣内町地内で火薬類譲受・消費許可を受けていた火薬類の一部と無許可で譲受けた火薬類の一部を、豊田市中垣内町以外で消費した事実(火薬類取締法第17条第1項「譲受」及びに同法第25条第1項「消費」に違反)
【消費内訳】
(1)豊田市桂野町地内:平成22年11月 3日から平成22年12月 2日までに483.2kgを消費
(2)岡崎市宮石町地内:平成22年11月23日から平成22年12月24日までに491.0kgを消費
 
三井住友建設株式会社の新東名高速道路の建設工事における火薬類取締法違反行為について
平成23年1月17日
中日本高速道路株式会社[名古屋支社、名古屋市中区、支社長・岩田久志(いわた・ひさし)]が進める新東名高速道路の建設現場において、請負人の担当者が火薬類譲受許可証を変造し、平成22年12月18日から同年12月24日までの間、譲受・消費許可数量より291.15kg超過した爆薬を譲り受け、消費していたことが判明しました。
弊社としましてもこの事態を重く受けとめ、内部基準に照らし合わせ請負人に対して処分を行う予定です。
1 工事名及び請負人
工事名:第二東名高速道路 郡界川橋(ぐんかいがわばし)工事
請負人:三井住友建設株式会社
2 違反内容
無許可での火薬の譲受(火薬類取締法第17条第1項に違反)ならびに消費(同法第25条第1項に違反)の事実

平成23 年2 月8 日
三井住友建設株式会社

愛知県内の建設現場における火薬類取締法違反行為について(追加のお知らせ)
当社は、愛知県内の第二東名高速道路建設現場において、火薬類譲受・消費許可数量を超えた火薬
類を譲り受け消費したことにつきまして、平成23 年1 月17 日に当社ホームページにてお知らせした
ところです。
同日、愛知県より受領した警告書に基づき、本件違反の原因調査を実施した過程におきまして、同
建設現場内において、豊田市(巴川橋)側で譲り受けた火薬類を、同じ豊田市側ではありますが郡界
川橋および同現場の岡崎市側で消費していた事実が判明しましたので、お知らせいたします。
当該建設現場は豊田市から岡崎市にわたっており、火薬類の使用位置によって、豊田市(巴川橋)
側、豊田市(郡界川橋)側、および岡崎市(郡界川橋)側の申請を行う必要がありました。
かかる状況において、担当者は、許可取得済みの豊田市(巴川橋)側の火薬類譲受許可証を使用し、
豊田市(郡界川橋)側での消費のために火薬類を譲り受けておりました。また、同じく豊田市(巴川
橋)側の火薬類譲受許可証を使用し、許可を取得していない岡崎市(郡界川橋)側での消費のために、
火薬類を譲り受けておりました。これらの行為は、以下のとおり火薬類取締法に違反します。
・豊田市(郡界川橋)側での違反期間および数量
場所:豊田市桂野町地内
期間:平成22 年11 月3 日~同年12 月2 日
数量:爆薬 483.2 ㎏
・岡崎市(郡界川橋)側での違反期間および数量
場所:岡崎市宮石町地内
期間:平成22 年11 月23 日~同年12 月24 日
数量:爆薬 491.0 ㎏ (うち165.4 ㎏につきましては、平成23 年1月17 日付 愛知県より受領した警
告書の違反数量291.15 ㎏に含まれております。)
・違反条項
火薬類取締法第17 条第1 項(譲受許可)および第25 条第1 項(消費許可)
今回判明した違反につきましても、火薬類取り扱いの許可権者である愛知県に対し遅滞なく報告書
を提出し、本日県から警告書を受領するとともに、改善報告書の提出を求められましたのでお知らせ
いたします。
なお、譲受した火薬類は全量当該工事に使用し、現場外への流出は一切ございません。
当社は本件違反行為を厳しく反省し、全社をあげて類似事象の発生防止への取り組みを開始いたし
ておりますことを改めてご報告申し上げます。
以上
<お問い合わせ先>
〒104-0051
東京都中央区佃二丁目1 番6 号
三井住友建設株式会社
広報室 宇野 嘉壽之
Tel : 03-4582-3015 Fax : 03-4582-3204
e-mail : information@smcon.co.jp

転載元: 警察支援し太郎のブログ

宮崎県に人々が住み始めたのは、中期旧石器時代の終わり頃の約5万年前頃からである。

$
0
0


歴史

  宮崎県に人々が住み始めたのは、中期旧石器時代の終わり頃の約5万年前頃からである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している[2]

神話

  『古事記』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が降り立った国(天孫降臨神話)。この神の孫である山幸彦海幸彦の争い(山幸彦と海幸彦神話)、さらに、山幸彦の孫であるカムヤマトイワレヒコが、東征して大和橿原宮にて、天皇に即位し初代天皇神武天皇となった(神武東征神話)等の神話(日向神話)がある。

「日向」の由来

 『日本書紀』には「日向」の語源説話として、景行天皇日本武尊の征西説話において、「是の国は直く日の出づる方に向けり」と言ったので、「日向国」と名づけたと記述されている[1]
 「日向」の読みについては、『日本書紀』に「宇摩奈羅麼、譬武伽能古摩(うまならば、ひむかのこま = 馬ならば日向の駒)」とあり[2]、古くは「ひむか」と呼ばれたと考えられている[3]。ただし、この「譬武伽」を日向国とするには検討が必要と指摘される[3]

沿革

 日向国は7世紀中期以降、律令制の成立に伴って成立した[3]。成立当初は現在の宮崎県鹿児島県九州本土部分を含む広域に渡っていた[3]
 大宝2年(702年)頃に鹿児島県部分の西部が唱更国(後の薩摩国)として分立した。和銅6年(713年)4月3日に肝杯郡贈於郡大隅郡、姶羅郡(現代の姶良郡とは別)の4郡が、移管し大隅国として分立した。以後、明治初期まで日向国の領域(臼杵郡児湯郡宮崎郡那珂郡諸県郡の5郡)に変化はなかった。ただし、米良・椎葉地域が肥後との間で近世初期まで曖昧であった等、領域の変化はあった[3]

 また日向国について「五郡八院」という呼称があり、上記の5郡による行政区画と、真幸院三俣院穆佐院新納院飫肥院土持院櫛間院救仁院の8院による租税区画に分けられ統治されていた。
 1883年(明治16年)宮崎県再置の際、諸県郡が新設宮崎県に属する北諸県郡と鹿児島県に残った南諸県郡(志布志郷、大崎郷、松山郷の3郷)に分割され、さらに翌年、北諸県郡が北諸県郡・西諸県郡東諸県郡、那珂郡が北那珂郡南那珂郡、臼杵郡が東臼杵郡西臼杵郡にそれぞれ分割された。

歴史

伝承

神話

 『古事記』の国産み神話においては、筑紫島(九州)の4面に筑紫国豊国肥国熊曽国が見えるが、日向の記載はない[4][注 2]。なお、『日本書紀』にはこの記述はなく、『先代旧事本紀』では筑紫国豊国肥国、日向国の4面を挙げている[5]
 続いて日向地域は『古事記』『日本書紀』の「日向神話」と呼ばれる神話の舞台となった[6]。この中で、アマテラスの孫のニニギが高千穂に降臨し(天孫降臨)、子のホオリが兄・ホデリを懲らしめた旨とともに兄の子孫の隼人が今も天皇に仕える由来だと述べ(山幸彦と海幸彦)、ホオリの子・ウガヤフキアエズは初代天皇・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の父である旨を記している。のち、神武天皇は日向から東征に赴くこととなる(神武東征)。

 現在、これらの日向神話は歴史的事実そのままとは考えられておらず、その由来には諸説がある。特に『古事記』『日本書紀』が成立するまで、すなわち7世紀後半から8世紀前半の南九州における対隼人の政治情勢との密接な関係が指摘される[6]。隼人が名を表すのは天武天皇の時代からで、7世紀末から8世紀前期に4回の反乱を起こしている[6]。そして天皇家による南九州における統治を正当化し、隼人が服属すべき理由を過去にさかのぼって説明するものと考えられている[7]

征西説話

 『古事記』景行天皇段では、天皇の子・小碓命が熊曽討伐を命じられるという征西説話が記述されている。この中で小碓命は熊曽建を討ち、以後「倭建命」を名乗った。
 『日本書紀』では景行天皇自ら熊襲の平定に赴いており、高屋宮を拠点として襲国を平定し、子・豊国別皇子が初代日向国造に任じられている。のちに再び熊襲が反乱を起こした際、天皇の子・日本童男が川上梟帥を討ち「日本武尊」を名乗った。
 なお『国造本紀』(『先代旧事本紀』第10巻)では、豊国別皇子の三世孫・老男が応神天皇期に日向国造に任じられたと記しており、『天皇本紀』(『先代旧事本紀』第7巻)では、豊国別皇子は日向諸県君らの祖と記している。
現在の考古学では実在天皇の可能性は応神天皇以降に求められており、上記の記述は歴史的事実とはされていない[3]。むしろ応神・仁徳の記述の伏線と捉えるのが妥当とする考えがなされている[6]

律令制以前

 日向地域では、弥生時代には青銅器の欠如と抉り入り方形石包丁の存在という特色が見られていたが[8]4世紀以降は新田原・茶臼原・西都原・本庄・六野原・生目といった畿内型古墳群が展開した[9]。こうした古墳群の存在は、その首長と近畿地方の政治勢力とが政治的関係にあったことを示している[3]
 『古事記』『日本書紀』の応神天皇・仁徳天皇の記述には諸県君を巡る説話があるが、こうした政治関係を背景として成立したと見られ、5世紀代に豪族が出仕したものと推測されている[10]
 6世紀から7世紀中期にかけては、史書では推古天皇期の「馬ならば日向の駒」という記載程度しかなく、中央と日向との関係の実態は明らかでない[10]

飛鳥・奈良・平安時代

 「日向国」の文献上の初見は、『続日本紀』文武天皇2年(698年)9月28日条である。成立時期は明らかでないが、律令制成立に伴い7世紀中期以降に設けられたと見られている[3]。当初は薩摩国・大隅国を含む領域を有しており、7世紀末の段階では日向国は対隼人の最前線に位置づけられていた[10]大宝2年 (702年) に唱更国(後の薩摩国)、和銅6年 (713年)に大隅国が分立した。
 令制では大上中下のうちの中国とされ、中央から四等官とそれを補佐する史生が派遣された。中国では通常欠員とされる介が正式におかれ四等官がそろっている。なお、史書に残るものは左遷人事が多い。遠国であったため、掾以下の人事や四度使の監査など、大宰府の強い管理下に置かれた。
 弘仁6年(815年)には軍団1団500人の兵士を持っていた。この年以前には軍毅1人が指揮したが、以降は補佐に1人を加えて大毅1人、少毅1人になった。

鎌倉時代

 1185年文治元年)惟宗忠久が主筋である近衛家島津荘(南九州にあった大荘園 万寿年間(1024年1027年)、日向国島津院を大宰府大監平季基が開拓し、関白藤原頼道に寄進したことに始まる)の下司職に補任され、島津忠久と称した。島津氏の始まりである。
 島津氏は1197年建久8年)に薩摩大隅にあわせ日向の初代守護職に任じられた。また、忠久は島津荘の地頭職も兼任した。しかし、忠久が、1203年建仁2年)、比企能員の変連座し、三州守護職と薩摩国を除く地頭職を剥奪されると、日向国守護職及び日向島津荘の地頭職は、北条氏赤橋家に伝えられることとなった。

 日向国北部一帯を有した宇佐神宮の宇佐宮荘においては、東部の縣(読み:あがた、現在の延岡市周辺。市内には安賀多の地名が残っている)一帯を土持氏が、西部山間部(現在の高千穂町周辺)を大神氏の流れをくむ三田井氏が地頭として勢力を有していたが、鎌倉御家人伊東氏が地頭職を得、既存在地勢力と対立しつつ、支配を定着させていった。

室町時代

 南北朝時代においては、北朝方より南九州の大将として畠山直顕が日向国に派遣され、南朝方の勢力と対立したが、島津氏など在地勢力は北朝と南朝との間を転々することにより、畠山直顕の支配に抵抗した。直顕は観応の擾乱において足利直義に味方し、足利尊氏方に味方した島津氏と争い敗れた。その後も九州探題が南九州に影響を伸ばそうとするも失敗し、やがて日向国の守護職は島津氏が世襲するようになる。
 ただし、全国の例に違わず、日向国も群雄割拠の状況となり、南北朝から室町時代中期にかけては、北部は土持氏、中央部は伊東氏、南西部は北原氏、南東部は豊州島津氏北郷氏新納氏といった島津一族を中心として、各地の国人領主を吸収しながらの勢力争いが展開された。

