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[転載]津軽ばかりでなく列島を襲う、モンスーンのほぼ5年ごとの冷害・凶作、時には干魃・飢饉、深い根っ子は身の毛も与奪つ仄かなカニバリズム、太宰治が無視・黙殺し黙過した和辻哲郎の鼻先

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◆◇津軽ばかりでなく列島を襲う、モンスーンのほぼ5年ごとの冷害・凶作、時には干魃・飢饉、深い根っ子は身の毛も与奪つ仄かなカニバリズム、太宰治が無視・黙殺し黙過した和辻哲郎の鼻先
◇◆

 数千や数万におよぶ骸の時々のそれに、想像の眼を注ぎ、噂の眼に想像を浮かべれば、水のある冷害・饑饉の干涸らびない、その骸は、肉に立てる歯を軋ませ、水が切れた干魃・飢餓の骸は、立たない歯が空虚のガリ・ガリを響かせ、血飛沫を上げなかったとしても、漂う噂は大勢の魂を揺すって慄わせ、大江健三郎をスッポリ包んだ故郷・四国のカニバリズムがその現実を尖らせ、眼に浮かぶ骨肉の血気は血潮を臭わせ、個々の生存を掛けたらしい、生命を棄てて掛かる凄惨な闘い、DNAを刺戟し、文明の底を突き上げる、窮極のカニバリズムの出現を、悟らせたようでしたから、明晰な頭脳は、書かない罪深さに戦き、熟読したドストエフスキー文学の門に入った門の卒業を懸け、万延元年のフットボールを反安保に荒れる東京に書き、日本のけたたましい自由貿易が煽り、保護に傾く世界へ向かって、日本のカニバリズムを公表、偉大な渾身のその貢献を悼んだ、ノーベル文学賞。
 干魃・飢餓に追い立てられ、九州から移ったのに捨てるモンスーンの天命は、都・平城京の遷都、干魃に襲われ、雨乞いを神社に拝む、飛鳥の哀しみに、漂うカニバリズムや噂を、記録にも和歌にも、書いたひとがいなかったけれども、八百万の神が捩る一神の神社・信仰を、無常が見限り、都から全コクの津々浦々に数を増し、広がった仏陀の寺々が仰ぎ見たのは、東大寺の巨大な金箔・大仏。
 たび重なる遷都の大出費、飢餓に漂って流れる、凍る恐怖の戦慄、凶作や干魃を知る人々に、カニバリズムの辛酸を、逆撫でしたにチガいなくても、書くに耐えられず歴史に書かなかったのは、知恵か、しらばっくれか、諦めか、神仏融合の号令も空しく、列島は人命救助を冷たく嫌って逃げる、無謬・絶対の封建・権力、少数を利かせ、10世紀余のム責任をエンドレスに支配、貪欲を少数の手の内に、独り占めする恫喝・権力は、上・下の格差を聳えたたせ、格差の上を少数が少数を利かせて手篤く、リッチに保護、カニバリズムの噂を現実に克服・撲滅するのは、いつの日ですか、しらばっくれが、そう嘆き囁き返します。
 M9に煽られ、生存・リッチが、これから押し寄せる需要減と、損害賠償を先攻、生き残りの独占を叫び、東電内を吹き荒れ、上げた計画・停電の狼煙を眺めさせ、トップから末端まで、2次3次下請けを無視・黙殺、正社員の身内のリッチを、ドン欲に誇示、炎上する東電・ブログ。
 被害の少ない事務・正義のリッチを誇示、外の被害・騒擾を、ひたすらガマンせよと罵倒、CNNの取材を手荒くあしらい、秘かに眠るカニバリズムを外に向かって慄わせ、貪欲の正統を猛々しく、封建・権力の中に隠って武布、世界にその未曾有の危機を訴え、東電の発電・電力を欲しがるものたちを世界から、集めに掛かります。
 彼らの云いなりになれば、列島の東電・カニバリズムがナチのように眼醒め、ホロコーストを逆鱗、列島の人道・危機を、世界に舞いあがらせかねません。それはならじと、世界にバラ撒かれた東電株や社債を、手に握り締め、株主代表訴訟の反撃・反攻が、米コクで燻ります。なんじ、株式を、ニッポンの封建・権力に、引き捕らせるべし、耳を貸さないとは、狡猾も不届き千万。
 5度の心中に煽られ騒がれた、自虐が、信じられないような素直な文を、最后の津軽に綴ります。自虐でも凹まなかった正直が、戦下に、元気な声を挙げたのは、最后と知った清々しさに、背を押されたからでしょうか。
