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[転載]中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した

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中国(ないし台湾)による尖閣諸島の領有権に関する主張に対して,日本政府はどのような見解を有していますか。
  • A4
    • 従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的乃至地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。
    • また,そもそも,中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からです。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。中国側は,異議を唱えてこなかったことについて何ら説明を行っていません。
    • なお,1920年5月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。また,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1958年に中国の地図出版社が出版した地図集(1960年第二次印刷)においては,尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っています。 さらに,米軍は米国施政下の1950年代から尖閣諸島の一部(大正島,久場島)を射爆撃場として利用していましたが,中国側が当時,そのことについて異議を呈した形跡はありません。

【参考:中国政府及び台湾当局の主張の開始の背景】

 1968年秋,日本,台湾,韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE:UN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,尖閣諸島に対し注目が集まった。

【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)

中華民国駐長崎領事の感謝状
 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
 日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。 中華民国駐長崎領事 馮冕
中華民国9年5月20日

【参考:1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳)

琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い
 「琉球諸島は,我が国(:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4,670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」

【参考:『世界地図集』(1958年出版(1960年第二次印刷))】

世界地図集
 1958年に中国の地図出版社が出版した地図集。尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っている。中国側は,同地図集には,「中国との国境線の部分は,抗日戦争前(すなわち台湾が日本植民地だった時代)の地図を基にしている」との注記があり,1958年発行の地図における記載のみをもって当時の中国政府が日本の尖閣諸島への支配を認めていたという根拠にはなり得ないと主張。しかしながら,中国側が指摘する注記は,原文では「本地図集の中国部分の国境線は解放前の申報(注:当時の中国の新聞)の地図を基に作成した(中文:本図集中国部分的国界線根据解放前申報地図絵制)。」とのみ記述。具体的にどの部分が解放前のものかは不明。そもそも,同地図では,台湾を「中華人民共和国」の領土として記載しており,台湾の附属島嶼であると主張する尖閣諸島に関する記述だけを台湾が日本の植民地であった時代の表記で残すことは不自然。




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中華民国駐長崎領事・馮冕から石垣島島民への感謝状

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  • 底本: 中華民国駐長崎領事・馮冕から石垣島島民への感謝状


感謝狀

中華民國八年冬福建省惠安縣漁民
郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至
日本帝國冲繩縣八重山郡尖閣列島
內和洋島承
日本帝國八重山郡石垣村雇玉代勢
孫伴君熱心救護使得生還故國洵屬
救災恤鄰當仁不讓深堪感佩特贈斯
狀以表謝忱
  中華民國駐長崎領事馮冕
中華民國九年五月  二十  日

和訳

【仮訳】
 感謝状
中華民国八年(一九一九年)冬,福建省恵安県の漁民である郭合順(かく・ごうじゅん)ら三十一人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山(やえやま)郡尖閣列島内和洋島(わようとう)に漂着した。
日本帝国八重山郡石垣村の玉村勢孫伴(たまよせ・そんはん)氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。
  中華民国駐長崎領事 馮冕(ふう・べん)
中華民国9年(1920年) 5月20日

和訳の底本
『尖閣諸島について』 (PDF), 日本国 外務省 (2013年3月) p. 13, 2014年10月2日閲覧。原文は縦書き、漢数字と洋数字の使い分けは原文のまま。

参考文献


【感謝状の贈られた事情】 
 
 大正九年(1919年)の冬12月30日、尖閣諸島近海で中国人が遭難しているのを古賀善次氏が見つけてこれを全員救出し、石垣にある八重山島庁(当時)に送り届けた。石垣村役場は総出で救援活動を行い、31名を無事本国に帰還させた。
 このことに対して中華民国の長崎領事が感謝状を贈った。石垣市在住の元同市助役で郷土史家牧野清氏によると感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長 (当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の通訳松葉ロブナストさん計四人に贈られた。現存するのは、玉 代勢氏あてたこの一枚だけである(※注)。同氏の長男、冨田孫秀氏が石垣市に90年頃に寄贈された。           


 また魚釣島の所有者古賀善次氏は、
「それに、中国もかつてははっきりと日本領土と認めているんです。事実もありますよ。大正八年、中国福建省の漁船が、尖閣列沖合いで難破しました。そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、難破船と三十一人の乗組員を助けて石垣島へつれてきて、手厚い保護をしました。私だけでなく、石垣の人ちも彼等を親切にもてなし、修理をおえた船とともに中国へ帰してやったのです。
 翌年ですよ、中国政府から私をはめ石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。その宛名は、日本帝国沖縄県八重山郡島尖閣列島でしたよ。

 いま中国がいっている魚釣台ではなく、ちゃんと尖閣列島になっています。個人からの手紙ではありません。政府としての感謝状なんです。ええ、いまでも保存してありますよ。」『現代』(講談社)第6巻第6号(1972年6月)142-147頁、「毛さん、佐藤さん、尖閣諸島は私の〝所有地〟です」
(「れっきとした証拠」持ち出し名乗りあげた〝地主〟の 言い分)

外部リンク

1972年の日中共同声明の交渉時や1978年の日中平和友好条約の交渉時に,尖閣諸島の領有権をめぐり解決すべき問題があることを日本が認めた事実はなく,「棚上げ」などに合意した事実もない。

【日中首脳会談(田中角栄総理/周恩来総理)】 (1972年9月27日)(外交記録公開済み)
(田中総理)尖閣諸島についてどう思うか?私のところに,いろいろ言ってくる人がいる。

(周総理)尖閣諸島問題については,今回は話したくない。今,これを話すのはよくない。石油が出るから,これが問題になった。石油が出なければ,台湾も米国も問題にしない。


【日中首脳会談(福田赳夫総理/小平副総理)】 (1978年10月25日)(日中平和友好条約交渉時)(外交記録公開済み)

(副総理) (・・・思い出したような素振りで・・・)もう一点言っておきたいことがある。両国間には色々な問題がある。例えば中国では釣魚台,日本では尖閣諸島と呼んでいる問題がある。こういうことは,今回のような会談の席上に持ち出さなくてもよい問題である。園田外務大臣にも北京で述べたが,われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが,次の世代は,われわれよりももっと知恵があり,この問題を解決できるだろう。この問題は大局から見ることが必要だ。(福田総理より応答はなし。)

【上記首脳会談と同日の小平氏記者会見】 (1978年10月25日)

(記者)尖閣諸島は日本固有の領土で,先ごろのトラブルは遺憾と考えるが,副総理の見解は。

(副総理)尖閣列島をわれわれは釣魚島と呼ぶ。呼び方からして違う。確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正常化のさい,双方はこれに触れないと約束した。今回,平和友好条約交渉のさいも同じくこの問題にふれないことで一致した。中国人の知恵からして,こういう方法しか考えられない。というのは,この問題に触れると,はっきりいえなくなる。確かに,一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水をさしたがっている。だから両国交渉のさいは,この問題を避ける方がいいと思う。こういう問題は一時タナ上げしても構わないと思う。十年タナ上げしても構わない。われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが,次の世代はわれわれよりもっと知恵があろう。その時はみんなが受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう。

転載元: 沖縄県風土記等を読みませんか


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