 そのうち、土持氏が伊東氏に攻められ勢力を縮小、伊東氏に糾合されたり豊後大友氏に臣従するようになる。戦国時代になると、新納氏が薩州島津氏により領地を追われ、北原氏は姻戚関係にあった伊東義祐により、禅宗真宗で家中が二分している中での家督問題に附け込まれて、大隅国にまで拡がっていた全領地を乗っ取られる。
 更に義祐により豊州島津氏が飫肥から追い出されたため、伊東氏が日向国の主要部分を支配するに至ったが、1572年木崎原の戦いにより伊東氏の主要な臣下が多数失われ、また義祐の奢侈により領内に隙が生じており、そこを突くように薩摩大隅の統一を果たした島津氏が北上してきた。滅亡の危機に立った義祐は豊後の大友義鎮を頼ったが、島津氏が1578年耳川の戦いにおいて大友氏に大勝し、日向国一円を支配することとなった。
 しかし、1587年秀吉九州征伐を受け、島津氏が降伏すると、日向国は功のあった大名に分知された。


  九州平定(きゅうしゅうへいてい)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏など、九州諸将との戦いの総称である。秀吉の「九州攻め」、「島津攻め」、「九州の役」[注釈 1]、「九州征伐」などの名称で呼ばれることもある。

開始時期


開始時期について、小和田哲男は、年表などではこの戦役が天正15年(1587年)に入っているのが一般的であり、実際の秀吉の九州出馬が同年3月1日島津義久の降伏が4月21日なので、そのこと自体は誤りではないと前置きしたうえで、「しかし、秀吉自身の出馬は、いわば最後の総仕上げといった趣があり、本当の意味での九州攻めは、その前年、すなわち1586年からはじまっていた」と述べている[2]。そして、前年(1586年)段階における秀吉側の立役者は黒田孝高であったとしている(後述)[2]

背景

秀吉に助けを求めた
大友宗麟

 戦国時代後半の九州は、盛強な戦国大名三者による三つ巴の抗争が展開されており、これを「大友・龍造寺・島津の三氏鼎立時代」などと呼称することがある[3]。そのなかから、薩摩の島津氏が日向伊東氏肥後相良氏阿蘇氏肥前有馬氏龍造寺氏などを下し、さらに大友氏の重鎮立花道雪の死により大友氏の支配がゆるんだ筑後国人衆も傘下に収め、北九州への影響力も強めて、九州平定をほぼ目前にしていた[4]豊後大友宗麟(義鎮)は、島津氏の圧迫を回避するため、当時畿内近国北陸山陽山陰四国を平定し天下統一の道を歩んでいた羽柴秀吉に助けを求めた。

 これを受け、関白となった秀吉は、天正13年(1585年)10月島津氏と大友氏に対し、朝廷権威を以て停戦を命令した(九州停戦令)。しかし、大友氏は停戦令をすぐさま受け入れたのに対し、島津氏側は家中で激しい議論となった末に停戦令受諾の方針を決定するとともに家臣鎌田政近を秀吉のもとへ派遣して、島津は従前織田信長近衛前久調停にしたがって停戦を守ろうとしたのにもかかわらず大友氏側が攻撃を仕掛けてきたので防戦したものであると弁明させた[5]。この論理については大友側も同じ根拠で島津側が命じられた豊薩和平を破ったと主張している[6]

 さらに島津氏の当主島津義久は天正14年(1586年)1月、源頼朝以来の名門島津が秀吉のごとき「成り上がり者」を関白として礼遇しない旨を表明した[5]。3月、秀吉が島津氏の使者鎌田政近に対して占領地の過半を大友氏に返還する国分案を提示したが、島津側は「神意」としてこれを拒否[7]、大友攻撃を再開して九州統一戦を進めたため、秀吉は大友氏の手引きによる九州攻めに踏み切った[注釈 3]

 島津氏側としては、すでに九州の大半が島津領であるという現状を無視した秀吉の九州国分案は到底受け入れがたいものであった[7][注釈 4]。天正14年4月5日、大友宗麟は大坂城に秀吉を直接たずね、島津氏からの脅威を取りのぞいてくれるよう懇願している[8]

 秀吉と軍監(戦奉行)黒田孝高は、九州攻めにあたって、なるべく豊臣本隊を使うことなく、すでに秀吉に帰服していた毛利輝元吉川元春小早川隆景などの中国の大名、あるいは長宗我部元親十河存保などの四国の大名を用いようとした[2]。秀吉が天正14年4月10日付で毛利輝元にあてた覚書には、城郭の補強、豊前・肥前から人質をとること、西海道にいたる道路の修造、および赤間関山口県下関市)への兵糧蔵の建造を命じている[9]

経緯

天正14年の戦い(豊薩合戦)


 天正13年(1585年)2月、毛利輝元の庇護を受けて備後国の鞆(鞆幕府)に滞在していた征夷大将軍足利義昭は島津義久を九州の「太守」に任じて帰洛時の援助と大友攻めを命じており、義久はこれに応じている(当時は毛利と敵対していた大友を島津に牽制させるため)

豊臣秀吉の九州平定

$
0
0


豊臣秀吉の九州平定

  豊臣秀吉の九州平定戦は、戦役としては「九州の役」「九州の陣」「九州攻め」「島津攻め」「(秀吉の)九州征討」「(秀吉の)九州征伐」「(秀吉の)九州出兵」などの名称で称されることも多い。島津氏の立場からは「(秀吉による)九州侵攻」などの表現もなされ、結果や状態をあらわす語としては「(秀吉の)九州制圧」「(秀吉の)九州征服」などの語も用いられ、一定していない。
  しかし、「平定」には「秩序を回復する」の意もあり[13]、したがってそれは、戦後の知行割りである「九州国分」の実施、惣無事令刀狩令などの法令の発布、「太閤検地」など諸大名の領地を横断する広域政策の実施、および、それを差配するための石田三成細川藤孝九州取次任命など、一連の秩序回復行為全体を含意して用いられる。

 天正13年10月の九州停戦命令は、従来とは異なり、天皇の意向であることを前面に押し出したものであり、「国郡の境相論は秀吉が双方の言い分を聞いて裁定するから即座に停戦せよ、停戦しない場合は天皇に代わって成敗する」というものであった。
 これほど秀吉が「武家関白」であることを端的に示す言葉はなく、また、信長の時点では用いることのできなかった論理を展開しえたところに「武家関白」の意義があった[10]土地人民の支配は天皇より委任されているという「公儀」の論理をみずからの平定事業に用いたのである。

 天正15年3月、秀吉は九州全土をほぼ平定する勢いであった島津軍に対し、「やせ城どもの事は風に木の葉の散るごとくなすべく候」(黒田孝高あて朱印状)として、みずから九州に出陣した[14]。秀吉の大軍に対し、島津氏は日向高城宮崎県木城町)を前線として抗戦したが、日向根白坂の戦いの敗北により、5月6日には島津義久が「龍伯」と号して剃髪し、5月8日、秀吉の滞留していた薩摩川内の泰平寺において正式に降伏の意を表明した。
 義久の弟島津歳久、同じく日向飯野城の城主島津義弘、家臣の新納忠元らは義久降伏後も抵抗をつづけたが、豊臣方の石田三成と島津側の伊集院忠棟のあいだで調停がすすみ、義久の働きかけもあって講和が成立した。

 5月25日、秀吉は臣従した義久を「一命を捨てて走り入ってきたので赦免する」[12]として、義久には薩摩、義弘には大隅を安堵し、義弘の子島津久保には日向諸県郡のうち真幸院をあたえた。
 5月30日には佐々成政に肥後一国をあたえた。
 秀吉は同年6月7日、筑前箱崎(現在の福岡市東区)に陣を構え、博多(福岡市博多区)を直轄都市としたうえで、小早川隆景に筑前・筑後および肥前のうち1郡半の約37万石、黒田孝高(如水)には豊前のうち6郡の約12万5,000石、立花統虎(宗茂)には筑後柳川城(福岡県柳川市)13万2,000石、毛利勝信には豊前小倉約6万石をそれぞれあたえた。
 宗麟の子大友義統には豊後一国、肥前の龍造寺政家、大村喜前松浦鎮信対馬宗義智には、それぞれ所領を安堵した。これが、「九州国分」とよばれる、九州平定事業にともなう知行割りの概略である。

 九州への停戦命令には「惣無事」の語はなかったが、翌年末に関東奥羽の諸大名に向けて発せられた同趣旨の停戦命令にはその語が用いられるので、しばしば総称して「惣無事令」と呼称される。藤木久志によれば、秀吉の天下統一は、「惣無事令」と領土裁定権にもとづく「国分令」を基本として進められ、それに違反した場合に限って武力討伐が行われたのであり、従来語られてきたように、必ずしも専制権力による「征伐」一辺倒によって進められたものではないとしている[15]

 また、刀狩令、海賊停止令喧嘩停止令まで含めて「豊臣平和令」として把握した場合、一連の平和令は、もっぱら武力によって問題解決をはかることで生活のあらゆる場面が私闘に満ちていた中世の「自力救済社会」の惨禍から、むしろ人びとを救ったものであるとして、積極的な意味づけがあたえられている[15]

 なお、瀬戸内海の制海権が完全に豊臣政権に服したため、経済的には水上交通における流通掌握が各大名にとって以前に比較して格段に重要度を増した。毛利輝元もまた、九州平定後、本拠地を山間地に立地する安芸国吉田郡山城より太田川河口の広島に遷している[16]広島城は、天正19年(1591年)に完成している。

秀吉死後の九州の平定


 秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、肥後熊本城加藤清正、豊前中津城黒田長政らが東軍、島津氏や小西行長らは西軍として戦った。
 九州内では、加藤清正や長政の父黒田孝高らが西軍諸将の領地に対する侵攻戦もおこっている。戦後、東軍諸将はいずれも徳川家康によって軍功を認められ、封土が下賜された。西軍諸将の多くは領地を没収、削減されたが、島津氏については減封はなかった。


豊臣秀吉の九州平定

  豊臣秀吉の九州平定戦は、戦役としては「九州の役」「九州の陣」「九州攻め」「島津攻め」「(秀吉の)九州征討」「(秀吉の)九州征伐」「(秀吉の)九州出兵」などの名称で称されることも多い。島津氏の立場からは「(秀吉による)九州侵攻」などの表現もなされ、結果や状態をあらわす語としては「(秀吉の)九州制圧」「(秀吉の)九州征服」などの語も用いられ、一定していない。
  しかし、「平定」には「秩序を回復する」の意もあり[13]、したがってそれは、戦後の知行割りである「九州国分」の実施、惣無事令刀狩令などの法令の発布、「太閤検地」など諸大名の領地を横断する広域政策の実施、および、それを差配するための石田三成細川藤孝九州取次任命など、一連の秩序回復行為全体を含意して用いられる。

 天正13年10月の九州停戦命令は、従来とは異なり、天皇の意向であることを前面に押し出したものであり、「国郡の境相論は秀吉が双方の言い分を聞いて裁定するから即座に停戦せよ、停戦しない場合は天皇に代わって成敗する」というものであった。
 これほど秀吉が「武家関白」であることを端的に示す言葉はなく、また、信長の時点では用いることのできなかった論理を展開しえたところに「武家関白」の意義があった[10]土地人民の支配は天皇より委任されているという「公儀」の論理をみずからの平定事業に用いたのである。

 天正15年3月、秀吉は九州全土をほぼ平定する勢いであった島津軍に対し、「やせ城どもの事は風に木の葉の散るごとくなすべく候」(黒田孝高あて朱印状)として、みずから九州に出陣した[14]。秀吉の大軍に対し、島津氏は日向高城宮崎県木城町)を前線として抗戦したが、日向根白坂の戦いの敗北により、5月6日には島津義久が「龍伯」と号して剃髪し、5月8日、秀吉の滞留していた薩摩川内の泰平寺において正式に降伏の意を表明した。
 義久の弟島津歳久、同じく日向飯野城の城主島津義弘、家臣の新納忠元らは義久降伏後も抵抗をつづけたが、豊臣方の石田三成と島津側の伊集院忠棟のあいだで調停がすすみ、義久の働きかけもあって講和が成立した。

