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[転載]【今日は何の日?】1927年:南京事件が起こる

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【今日は何の日?】1927年:南京事件が起こる

1927年3月24日、米英両軍が南京城内を砲撃する「南京事件」が起こった。

  1926年7月、国民革命軍総司令の蒋介石は、軍閥を打倒して中国を統一するため「北伐」を開始。北伐軍は武漢を占領した後、南京に向かったため、長江流域一帯に多くの権益を持つ列強との利害関係が複雑になった。米、英、仏、伊、日など各国は兵力を増強し、長江に軍艦を停泊させた。

  1927年3月24日、国民革命軍第6軍と第2軍が南京を占領。入城そのものは平和裏に行われたが、その後、軍人や民衆の一部が外国の領事館や居留地などを襲撃して暴行、掠奪、破壊などを行った。

  このため米英両軍は居留民保護を理由に南京に艦砲射撃を実施、中国側に約2000人の死傷者が出た。その後、米英などは中国に対し暴動の鎮圧や賠償などを要求した。

  一方、日本の幣原喜重郎外務大臣は英米からの共同軍事行動の要請を拒否。蒋介石に対して宥和的な方針を貫いた。大正デモクラシーという思想的背景があった他、満州の特殊権益などを守るためには蒋介石が力を失うと中国が分裂状態になり、交渉そのものが成立しなくなると判断したとされる。

  なお、南京を占領した国民党軍は、政治部主任などに共産党員が就任していた。蒋介石は南京事件の背後には共産党の扇動があったとみなし、4月には「四・一二」反共クーデターに踏み切った。




【今日は何の日】1420年:「仏母」唐賽児の乱

1420年3月24日、唐賽児(とうさいじ)の乱が起こった。

  唐賽児は白蓮教の信者を組織して反乱を起こした明代の女傑で、山東蒲台(現在の山東省博興県)の出身。農民だったが白蓮教の「仏母」と称して布教を始め、益都、諸城、即墨など山東各地に数万の信者を得た。

  1420年に反乱を起こし、益都を占拠。諸城、即墨、寿光などの各地の信者らも相次いで呼応。地形を熟知していたことを利用した夜戦を仕掛けるなどで、政府軍を苦しめた。

  しかし永楽帝が派遣した増援軍に、反乱軍は敗走、2000人が殺され、4000人が捕らえられて処刑された。唐賽児は信者に守られながら逃走した。

  明朝はその後、唐賽児が剃髪して尼もしくは女道士になったという噂をもとに、山東と北京の尼をすべて捕らえるよう命令。次いで「天下の出家した婦女をことごとく捕らえよ」との命を出し、官憲を動員して唐賽児を捜索した。このため数万人の女性が逮捕されたが、唐賽児の足取りをつかむことはできなかったという。




【今日は何の日】1860年:桜田門外の変が起こる

1860年3月24日(安政7年3月3日)、水戸藩の浪士が大老の井伊直弼(いい なおすけ)を暗殺した(桜田門外の変)。

  江戸時代後期、井伊直弼は反対派をおさえてアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと条約を結び、函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の5港を開港、200年以上続いた鎖国に終止符が打った。また、その独裁的な政治に反感が高まると、反対派の大名らを厳しく取り締まった(安政の大獄)。

  これに憤激した水戸藩の浪士らは、江戸城に登城途中の井伊を桜田門外で襲撃して暗殺。井伊以外にも供の者8人が死亡した。この「桜田門外の変」は幕末の尊皇攘夷運動が激化する一つのきっかけとなった。

転載元: ★カントンキ★の「今日のブログⅡ」 in JAPAN


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