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[転載]徳島県:海部城

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「所在地」:徳島県海部郡海陽町鞆浦
「形 式」:山城
「遺 構」:石垣、土塁、堀切、曲輪

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_0?20140329134236

海部城趾に建つ城趾石碑。実はこの石碑から城趾への登城路は伸びていない。ですからこの石碑を見かけても城趾が分からなかったと書かれている城サイトを見たことがあります。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_1?20140329134236

海部城趾に残る堀切。堀切は登城路を登ると最初に出迎えてくれる遺構であり、登城路の一部ともなっている。


「歴 史」
 海部城は元亀2年に海部友光によって築かれた。この地は阿波と土佐の境界付近であり、この城は土佐の長宗我部氏に対する押さえとして築かれたと考えられる。
 四国制覇を狙う長宗我部氏は大軍を率いて海部城に猛攻を浴びせ、海部城は落城した。
こうして阿波の前線が落ちたことで長宗我部氏による阿波攻めは一層激しい物となり、まもなく阿波は長宗我部氏の手に落ちた。
 しかしながら豊臣秀吉による四国征伐により長宗我部氏は土佐一国のみとなり、阿波は蜂須賀家が領することとなり、海部城は土佐の押さえとして重要視され、阿波9城(徳島城を本城とする支城群)の一つとして蜂須賀家の家老益田一政が7千石にて海部城番となった。
 しかしこの益田氏、2代目長行は海部城番の地位では満足できず、海部の分藩をめざし森林を無断で伐採し江戸に運び独立への賄賂資金とするなど藩の掟をおかしたことが藩主の知るところとなり、独立し大名を目指した長行の夢は正保3年(1646年)5月、刑場の露と消えた。
 海部城は一国一城令により1638年廃城となった。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_2?20140329134236

海部城趾に残る石垣。昭和に入って城山に建物が建てられた石垣も残るがこの石垣は古そうなので城の遺構と思われます。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_3?20140329134236

海部城主郭を取り巻く土塁。1m程度の高さの土塁が残っています。

「海部城訪問記」
 最近の記事のUPが香川県ばっかりだったように思われますので地元徳島県の城を・・・ 
海部城は土佐の押さえとして重要視され、蜂須賀家は徳島県内に徳島城を本城とし9城の支城網を整備した一つとして江戸初期まで城としての機能があったのですが、残念ながら現在遺構としては石垣が一部残る程度でありますが、土佐の押さえと良港である鞆の港も押さえる戦略的に非常に重要な城であった事は現在になってもうかがえられる。
 また昔、城はいざ戦となれば城下に住む住民も一緒に籠城し、住民を戦の戦禍から守る物でもあったと思うのですが、海部城は時代が変わった今でもこの地域の住民を守る性格は継続されています。
 四国の太平洋に面する海沿いは地震の津波で昔から被害をたびたび受けており、南海地震が近い将来起こるであろうと言われている中で、津波の避難所として指定されており、実は海沿いから上る登城ルートは津波時の避難ルートとして案内もあり、整備されております。 

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_4?20140329134236

海部城に残る帯曲輪。津波時はこの曲輪跡に避難するようになるんですね。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d3-3c/gpz900ninjaa12/folder/1489755/61/55869061/img_5?20140329134236

海部城趾に残る「森志摩の守」の墓。この森氏は阿波水軍の総帥として蜂須賀氏に重用された。お墓には海部城趾石碑横から登り口があります。

「海部城への道しるべ」
 国道55号線から海部川に架かるかかる新海部川橋の南側の交差点(海陽町海部支所前)を東に進み鞆浦漁港まで進む。(途中に海部城石碑が学校横に見えるがここから城趾への登城路はありません。)
 漁港の前に見える山が城山なのだが、漁港前から集落を山際手前まで進み左に突き当たりまで進むと津波避難所への案内のある階段が見えますから、その階段を上ると写真に見える堀切が出迎えてくれます
海部城趾

転載元: 四国の城郭探訪


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