 ニッポン文壇は、ひとり占めを狙うカニバリズムのようなジ我ジ賛に、痛く擦られ、排斥するシ極・キョー悦を欲しいままにに、その深い貪欲が、太宰治に裏返され、それに触れる比喩すら憎悪、敵対の愛憎を剥き出し、列島の批評レベルは、ランク外の谷を転がって消え、黙過するその陰りは、真実の灯火を明かるく灯させます。深く根を張って退き隠る文壇のカニバリズムは、依怙地で陰惨、ム責任を崇め、意志を心理にヨーカい、目的も動機も、カタチあって中抜きの造りもの、和辻哲郎が編みだしたウソ書き・調子書きの、その2次3次下請け。中国大陸の風は、塞翁が馬を飛ばし、目的と責任に眼醒めさせ、文壇に退き隠るドン欲・カニバリズムの牙を、引っこ抜きに掛かるでしょう。太宰治の生誕100年。
 列島のモンスーンから、冷害・饑饉や、干魃・飢餓の無常を、そっくり抜き取って消し、日本のモンスーンを擽って誇ったのが、和辻哲郎の風土記。その意図が陰らせても、見るひとの眼を鎖せず、なにやら八百長を嗜む、八百万の神が、ひた隠しに隠されヒトつに捩られた神道の一神を崇拝。ブッダの教えが独裁の世界に広がり、饑饉の飢餓からひとびとを救おうとしたのに、無常に非情を重ね、ブッダを殺した神仏分離・廃仏毀釈、西洋うや中国の強大・大国に向かって号令、一人占めを狙う少数の凄惨な貪欲・カニバリズムを復活、世界の文明や民族に広く存在したカニバリズムに、観念のネットを被せ、救出が、面倒と莫大なマネーの支出を惜しみ、外来・観念を異端の和訳で活用、字面の上から、カニバリズムを無視・黙殺し黙過、不ツゴーを隠す封建・権力をツゴーの虚言で包み、カニバリズムの比喩すら拒んだのは、その煽りを受けて貼りついていたからと、思わざるをえません。被災コクみんの救護に、とっくに集まった義援金1000億円を、机中に寝かせ、平気の平さを極め込んだ、もとコームいんの片山善博、それなりにあった人気を裏切り、日赤を不忠ものの扱い、日赤の名に集まった義援金の配布を止めるのは、カラ奸カラに唸る、復興資金マネーの、その分捕り合戦に加わる思いが、絶てないのでしょうか。
 小泉八雲がそこに棲みつき、耳なし芳一など、日本怪談が書かれました。迷惑を掛けるのが、カニバリズムをDNAに仕込んだ、そのようなチジやギ会ギ員やコームいんたち、カラ壜・カラ缶やカラ樽・カラ荷の狡猾ざんまい。なんとか施設となんとか研究・ショク、位階の順に一列に並ぼうという行政法人????研究所や????機構は、早くも2・30個所以上の斑目・模様。コームいん改革なんて信じるのがバカ、議論に敵わないコームいんの、その脚を切り、報酬の荷物を軽減するなんて、思う方が阿保。
 なにするひとぞ、隣のひとは、安全の責任を、働きもせず、目的を裏返し、隠れ棲むとひとがいう。30余万人レベルの避難・被災者、 3万人レベルの死者と行方不明者、放ったらかされ、疲労が深く、寒い床敷きから寒風の雪を見上げるひとびとは、集めて止められた義援金からも見放され、子ども手当に固執しても、投票に絡まない、被災への支給はゼロ、仮設住宅36戸に1600の応募??というカニバリズムの半端はピンピンしながらマル出し、救護を嫉る不働仕事の、その深い根は、どこのどこから、
        ∈ 秋深き隣は何をする人ぞ ∋芭蕉
  ☆☆ 追慕の素直、反省の正直、字面に組んだ骸の太宰治、
      野心に飢え焦がれた野心をウソ造りの骨組みに、
      観念を仕込んだウソ書きの和辻哲郎 ☆☆
  ☆☆ 廃藩置県で藩籍を奉還、迫害する教師たちの職員室を、
        をかしく思つた、寂しさにわくわくし、
          自分の来しかた行末を考へた、
        おしまひに溜息ついてかう考へた、
        えらくなれるかしら、だらしないのだ、
      くやしくてたまらない、この、もどかしさ☆☆
(1・2・3・4の1)
