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[転載]義経を追った静御前

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義経の愛妾の静御前の墓とされている物は、日本各地にあります。
多くの歴史書に書かれている静の最後は、鎌倉から戻っ翌年の文治三年に京で病にかかりに亡くなったという説と天竜寺に入ってから尼となって余生を送ったとありますが、不思議な事に京都には静の墓とされている物は発見されていません。また、天竜寺でも静が尼になったという記録は残っていないそうです。
静の墓とされている代表的なものは、
母親の磯禅尼の故郷とされている丹後半島の網野町、ここには静神社という神社もあります。
また、母親の故郷とされているもうひとつの地、淡路島の津名町に義経の墓とともにあります。
どちらも、伝承が残されていていまでも検証が行われているようです。
これが、西日本にある墓です。

鎌倉から京に戻された静ですから、西日本の地で生涯をとじて、その地に墓があるのが自然ですが、
関東や東北にも墓と伝承が残されています。
まず、信濃の安曇郡にある伝承と墓とされる薬師堂
次が群馬県前橋市 ここは、義経の家臣の伊勢三郎義盛の出生の地である。
墓は前橋市岩神町の観民稲荷のそばにあります。
ここでの伝承は静が義経を追って奥州へ向かう途中伊勢三郎の旧家をたずねたこと、親切にしてくれた土地の人に「静」の姓を賜ったことです。現在でも「静」姓を名乗る家が多く、お墓は奥州で亡くなった静の遺品を葬り建てたとあります。
そして、福島県郡山市にある墓と伝承です。
ここは、義経の家臣で静とも深いかかわりのある佐藤継信、忠信兄弟の里です。
静は、この地にたどりつき二人の墓に詣で、残されている家族と語らったとされています。
この地にとどまっていた静は、義経の平泉での悲報を聞きます。平泉から鎌倉へ運ばれた義経の首級がこの地を通ったあとその夜に、近くの池に入水して果てたという事です。以来この池は「美女ヶ池」と呼ばれています。

京から信濃、前橋、福島まで、静御前の伝説を辿ってみるとこれも線になります。
その線の先は、平泉になっています。
しかし、義経北行伝説の線と静御前の伝説の線は交わることはなかったのです。

転載元: 徒然なる歴史の話


[転載]金 金 金~~ 一億円の金塊って ・・・静の里公園 静御前

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一億円 触らせてくださるそうなので  静の里公園に行ってみました。

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おじさ~~ん どの鯉が 泳ぐ金塊なのですか~~~ ???
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 ^^ ワァ ~~静御前様 源義経様と 仲良く並んでる~~~~ 

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大きい陰陽石ですね~~
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さ~~ 一億円 見るの ドキドキしちゃいますね ^^
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訪れた時は 誰もいなくって 思う存分 触ってきましたよ。アッ 傷が 出来てる~~

これは かなり深い傷ですね そういう事は 金って 柔らかいのかな~~。

触れる前は 冷たいと思っていたのですが・・・ 触れた感触は 優しいあたたかい温度でした。
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金 金 金~~ キャ~  おばちゃんが まぶしい ~~ ね (~~*)
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63キロ どれも 持ち上がりませんでした。63キロの固まりを 持ち上げるのは 重いですね。

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肩に 乗せてくれたら まだ 背筋力は あるので 大丈夫だと思うのですが・・・

重量挙げみたいに 持ち上げるのは 駄目 重いですね・・・

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入場料 100円 金粉入りの飴 一個が もらえま~~す

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「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子がとりなして助けられる。



静御前生誕の地 (京丹後市網野町)・・ http://blogs.yahoo.co.jp/maritesuhime/48493550.html

京都 神泉苑  (平安京 最古のお庭 )・・・静御前と義経が初めて出合った所  ロマンチック!! http://blogs.yahoo.co.jp/maritesuhime/45181873.html


