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[転載]アイヌ

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NHK ETV特集「ある人間(アイヌ)からの問いかけ『萱野茂のメッセージ』」という番組をDVDに録画していたので見る。

今年の5月に79歳で亡くなられた萱野茂さん。

その功績と偉業に対する敬意を持って番組は編纂されていた。

萱野茂さんは、その著書『アイヌの碑』の中で次のように語っている。


「昭和28年の秋であったと思うのですが、いつものように山の働き先から家へ帰ってみますと、父が最も大切にしていたトゥキパスイ(捧酒棒)が見えません。

それまでも、数か月家を留守にして稼ぎから帰ってくると、いろりの端で使っていた民具が一点、また一点というふうに消えているように思っていました。 それが今度は、父自身が大切にしていたトゥキパスイがなくなっているのです。

わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。

わたしが彼らを憎む理由はいくつかありました。 二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。 神聖な墓をあばいて祖先の骨を持ち去る。 研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいて見る。」『アイヌの碑』 朝日文庫 P.126~127 より

萱野茂さんが一念発起して、アイヌの民具を買い取り、集め始めたのはこの頃だという。

この辺りの話は番組にはあんまり出てこないが・・・・僕的には重要な転機だと思う。

強制労働辛さに人差し指を切り落とし故郷に帰ろうとしたアイヌの写真。

様々な挿話や映像で番組は北海道アイヌモシリの歴史を綴る。

古い話で言えば『日本書紀』のなかにみられる倭建命(やまとたけるのみこと)のエゾ征伐は、そのような侵略の記録として最初の記録だ。侵略に対する民族抵抗の戦いとして、780年のアザマロの乱、789年の『衣川の決戦』などで激しい抵抗を繰り広げた、アテルイの戦いなどが記録されている。アイヌ民族は、大和民族の統一国家に対して『伏(まつろ)わぬ民族』として根強く抵抗を続けるのである。

当時、隼人や熊襲にアズマなど様々な抵抗勢力が「まつろわぬ勢力」が日本各地にあった。

大和朝廷の側から見れば抵抗勢力なのだが反対から見るなら侵略者なのだがこれらの図式や構図は世界中で常に連綿と繰り広げられる。

日本史とはこれらの侵略史でもある。

更に視野を広げるなら半島や大陸から渡ってきた人々がこの国を属国としようとした歴史。

これに対する抵抗勢力が「まつろわぬ勢力」だったのかもしれない。

そんな歴史が現代日本や世界状況とやけに重なる番組でもあった。

まあ、アメリカとイラクの問題と似たような問題を常にこの星は抱える。

そんな状況中で、人間にとっての極限状況が近代化を進める日本政府とアイヌ民族の間に生み出される。

「土地を奪われ、言葉を奪われ、狩猟という生活手段を奪われ」

「足を踏んだ側は痛くないけど踏まれた側はいつまでたっても痛い。」

という萱野茂さんの言葉が何回も番組上では、リフレインされる。

日本という国とアイヌという民族。

このような歴史の結果、世界中の先住民たちは苦境に追い込まれ。

開拓と称し北海道に渡った農家の次男や3男などの貧しい人々の暮らしも開高健の名著「ロビンソンの末裔」などに詳しい。

そんな状況の中で観光アイヌとして生計を立てる人たちが主流の中で萱野さんは、民族の大切な儀式であるイヨマンテ熊送りの儀式などを観光地の見世物として売るアイヌを軽蔑していたという。

萱野さんは、「山子」(木の伐採などの山の仕事)で稼いだ金のうち、生活費だけを家族に渡し、民具を買いに走ったという。

そして、アイヌ民具の蒐集をつづけていくうちに「アイヌ文化全般を見直そうという自然な気持ち」が生まれたと書いている。

昭和32年、二風谷を訪れた知里真志保(知里幸恵の弟、アイヌ語学者)と出会ったことが、最大の転機だった。

言葉を残そうと当時高価だったテープレコーダーを借金して買い求める。

昔懐かしいオープンリールテープですね。

様々なコタンを尋ね、ユーカラやアイヌ語を収集する日々が続く。

そしてお金に困る。

自らが軽蔑していた観光アイヌとなる。

民族の伝統や文化なによりも言葉「アイヌ語」を残そうとして・・・・・アイヌ語の辞書の編纂やアイヌ語教室に尽力を注ぐ。

「民族とは言葉の事だ。言葉が無くなるということは民族が滅びるという事だ。」と語る萱野さん。そんな言葉を語る萱野さんは深い悲しみを湛えつつも慈悲に満ちた目をしている。


昭和37年「観光アイヌ」として働いていた萱野茂さんは、登別で金田一京助に出会い、金田一京助が死去するまで(昭和46年没)交流が続いた。 朝日新聞の記者だった本多勝一も、萱野茂さんを物心両面から支援した一人である。

と番組を見ながら新たに知ったことや出てこなかったことなどを思い浮かべる。

琉球沖縄、在日、部落、障害者の問題などとも非常に重なるなあ。。。などと思いつつ。

差別の問題と精神病の問題の親近性をいつも思い浮かべる。北海道で知り合った多くのアル中アイヌに精神病アイヌを僕は思い浮かべる。

番組は、旧土人法の廃案やアイヌ新法の制定に二風谷ダムの問題までを追う。

アイヌ=人間。

われわれがアイヌ=人間であるという素朴な事実に気づくまでにあとどれほどの時間や血や痛みや苦しみが必要なのだろうか?

同じところもあり、違うところもあり。お互いを認め合うようになれるまでに。

我々の道のりは途方もなく険しいのだろうけど萱野茂さんという1人のアイヌ=人間が生ききったというそのことが僕にとっては、大きな希望や勇気を与えてくれる。

萱野茂さん。イヤイヤイケレ!!(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う

転載元: そういちの平庵∞ceeport∞


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