 5月25日、秀吉は臣従した義久を「一命を捨てて走り入ってきたので赦免する」[12]として、義久には薩摩、義弘には大隅を安堵し、義弘の子島津久保には日向諸県郡のうち真幸院をあたえた。
 5月30日には佐々成政に肥後一国をあたえた。
 秀吉は同年6月7日、筑前箱崎(現在の福岡市東区)に陣を構え、博多(福岡市博多区)を直轄都市としたうえで、小早川隆景に筑前・筑後および肥前のうち1郡半の約37万石、黒田孝高(如水)には豊前のうち6郡の約12万5,000石、立花統虎(宗茂)には筑後柳川城(福岡県柳川市)13万2,000石、毛利勝信には豊前小倉約6万石をそれぞれあたえた。
 宗麟の子大友義統には豊後一国、肥前の龍造寺政家、大村喜前松浦鎮信対馬宗義智には、それぞれ所領を安堵した。これが、「九州国分」とよばれる、九州平定事業にともなう知行割りの概略である。

 九州への停戦命令には「惣無事」の語はなかったが、翌年末に関東奥羽の諸大名に向けて発せられた同趣旨の停戦命令にはその語が用いられるので、しばしば総称して「惣無事令」と呼称される。藤木久志によれば、秀吉の天下統一は、「惣無事令」と領土裁定権にもとづく「国分令」を基本として進められ、それに違反した場合に限って武力討伐が行われたのであり、従来語られてきたように、必ずしも専制権力による「征伐」一辺倒によって進められたものではないとしている[15]

 また、刀狩令、海賊停止令喧嘩停止令まで含めて「豊臣平和令」として把握した場合、一連の平和令は、もっぱら武力によって問題解決をはかることで生活のあらゆる場面が私闘に満ちていた中世の「自力救済社会」の惨禍から、むしろ人びとを救ったものであるとして、積極的な意味づけがあたえられている[15]

 なお、瀬戸内海の制海権が完全に豊臣政権に服したため、経済的には水上交通における流通掌握が各大名にとって以前に比較して格段に重要度を増した。毛利輝元もまた、九州平定後、本拠地を山間地に立地する安芸国吉田郡山城より太田川河口の広島に遷している[16]広島城は、天正19年(1591年)に完成している。

秀吉死後の九州の平定


 秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、肥後熊本城加藤清正、豊前中津城黒田長政らが東軍、島津氏や小西行長らは西軍として戦った。
 九州内では、加藤清正や長政の父黒田孝高らが西軍諸将の領地に対する侵攻戦もおこっている。戦後、東軍諸将はいずれも徳川家康によって軍功を認められ、封土が下賜された。西軍諸将の多くは領地を没収、削減されたが、島津氏については減封はなかった。

前方後円墳は3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られる。

$
0
0


  前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)は、古墳の形式の1つ。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなす[1]
主に日本列島3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され[1]、日本列島の代表的な古墳形式として知られる。


概要

起源

最古の前方後円墳(3世紀中頃の築造)。

 日本(およびそれに影響を受けた朝鮮半島南部)でのみ見られる前方後円墳の起源については、これまでに様々な仮説が唱えられている。最もよく知られているものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したものであるという学説である。この説においては従来より存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋部分(通路部分)が発達し、墓(死の世界)と人間界を繋ぐ陸橋として墳丘と一体化したと考えられる。それに対して円部は軍事・政治を担った男王、方部は祭祀を司った女王の墓に由来するという説もある。

形状

模式図
 前方後円墳の形状は、古くはヒョウタン形などとも形容されていた。「前方後円」の語は、江戸時代国学者蒲生君平19世紀初めに著した『山陵志』で初めて使われた。蒲生は、各地に残る「車塚」という名から、前方後円墳は宮車を模倣したものだと考え、方形部分が車の前だとした。しかし現在では古墳時代にそのような車は存在しなかったと考えられている。明治時代末期になり、ウィリアム・ゴーランドは円墳と方墳が結合して、清野謙次は主墳と陪塚が結合して前方後円墳になったと推測した。その後、壺形土器の形や盾の形を模倣したというような学説も生まれた。

 現在の研究では、平面では円形をしている後円部が埋葬のための墳丘で主丘であり、平面が形・長方形・方形・台形などの突出部をひっくるめて前方部と呼ぶ。前方部は、弥生墳丘墓の突出部が変化したもので、もともと死者を祀る祭壇として発生・発達とする説や葬列が後円部に至る墓道であったとする説があり、次第に独特の形態を成したと考えられている。ただし時代が下ると前方部にも埋葬がなされるようになった。しかし、慣習と便宜によって前方後円墳、前方部、後円部といった用語はそのまま使われている。古い形の前方後円墳は前方部は低く撥形をしており、後円部は新古にかかわらず大きく高く造られている。撥形にしているのは、葬列が傾斜の緩やかな道を通れるように前方部の左右の稜線のどちらかを伸ばしたものと考えられている。

分布

最北端の前方後円墳。

 日本列島に広く分布し、約4,800基が存在する[2]。前方後円墳の存在が明確でないのは、北方では北海道青森県秋田県、南方では沖縄県の計4道県にすぎない。
 建造時期や個数には幅があるものの、他の43の都府県では数百基から1、2基の前方後円墳が知られており、そのうち最多は千葉県の約720基[2]。離島の対馬壱岐隠岐などにも存在する一方で、これまでのところ淡路では存在が確認されていない。
 各地域で最後に建造された前方後円墳はその時期にほとんど差がないことが判明している。5世紀を最後に建造が途絶えた徳島県などは数少ない例外である。日本列島以外では、朝鮮半島西南部において栄山江流域を中心に前方後円形の古墳10数基の分布が知られる(詳細は「朝鮮半島南部の前方後円形墳」を参照)。

 近畿地方宮崎県を中心として日本全国に広く分布する大型の前方後円墳の周りには、小型の前方後円墳、あるいは円墳・方墳が寄り添うように建造されており、複数の大型古墳から構成される古墳群が形成されている箇所も多い。
 古墳時代に築かれた巨大な墳墓中はその多くがこの前方後円墳であり、その中で最も大きなものは大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)であり、墳墓の表面積としてはクフ王ピラミッドおよび始皇帝陵をしのぐ世界最大の墳墓である。墳丘の全長が486メートル、高さが36メートル、周りには、三重の周濠を巡らしている。

終焉

 6世紀になると前方後円墳の造られ方に変化が生じてくる。関東地方以西ではほとんどの前方後円墳の規模が縮小し、墳丘長100メートル以上の規模の比較的大きなものは九州の岩戸山古墳尾張断夫山古墳など一部を除くと、奈良盆地内や古市古墳群など、畿内に集中するようになる。

 また岩戸山古墳と断夫山古墳、そして畿内でも大王墓の可能性が高い古墳とその他の古墳との規模の格差が拡大している。これは当時の社会体制の変化を表しているものと考えられ、特に河内大塚山古墳見瀬丸山古墳今城塚古墳といった大王墓と見られる古墳の規模は他を圧しており、これまでの有力首長の共同統治から大王への権力の集中が始まったものと見られている。
 見瀬丸山古墳など6世紀の大王墓と推定される墳墓は、3世紀から大王墓が造られ続けてきた古市古墳群、百舌鳥古墳群馬見古墳群佐紀盾列古墳群、大和・柳本古墳群といった古墳群から離れた場所に造られており、この点からも6世紀の大王の権力構造に変化が生じたことがわかる。

 また前方後円墳の形式にも変化が生じ、陪塚が見られなくなり、葺石の使用も少なくなり、墳丘の段築も3段が基本であったものが2段に減少する。そして関東地方を除くと埴輪も使用されないようになっていく。つまり6世紀の前方後円墳は大きさばかりではなく視覚的な見栄えも低下しており、当時の社会における前方後円墳そのものの位置づけにも変化が起きてきたと考えられる[3]

 一方、関東地方では他の地方とは異なり、6世紀、埼玉古墳群など墳丘長100メートルクラスを含む前方後円墳が盛んに造られる。埼玉古墳群では長方形をした二重周濠の築造、下野の前方後円墳では基壇と呼ばれる広い平坦面を持った前方後円墳など、地域色が見られる前方後円墳が造られており、6世紀の段階ではまだ全国一律の造墓規制を行う段階には至っていない。
一説に大王墓としては最後の前方後円墳(6世紀後半の築造)。

 前方後円墳の出現期から、大王陵と見られる大型の古墳を始めとする多くの前方後円墳が集中的に造られてきた畿内の古墳群では、6世紀半ばに古市古墳群で前方後円墳の築造が終了した後、前方後円墳は造られないようになり、6世紀後半になると、全国各地で前方後円墳が造られないようになっていく。大王陵としても6世紀後半に造営されたとみられる見瀬丸山古墳か梅山古墳、または太子西山古墳を最後に前方後円墳から方墳へと変わった。
 関東地方や周防など[4]、一部の地域で7世紀初めから前半まで前方後円墳の築造が続いたケースもあるが、おおむね6世紀末までに前方後円墳の築造は終了し、その後、首長墓は主に円墳ないし方墳に移行し、大王墓など一部の首長墓は八角墳などの多角形墳に移行する。

形状と構造

 前方後円墳は、墳丘(前方部・後方部・造出)、埋葬施設(棺室・槨室・石室)、副葬品、外表施設(封土固めの葺石、祭祀用の土器埴輪など)などの諸要素から成っている。

後円部

 後円部は、前方後円墳で最も大切な場所である。それは、そこに亡き首長を埋葬し、盛大に埋葬祭祀が行われてきたからである。その頂上は狭いが平坦に造られていて、その下の土中に埋葬を行うのに都合のよい形に造られている。裾部から頂までは高く造られ、その斜面の勾配は、平均的には25度から26度あり、それ以上の急勾配もある。築造当時には斜面に葺き石が敷かれて、登ることができないように造られている。前方部から後円部に登るために一つの工夫が為されている。それを隆起斜道(りゅうきしゃどう)という。この隆起斜道の設置によって後円部と前方部が繋がることになる。しかし、この斜道だけで、頂上や頂下の墓壙に達することが難しい場合が多いので斜道の途中から墓壙に達するための掘割墓道(ほりわりぼどう)を設置した。

 また、くびれ部や前方部の斜面も急勾配に造られており、簡単に登ることができなくなっている。葬列が登れるのは前方部の前面の左右の隅角のどちらかで、そこを緩い斜面にして登りやすくしている。このように前方後円墳は簡単に登れないような急斜面で囲まれているといってもよい。登ることを慎めという意味であり、前方後円墳は禁忌の状態に築造されている。

前方部

 最古の前方後円墳は3世紀代の箸墓古墳のように前方部の前面幅が(バチ)形になっており、前方部の前面幅が後円部の直径に匹敵するほど開いている。京都府木津川市椿井大塚山古墳などが挙げられる。高さも後円部の方が高くなっている。次の段階では、前方部が前面に向かってまっすぐ伸び、幅狭く低い。例として、桜井市茶臼山古墳などがある。

 その後、時代が下るにつれて後円部の直径と前方部の幅がほぼ同じとなり(古墳時代中期)、さらに時代が下ると前方部は巨大化の一途をたどり、前方部の幅が後円部の直径の1.5倍、中には2倍に達するものもあり、高さも前方部のほうが高いものが多い(古墳時代後期)。また、古墳時代後期の一部の前方後円墳には、「剣菱形」と呼ばれる、前方部の中央がへの字のようにやや角ばって外側に突き出すような形状をしているものがある(なお剣菱形が確認されているのは今城塚古墳河内大塚山古墳見瀬丸山古墳鳥屋ミサンザイ古墳瓦塚古墳と極めて数が少ない)。

造出

 最古級の前方後円墳には造出(つくりだし)は見つかっていない。大王墓および地方の有力首長墓のみに付随すると考えられている。この造出に埋葬が行われている例が見られる。埴輪を立て並べたり、形象埴輪を置いたりしている。祭祀・追葬が後円部や前方部の墳頂で行われるのではなく、くびれ部裾付近に作られた造出で行われたことは、埋葬祭祀の考え方が変わって来たのではないか。それは、墳頂へ登ることが禁忌され、畏敬されたことと関わっていると考えられ、追葬や祭祀は一定期間行われると停止されるものと思われる。

祭祀用土器

 埋葬祭祀で使用された土器は、最古級の前方後円墳では、宮山型特殊器台・特殊壺、この土器から変化した最古の埴輪といわれる都月形円筒埴輪と次に古い特殊壺形埴輪、円筒埴輪、家型埴輪、武器形埴輪、人形埴輪などである。特殊土器は、日常の器台・壺と違い大きく、文様で飾られている。器台は1メートルほどもあるものもあり、壺も40センチから50センチぐらいで、器台に壺を載せると人の肩ほどにもなる。このような大きな目立つ道具を使って亡くなった首長の霊魂と首長権を継承するための祭祀を行ったと考えられる。