静御前・・ 19歳で 男の子を生み 由比ガ浜で (亡くし) 21歳  淡路島で 亡くなったそうな・・・。

転載元: マリティスの美しい日本の旅 日記^^

[転載]歴史の流れの中で

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ずいぶんとさぼってしまいました。
義経北行伝説も大陸まで辿ってみましたが、今度は何を辿ってみようかと考えています。

私は、歴史の流れみたいなものが好きです。

もともと歴史は、年号やことがらの名称などを覚えるのはとても苦手でしたが、学問としてではなく自分が暮らしている世界の延長線上にいろいろな事があったらしい、どんな事がどんな人間が、そしてどのような繋がりでと考えたり調べたりするのが楽しくなりました。

最初の出会いは、三国志でした、もちろん小説です。
その中の魏志倭人伝に日本の事が書いてありました。
その頃の日本は、卑弥呼の時代 単純に中国に比べて文化が遅れていたんだなという感想でした。

では、日本の大和朝廷はどうして出来たんだろ?と言う疑問から始まって、平家と源氏の戦い、鎌倉幕府、それに代わった室町幕府の太平記、その後の戦国時代、信長、秀吉、家康で江戸幕府、そして維新から明治の日本。 そんな感じで歴史の流れを通して楽しんでいます。

日本史の主流の流れを見ているとその時々の枝にも興味が出てきます。
例えば、鎌倉時代では、義経が奥州に行ったので、何故奥州にと言う疑問から奥州藤原家の成り立ちを辿ってみるとアテルイの話まで行ってしまい坂上田村麻呂が出てきて、京に戻ってしまったりします。

その歴史の流れの中で、またひとつ辿ってみたいの思っています。
どこがいいか、誰にしようか、思案中です。

転載元: 徒然なる歴史の話

[転載]義経はジンギスカンになったのか?

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歴史上、ジンギスカンが歴史上に登場し活躍を始めたのが1206年で、義経が平泉でなくなったとされるのが、文治五年(1189)、十七年後です。
もし、義経が生きていたとすれば四十八歳で可能性としては充分にあることになります。
ジンギスカンにまつわる伝承としていろいろな話が伝わっています。
例えば、ジンギスカンが即位する時、九本の白い旗が興安嶺にひるがえったとされています。
白い旗は源氏の旗であり、九郎判官義経の九から九本 偶然でしょうか
また、蒙古の各地には、祭りに使う垂れ幕などに笹りんどうの紋が使われていると云います。
笹りんどうは、源氏の紋です。
そして、史料によるとジンギスカンが亡くなったのは、平涼府の西、竜徳の幕舎で1227年七月五日で、
その死の床にあって「我天命により、ここに死す。今は恨みなし、ただ故山に帰りたし」と語ったと伝えられています。年齢は六十六歳でした。
この日を蒙古ではオーボー祭として祀っています。そして日本の京都の鞍馬寺では、この日を義経忌としています。歴史上、義経が亡くなったのが旧暦の4月で現在では6月ですから義経の命日ではないのです。鞍馬寺は義経が幼少の頃を過ごした寺です、何故その日を義経忌としているかは、鞍馬寺にも伝わっていないようです。

義経が大陸に渡り、ジンギスカンになったとの確かな証拠は存在していません。
しかし、それにまつわる伝説・伝承は昔から日本だけではなく大陸にも多数残っています。
この事は、歴史のロマンとして辿ってみる楽しさがあると思います。

転載元: 徒然なる歴史の話

[転載]大陸に渡った義経

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北海道から樺太を経て、義経は大陸に渡ったと思います。
義経一行は、黒龍江をさかのぼり、アムール川の支流アングル川流域に至り、さらに上流のオノン川までたどったとされています。その地でモンゴル族の中に入ったのです。
これが、義経・ジンギシカン伝説の始まりです。
この伝説を裏付けるような品々や伝承が残されています。

