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和歌山県の石に刻まれた災害の記憶 災害記念碑一覧

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石に刻まれた災害の記憶(災害記念碑一覧の公開)

災害記念碑一覧
  地震・津波碑一覧→
 
番号  指定  名称
 
建立年代  所在地  所在地詳細   災害名   参考文献

南海道地震津波浸水水位     平成3年(1991)2月  海南市名高  海南駅前広場内
昭和南海地震  『ニュース和歌山』2012年1月1日付  県指定
 

大地震津波心得の記碑  安政3年(1856)  湯浅町湯浅 深専寺山門入り口の左側
安政南海地震 『湯浅町誌』『和歌山県文化財ガイドブック下』p42、新版
 
感恩碑  昭和8年(1933)12月 広川町広 広村堤防内 安政南海地震

梧陵浜口君碑  明治25年(1892) 広川町上中野  広八幡神社境内  安政南海地震
国指定史跡

広村堤防  安政5年(1858)12月  広川町広  安政南海地震
『和歌山県文化財ガイドブック下』

津浪之記事碑  文久2年(1862) 美浜町浜ノ瀬 美浜町公民館浜ノ瀬分館裏
安政南海地震
『美浜町史』史料編p188

防潮堤?
美浜町田井
美浜町若もの広場西側に広がる防潮林内

高波溺死霊魂之墓  享保4年(1719) 印南町印南 印定寺 宝永地震

防波堤跡  みなべ町埴田 鹿島神社の南 宝永地震
『南部町史』通史編第三巻p1118
南海道地震津波潮位標識
平成17年(2005)4月
田辺市芳養
国道42号沿い(大神社の向かい)
昭和南海地震

 
防潮堤
田辺市新庄町
旧国道42号道路沿い(山側)
昭和南海地震

 
安政津浪の碑
昭和47年(1972)春
田辺市新庄町
橋谷天満宮の階段脇
安政南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
安政津浪の碑
昭和47年(1972)春
田辺市新庄町
北原河内神社境内
安政南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
宝永津波の碑
平成24年(2012)春
田辺市新庄町
名喜里大潟神社の階段脇
宝永地震

 
安政津浪の碑
昭和47年(1972)春
田辺市新庄町
名喜里大潟神社の階段脇
安政南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
安政津浪の碑
田辺市新庄町
山祇神社の階段脇
安政南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
南海道大地震津波潮位標
田辺市新庄町
山祇神社の階段脇
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
南海大地震津浪潮位標
田辺市新庄町
新庄駅前
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
南海大地震津浪潮位標
田辺市新庄町
JA紀南新庄支所近く
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
南海大地震津浪潮位標
田辺市新庄町
跡之浦児童公園の敷地内
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
安政津浪の碑
昭和47年(1972)春
田辺市新庄町
跡の浦稲田神社の階段脇
安政南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』
 
宝永の津波潮位(推定)
平成10年(1998)
田辺市新庄町
東光寺すぐ近くの高架の橋桁
宝永地震
 
津浪之碑
田辺市新庄町
東光寺敷地内
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』
 

南海大地震津浪遭難者供養像
田辺市新庄町
東光寺敷地内
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
安政・昭和南海地震の津浪潮位標
安政4年(1857)
田辺市新庄町
内之浦干拓親水公園内山衹神社内
安政地震・昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』p116

 
南海大地震津浪潮位標
田辺市新庄町
内之浦公民館敷地内
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』

 
南海大地震津浪潮位標
田辺市新庄町
北長町内会館の近く
昭和南海地震
『復刻 昭和の津浪 付昭和の津浪余録・チリー 津波』
 

岩城惣八夫妻の墓
明治26年(1893)8月17日
白浜町
綱不知の共同墓地の一角
宝永地震・安政地震・昭和南海地震
『紀伊民報』1995年2月7日付
 

南無阿弥陀仏 大津浪犠牲者供養塔
昭和36年(1961)5月24日
白浜町
綱不知地蔵堂境内
昭和南海地震、昭和チリ沖地震
『白浜町誌』本編下1-p455~
 

昭和二十一年十二月二十一日発生 南海道地震による津波の潮位
平成8年(1996)12月
白浜町
綱不知公園内
昭和南海地震
 

昭和二十一年十二月二十一日発生 南海道地震による津波の潮位
平成8年(1996)12月
白浜町細野
細野会館〔白浜町中央公民館堅田分館〕正面の脇
 

昭和南海地震
昭和二十一年十二月二十一日発生 南海道地震による津波の潮位
平成8年(1996)12月
白浜町才野
才野会館正面の脇
 

昭和南海地震
昭和二十一年十二月二十一日発生 南海道地震による津波の潮位
平成8年(1996)12月
白浜町富田
国道42号沿い、交番・消防倉庫の横
昭和南海地震
昭和二十一年十二月二十一日発生 南海道地震による津波の潮位
平成8年(1996)12月
白浜町堅田
立ケ谷会館敷地内
昭和南海地震

