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[転載]第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・伊豆と浜名

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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年

《第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・》
 
 <伊豆と浜名>

 「久伊豆神社と十戒」で述べた
 埼玉県北埼玉郡騎西町の
 久伊豆神社の鎮座地は
 かっての別当龍花院の
 山名ともなっている。

 「伊豆山」に位置している。

 「イズ」はヘブライ語の「栄光」を表わす
 IZ の音写であり、
 伊豆山はシナイ山を示している。

 出エジプト記第24章15-18

 24:15

  こうしてモーセは山に登ったが、
  雲は山をおおっていた。 

 24:16

  主の栄光がシナイ山の上にとどまり、
  雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、
  七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。

  24:17

  主の栄光は山の頂で、
  燃える火のように
    イスラエルの人々の目に見えたが、

  24:18

  モーセは雲の中にはいって、山に登った。
  そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。 

  静岡県熱海市にその伊豆山の地名と
  伊豆山神社が鎮座している。

 この名称も
 同じ観念に依り付けられたもので、
 伊豆はまさに『出エジプト記』に由来した
 「栄光」を表わしている。

 第17章

 17:1

  イスラエルの人々の全会衆は、
  主の命に従って、
  シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、
  レピデムに宿営したが、
  そこには民の飲む水がなかった。

  17:2

  それで、民はモーセと争って言った、
  「わたしたちに飲む水をください」。

  モーセは彼らに言った、

  「あなたがたはなぜわたしと争うのか、
   なぜ主を試みるのか」。

  17:3

  民はその所で水にかわき、

  モーセにつぶやいて言った、

  「あなたは
      なぜわたしたちをエジプトから導き出して、
   わたしたちを、子供や家畜と一緒に、
   かわきによって死なせようとするのですか」。

  17:4

  このときモーセは主に叫んで言った、

  「わたしは
      この民をどうすればよいのでしょう。
   彼らは、今にも、
   わたしを石で打ち殺そうとしています」。

  17:5

  主はモーセに言われた、

  「あなたは民の前に進み行き、
   イスラエルの長老たちを伴い、
   あなたがナイル川を打った、
   つえを手に取って行きなさい。

  17:6

   見よ、
   わたしはホレブの岩の上で
      あなたの前に立つであろう。
   あなたは岩を打ちなさい。
   水がそれから出て、
      民はそれを飲むことができる」。

  モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、
  そのように行った。 

 17:7

  そして彼はその所の名をマッサ、
  またメリバと呼んだ。

  これはイスラエルの人々が争ったゆえ、
  また彼らが

  「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」

  と言って主を試みたからである。

 17:8

  ときにアマレクがきて、
  イスラエルとレピデムで戦った。

 17:9

  モーセはヨシュアに言った、

  「われわれのために人を選び、
   出てアマレクと戦いなさい。
   わたしはあす神のつえを手に取って、
   丘の頂に立つであろう」。

  17:10

  ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、
  アマレクと戦った。
  モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。

  17:11

  モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、
  手を下げるとアマレクが勝った。

  17:12

  しかしモーセの手が重くなったので、
  アロンとホルが石を取って、
  モーセの足もとに置くと、
    彼はその上に座した。

  そしてひとりはこちらに、
    ひとりはあちらにいて、
  モーセの手をささえたので、
  彼の手は日没までさがらなかった。

  17:13

  ヨシュアは、
  つるぎにかけて
  アマレクとその民を打ち敗った。

 17:14

  主はモーセに言われた、

  「これを書物にしるして記念とし、
   それをヨシュアの耳に入れなさい。

   わたしは天が下からアマレクの記憶を
   完全に消し去るであろう」。

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を
  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、
   主は世々アマレクと戦われる」。

  「あなたの前に立つ」は
  助けることを意味する

  神はイスラエルの人々に
 水を岩から出して与えたのである。

 熱海の伊豆山神社の背後に岩戸山が聳えている。

  「戸」とは「口」の字義であるから
  「岩戸」は「岩山の水」を意味する。
  「水口」は熱海市の町名になっている。

  騎西町のシナイの転訛であるであると説いた
  正能地区の南北に外川(と)川、
  戸崎の地名があるのも
 この事件を題材としたわけである。

  熊谷市が「泉」に係わる地名であることも
  既に述べた。

 熱海市の北、神奈川県足柄下郡真鶴町の

  「マナツル」もこの事件に係わる。

 「マナ」は MIYN(maen) の音写で
  「泉、湧き水」、
 「ツル」は TsVR(tsur) で
  「岩、岩石」を意味し、
  「マナツル」は〔泉-岩〕の字義である。