岩手県の盛岡市名須川町にある曹洞宗のお寺「報恩寺」にある五百羅漢堂に安置されている五百羅漢の中に、マルコ・ポーロと大蒙古の国王フビライ・ハーンの羅漢像が残されています。
フビライ・ハーンはジンギスカンの孫で蒙古の国王で元を創設し中国だけではなくヨーロッパにいたる範囲を支配した人物です。
マルコ・ポーロはイタリアの商人で、蒙古国王フビライ・ハーンに十七年間仕えた人物です。
マルコ・ポーロがヨーロッパに東方の地を紹介した「東方見聞録」は有名です。
その中に日本のことをジパングの名で紹介しています。

「東方見聞録」に書かれているジパングは
ジパングの人々は優雅な仏教徒であり、国王の宮殿の屋根は、すべて黄金で葺かれている。
宮殿内の道路や部屋の床には金が敷き詰められていて窓さえも黄金で出来ていると書かれてあります。

この事を平泉の金色堂と考えるのは不自然でしょうか?
また、平泉の藤原秀衡は膨大な仏教の経典を集めたり、平泉の地に多くの寺を建造しています。
「東方見聞録」に書かれているジパングとは、平泉の事であったのです。

しかし、マルコ・ポーロは日本には来ていません。
では、マルコ・ポーロは誰から、その話を聞いたのでしょう、
蒙古国王フビライ・ハーンしか考えられません、そしてフビライ・ハーンは誰から・・・
平泉の事を知っている人物から聞いたのでしょう、
それは祖父の義経であったと伝承は伝えています。

転載元: 徒然なる歴史の話

[転載]淡路城 見に行ってきました ^^

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西浦 一宮 淡路城~~。

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アッ カップルさんも 入っていきますね。 行ってみましょう~~と言う事で 入場しました。

JAF 入っていると 一割引いてくださるそうですよ~ やった~~ (~~*)

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この日は めちゃ暑くて 大変で・・・ この後 帰り 悲しい事が起こることも知らず・・・

小高い坂を 上っていきました。(たった2週間で 今は爽やかな気候になりましたね)

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タイに 行った時に 見た仏像が・・・ 何で??
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井伊家の家臣だって   う~~ん   良く解らないな~~ 
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 ウワァ ~~ 

この石畳で こけちゃいました。 プチ旅これで終わりという所で 

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一眼のレンズが おかしいな~~  あ~~あ (‐∩‐)つぶれちゃいました。  (修理代 2万7千円でした)

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パルシェ香りの館から 夕日を コンデジで撮りましたが・・・この日は ・・・

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でも ここの パルシェ香りの館 香りの湯は 良かったですよ~~ もう少し 時間に余裕があれば もう少しゆっくりしたい所でしたね~~。


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この後 大阪まで 帰りました

転載元: マリティスの美しい日本の旅 日記^^

[転載]棚田と彼岸花

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棚田にまた行って見ました。

今回は、稲の穂も下がり、

だいぶ黄金色になりました。

稲刈は、10月15日頃とのことでした。

15日には、ツアーで都会の人たちが、

稲刈り(手刈り)に来るそうです。

カメラマンの行列が出来るそうです。

転載元: タカのきままな『写真館』

[転載]薄紫の花とカエル


[転載]伝統ブライダル衣装で素晴らしい花嫁

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女性はマケドニアのイスラム教徒の花嫁衣裳です。

百年前からの伝統で、今もいくつかのマケドニアの村で

使用されている伝統的な花嫁服です。

衣装も素晴らしいですが、美人ですね。












マケドニア共和国
マケドニア共和国、通称マケドニアは、東ヨーロッパの
バルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア
連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、
西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を
外国に囲まれた内陸国である。


