関門海峡歴史
源平最後の対決 「壇之浦の合戦」 寿永4年(1185)両軍約4,000艘とも言われる軍船が、関門海峡に集結していました。 白旗をなびかせるのは、源義経が率いる源氏勢、対する平家は平宗盛、平知盛がい率い、船には赤い旗が翻っていました。 | |
赤間神宮 壇ノ浦の合戦で平家の敗北とともに、祖母二位の尼と海中に没したとされる幼帝の安徳天皇(当時八歳)が奉られています。京都や奈良などを除く地方に、天皇陵が存在するのは稀なことです。海底の竜宮城をイメージした朱塗りの水天門が造られています。 | |
長州大砲 幕末の攘夷戦で外国船に砲撃した砲台跡でもあります。 ~壇ノ浦みもすそ川公園~ 公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所。檀之浦古戦場を一望出来るこの場所は、『今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にもみやこありとは』(長門本平家物語)という二位の尼辞世の歌から地名が生じたといわれ、当時を偲ぶ石碑や歌碑があります。 | |
功山寺 室町時代の建造物と考えられ、平成16年6月15日に国の登録文化財(再現することが容易でないもの)に指定された総門、本柱を棟木際までのばす禅宗様の四脚門で、国宝仏殿のある伽藍東側正面にあります。 | |
巌流島 関門海峡に浮かぶ周囲約1.6kmの小さな島で宮本武蔵と佐々木小次郎が相対したのは、慶長17年 (1612)4月13日のことでした。現在は、海沿いの散策道なども整備され、誰でも気軽に訪れることができます。 巌流島には武蔵・小次郎像があります。三尺一寸(約103cm)の太刀を持つ小次郎と、船の櫂を削った木刀を振りかざし宙を舞う、荒々しい武蔵の姿を捉えた2体の像。決闘の場面が甦るようです。 | |
旧英国領事館 下関レトロ建築群の中でも赤煉瓦の姿が美しい建物です。 明治時代、下関での領事館の必要性を説いたアーネスト・サトウが英国首相に具申、1906年(明治39年)完成しました。 |
国際友好記念図書館
中国の遼東半島にある都市、大連市はかつて門司港とは国際航路で結ばれ交流が盛んでした。そして、昭和54年に両市は友好都市を締結し更なる交流を深めてきました。その友好都市締結15周年を記念し、ロシア帝国が明治三十五年(1902)大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を、そっくり複製し建築されたものが国際友好記念図書館です。ドイツ人技師が設計した特異な建築様式で作られていて、エキゾチックな外観がすばらしい雰囲気です。国際友好記念図書館の一階はレストラン、二階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館、三階は資料展示室となっています。
②起点碑 裏
③帰り水
④帰り水 説明