 ……明治四年の廃藩置県に依つて版籍奉還、青森市になったこの海岸の小都会は、近江、越前、越後、加賀、能登、若狭などと船で交通をはじめ、殷賑の要港となり、青森県の誕生と共に本州の北門の守りとなった。
 けれども、旅人にとつては、あまり感じのいい町では無いやうである。たびたびの大火のために家屋が貧弱になつてしまつたし、市の中心部はどこか、さつぱり見当がつかず、奇妙にすすけた無表情の家々が立ち並び、何事も旅人に、呼びかけようとはしない。
 旅人は、落ちつかぬ気持で、そそくさとこの町を通り抜ける。けれども私は、この青森市に四年ゐた。いい成績ではなかつたがその春、中学校に合格。遠い親戚の呉服店に旅装を解いた。ちぎれた古いのれんが、入口に下がる家に、ずつと世話になる。
 有頂天になり易い性質は、銭湯へ行くにも学校の制帽を被り、袴をつけた。往来の窓硝子に姿が映ると、私は笑ひながらそれへ軽く会釈をした。
 それなのに、ちつとも面白くなかつたのが学校。しろいペンキで塗られた校舎は、まちの端れにあり、すぐ裏は海峡に面したひらたい公園、浪の音や松のざわめきを授業中に聞き、廊下も広く教室の天井も高く、すべてにいい感じを私は受けた。
 教師たちは、私をひどく迫害した。
 生意気だと、体操の教師にぶたれたのは、入学式の日から。
お父さんがなくなつて、よく勉強もできなかつたらう、と私に情ふかい言葉をかけて呉れ、私もうなだれて見せた、その人が、入学試験の口答試問をした教師だつたから、私のこころは、いつそう傷つけられた。色んな教師にそののちぶたれた。
 職員室を、をかしく思つた。にやにやしてゐるとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられ、授業中の私のあくびは、大きいので職員室で評判であるとも言はれ、そんな莫迦げたことを、職員室で話し合つてゐる。
 君の態度はじつさい生意気さうに見える、落第するにちがひない、あんなに殴られてばかりゐる、同じ町から来てゐる一人の生徒が、私を校庭の砂山の陰に呼び、忠告して呉れた。
 私は愕然とした。鼠色のびつくりするほど大きい帆が、すぐ眼の前をよろよろととほつて行つた、海岸づたひにひとり、家路を急いだ。靴底を浪になめられつつ溜息ついて歩いた。洋服の袖で額の汗を拭いた。
 旅装を解いた屈指の老舗は親戚の呉服店、お父さんには実の子以上に大事にされたが、お父さんは先年なくなられた。青森市へ行つた二、三度、このお父さんのお墓へおまゐりして、宿泊させてもらふ、ならはしである。
 冬の吹雪の時以外、合浦(がつぽ)公園を裏庭にする、中学校の行き帰り、公園を通り抜け、海岸づたひに歩いた。裏路である。あまり生徒が歩かないこの裏路が、すがすがしく、初夏の朝は、殊によかつた。
 ぼんやりしたのは、三年生になつた春のあるあさ、朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかつていた時。全くぼんやりしてゐる経験など、それまでなかつた。うしろで誰か見てゐるやうな気がして、私はいつでも何かの態度をつくつてゐた。
 いちいちのこまかい仕草にも、私は、傍から傍から説明句をつけていた。
 彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻きながら呟いた、などと説明句をつけてゐたから、ふと、とか、われしらず、とかいふ動作は、私にはあり得なかつた。
 橋の下には隅田川に似た広い堤川がゆるゆると流れ、橋の上の放心から覚めたのち、橋をかたかた渡りながら、いろんな事を思ひ出し、また夢想した。
 寂しさにわくわくした。自分の来しかた行末を考へた。そして、おしまひに溜息ついてかう考へた。
 えらくなれるかしら。 (中略)……。
(修正変更した抜粋の引用)
            1・2・3・4の2につづく
     つつしんで……丈司ユマ著作権

転載元: おおがいさんのトモダチ


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