マケドニアの地図


             芸能人のシェリーさんに似ているでしょう。

          クリックすると新しいウィンドウで開きます



星のように数あるブログの中で、当ブログに訪問して

くださり有り難うございます。

また、毎回お出で下さる皆様には心から感謝申し上げます。


転載元: うーさんのバラ&田舎便りとトピックス

[転載]パノラマ・棚田

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田植えを終えた棚田のパノラマ

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-5a-b1/oois4649/folder/709313/00/8370500/img_3?20150201101453
               画面をクリックしてオリジナルサイズを、スクロールしてご覧下さい

遠方は、千曲市から長野市を望む


撮影・・2006/05/30・姨捨・千曲市

転載元: 信州写真回廊

[転載]かかしギャラリー2014☆波佐見鬼木棚田祭り

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今年で15回目を迎えた「鬼木棚田まつり」です。
 
今年話題になったあの人、この人がユーモアいっぱいの案山子と
なって波佐見の町の鬼木地区に登場しました
 
大泣きした県議も「だめよ~ダメダメ」のお笑いコンビも案山子に
なっていました。

世相を風刺したかかしに見物の人たちの笑いがあがっていました。
 
農作業していると思いきや案山子だったりして近づいて見なければ
分からないのも笑いとなっていました。
 
かかし総数120体、来月10月13日まで展示されているそうです。

転載元: つぐみの笑顔

[転載]菜の花だより

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咲いた咲いた菜の花咲いた
春を知らせにやってきた
 
咲いた咲いた菜の花咲いた
冬の別れを知らせにやってきた
 
山村暮鳥の詩「風景 純銀もざいく」の歌のように
「いちめんのなのはな」とはいきませんが、私の散歩道に
菜の花が咲だしました。
 
土曜日の午後、青空に誘われ天神山をぐるりと一周の散歩に
でかけました。
 
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天神公園へと下る坂道から見た佐世保湾です。
 
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公園の遊歩道そばからシロツメクサの緑の葉が増えてきてます。
一面緑になるのも、もうすぐのようです。
 
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もう間もなくすると2月の節分、スーパーには節分の「恵方巻き」
の予約のポスターが貼られ、立春近しを感じるようになりました。
 
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帰り道でも菜の花を見つけました。
 
菜の花の花言葉は「快活」「明るさ」だそうです。
春の香りを運び、人々の心を明るくするその花姿に由来するとありました。
 
小さな春を発見したような嬉しい気分の散歩になった午後の散歩でした。

転載元: つぐみの笑顔

[転載]椹平の棚田

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朝日町にある、椹平の棚田。
日本の棚田百選に選ばれているらしい。
撮影は昨年の6月。田植えの時期でした。

画像では平べったく見えて、あまり棚田らしく見えませんが、ちゃんと棚田です。
扇状に広がった美しい棚田です。

転載元: 山形の風景写真

[転載]佐渡・野浦の棚田

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 7月22日、愛知から新潟空港に着いた私は、その足で佐渡へ。野浦の有機・無農薬の棚田の草取りに行きました。

 この日は、前日までの雨も上がり、雲はあったものの良い天気でした。田んぼを渡る爽やかな風、元気良く伸びる稲の葉、そして眼下に広がる紺碧の日本海。さらに、澄んだ空気に恵まれて、約50km先の角田山、弥彦山まで見通すことができました。

 素敵な景色に心洗われ、旅の疲れもいっぺんに吹き飛ぶようでした…(^o^)

【画像紹介】
佐渡・野浦の有機・無農薬の棚田から新潟平野方向を望む。水平線上には、遠く角田山(向かって左)、弥彦山(向かって右)が見える。

転載元: ♪アナログ♪な日々

[転載]おとな婚 シルバー婚がもっと増えれば社会が良くなると思います。コピペ

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30代・40代の方の資料請求
 
中高年・シニアの資料請求
 
見学・来社予約パーティ&イベント
 
会員様の声
 
 

