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[転載]「日本はアジアの光だった」(ヘンリー・スコット・ストークス=ジャーナリスト)

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去る平成24年12月6日、文京シビック・ホールにて行われた講演会より。
 
 皆様、こんばんは。ヘンリー・ストークスです。本日は皆様の前で、お話しの機会を頂き光栄です。このシンポジウムは1952年の日本とインドの国交樹立60周年を記念して開催されております。このような歴史的な瞬間を皆様と共にできることをたいへん光栄に存じます。
 20世紀で最も驚く展開は、500年続いた植民地支配、その呪いが終焉を迎えたことにあります。白人による支配が霧散してしまいました。誰もがまったく予想しなかったことです。
 1930年代末に「インドの独立はいつになるのか」と問われ、ネルーは「70年代には実現するかもしれない」と答えました。つまりそれは、彼の亡き後にはという意味です。1940年代初頭には、インド人たちから独立の気運が高まりました。なぜ独立の気運が高まったのでしょうか。
 答えは簡単です。第二次大戦が勃発し、500年のドラマの中での新興勢力が、白人植民地支配に痛烈な打撃を与えたからです。その新興勢力が、日本でした。インド独立のタイムテーブルは、ネルーの70年代から第二次世界大戦の終焉時へと短縮されたのです。ここで、20世紀から17世紀初めまで時間をもどしてみましょう。
 インドでは、イギリスが1600年に東インド会社を設立し、植民地支配に着手しました。イギリスは、マドラス(1637年)、ボンベイ(1661年)、カルカッタ(1690年)に東インド会社を進出させました。イギリスの侵略は、プラッシーの戦い(1674年)、マイソール戦争(1799年)シーク戦争(1845年)と続き、1857年から59年にかけて反イギリス民族闘争である有名なセポイの反乱が起りました。
 こうしてイギリスがインドを抑圧する中で、1868年、日本で明治維新が起りました。ほぼ同じころに、インドでは独立のために戦った歴史的な人物が生れています。
 1867年にはマハトマ・ガンジーが生れ、1897年には、チャンドラ・ボースが誕生しています。
 1877年、イギリスが直接インド全土を統治するインド帝国が成立しビクトリア女王が「インド皇帝」として即位しました。つまり、ボースはイギリスのインド植民地支配の絶頂期に誕生したのです。ボースは今でもインドで「ネタージ」と呼ばれています。
 ネタージとは「偉大な指導者」という意味です。日本の支援を得て、ボースはINAを結成しました、Indian National Armyインド国民軍です。非暴力主義でイギリスの植民地支配と戦ったガンジーと対照的に、ボースは司令官として戦闘を戦いました。
                                      (続く)

転載元: koreyasublog


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