横穴式石室

横穴式石室の石室そのものは広い空間であり、一人の死者だけでなく親族や血族の死者を一緒に葬ることができる。今までの竪穴式石室の一人の死者(首長)を葬るという葬法とは大いに違い、埋葬観念や埋葬施設に変化が生じた。 埋葬祭祀は、隅角(前方部の前面の左右のどちらか)から前方部頂へ登り、そこから後円部に向かって降りていき、隆起斜道(後円部へ登りやすくした斜面)を登り、掘割墓道(石室への道)を経て墓壙に入る。石室は後円部頂に入り口を前方部方向に向けて造る。このような古式の例は、福岡県老司古墳鋤崎古墳に見ることができる。

朝鮮半島南部の大韓民国(韓国)全羅南道・全羅北道に分布する、日本列島の前方後円墳と同じ墳形の古墳

$
0
0


朝鮮半島南部の前方後円形墳   

前方後円形墳(長鼓墳)の1基。左に前方部、右奥に後円部と石室。日本列島の前方後円墳同様に周堀を有する。
朝鮮半島南部の前方後円形墳の位置(韓国内)
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
朝鮮半島南部の前方後円形墳
前方後円形墳(長鼓墳)の分布
  朝鮮半島南部の前方後円形墳、すなわち朝鮮半島南部の大韓民国(韓国)全羅南道全羅北道に分布する、日本列島の前方後円墳と同じ墳形の古墳について解説する。

 これらの古墳は、日本側では「前方後円墳」「前方後円形墳」、韓国側では「前方後円墳(전방후원분)」のほか楽器のチャング(チャンゴ/장고/長鼓)になぞらえ「長鼓墳(チャンゴブン/장고분)」などと表記される。日本列島の前方後円墳との間には類似点・相違点が存在することから、以下本項では「前方後円形墳」の表記で区別して解説する。



概要

 朝鮮半島西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形(円形の主丘に方形の突出部が付いた鍵穴形)の墳形を持つ古墳として、10数基の存在が知られる。これらは5世紀後半から6世紀前半(朝鮮半島の三国時代、日本の古墳時代中期から後期)の築造とされ、3世紀中頃から7世紀前半頃にわたって展開した日本列島の前方後円墳の手法を基にしたと見られることから、日本列島から朝鮮半島への移入を表すものとして注目されている。

 古墳の構造は、前方後円形という概形こそ各古墳で共通するものの、墳形の寸法や外表施設・埋葬施設の点では個々で相違し画一的ではない。発掘調査では、外表施設として一部の古墳に周堀・段築・葺石・埴輪・木製品が存在することや、埋葬施設として一部に九州系横穴式石室の要素が存在することが判明し、これらは日本列島の前方後円墳とも共通する。
 しかし、それら墳丘・施設が列島と共通するのは概ね外形(設計図)に限定的で、実際の築造・作製においては在地工人の技術が多数指摘される。

 前方後円形墳の分布する栄山江流域は、文献史学的には史料が乏しく当時の情勢が不明な地域になるが、考古学的には当時の(日本)・百済加耶とも異なる独自の在地系勢力(馬韓残存勢力)が存在した地域とされる。そしてこの在地勢力が6世紀中頃に百済の支配下に入る前段階において、在地系の高塚古墳とともに列島系の前方後円形墳や、九州系石室を有する列島系の円墳方墳が展開した。
 栄山江流域は日本列島と連続する地域ではなく一帯では列島からの大量移住の形跡もないため、このような列島系の墳形が採用された背景は詳らかとはなっておらず、現在も被葬者としては在地首長説・倭系百済官人説・倭人説の3説に大きく分かれて議論が続けられている。

特徴

分布
上記一覧表のように、朝鮮半島西南部の全羅南道全羅北道(一部)における栄山江流域・霊光地域・高敞地域・海南半島に10数基が分布する。この地域では、在地系古墳として羅州市の羅州潘南古墳群・羅州伏岩里古墳群などが知られ、前方後円形墳はその外縁部に1基ずつ距離をおいて位置する[9]。ただし、光州月桂洞1号墳・2号墳のみ2基が隣接して築造されている。
築造年代
発掘調査が行われていない古墳もあり築造年代は確実ではないが、概ね5世紀後半から6世紀前半の期間に収まるとされる[9]。日本列島の前方後円墳の期間(3世紀中頃-7世紀前半頃)に比して短期間の築造になる。この期間は朝鮮半島では三国時代、日本列島では古墳時代中期-後期に相当する。
墳丘
墳丘は前方後円形で、日本列島の前方後円墳と平面形を概ね共通する。墳丘長は約30メートルから最長76メートル(海南長鼓山古墳)で、日本列島の同時期の前方後円墳に比して中-大規模クラスになる。しかし墳丘表面が急斜するなど、断面形において日本列島のものとは大きな差異が認められる[10]。また、前方後円形墳同士でも形状は異なり、特に光州月桂洞1号墳・2号墳と光州明花洞古墳では、前方部が扇状に広がる特徴を有する[10]。墳丘自体の築造方法は、日本列島の工人の手法ではなく在地系工人の手法になる[10]。そのため、日本列島の前方後円墳と同一でなくむしろ模倣に近いと指摘される[10]
円筒形土製品
光州月桂洞出土品。国立光州博物館展示。
外部施設
外部施設として、一部の古墳では墳丘表面に周堀・葺石・段築の存在が知られ、これらは日本列島の前方後円墳と共通する[10]造出はいずれの古墳も有していない。
光州月桂洞1号墳・光州明花洞古墳・霊岩チャラボン古墳では、円筒埴輪朝顔形埴輪に類似した土製品が出土している[11]。これらの器形や、墳丘周囲に並べる使用法は、列島の埴輪とも一致する[11]。また光州月桂洞1号墳・霊岩チャラボン古墳の周堀からは、列島のものと似た木製品が出土している[11]。しかし、以上の土製品・木製品は列島の出土品と作製法・形状の点で大きな相違があり、墳丘築造同様に在地系工人による模倣と指摘される[10][11]
なお円筒埴輪状土製品の使用は、前方後円形墳に限らず在地系古墳においても見られている[11]

内部施設(埋葬施設)
 日本列島の前方後円墳と同様に後円部中央に埋葬施設1基を有し、石室は多くで横穴式石室が採用されている(ただし霊岩チャラボン古墳は竪穴式石室[11]。発掘調査がなされた古墳のうちで、海南龍頭里古墳・咸平新徳1号墳は、日本列島の北部九州・有明海沿岸部の古墳と概ね同じ工法で、内壁にベンガラを塗ることにも共通性が見られる[11]。海南長鼓山古墳においても同様に北部九州の要素が部分的に認められるが、全体的には北部九州とは異なる独特の構造になる[11]。光州月桂洞1号墳・2号墳の場合は大部分が破壊されているが、やはり九州系石室の要素が存在する[11]。一方これらに対し、霊岩チャラボン古墳は百済系の石室とされる[11]。なお光州明花洞古墳でも石室の調査がなされているが、破壊が著しいため系譜はわかっていない[11]
 石室内の埋葬棺は、咸平新徳1号墳や光州月桂洞1号墳・2号墳では百済系装飾木棺の使用が推測されている[11]。また光州明花洞古墳・霊岩チャラボン古墳においても木棺の使用が推測される[11]。これら木棺の使用は、北部九州にはほとんど見られない埋葬法になる[11]。石室内施設での列島系要素は少なく、石屋形状(光州月桂洞1号墳)や石室内壁のベンガラに見られる程度である[11]。咸平新徳1号墳では埋葬施設から多数の副葬品が見つかっており、倭系文物の銀装三角穂式鉄鉾・捩り冠頭太刀、百済系文物の装身具が見つかっている[11]
なお、上記の北部九州系の横穴式石室は前方後円形墳に限ったものではなく、全南地方の在地系古墳や慶南地方(慶尚南道)の古墳においても一部で確認されている[12]

在地系古墳との比較
栄山江流域では、前方後円形墳とは異なる在地系古墳も羅州を中心として同時期に営まれている(羅州潘南古墳群・羅州伏岩里古墳群など)[13]。その中で、5世紀中頃までは低墳丘に複数の甕棺・木棺を埋葬する複合梯形墳が採られた[13]。5世紀後半から方形・円形の高塚古墳に変わり、墳丘には複数の横穴式石室が設置された[13]。これらと前方後円形墳とは、横穴式石室の使用、葺石・埴輪状土製品の使用、百済系装身具の使用、木棺の使用などの共通点が存在する[13]。一方で、墳形や、1古墳における埋葬施設の数の点では明らかに相違し、立地においても在地系高塚古墳の外縁部に前方後円形墳が分布するという違いがある[13]

背景

●-新羅
●-百済
○-栄山江流域
6世紀前半頃の朝鮮半島
 朝鮮半島では、4世紀後半から高句麗が南下政策を採り、475年百済の漢山城(漢城:ソウル特別市)が高句麗によって陥落する。これを受けて百済は都を475年に熊津忠清南道公州市)、さらに538年に泗沘(忠清南道扶餘郡)に遷した。前方後円形墳が営まれた5世紀後半から6世紀前半という期間は、百済がこの熊津に都を置いた時期に概ね相当する。この間に百済は勢力回復のため半島南部を志向し、512年に上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁、516年までに己汶、522年までに帯沙(多沙津)を領有する[14][15]

 日本列島では、6世紀後半までは半島外交が一元化されていない状態で、ヤマト王権のほか葛城・吉備・筑紫など各地方豪族によって多元的外交が行われた[16][14]。その中で朝鮮半島南部の九州系横穴式石室に見られる筑紫勢力(九州勢力)は、527年-528年(または530年-531年[注 1])の磐井の乱を契機として衰退する[12]

 栄山江流域に限定した場合、文献史学的には史料に乏しいためこの期間の実態は明らかでない。今日の2000年代以降の歴史教科書においても、この地域を日本側では加耶諸国の領域に、韓国側は百済の領域に含めており日韓両国で見解に相違が存在する[16]。この相違は『日本書紀』神功皇后49年(369年?[注 2])3月条での加羅七国平定伝説ならびに朝鮮半島南部を支配したという組織(いわゆる任那日本府)の真の主体についての見解の違いに起因するものであったが、この地域の考古学的な実態解明が進んだことによって日本・百済のいずれの支配も否定され見直されつつある[17][12]。なお、一説には前述の上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁が栄山江流域に比定される[16][18]

 考古学的には、栄山江流域は原三国時代馬韓弁韓辰韓)の馬韓諸国の1つで、三国時代にも百済に併合されるまで(日本)・百済加耶のいずれにも属さない在地勢力(馬韓残存勢力、一説に慕韓)であったと考えられるようになってきている[16][17][12]。そして5世紀後半から6世紀前半に在地系の高塚古墳や列島系の前方後円形墳が築造されたのち、6世紀中頃には百済系の陵山里古墳群型石室が営まれ馬韓勢力のうちで最も遅く百済の支配下に入ったものとされる[17]





  1. 勾玉は朝鮮半島の南部からしか出土しない

    朝鮮半島の勾玉は、日本に近い朝鮮半島の南部からしか出てこない。半島の勾玉が日本から持ち込まれたことを示しているようである。


[転載]韓国全羅北道で韓国最古5世紀後半の前方後円墳確認!日本の土師器系高杯などが出土 

$
0
0

【考古学】韓国・全羅北道で韓国最古の前方後円墳…土師器など出土で5世紀後半だと確認
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1432760741/-100

≪大韓文化財研究院が実施した発掘調査の結果、韓国南西部にある「高敞七巌里古墳」が韓国の前方後円墳の中で最古のものであることが確認されたと、 韓国文化財庁が27日に明らかにした。

大韓文化財研究院が実施した発掘調査の結果、韓国南西部の全羅北道(チョルラプクト)高敞(コチャン)郡の「高敞七巌里(コチャンチルアムリ)古墳」が韓国の前方後円墳の中で最古のものであることが確認されたと、 韓国文化財庁が27日に明らかにした。

高敞七巌里古墳は、栄山江(ヨンサンガン)流域に集中的に分布する他の前方後円墳のものと同じ6世紀前半に作られたものとされていたが、日本の土師器系高杯などが出土したことで5世紀後半であることが確認された。

全体の長さは55m内外で、韓国の前方後円墳の中で3番目に大きい規模である。完成段階で古墳の周辺に石を敷き詰めた葺石施設になっており、墓と石室を同時に築造したことも明らかになった。

また埋蔵施設は4つの大型割石を使用し、壁を作った「石棺形」の構造になっている。これまで韓国で確認・報告された13の前方後円墳で発掘調査が終わっている4つの古墳は、横穴式石室や 竪穴式石室だった。

同時に石棺内部には百済系の器台や蓋杯をはじめ、日本の土師器系高杯や円筒形土器、さらに鐵鏃や馬具の付属品である雲珠なども出土している。

調査過程で、今回調査した古墳以外に2つの前方後円墳が確認され、関心を集めている。普通、前方後円墳は単独で存在するのがほとんどだからだ。

今回の発掘調査結果は、韓国の前方後円墳の性格と出現時期に関する研究だけでなく、日韓の古墳文化の比較研究をより活性化させるきっかけになると文化財庁は期待している。 ≫


情弱の意見>>
………………………………
>日本の土師器系高杯などが出土した

あのさ~、これ国内の考古学にも言えることなんだけど
出土品は年代を確定させるもんじゃないんだよ

ウチのジイさんの墓にジイさんが大事にしてた江戸時代の刀を
一緒に埋葬したからってウチの墓が江戸時代に作られたってこと
じゃないわ!