  因みに MIYM は熱海の「ミ(海)」でもあり、

 「アタ」は「湯気、水蒸気」の意味の
  AD(aed) で、
 「アタミ」は〔湯気-泉〕となる。
   AD はまた伊東市の祖語でもあろう。

 この地域は温泉が盛んに湧き出している。

 熱海市桜町に今宮神社が鎮座しているが、
 「今(こん)」は「湖、池」を意味する
   AGM(agam)の転訛である。

   また西山町の来の宮神社
   伊東市八幡町来宮神社は
  モーセを助けた「神の声」である

 KVL(kol) の音写に依る。

 さらに熱海市和田木、
 そこに鎮座する和田木神社名は
  VT-KVL(vat-kol) で
 「こだま、神の声、天声」の字義である。

  『出エジプト記』第17章では

 このホレブ山での出来事の後
  アマレクという人々と
 戦うことになったが、
  その記述の最後(15・16)は

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を
  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、
   主は世々アマレクと戦われる」。

 この「主の旗」を地名にしているのが
 熱海市の多賀で

 DGL(tegel 旗) の音写である。

 下多賀に鎮座する井下多賀神社は、
 井の下、つまり、
  ホレブ山麓辺りでの事件を覗わせている。

 天城山(高原)名はアマレク
  IMLK の転訛名であろうか。
 このように伊豆半島東部は

 『出エジプト記』第17に係わる
  挿話に満ちている。

 下田(しもだ)市名がその
 『出エジプト記』の
 ヘブライ語名 
 ShMVT(shemot) に
 依ることは間違いないところである。

 湯河原市と小田原市との境界に星ヶ山がある。

 「久伊豆神社と十戒」で紹介したように
 「河原」は「星」の字義である。

 つまり、
  KVKhV(kuhabe) の転訛であるが、
 この名称は小田原市の東、
 神奈川県中郡二宮町山西の
  川匂神社名となっている。

 同社は「延喜式」神名帳の
 相模國餘綾(よろぎ)郡の一座で、
 同國の二の宮の位階にあった。

 その訓を「カワハ」としている。

 同町を葛川が流れ、
  ガド族の存在を覗わせている。

 中里及び中郡の「ナカ」は 
  NGH(nagah)の音写で
 「光、輝き」にして「明星」を意味する。

 そこに明星神社が鎮座し、
 星神信仰があったことを示している。

 その名「明星ヶ岳」が
  小田原市と箱根市の境界宮で
 北方に聳えている。

 箱根の「箱」は
 「契約の箱」の意味に採れるし、
 「根」は後述するように「神」を表すから
 ヤハウェ神と解釈される。

 だが、
  この名称は江戸時代からと新しく、
 同漢字の採用は偶然の妙ともみられる。

 とはいえ、
 この地域名称も
 『出エジプト記』第17章の
 出来事に由来する。

 「ハコネ」は箱根神社元宮の鎮座する
 駒ケ岳(箱根山という)と芦ノ湖名に係わる。

 箱根の諸山は火山であり、
  芦ノ湖は火山湖である。

 駒ケ岳の「コマ」は
  ヘブライ語の「湖、池」を意味する
 AGM の転訛であり、

 ホレブ(シナイ)山の岩間に
 湧いた水の池である。

 ここではガアノ湖を指している。

 この AGM の近似語に 
  AGMVN(agemon) があり、
 「カヤリグサ」つまり、
  「葦、芦」の字義で
 これらが「芦ノ湖」名の祖語である。

 そして「ハコネ」は同語の転訛と考える。

 ヘブライ語が
  ヨーロッパ・インド語系の影響を
 受けると語頭の母韻前に
  "H"が付けられる場合が多い。

 例えば 
  IBRY(iberi)が
 英語になると Hebrew、
 ドイツ語になると Hebräer、
 日本語で「ヘブライ人」 となる。

 第11章の
 「相模:ドィルガー・プージャーの里」

 で箱根町が属する足柄郡が
  サンスクリット語の刀鍛治(刀工)を表わす 
 asi-kāra に依ることを紹介したように、

 この地域には
 ヨーロッパ・インド語の影響があっても
 不思議ではない。

 「八潮市立資料館藤波邸の牛角兜」
 においては
 さらに、具体的に明確になる。

 よって、
 H-age(mo)-n が
 「ハコネ」となったのである。

 中世以降、筥荷とも表記されていたことで、
 本来「箱の神」を
 前提としていたのではないことが解る。

 ヤハゥエ神の
 「岩泉」に対する信仰が
 基本であったのである。

 芦ノ湖の北端から流れ出し
 小田原で箱根湾に入る河名
 早川というが「ハヤ」は
 ヤハゥエ神名を特に言わないための略称
 HI(hei) の音写で、
 本来はハシェムはアドナイと読むが、
 ここでは表記通り読んだものである。