 
正念元心居士(谷三郎左衛門の墓碑)
享保4年(1719)正月5日
すさみ町周参見
国道42号脇
宝永地震
『すさみ町誌』下-p725
防潮堤
すさみ町周参見
国道42号付近
宝永地震
地震・津波
石に刻まれた災害の記憶 災害記念碑一覧
 

  洪水碑一覧→
小野真次頌徳碑
紀ノ川
伊都郡かつらぎ町広口
大宮神社境内
昭和28年水害
 

災害復興記念碑
紀ノ川
紀の川市桃山町調月
大歳神社前
昭和28年水害か
『桃山町誌 歴史との対話』p352
 

洪水記念碑
紀ノ川
和歌山市坂田
了法寺境内
明治22年水害
『和歌川』
 

災害浸水最高地点碑
紀ノ川
海草郡紀美野町野中
十三神社境内
昭和28年水害
 

大水害の地蔵尊
有田川
昭和29年(1954)
かつらぎ町花園北寺
北寺観音堂の左隣
昭和28年水害
 

紀州大水害記念碑
有田川
平成5年(1993)
かつらぎ町花園北寺
北寺観音堂から100m離れた場所
昭和28年水害
 

花園村水難犠牲者之碑
有田川
昭和53年(1978)
高野町高野山
高野山の境内
昭和28年水害
 

七・一八水害保田復興記念碑
有田川
有田市辻堂
辻堂都市計画公園=保田児童公園?
昭和28年水害
碑文は、『7.18水害保田復興記念誌』p335~にあり
 

顕彰碑
有田川
昭和48年7月18日建立
有田市千田
高田峠=千田神社の県道沿いの鳥居をくぐり、海へ出る坂道になっているところのすぐ道路脇(県道から見上げないとわから
昭和28年水害
写真は、『7.18水害保田復興記念誌』の口絵にあり
 

水位標
有田川
有田市下中島
島垣内道路傍
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

水位標
有田川
有田市山田原
八王子公園内=保田橋北詰
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

水位標
有田川
有田市星尾
秋葉山麓登口
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

水位標
有田川
有田市千田
地蔵寺境内
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

水位標
有田川
有田市千田
千田東公民分館敷地内=千田東公民館?
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

水位標
有田川
有田市千田
千田神社=須佐神社石段登口玉垣内
昭和28年水害
『7.18水害保田復興記念誌』p357
 

大水害死者供養之塔
有田川
有田川町小島
当初あった場所から北に50mほどの場所に移転してい
昭和28年水害
 

水位標識
有田川
有田川町上中島
上中島公民館から北東に直線で250mほどの有田川沿
昭和28年水害
 

復興記念碑
有田川
有田川町尾中
尾中公民館の近く
昭和28年水害
 

七・一八水難者供養■
有田川
有田川町長田
浄教寺境内山門入ってすぐ
昭和28年水害
 

水害横死者之碑
有田川
有田川町徳田
国道424号徳田交差点から南西に100m行左折。但し、左折する道は細くてわかりにくい。
昭和28年水害
 

慰霊塔
日高川
日高川町弥谷
美山(川原河)から有田の白馬トンネルに向かう上り坂の左手道沿いにある
昭和28年水害
『和歌山県教育史』第2巻p176~177
 

明治水害記念碑
日高川
日高川町若野
明治22年水害
 
道成寺の階段
日高川
日高川町鐘巻
明治22年水害
 

水位標
日高川
日高川町皆瀬
下阿田木神社の階段?
昭和28年水害
 

水位標
日高川
日高川町寒川
日高川町美山支所(旧美山村役場)
 

水害之碑
日高川
御坊市薗
茶免の地蔵。茶免橋畔、地蔵堂の脇にある。
昭和28年水害
 

七・一八水害慰霊塔
日高川
御坊市野口
安楽寺
昭和28年水害
 

藤井の耕地復旧記念碑
日高川
御坊市藤田町藤井
昭和28年水害
 

慰霊塔
日高川
御坊市薗(名屋の源行寺)
昭和28年水害
 

村田美成の碑
日高川
御坊市薗
浄国寺
明治22年水害
 
 
 

(更新情報)
 先人たちは、襲ってきた巨大津波を忘れないため、海沿いには津波の記念碑を建てました。記念碑には、犠牲者の供養を目的とするもの、どこまで津波が来たかを示す水位を記したもの、来襲した津波の様子を記して津波に対する警告を発したもの、などがあります。一方、川沿いには、河川の氾濫を忘れないため、洪水の記念碑が建てられています。
 こうして先人たちが残してくれた石に刻まれた「災害の記憶」を、風化させることなく子孫に伝えていくことが今必要になってきています。 特別展の開催にあたって、収集した災害記念碑に関する情報を一覧にまとめました。まだ完全なものとはいえないものですが、情報などがございましたら、お知らせください。
 
http://kenpakunews.blog120.fc2.com/blog-entry-460.html

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