ウチの墓、俺が10年前に買ったのものだしw
………………………………

(T-T)ノ~ 他の出土品や地層や放射線測定など、総合的に判断するに決まっているだろ。

巷間の意見>>
………………………………

過去には古代ローマ帝国のガラス細工が日本の古墳から出土した例もあるから
確かに出土品=古墳の年代ってわけではないし
年代を特定するのは実際、難しいのは事実だ
詳細に調査すれば、年代が変わったって例は常にあるからな
だけど、考古学者もそれくらいは考えてやるよ
………………………………

(T-T)ノ~ 常識的にはそうだが、政治力が働きますからね。考えるのと公表とは別物。

巷間の意見>>
………………………………
すでに前方後円墳は韓国起源と主張した学者がいるけど、
日本の古墳のほうが年代古いので無視されてます。
韓国にも実証主義の歴史学者は少ないながらいるんだけど、
メディアで意見を言うと刺されかねない国情なので
取材は受けずに論文だけ出して淡々と研究をしてる状態。
そういう人がいるからたまにまともな出土のニュースが出る。

アホな国民は露出の多いアホ学者の意見だけ聞くし、
まともな研究は教科書等にも載らないので日陰で埃かぶるのがお約束。
………………………………

(T-T)ノ~ 韓国の実情はその通りですね。

情弱の意見>>
………………………………
日本より数百年遅れで同じような形の小さな前方後円墳が出土しましたねえ・・・
韓国人は歴史捏造の辻褄が合わなくなると遺跡を破壊して埋めてしまうからな
ふふふ、見ものだわw
………………………………

(T-T)ノ~ 以下のサイトが詳しいです。↓

「韓国の前方後円墳が隠蔽のために破壊された」は間違い
http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar692840

(T-T)ノ~ 都合の悪い遺跡を埋め戻したのは事実。
古墳を破壊したのは、古墳が邪魔な土建屋でした。

巷間の意見>>
………………………………
これって、記紀のとおりに出てるね。
六世紀初頭に、大伴金村が任那のうち4県を、高句麗に攻められ領地を失った
百済に請われて割譲する。
この4県が、およそ古墳のある地域に相当するが、5世紀末までは倭人の支配地で、
それを「割譲」したわけだ。中国の史書が、半島南部に倭人が住んでいると
書いていることから、古くから倭人が住んでいた。
………………………………

(T-T)ノ~ そういうことのようですね。



記事が面白いと思ったら下のリンクをクリックしてくだされ!! <(_ _)>


人気ブログランキングへ

転載元: 政治ブログ

[転載]韓国考古学者が『途轍もなく都合の悪い代物』を発掘完了した! 日本式前方後円墳から日本の土師器系高杯などを発掘!

誉田八幡宮は大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、応神天皇陵のすぐ南に鎮座する。

$
0
0



誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格府社。主祭神は応神天皇で、応神天皇陵のすぐ南に鎮座する。


歴史

 社伝では、欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるとしており、そこから「日本最古の八幡宮」を称している。実際には、もっと後の八幡信仰が盛んになった時代に建立されたものとみられる。永承6年(1051年)、元の鎮座地から1(約100m)ほど南の現在地に遷座した。

 八幡神が源氏氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより社殿・伽藍を焼失し荒廃した。河内国を支配下に置いた織田信長により、社領をすべて奪われた。
 その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建した。天正14年(1586年)に社殿が焼失したため、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の建造中に大坂夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。
江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。
南大門
神宮寺として長野山護国寺があったが、明治初年の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。

文化財

国宝
  • 塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうみこし)(鎌倉時代)
  • 金銅透彫鞍金具(古墳時代)
重要文化財
  • 紙本著色神功皇后縁起2巻(室町時代)
  • 絹本著色誉田宗廟縁起3巻(室町時代)
  • 舞楽面11面(二ノ舞2、散手1、貴徳1、天童1、陵王1、還城楽1、退走徳1、陵王1、納曽利2)附:退走徳4面(鎌倉 - 室町時代)
  • 松皮菱螺鈿鏡鞍(鏡地板共)附:杏葉轡(鎌倉時代)
  • 剣 銘真守(鎌倉時代)
  • 太刀 銘則国(鎌倉時代)
  • 薙刀 無銘大和物・鉄蛭巻薙刀拵(鎌倉時代)
  • 伏見天皇宸翰後撰和歌集 巻第廿(鎌倉時代)

八幡神の歴史

 八幡神を応神天皇とした記述は「古事記」や「日本書紀」「続日本紀」にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった[4]。「東大寺要録」や「住吉大社神代記」に八幡神を応神天皇とする記述が登場することから、奈良時代から平安時代にかけて応神天皇が八幡神と習合し始めたと推定される[4]
 八幡神社の祭神は応神天皇だが、上述の八幡三神を構成する比売神、神功皇后のほか、玉依姫命や応神天皇の父である仲哀天皇とともに祀っている神社も多い[4]
 「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀天平9年(737年)で、読み方を同書天平勝宝元年(749年)の宣命に「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」のように「ヤハタ」と読み、『日本霊異記』の「矢幡(ヤハタ)神」や『源氏物語』第22帖玉鬘の「ヤハタの宮」のように「八幡」は訓読であったが、のちに神仏習合して仏者の読み「ハチマン」、音読に転化したと考えられる。

 「幡(はた)」とは「神」の寄りつく「依り代(よりしろ)」としての「(はた)」を意味する言葉とみられる[4]。八幡(やはた)は八つ(「数多く」を意味する)の旗を意味し、神功皇后は三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には祭壇に八つの旗を祀り[4]、また応神天皇が降誕した際に家屋の上に八つの旗がひらめいたとされる[4]

 八幡神は北九州豪族国造宇佐氏の氏神として[11]宇佐神宮に祀られていたが、数々の奇端を現して大和朝廷の守護神とされた。歴史的には、託宣をよくする神としても知られる。
748年(天平20)9月1日、八幡神は出自に関して「古へ吾れは震旦国(中国)の霊神なりしが、今は日域(日本国)鎮守の大神なり」(『宇佐託宣集』巻二、巻六)と託宣している。
 しかし、「逸文」『豊前国風土記』に、「昔、新羅国の神、自ら度り到来して、此の河原〔香春〕に住むり」とある。[12]
 「辛嶋勝姓系図」によると素戔嗚尊(スサノオ)とその息子の五十猛神の子孫であり、天照大神とは親戚にあたる。素戔嗚尊(スサノオ)は日本で生まれてその後に中国や朝鮮に追放されて日本に帰ってきた。さらに三韓征伐前から弁韓などは日本の領土だったことを考えると矛盾はしない。素戔嗚尊(スサノオの子孫である大国主命などが一緒に信仰されている事があるのはそういうわけである。
 また新羅は古くは辰韓もしくは秦韓と呼ばれ、辰韓人は中国大陸から朝鮮半島南東部に移住してきたとの史書の記述もあるため(「魏書辰韓伝」『三国志』(3世紀後半)、「辰韓伝」『後漢書』(432年)、「新羅伝」『北史』(659年))、中国から朝鮮半島を経由してきた。その後に彼らは秦氏の祖先の弓月君らと共に日本に難民受け入れを申請し、数多くの秦氏が応神天皇の時期に日本の保護の元で日本に帰化している。





     













[転載]JIS A 5011この規格は,ニッケル鉱石等からフェロニッケルを製錬採取する際に副産されるフェロニッケルスラグをコンクリート用骨材として用いるために必要な品質などについて規定している。

$
0
0



A 5011-2:2003
(1)
まえがき
この規格は,
工業標準化法第 14 条によって準用する第 12 条第 1 項の規定に基づき,
日本鉱業協会から,
工業標準原案を具して日本工業規格を改正すべきとの申出があり,日本工業標準調査会の審議を経て,経
済産業大臣が改正した日本工業規格である。

これによって,JIS A 5011-2:1997 は改正され,この規格に置き換えられる。
この規格の一部が,技術的性質をもつ特許権,出願公開後の特許出願,実用新案権,又は出願公開後の
実用新案登録出願に抵触する可能性があることに注意を喚起する。経済産業大臣及び日本工業標準調査会
は,このような技術的性質をもつ特許権,出願公開後の特許出願,実用新案権,又は出願公開後の実用新
案登録出願にかかわる確認について,責任はもたない。

JIS A 5011-2
には,次に示す附属書がある。
附属書1(規定)フェロニッケルスラグ骨材の化学成分分析方法
付属書2(参考)アルカリシリカ反応抑制対策の方法

JIS A 5011
の規格群には,次に示す部編成がある。
JIS A5011-1
コンクリート用スラグ骨材−第 1 部:高炉スラグ骨材
JIS A5011-2
コンクリート用スラグ骨材−第 2 部:フェロニッケルスラグ骨材
JIS A5011-3
コンクリート用スラグ骨材−第 3 部:銅スラグ骨材
JIS A5011-4
コンクリート用スラグ骨材−第 4 部:電気炉酸化スラグ骨材





目  次
ページ
序文 
1.  適用範囲
2.  引用規格
3.  種類,区分及び呼び方 
  3.1   種類
  3.2   粒度による区分
  3.3    アルカリシリカ反応性による区分 
  3.4   呼び方

4.  品質
 4.1   一般事項 
 4.2   化学成分及び物理的性質 
 4.3  アルカリシリカ反応性 
 4.4   粒度及び粗粒率

5.   試験方法
 5.1   試料の採り方 
 5.2   化学分析試験 
 5.3   絶乾密度及び吸水率試験 
 5.4   単位容積質量試験
 5.5   アルカリシリカ反応性試験 
 5.6   粒度試験 

6.   検査方法

7.   表示

8.   報告

附属書1(規定)フェロニッケルスラグ骨材の化学成分分析方法 
付属書2(参考)アルカリシリカ反応抑制対策の方法 



序文  この規格は,ニッケル鉱石等からフェロニッケルを製錬採取する際に副産されるフェロニッケルス
ラグをコンクリート用骨材として用いるために必要な品質などについて規定している。
この規格は,1992 年に制定されたが,アルカリ骨材反応において無害と判定されなかった一部のフェロ
ニッケルスラグ骨材についても,JIS A 5308(レディーミクストコンクリート)で定められている各種の
反応抑制対策が有効であることが判明したことから,このスラグ骨材にかかわる取扱いを 1997 年に改正し
たものである。
1. 
適用範囲  この規格は,コンクリートに使用するフェロニッケルスラグ骨材について規定する。ただ
し,高温高圧養生(オートクレーブ養生)を行うコンクリートには適用しない。
2. 
引用規格  次に掲げる規格は,この規格に引用されることによって,この規格の規定の一部を構成す
る。これらの引用規格は,その最新版(追補を含む。
)を適用する。
JIS A 1102
  骨材のふるい分け試験方法
JIS A 1103
  骨材の微粒分量試験方法
JIS A 1104
  骨材の単位容積質量及び実積率試験方法
JIS A 1109
  細骨材の密度及び吸水率試験方法
JIS A 1110
  粗骨材の密度及び吸水率試験方法
JIS A 1145
  骨材のアルカリシリカ反応性試験方法(化学法)
JIS A 1146
  骨材のアルカリシリカ反応性試験方法(モルタルバー法)
JIS A 5308
  レディーミクストコンクリート
JIS K 0050
  化学分析方法通則
JIS K 0115
  吸光光度分析通則
JIS K 0119
  蛍光X線分析方法通則
JIS K 0121
  原子吸光分析通則
JIS K 8001
  試薬試験方法通則
JIS M 8268
  クロム鉱石−硫黄定量方法
JIS Z 2616
  金属材料の硫黄定量方法通則
JIS Z 8801-1
  試験用ふるい−第 1 部:金属製網ふるい
JIS Z 9015