 ところで「浅草と目黒」で
 駒形堂が
 箱根神社を勧請したものであること
 を紹介したが、
 同社は駒ケ岳の南麓
 芦ノ湖岸に鎮座している。

 この鎮座の地勢により
 「コマーガタ」神社となったと考える。

 「駒」は上記の通りの
 「駒」である「湖」を表わすが、
 「ガタ」は
 ヘブライ語の「川岸、土手」を表わす
 GDH(gadah)に依るもので
 「コマガタ」は「湖岸」を意味する。

 箱根神社をそのように別称し、
 浅草へ遷座させたものであろう。

 本来は上野山に象徴させて
 岩泉信仰なのであり、
 「馬頭」とは
 全く縁りの無かったものである。

 それが、
 浅草における「駒形」信仰が中世以降
 盛んとなり、

 各地、
 特に東北地方に広がったものとみられる。

 日本へ来たイスラエル人の信仰に
 星信仰がみられる事情は既に述べた
 天形星に依っても明らかである。

 伊豆の祖語であるヘブライ語の
 IZ が複数形 IZYM(uzin) となると、
 日本では「星」の概念が一層強くなる。

 その「ウツ」を市名としているのが
 栃木県宇都宮市で「星宮」の字義となる。

 県下に数多く鎮座する
 星の宮神社の異称が
 「宇都宮」である。

 ただし、
  その祭神はヤハゥエ神信仰と全く関係なく
 単に地名に取り入れたに過ぎないので
 ここでは深入りしない。

 これに対し静岡県湖西市の
 浜名湖に突き出した岬にある
 宇津山はヤハゥエ神信仰に係わる。

 入出は「イリイデ」で
  ALH-ID(aeloh-ied) で
 「証人の神」となり、
  ガド族の神を表わしている。

 同地区内に西宮神社が鎮座していることや
 隣接して太田地区があることが傍証となる。

 半島の北側の入江、
  松見ヶ浦名は「戒律」を意味する
 MTsVH(mitsevah) の転訛であろう。

 さらに宇津(都)山の周辺が
 「根古屋」と呼ばれることが注目される。

 その語義は
 「ネ・ナ」が「神」、
  「コヤ」が「星」を表し、
 「星神(神-星)」である。

 同語の祖族は倭人(彝属、阿尼族)で、
 彼らが稲作、養蚕と共に
  日本へ移って来た信仰である。

 第10章 天毒とセリカ 

 「朝鮮と姑射」で

 姑射を「コヤ」と読んでいることを
 紹介したが、その用語である。

 同名は騎西町の
 玉敷神社近くにある地名でもある。

 さらに祖語を同じくしている地名に
 愛知県の名古屋(那古野)、
 佐賀県松浦郡鎮西町名護屋、
 新潟県佐渡郡真野町名古屋などがある。

 「コヤ」は、
 鳥居龍蔵が
 明治期に大陸内奥で調査収集した
 彝族(ロロ族)などの言葉の中に
 káb(リス)、
 héa(白ロロ)、
 kéa(Sēpu白ロロ)、
 kam(西蕃:ポップ・寧)、
 kú(西蕃)などと

 ※鳥居龍蔵
    「中国の少数民族地帯をゆく」より抜粋

 「星」の単語があり、これが該当する。

 「ネ、二」にも彝語、阿尼語にあり、
 現代の漢語に尼(ni)、濔(ni)などと
  表記されている。

 そして「ネ」は日本の古典で
  「根」と表記され、
 天津彦根神、天津道根神などと
 採用されている。

 「ネコヤ」が倭語でありながら
 ヤハゥエ神信仰に深く係わっているのは、

 第10章で述べたように
  養蚕業の専門技術は倭族にあり、

 イスラエル人は
  絹の加工とその流通において優れ、
 相互が共働していたからである。

 湖西市の南側は新居町だが、
 その地名内山は
 宇津山を転訛させたものであり、
 町名「アライ」は入出の「入」と同じく
 ALH(elh)の音写でヤハゥエ神を表わしている。

