養老 2年(718) 1才 大伴旅人の長子として誕生。母は丹比氏。
天平10年(738) 21才 内舎人となる。橘諸兄邸の宴遊に弟書持らと参じ、作歌。(『万葉集』巻8)
天平17年(745) 28才 正六位上から従五位下に叙せられる。
天平18年(746) 29才 越中守となり赴任。
天平20年(748) 31才 出挙のため砺波・婦負・能登などの諸郡を巡行中、作歌 6首(『万葉集』巻17)
天平感宝元年(749) 32才 陸奥の黄金献上を嘉賞する詔を承り、賀歌をつくる。(『万葉集』巻18)
天平勝宝 2年(750) 33才 墾田地検察のため砺波郡主帳多治比部北里の家に宿泊し、作歌。(巻18)
天平勝宝 3年(751) 34才 少納言となり越中国より帰京。
天平勝宝 6年(754) 37才 兵部少輔、次いで山陰道巡察使となり、「防人の悲別の心をいたむ歌」巻20
天平勝宝 8年(756) 39才 淡海三船の讒により、大伴古慈斐解任。家持「族に喩す歌」(巻20)
天平宝字 2年(758) 41才 因幡守となる。
天平宝字 3年(759) 42才 因幡国庁で、郡司らと宴を催した際に新春を寿ぎ、最終歌を詠む。(巻20)
宝亀 3年(772) 55才 従四位下、左中弁兼式部員外大輔となる。
宝亀11年(780) 63才 参議・右大弁となる。
天応元年(781) 64才 能登内親王の喪事を監護する。正四位上、左大弁・春宮大夫となる。
延暦元年(782) 65才 従三位のとき、氷上川継の謀反に連坐、一族与党35人処罰される。
延暦 2年(783) 66才 解任が許され、中納言・春宮大夫となる。
延暦 3年(784) 67才 陸奥按察使・鎮守府将軍として陸奥に赴任。半年にして帰京。長岡京に遷都。
延暦 4年(785) 68才 没す。藤原種継の暗殺事件に連坐し、没後、除名。
天平10年(738) 21才 内舎人となる。橘諸兄邸の宴遊に弟書持らと参じ、作歌。(『万葉集』巻8)
天平17年(745) 28才 正六位上から従五位下に叙せられる。
天平18年(746) 29才 越中守となり赴任。
天平20年(748) 31才 出挙のため砺波・婦負・能登などの諸郡を巡行中、作歌 6首(『万葉集』巻17)
天平感宝元年(749) 32才 陸奥の黄金献上を嘉賞する詔を承り、賀歌をつくる。(『万葉集』巻18)
天平勝宝 2年(750) 33才 墾田地検察のため砺波郡主帳多治比部北里の家に宿泊し、作歌。(巻18)
天平勝宝 3年(751) 34才 少納言となり越中国より帰京。
天平勝宝 6年(754) 37才 兵部少輔、次いで山陰道巡察使となり、「防人の悲別の心をいたむ歌」巻20
天平勝宝 8年(756) 39才 淡海三船の讒により、大伴古慈斐解任。家持「族に喩す歌」(巻20)
天平宝字 2年(758) 41才 因幡守となる。
天平宝字 3年(759) 42才 因幡国庁で、郡司らと宴を催した際に新春を寿ぎ、最終歌を詠む。(巻20)
宝亀 3年(772) 55才 従四位下、左中弁兼式部員外大輔となる。
宝亀11年(780) 63才 参議・右大弁となる。
天応元年(781) 64才 能登内親王の喪事を監護する。正四位上、左大弁・春宮大夫となる。
延暦元年(782) 65才 従三位のとき、氷上川継の謀反に連坐、一族与党35人処罰される。
延暦 2年(783) 66才 解任が許され、中納言・春宮大夫となる。
延暦 3年(784) 67才 陸奥按察使・鎮守府将軍として陸奥に赴任。半年にして帰京。長岡京に遷都。
延暦 4年(785) 68才 没す。藤原種継の暗殺事件に連坐し、没後、除名。