転載元: お願いしなければならない時もある


[転載]住友金属鉱山の沿革 日向の画像

$
0
0




沿革

住友金属鉱山のあゆみを掲載しています。
イメージ

〜1944

1590 1691(元禄4年) 1905(明治38年) 1927(昭和2年) 7月 1937(昭和12年) 6月 1939(昭和14年) 10月 1939(昭和14年) 11月



日向権現神社 (海神社)


イメージ

1615年日向海神社(権現神社)

蘇我理右衛門、京都において銅製錬・銅細工を開業
その後、銀・銅を吹き分ける“南蛮吹き”の技術を完成、また鉱山の開発も手がける
別子銅山の稼行開始
四阪島に銅製錬所を新設
住友合資、別子鉱業所の経営を分離して、住友別子鉱山(株)を設立
住友別子鉱山(株)と住友炭礦(株)を合併して、住友鉱業(株)を設立
四阪島製錬所中和工場が完成し、同年末50年来の煙害問題完全解決(新居浜煙害問題発生1893年9月)
電気ニッケル生産開始

1945〜

 


社名を井華鉱業(株)に改称
本社東京移転開始(1948年春完了)
井華鉱業(株)の金属部門をもって、別子鉱業(株)設立
社名を住友金属鉱山(株)に改称、同時にヰゲタマークの使用を復活
太平金属工業(株)の経営に参加、ニッケル加工事業へ進出

(株)日向製錬所を設立し、フェロニッケルの生産開始
1956年

イメージ



1962年
イメージ


1987年
イメージ



イメージ




イメージ



イメージ


浅川工業(株)(1962年住鉱潤滑剤(株)に社名改称)を設立し、二硫化モリブデンを原料とする潤滑剤の生産開始

東京電子金属(株)設立
二酸化ゲルマニウムの製造を開始、電子材料事業へ進出
シポレックス製造(株)を設立し、ALC(軽量気泡コンクリート)の製造開始
住鉱コンサルタント(株)(現 住鉱資源開発(株))を設立し、国内外における地質・鉱床調査等のコンサルティング事業へ進出

住鉱アイ・エス・ピー(株)設立
中央研究所(現 市川研究所)完成
東京電子金属(株)を吸収合併し、電子金属事業部(現 材料事業本部)を設置
住鉱アイ・エス・ピー(株)播磨製錬所が完成し、鉛・亜鉛の生産開始
電子金属事業部青梅工場(現 材料事業本部青梅事業所)完成
当社の電気銅、ロンドン金属取引所(LME)に登録

1970〜

 
日本ケッチェン(株)を設立し、脱硫触媒分野へ進出
東予製錬所完成
別子銅山閉山
鴻之舞鉱山閉山
国富事業所電子工場(現 住鉱国富電子(株))完成、ゲルマニウムの製造開始
Sumitomo Metal Mining Singapore Pte.Ltd.(現 SH Asia Pacific Pte. Ltd.)設立
シンガポールでリードフレーム生産を開始
新居浜研究所設置
佐々連鉱山閉山
住鉱アイ・エス・ピー(株)を吸収合併し、播磨事業所とする
鹿児島の菱刈鉱区で有望な高品位金鉱脈発見(金属鉱業事業団)
大口電子(株)設立
新本社ビル(新橋住友ビル)竣工
菱刈鉱山の探鉱結果発表(金量で120トンを推定)
菱刈鉱山開坑
菱刈鉱山着脈、出鉱開始
米国フェルプス・ドッジ社(現 フリーポート・マクモラン社)モレンシ銅山(アリゾナ州)へ投資(住友商事(株)と共同)
P.T.インターナショナルニッケルインドネシア社(現 PTヴァーレインドネシア社, インドネシア)へ資本参加
新居浜電子(株)設立
M-SMM Electronics SDN. BHD.(現 Malaysian SH Electronics Sdn. Bhd.)設立
マレーシアでリードフレーム生産を開始
シポレックス製造(株)を吸収合併
伸銅3社を統合し、住友金属鉱山伸銅(株)設立
バランド社(現 フィゲスバル社, ニューカレドニア)へ資本参加
別子開坑300年記念式典
米国フェルプス・ドッジ社が所有するカンデラリア銅鉱床(チリ)の開発プロジェクトに資本参加
ニッケル工場、MCLE法(マット塩素浸出電解採取法)へ全面転換
ノースパークス金・銅鉱山開発プロジェクト(オーストラリア)へ参加
Sumiko Electronics Taiwan Co.,Ltd.(現 SH Electronics Taiwan Co., Ltd.)設立
台湾でリードフレーム生産を開始
金隆銅業有限公司(中国)へ資本参加
Shanghai Sumiko Electronic Paste Co., Ltd.(SEP)設立
中国でペースト生産を開始
Sumiko Leadframe(Thailand)Co.,Ltd.設立
タイでリードフレーム生産を開始
菱刈鉱山累積産金量(83トン)日本一に
バツ・ヒジャウ銅金鉱山開発プロジェクト(インドネシア)へ資本参加
テック社(現 テック・リソーシズ社、カナダ)の株式取得
ストーンボーイ・リサ金鉱床の埋蔵金量162トンを確認
Sumiko Leadframe Chengdu Co.,Ltd.(現 SH Electronics Chengdu Co., Ltd.)設立
中国でリードフレーム事業へ進出
(株)ジェー・シー・オー東海事業所において臨界事故発生
建材事業部門を分離独立させ、住友金属鉱山シポレックス(株)設立

2000〜

 
リオツバ鉱山(フィリピン)の低品位酸化ニッケル鉱開発プロジェクト(コーラルベイ・ニッケル・プロジェクト)開始

三井金属鉱業株式会社と亜鉛製錬事業について業務提携し、合弁会社エム・エスジンク(株)を設立

同和鉱業株式会社(現 DOWAホールディングス株式会社)と硫酸事業について業務提携し、合弁会社(株)アシッズを設立

Sumiko Electronics Suzhou Co.,Ltd.(現 SH Electronics Suzhou Co., Ltd.)設立
中国でのリードフレーム第2拠点
セロ・ベルデ銅鉱山開発プロジェクト(ペルー)への資本参加について基本合意

ゴロ・ニッケルプロジェクト(ニューカレドニア)への資本参加について基本合意

三菱ガス化学株式会社と希土類鉄ガーネット(RIG)の合弁会社(株)グラノプトを設立
コーラル・ベイ・ニッケル・プロジェクト(フィリピン)の商業生産開始
オホス・デル・サラド銅資源プロジェクト(チリ)へ資本参加
ポゴ金鉱山(米国アラスカ州)生産開始
セロベルデ銅鉱山(ペルー)の硫化鉱床プロジェクト生産開始
テック・リソーシズ社保有のポゴ金鉱山全権益を当社・住友商事株式会社が取得
ニッケル・アジア・コーポレーション(フィリピン)へ資本参加
タガニート・プロジェクト(フィリピン)の実施を決定
三井金属鉱業株式会社圧延加工事業部と住友金属鉱山伸銅(株)が事業統合し、三井住友金属鉱山伸銅(株)設立
粗酸化亜鉛事業を行う四阪工場を分社化し、(株)四阪製錬所設立
カナダのクアドラFNXマイニング社(現 KGHMインターナショナル社)がチリに保有するシエラゴルダ銅鉱山開発プロジェクトに参加
中国に販売および管理業務を行う住友金属鉱山管理(上海)有限公司を設立
日立電線株式会社(現 日立金属株式会社)とリードフレーム事業を統合しSHマテリアル(株)設立
日立電線株式会社(現 日立金属株式会社)の伸銅事業会社である(株)SHカッパープロダクツに資本参加
タガニートHPALニッケル社(フィリピン)の商業生産開始


日向市ニッケル製錬鉱さいによる埋立一覧

「土地開発行為届出書の受理について」黒木健二 日向市長より





  開発許可年月    所在地            開発面積㎡   スラグ埋立量㎥

①平成21年5月(塩見字中山釜の谷2049他)      9,930㎡
②平成22年6月(東郷町山陰日ケ道丁1173-7他)   7,401㎡   49,164㎥
③平成22年9月(平岩字ナカツベ5206-イ他)      8,937㎡   63,898㎥
④平成23年3月(東郷町山陰高築1138)         7,800㎡   53,783㎥
⑤平成24年3月(西川内地区富高字山下2003番地1) 6,424㎡   37,905㎥
⑥平成24年3月(西川内地区富高字永菖蒲2035)   7,900㎡   50,777㎥
⑦平成25年10月(西川内地区富高字山下1959-1他) 8,634㎡   50,777㎥
⑧平成26年4月(日知屋字ナゴラ15771)         9,893㎡  100,000㎥
⑨平成26年9月9日(山陰日ケ道丁1173-15他)     9,752














住友金属鉱山 日向製錬所



磁選作業中 重機に注意






日向市日向製錬所北側の海神社


イメージ

日向市日向製錬所北側の海神社







イメージ


日向岩陰湧水に鎮座まします恵比寿様





イメージ





イメージ




イメージ












イメージ





イメージ







イメージ


転載元: 水や土を浄化しましょう

[転載]住友グループ住友金属鉱山 日向精錬所グループ の疑惑 不法 違法 に関する情報募集します。

$
0
0



住友グループ住友金属鉱山 日向精錬所 の疑惑 不法 違法 に関する情報募集します。


日向精錬所



イメージ




イメージ

西川内地区



イメージ



イメージ

イメージ

イメージ


イメージ





イメージ



・精錬残渣の逆有償販売
 廃棄物処理第16条違反 三億円以下罰金





・日向精錬所東北側
 鉱滓等の堆積に関する大気汚染防止

 土壌汚染対策違反


イメージ


転載元: ストリートフォトグラファークラブのブログ

[転載]宮崎県でセレンの特定施設のあるのは、都城保健所、日向保健所及び、東洋検査センター延岡事務所だけだと宮崎県が言っています。

$
0
0


宮崎県でセレンの特定施設のあるのは、都城保健所、日向保健所及び、東洋検査センター延岡事務所だけだと宮崎県が言っています。
旧日向製錬所の地下水にもセレンが環境基準を超過して検出されています。
住友金属鉱山の子会社である日向製錬所から排出されたフェロニッケルスラグ等で埋立られた日向市西川内地区の沈殿池からもセレンが検出されています。


イメージ

イメージ





イメージ 1



イメージ 2

住友金属鉱山の子会社である日向製錬所から排出されたフェロニッケルスラグ等で埋立られた日向市西川内地区の沈殿池からもセレンが検出されています。


イメージ 7



イメージ 8


イメージ 9


イメージ 10



イメージ 11


イメージ 3




イメージ 4

旧日向製錬所の地下水にもセレンが環境基準を超過して検出されています。

イメージ 5


イメージ 6


イメージ 12

転載元: ナルトサワギク・屁糞葛・ムクゲは防除すべき

スラグのフッ素をお勉強

$
0
0
鉄鋼スラグ製品の管理に関するガイドライン
各会員は、鉄鋼スラグ製品の販売において、販売先に対し、名目の如何を問わず販売代金以上の金品を支払ってはならない。
仮に、各会員が支払う運送費や業務委託費等が販売代金以上となるおそれがある場合は、各会員は、販売先以外の第三者を運送業者や業務委託先等として選定しなければならない。
なお、各会員は、販売先に販売代金以上の金品が還流することを認識・把握しながら、販売先以外の業者(運送業者を含む)に対し、販売代金以上の金品を支払ってはならない。

envsys.k.u-tokyo.ac.jp/cgi/res_paper/.../1330865970_1.pdf
ところで、近年スラグ中のフッ素が問題となってきている。 フッ素は地球上に広く分布し ている元素であり、地殻存在度が 625 ppm である。しかしなが. ら 1974 年の国連人間 環境委員会でフッ素は、公害物質として認識されており、しかも、肺がん. の原因となる ...