 新居町に湖名でもある浜名地区がある。

 域内に恵比寿神社などが鎮座しており、
 やはりこの地方が
 イスラエル人の影響を受けた様子がみられる。

 吉田東吾は大日本地名辞書で
  『和名類聚抄』の
 猪鼻郷にここを比定している。

 以下の解釈によりそれは妥当と考える。
 「猪鼻」の表記名は、
 「千葉:坂戸神社の人身御供神事」で
 「千葉」がエルサレム市にある丘の名称
 TsYVN に依ると解明した。

 その古名である猪鼻が
 千葉市中央区市場町と並んである。

 猪鼻名は和名類聚抄ばかりでなく、
 現在も浜名湖の北西三ケ日町のうちに
 猪鼻湖として
 「イバナ」の呼称で存在している。

 その湖は宇津山の北方に当たるが、
 同山より松ヶ浦を隔てて、そとに
 知波田あるいは
 大知波と「チバ」という地名があり、

 「イバナ」も 
 TsYVN が祖語であることを示唆している。

 イバナが「ハマ(ヴァ)ナ」と
 転訛されたのである。

 箱根の名称由来で述べたように、
 母韻の語頭に"H"がつけられ、
 H-イバナ:ハヴァナとなり、

 マとヴァとの互換性からか、
 新居町の地勢で猪鼻郷の地が
 砂浜海岸を遠州灘に広げていることからか、
 「浜名」の漢字が当てられたとみられる。

 このような解釈から新居町の浜名が
 『和名類聚抄』の猪鼻郷の遺称地と
 することができる。

 浜名湖または猪鼻湖であったことになる。

 イスラエル人の聖地シオンを
 呼称しているのである。

 猪鼻湖神社(現引佐郡三ケ日町下尾奈)が
 「延喜式」神名帳の遠江國名に載っており、
 「猪鼻」は古代からの名称である。

 新居町の東、遠州灘に沿って舞阪町がある。

 この町名も
 ヘブライ語の「出口」を意味する
 MVTsH が祖語であろう。

 浜名湖の太平洋の出口に位置している。

 同町舞阪には岐佐神社が鎮座し、
 同名は埼玉県の騎西町の元でもある
 島根県安来市吉佐町名と同音であり、
 支布佐神社に由来する名称で、
 本来は「箱」の意味 KPhSH である。

 岐佐神社も
 「延喜式」神名帳の
 敷智郡に掲載されている。

 その「敷智」を「フチ」と訓じているが
 HED(hed) の音写で「こだま」を表す。

 同郡の六座のうちに許部神社が載っており、
 「コベ」は「声」の意味の
 KVLの音写であろう。

 舞阪町の北側は雄踏町となるが、
 「オトウ」は湖西市の宇津山の西方
 太田と同様
 「証人」 ID に依拠した地名である。

 浜名湖の入江の向こう浜松市白洲に
 宇気比神社が鎮座していることに対応する。

 宇気比は「誓約、証し」である。

 「延喜式」神名帳の名郡に載る
 英田神社は
 「エタ」と訓が付されており、 
 ID の音写であることは明白である。

 また敷智郡に載る息神社は
 「オム」と訓まれているが、
 これも「契約」を意味する 
 AMNVH の転訛であろう。

 同社は現在
 雄踏町宇布見に同名で鎮座している。

 舞阪町、雄踏町の奥の浜松市域に
 佐鳴(さなり)湖がある。

 佐鳴は「サメイ」が本当であろう。

 台東区の下谷(したや)を
 「シモヤ」と解釈して、
 その祖語を 
 ShMI で
 シェマアの祈りに係わる用語であると
 「浅草と目黒」で紹介した事情と同じである。

 湖を囲むように入野町が広がる。

 これも台東区の入谷に対応する
  ALH の音写で「神」の字義である。

 域内に
 天白神社、
 三国神社、
 誓約神社が鎮座しており、
 ヤハウェ神信仰関係の祠が顕著である。

 また浜松市内に20社以上散在するなど
 静岡県各地に六所神社が目立つ。

 「六所」は
 「多摩の律法箱」で述べた通り
 「ムショ」
  MShY の音写で、
 「絹、絹織物」を表わす。

 「駿河国の馬鳴神」で述べたように
 この地域は
 養蚕と絹産業の繁栄した地域であり、
 秦氏の足跡が信仰と産業の両面で
 顕著に遺っているのである。

 M.K記(責)
 連絡先:090-2485-7908

転載元: 歴史再考


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