6.結論
鉄鋼スラグを鉱物学的に調べた結果、次のことが判明した。

・ 高炉スラグのうち、炉前水砕スラグと炉外水砕スラグは、ガラスと少量の gehlenite で構
  成され、徐冷スラグは gehlenite 及びCa2SiO4 で構成されている。

・ 製鋼スラグは、gehlenite、Ca2SiO4、金属鉄、wollastnite、magnetite、hematite 及び少
  量のガラスから構成され、これらの鉱物以外に、ORP スラグにはCa3SiO5、転炉スラグに
  は Ca2Fe2O5 、merwinite が含まれている。

・ 混合スラグは他の製鋼スラグと異なり、Ca2SiO4と多量のhematite、更にmagnetite 及び
  金属鉄から構成されている。

・ 高炉スラグは CaO、SiO2 、Al2O3 、MgO を主成分とする。製鋼スラグはCaO、SiO2、
  Al2O3、MgO に加えてFeO が主成分となる。製鋼スラグは高炉スラグよりSiO2の量が多
  く、ORP スラグは他のスラグに比べて、Al2O3、FeO、MgO が少ない。

・ 微量成分のうちフッ素の含有量は高炉スラグより製鋼スラグの方に多い。特にORP スラ
  グに多い。
・ フッ素は、Ca、Si、O、と類似した挙動を示し、P、Mn、Fe、Ti とは排他的である。この
ことからフッ素は、Ca 及びSi と鉱物を構成していると結論できる。
・ ORP スラグの主要構成鉱物であるCa2SiO4 の組成式は、
(Ca1.64 Mg0.12 Mn0.03 Fe0.01 Si0.86 Ti0.01 Al0.09 P 0.13)(O 3.89 F 0.19 S0.01)
で表される。


www.ace-compliance.com > ... > news - キャッシュ
東証1部上場の鉄鋼メーカー「大同特殊鋼」(名古屋市)が、渋川工場(群馬県渋川市) から出た有害なフッ素や六価クロムを含む「鉄鋼スラグ」を再生資材として業者に販売 する際、販売額より高い費用を払っていたことが分かった。高額な処分 ...
www.mlit.go.jp/kowan/recycle/2/07.pdf
2.6 鉄鋼スラグ. 鉄鋼スラグは、炉の種類や冷却方法の違いにより、高炉スラグ(高炉徐 冷スラグ、高炉. 水砕スラグ)、製鋼スラグ(転炉スラグ、電気炉スラグ)といった性状の ..... なお、高炉徐冷スラグの項で述べているようにスラグには微量のフッ素を含有するも.
①製鉄会社の鉄鋼スラグ処分地の不足、②中国景気で増産による大量発生、③瀬戸内 海の海砂採取は06 年3 月末、愛媛県を最後に ... しかし鉄鋼スラグは強アルカリ性で、 フッ素・セレン・コバルトなどの重金属を含有し、海に直接溶出・浸出する利用をすべき ...
www.jstage.jst.go.jp/article/jjsmcwm/25/0/25.../_pdf
製鋼スラグからの成分溶出に対する粒径およびpH の影響

蛍石を用いた精錬工程で発生する製鋼スラグを用いて,溶媒pH および温度変化による製鋼スラグの溶出量の検討を行った。また,溶出試験と同条件から粒径別の溶出量を検討した。

  溶出試験の結果,フッ素の溶出量は溶液のpH が影響していた。また,粒径別の溶出試験より表面からの深度に対する溶出領域と比較した場合,粒径が小さいほど推定溶出量と測定溶出値の差が大きくなった。
  一律推定溶出量と測定溶出量を比較すると,粒径を1.625-2, 0.425-0.5 mm とした場合は各元素で0.1〜10 倍となった。

 試料粒径0-0.045 mm の推定溶出量は,測定溶出量と比較して小さく(1/1000〜1/10,000)なることが推測された。試料粒径0-0.045 mm からの溶出は,溶出試験の溶出量に寄与しないことが示唆された。また,見かけ上製鋼スラグの溶出には,表面の1〜0.1% の成分が関わっていることが示唆された。


5.まとめ
 本研究では,条件の異なる溶出試験(純水,pH 4 水,50℃) を行い,各条件に対しての製鋼スラグからの溶出傾向を確認した。
 また,溶出試験と同一の条件下で,試料を粒径ごとに分離し(1.625-2, 0.425-0.5, 0-0.045 mm),粒径別の溶出試験を行うことで,粒径別の溶出量や粒径の違いによる溶出傾向を検討した。
 以下に,本研究で得られた知見を示す。
・溶出試験より,本研究で用いた試料では,カルシウム含有量と比較して,酸化スラグでは1/250,還元スラグでは1/300 溶出していることが示された。フッ素含有量と比較して,酸化スラグでは1/175〜1/300,還元スラグでは1/700〜1/1,500 溶出していることが示された。アルミニウムの溶出濃度は,pH 4 水の場合に,他の溶媒条件と比較して溶出濃度が小さくなることが示された。酸化スラグでは,pH 4 水を用いた場合にアルミニウム溶出濃度が最大となるが,還元スラグでは,溶媒および溶出の条件の違いに対して大きな溶出濃度の違いは見られなかった。

・純水を用いた粒径別溶出試験の結果,粒径の小さいほど製鋼スラグからのフッ素の溶出濃度が増加した。他の元素では粒径依存性がみられず,最小粒径0-0.045 mm で行った溶出試験の溶出濃度が最小となっていた。

・pH 4 水を用いた場合のフッ素の溶出傾向は,粒径依存性がみられた。粒径への依存性がみられることから,フッ素の溶出傾向として,製鋼スラグに含まれる他の元素に大きく影響されている可能性が高い。

・温度変化による粒径別溶出試験では,カルシウム,アルミニウム,フッ素,ケイ素において粒径依存性が見られた。純水やpH 4 水を用いた場合にみられた微小粒径の溶出抑制に関係したと推測されるC-S-H やC-S-A-H の形成が促進された可能性がある。試料粒径1.625-2, 0.425-0.5 mm においても,C-S-H やC-S-A-H 等の錯体が形成されたことで,
溶出液中のカルシウムやアルミニウム,ケイ素の溶出量が減少した可能性が高い。

・試料の粒径別の溶出試験の測定量と,製鋼スラグ表面の溶解深度から計算された推定溶出量とを比較した。試料粒径1.625-2, 0.425-0.5 mm では,フッ素の溶出は,推定溶出量と測定溶出量がほぼ同程度であることが示された。また,カルシウム,アルミニウム,ケイ素において推定溶出量よりも測定溶出量の方が多くなることが示された。

・試料粒径0-0.045 mm においては,すべての元素,すべての溶出試験の条件に対して推定溶出量が大きくなることが示された。推定溶出量と測定溶出量を比較すると,推定溶出量が,1,000〜10,000 倍の溶出していることが示された。

・試料粒径0-0.045 mm の測定溶出量が,推定溶出量や一律推定溶出量と比較して小さかった。そのため,微小粒径の溶出は,溶出試験のそれの1/1,000〜1/10,000となり,溶出試験の溶出量に寄与していな
い可能性がある。

・一律推定溶出量と測定溶出量を比較すると,試料粒径1.625-2, 0.425-0.5 mm とした場合に各元素で0.1〜10 倍となり,見かけ上製鋼スラグ表面の1〜0.1%の成分が溶出に関わっていることが示唆された。



www.jstage.jst.go.jp/article/jsmcwm/23/0/23.../_pdf
【キーワード】製鋼スラグフッ素、エージング処理、溶出試験. 電気炉スラグ環境影響 処理によるフッ素溶出量変化の検討. ○(学)中村謙吾 1)、米田稔 1). 1)京都大学工学 研究科都市環境工学専攻. 1.はじめに. 循環資源の環境への利用による循環型社会の  ...



fsci.4rm.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=711 - キャッシュ
微妙な話なのですが、フッ素イオンと単体のフッ素の危険性を取り上げて実際の状態の 検証に難しい話題です。 フッ素イオンやフッ素ガスおよびフッ化水素は反応性が高くて 大量だと毒性を持ちます。 特に昔よく分析で使いましたがフッ化水素 ...
www.ekouhou.net/製鋼スラグ製品のフッ素溶出量の低減方法... - キャッシュ
【解決手段】 フッ素含有量およびフッ素溶出量の異なる複数の製鋼スラグが混在した スラグ混合物の塩基度(CaO/SiO2)を2.0以下になるように、製鋼スラグ混合物の 混合状態を調整することによって、これらの製鋼スラグからのフッ素溶出量を低減する 方法で ...
www.zensanpairen.or.jp/federation/02/06/jis_houkokusyo.pdf
今回の調査によると、産業廃棄物に由来する溶融スラグは、25 社 26 施設から生産量 が約 266 千t/. 年となっており、 ...... No.58-7、58-8 は下水汚泥由来の溶融スラグで ある。 表2-10 検体 No.58 と JIS 規格の比較. フッ素溶出量. 鉛含有量. 金属鉄. (mg/L).

[転載]宮崎県日向市[ひゅうがし]のふるさと納税

$
0
0


ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」 ... 産まれも育ちもJA日向管内です。 宮崎牛の定義に加え、JA日向独自の厳しい条件をクリアしたものだけが「JA日向産 宮崎牛」となります。 脂身が少なく、赤身本来のコクと旨みを存分にご賞味ください。 容量:もも ...

10,000円以上の寄附でもらえる

Aコース

※特産品がお手元に届くまでに、ご入金から1~2ヶ月程度期間を要する場合がございます。

A-1 JA日向産 宮崎牛ももスライス

サンプル写真
    冷凍
      サンプル写真
      産まれも育ちもJA日向管内です。
      宮崎牛の定義に加え、JA日向独自の厳しい条件をクリアしたものだけが「JA日向産宮崎牛」となります。
      脂身が少なく、赤身本来のコクと旨みを存分にご賞味ください。
      容量:ももスライス500g

      A-2 JA日向産 宮崎牛焼肉セット

      サンプル写真

      • 冷凍
        サンプル写真
        産まれも育ちもJA日向管内です。
        宮崎牛の定義に加え、JA日向独自の厳しい条件をクリアしたものだけが「JA日向産宮崎牛」となります。
        柔らかい赤身でヘルシーなもも肉と旨みの詰まったバラ肉を食べ比べてください。
        容量:バラ肉200g、もも肉200g

        A-3 みやざき地頭鶏1羽セット

        サンプル写真

          冷凍
            4ヶ月から5ヶ月の長い期間、手間暇と愛情をかけて飼育しており、清涼な空気と雄大な大地の中ですくすく育った「みやざき地頭鶏(じとっこ)」。肉質は弾力があるのにとても柔らかく、さっぱりとした脂がのりジューシー!生産量が少なく貴重な「地頭鶏」を、ぜひこの機会にご賞味ください。
            容量:もも身、ムネ身、ささみ、手羽、砂肝、レバーなど(計約1.3kg)

            A-4 日向豚の盛りだくさんセット

            サンプル写真

            • 冷凍
            サンプル写真
            日向の大自然の中でゆっくり大切に育てた美味しい豚肉です。
            容量:ロース薄切り約250g×2パック
            豚バラスライス約250g×2パック
            トンカツ用ロース約250g×2パック

            A-5 求味一心ホワイトロースハム

            サンプル写真

            • 冷蔵
              サンプル写真
              【南日本ハム(株)日向工場製造】
              容量:ホワイトロースハム650g

              A-6 九州産黒豚セット

              サンプル写真

              • 冷蔵
                海・山・川、自然の恵み豊かな九州の大地ですくすく育った九州産黒豚を原料に、ひとつひとつ丁寧に商品づくりをしています。
                【南日本ハム(株)日向工場製造】
                容量:ホワイトボンレスハム120g、あらびきローフ100g、パストラミローフ100g、スモークウインナー100g×2

                A-7 ひむか米10kg(ひのひかり)

                サンプル写真
                • 常温
                  食味が良く、地域で人気の銘柄『ひのひかり』です。
                  容量:10kg(5kg×2)

                  A-8 ひむか特別栽培米10kg(こしひかり)

                  サンプル写真
                  • 常温
                    減化学肥料、減農薬による特別栽培米です。
                    容量:10kg(5kg×2)

                    A-9 日向灘獲れお船出ちりめんA

                    サンプル写真

                    • 冷蔵
                      地元美々津で獲れた新鮮なちりめんを天日干しにし、旨みをギュッと閉じ込めました。
                      道の駅日向の情報はこちらから
                      容量:・特上ちりめん(箱入) 500g×1
                      ・ちりめん(袋入) 100g×2

                      A-10 海の駅ほそしま大漁セット

                      サンプル写真

                      • 冷凍
                        漁師町「細島」のお母さん達が、地元で獲れた魚で手作りした旬の海産物加工品の盛りだくさんセット

                        海の駅ほそしまの情報はこちら
                        容量:・魚のフライ 4種類
                        ・干物 3種類
                        ※季節により内容に変更あり

                        A-11 こだわりのひむかの香 詰合せ(お茶)

                        サンプル写真
                        • 常温
                          「やぶきた」の品種にこだわり、茶葉本来の持っている素材の良さを追求し、当社独自の仕上げにより作り上げたお茶です。
                          また、「釜いり茶」は現在では、生産量が全体の1~2%と貴重なお茶となっています。昔ながらの「平釜」で仕上げを行いますので香りの良いのが特徴です。
                          容量:・特上煎茶(深蒸し風味) 100g
                          ・ひむかの香(煎茶) 100g
                          ・ひむかの香(玉緑茶) 100g
                          ・釜いり茶 100g

                          A-12 あくがれ焼酎セット

                          サンプル写真
                          • 常温
                            市唯一の焼酎蔵であるあくがれ蒸留所の名物「14°」の本格焼酎セットです。
                            株式会社あくがれ蒸留所の情報はこちらから
                            容量:あくがれ白麹 720ml
                            あくがれ黒麹 720ml
                            あくがれ14° 900ml

                            A-13 日向のふるさと特産品セットA

                            サンプル写真
                            • 常温
                              日向特産の「へべす」や「日向夏」を使用した加工品や地元の生産者が丹精込めて作った商品など、日向の特産品の詰め合せ。
                              道の駅日向の情報はこちらから
                              容量:【セット内容(一例)】
                              ・日向銘茶 100g
                              ・鶏炭火焼へべす味200g
                              ・はまぐり飯の素200g
                              ・日向夏ドレッシング250g
                              ・へべすしぼり果汁200g

                              ※セット内容は、季節によって変わります。

                              A-14 季節の野菜・加工品セット

                              サンプル写真
                              • 常温
                                地元の農家さん達が丹精込めて作った野菜や加工品のセットです。
                                容量:【セット内容(一例)】
                                ・ホーレン草 1束
                                ・人参 3本
                                ・新玉ねぎ 3個
                                ・大根 1本
                                ・スナップエンドウ 120~150g
                                ・ネギ 2~3本
                                ・トマト 中玉5個
                                ・お米 1.5㎏
                                ・金柑 500g
                                ・牧水みそ 1㎏
                                ・いちごジャム 140g
                                ※セット内容は、季節によって変わります。

                                A-15 宮崎産乾しいたけと加工品セット

                                サンプル写真
                                • 常温
                                  肉厚のどんこ椎茸、乾しいたけたっぷりの混ぜご飯の素、日向市特産『へべす』を使ったへべす胡椒入りの椎茸と鶏の炭火焼の詰め合せです。
                                  株式会社本吉の情報はこちらから
                                  容量:・宮崎県産乾しいたけ(どんこ) 200g×1
                                  ・椎茸と鶏 混ぜご飯の素 180g×2
                                  ・椎茸と鶏 炭火焼85g×2

                                  A-16 日向名物ひょっとこ菓子と平兵衛酢づくしのお菓子セットA

                                  サンプル写真
                                  • 常温
                                  • 冷蔵
                                    「ひょっとこ」の顔をイメージした、楽しいお菓子と日向特産のへべすを使用した饅頭の詰め合せです。
                                    容量:・ひょっとこ菓子(8個入り)
                                    ・平兵衛づくしのお菓子詰合せ(12個入り)

                                    A-17 ひょっとこ面

                                    サンプル写真

                                      日向市の伝統芸能「ひょっとこ踊り」に使われるお面。
                                      ひょうきんで愛嬌ある表情が人気!
                                      様々な表情のお面からお選びいただけます。

                                      A-18 牧水歌入り酒器セット

                                      サンプル写真

                                        サンプル写真
                                        国民的歌人「若山牧水」の酒の歌2首を焼き込んだ酒器セットです。
                                        容量:・2合徳利
                                        ・盃×2

                                        A-19 オリエンタルユリの詰め合わせ

                                        SOLD OUTサンプル写真

                                          南国宮崎の太陽を一杯浴びて育った百合です。
                                          産地直送の鮮度と日持ちの良さをお届けします。
                                          容量:概ね8~11本ほどのオリエンタルユリの詰め合わせ。
                                          ※市場変動や送付先により本数の変動あり
                                          申込:提供期間:1月~6月及び10月~12月
                                          7月~9月にかけては対応不可

                                          A-20 宮崎味わいセット

                                          SOLD OUTサンプル写真

                                          • 冷蔵
                                            宮崎県は数多くの神話や伝説のふるさとでもあり、人々は偉大な自然に対して感謝と畏敬の念を抱きながら、独自の文化を培ってきました。豊かな大地と純朴な人々の心が生み出した『宮崎味わい』をどうぞ、ご堪能ください。
                                            【南日本ハム(株)日向工場製造】
                                            容量:・ロースハム58g
                                            ・ベーコン55g
                                            ・焼豚58g
                                            ・スモークウインナー90g
                                            ・ビアヴルスト58g
                                            ・ホワイトウインナー90g
                                            ・ボンレスハム58g
                                            ・フランクフルトソーセージ145g
                                            配送:【期間限定】
                                             ・夏期6月~8月(最終受付は8月10日までにご入金いただいた方まで)

                                             ・冬期10月~12月(最終受付は12月10日までにご入金いただいた方まで)

                                            A-21 日向特産へべす青果と加工品のセット

                                            サンプル写真

                                            • 冷蔵
                                              「へべす」は日向市特産の柑橘類です。さわやかな酸味とまろやかな旨みが特徴の果汁をぜひお楽しみください。
                                              「へべす」についての情報はこちら
                                              容量:へべす青果1kg
                                              へべすぽん酢
                                              へべすドレッシング2本
                                              へべす胡椒

                                              A-22 日向完熟マンゴーA

                                              SOLD OUTサンプル写真
                                              • 常温
                                                お申込みが予定数に達したため、受付を終了させていただきます。
                                                申込受付の再開時期については、未定です。
                                                容量:2L(350~449g)×2玉

                                                A-23 マンゴージェラート

                                                SOLD OUTサンプル写真

                                                • 冷凍
                                                  日向産完熟マンゴーをふんだんに使用したジェラートです。無添加ですので、お子様からお年寄りまで安心して食べられます。
                                                  容量:マンゴージェラート10個

                                                  A-24 鰻楽ハーブうなぎ蒲焼 長焼2尾入り

                                                  サンプル写真

                                                  • 冷凍
                                                    日向市東郷町の養鰻場で育ったうなぎを使用しています。きれいな地下水とハーブ入りのオリジナルの餌で健康に育ったうなぎは、臭みで苦手だったというお客様からも好評です。
                                                    株式会社鰻楽の情報はこちらから
                                                    容量:うなぎ蒲焼 長焼1尾(160g以上)×2尾
                                                    添付たれ 15g×2袋
                                                    山椒 2袋
                                                    配送:※土用の丑の日に合わせての発送はできませんので、予めご了承ください。


                                                    www.furusato-tax.jp/japan/tax_form/45206 - キャッシュ
                                                    このフォームに入力し、送信いただくことで、宮崎県日向市への寄附をお申込みいただけ ます。 ... お寄せいただいた個人情報は、宮崎県日向市が寄附金の受付及び入金に係る 確認・連絡等に利用するものであり、それ以外の目的で使用するものではありません。
                                                    www.city.hyuga.miyazaki.jp/display.php?cont=140317120132 - キャッシュ
                                                    ご記入いただいた申込用紙を、【 ファックス番号:0982-52-1455 】まで送信ください。 ○ 郵送を利用. ご記入いただいた申込用紙を、下記まで郵送ください。 〒883-8555 宮崎 県日向市本町10番5号 日向市総合政策課 ふるさと納税担当宛て. ※寄附申込様式の  

                                                    更新日:2015年8月6日

                                                    ふるさと日向市応援寄附金

                                                     

                                                    ふるさと日向市応援寄附金って?

                                                    「ふるさと日向市応援寄附金」は、日向市が「ふるさと」である方や日向市のまちづくりにご賛同いただける方々に、寄附を通じて日向市の取り組みを応援していただくものです。
                                                     日向市では、現在、総合計画のキャッチフレーズ「市民が奏でる“交響"空間 優しく 強く 温かい 人とまち」のもと、市民の皆さんとの協働により「元気で活力あるまちづくり」に取り組んでいます。 皆さまには、「ふるさと日向市応援寄付金」の趣旨をご理解いただき、日向市のまちづくりを応援いただきますようお願い申し上げます。
                                                     

                                                    特産品の贈呈

                                                    「ふるさと日向市応援寄附金」に1万円以上寄附をいただいた方にもれなく日向市の特産品を贈呈いたします。日向市の魅力的な特産品をぜひご堪能ください。
                                                     受け取ることができる特産品は、こちらの外部サイトからお選びください。
                                                     
                                                    ■寄附金額と受け取ることができる特産品
                                                     ○10,000円~20,000円未満の寄附  Aコース1つ    ○20,000円~30,000円未満の寄附  Aコース2つ または Bコース1つ    ○30,000円~40,000円未満の寄附  Aコース3つ または                    Aコース1つ + Bコース1つ    ○40,000円~50,000円未満の寄附  Aコース4つ または                     Aコース2つ + Bコース1つ または                    Bコース2つ    ○50,000円以上の寄附        Aコース5つ または                    Aコース3つ + Bコース1つ または                    Aコース1つ + Bコース2つ または                    Cコース1つ    ○500,000円以上の寄附      Sコース1つ
                                                     
                                                    ※特産品の贈呈の回数制限はございません。
                                                      

                                                    寄附をするには?

                                                     日向市に寄附をしていただけるという方は、大変お手数ではございますが、次のいずれかの方法で、日向市総合政策課までご連絡ください。
                                                     なお、2,000円を超える寄附を市町村や都道府県に行った場合には、所得税と住民税の控除が受けられます。 
                                                     税金の控除についてはこちら ⇒ 税金の控除について (PDFファイル/53.38キロバイト)
                                                     

                                                    寄附の申し出

                                                    ■ふるさと日向市応援寄附金申込フォームを利用する
                                                     ⇒ ふるさと日向市応援寄附金申込フォームへ(外部サイトへ移動します)
                                                     
                                                    ■Eメール、ファックス、郵送のいずれかの方法で申し込む
                                                     「申込用紙」をダウンロードまたは印刷し、必要事項の記入後、下記のいずれかの方法で日向市総合政策課までご提出ください。     ○Eメールを利用
                                                       ご記入いただいた申込用紙をメールに添付し、 【メール送信先: furusato@hyugacity.jp 】まで送信ください。
                                                        ○ファックスを利用
                                                       ご記入いただいた申込用紙を、【 ファックス番号:0982-52-1455 】まで送信ください。
                                                        ○郵送を利用
                                                       ご記入いただいた申込用紙を、下記まで郵送ください。
                                                        〒883-8555  宮崎県日向市本町10番5号  日向市総合政策課 ふるさと納税担当宛て
                                                      ※寄附申込様式のダウンロード   
                                                     
                                                     

                                                    寄附金の入金方法

                                                      寄附金の入金については、次の2つの方法をご選択いただけます。  
                                                    ○郵便振込用紙を利用して入金する方法(※手数料不要)
                                                      ~ 全国の郵便局がご利用いただけます
                                                     寄附の申し出をいただいた方に、郵便振込用紙を郵送いたしますので、最寄の郵便局、ゆうちょ銀行でお振り込みください。
                                                     なお、郵便振込用紙を利用する場合、振込手数料は不要です。
                                                     
                                                    ○金融機関やネットバンキングで市の専用口座へ入金する方法(※手数料はご本人様負担になります)
                                                      ~ 全国の金融機関がご利用いただけます
                                                     下記口座番号に金融機関、もしくはネットバンキング等からお振り込みください。
                                                     ※寄附をお振込みいただいた際は、寄附の申込用紙を必ず日向市へお届け願います!
                                                      (申込用紙が届かないと、どなたからの寄附かが判別できません)
                                                     なお、大変申し訳ありませんが、振込手数料につきましては寄付をされる方のご負担となりますのでご了承願います。
                                                    ***********************************************************************
                                                     ※振込先口座
                                                       宮崎銀行 日向支店 普通 (口座番号)200567
                                                       (口座名義)ふるさと日向市応援寄附金(ふるさとひゅうがしおうえんきふきん) 

                                                    転載元: 社会に奉仕のブログ

                                                    Viewing all 1050 articles
                                                    Browse latest View live