成婚ストーリー

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実話をもとに成婚の秘訣をご紹介します。
婚活支援サービス パートナーエージェントで結婚相談やお見合いを行い、実際にご成婚された会員様の実話をもとにした体験談を掲載しています。
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転載元: 水・土壌・大気・道路・心の汚染対策 地球家族円満 証拠写真募集


ニューオリンズ~ニューヨーク~ サンフランシスコ

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Nola Jazz House
3414 Canal St, Downtown, New Orleans, 米国

91%施設の評点

132レビュー                                     すべてのレビューを見る    

宿の情報:

Googleにより翻訳されました
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ムーンパレスニューヨーク | tripadvisor.jp

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ホワイトバランスとは、カメラにおいて、さまざまな色あいの光源のもとで、望んだ色調の写真を得るための補正のことである。

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ホワイトバランス

   
 ホワイトバランス: White Balance, Color Balance)とは、カメラにおいて、さまざまな色あいの光源のもとで、望んだ色調の写真を得るための補正のことである。パランスについて純白の被写体をどう写すか、という点に代表させてホワイトバランスと言う。
 一般に赤みがかったり青みがかったりといった光源が多いため、赤-シアンを主軸とする「色温度」の調整が主となるが、他色の方向での調整も含む。

概要

 まず、理想的なカラー写真を撮影できるカメラを想定する。そのカメラでは、実際の光景の光のパワースペクトルがそのまま再現される。しかしたとえば、白熱電球のような赤みがかった(色温度が低い)光源下や、逆に蛍光灯のような青みがかった(色温度が高い)光源下において、人間の視覚は、光源のために赤くあるいは青く見えていることをさっぴいて、自然な色合いで対象を「見て」いる。

 そのため、仮に光学的に理想的なカラー写真を撮影できたとしても、その写真は光源の影響で、「自然な」写真にはならない。これの調整がホワイトバランスである。「白 - グレー - 黒」の無彩色を無彩色に、また人間の肌色などといった人間の感覚が敏感な対象を自然に再現することが第一義だが、たとえば「真っ赤な夕焼け」を完全に補正して、白い物が白く写っている写真にしても普通は意味が無いわけで、そのへんは撮影者の意図によるものとなる。

 銀塩写真の場合の具体例としては、普通のカラーフィルムは標準の処方で現像して、日中の太陽光(デイライト)のもとで撮影したものが自然な写りになるよう調整されている。このフィルムを使い、蛍光灯に照らされた被写体を撮ると緑色がかった不自然な色に写る。また白熱電球に照らされた被写体を撮ると、だいだい色がかった不自然な色に写る。リバーサルフィルムのように敏感な写真材料の場合は太陽光でも、曇天時や早朝にはフィルターで調整することがある。
 ホワイトパランスに敏感である点は、ディジタルカメラも同様の傾向がある。そのためほとんどのディジタルカメラはオートないしマニュアルのホワイトバランス調整機能を持っている。

 以上の点は動画(ビデオカメラ)でも同様だが、動画の場合は連続して調整する必要がある、という点が加わる。コマ撮り等の場合に顕著だが、1カットの短いシーン中に露出等と同じくフラフラ変動すると大変見辛いので、オート等にせず調整を固定すべきである。また、テレビ番組の取材などの映像を注意して見ていると、外から屋内に入ったり、白熱電球から蛍光灯に光源が変わった時にバランスを切り替えたのがわかることがある。

厳密に正確な色再現

フィルムカメラで厳密に撮影する場合は、カラーメータによって色温度を測定し、その色温度に適した色補正用フィルターを装着したり、特殊なフィルム(タングステンタイプなど)をもちいて撮影している。アーカイブ目的の場合はカラーチャートを一緒に写し込む場合もある。ディジタルカメラではカメラに内蔵されている機能で補正が可能なため、色補正の機材の準備や手間がかからない。これは、フィルムカメラによる撮影と比べて大きなメリットである。

ホワイトバランス機能の種類

ホワイトバランス機能には、だいたい以下のような種類がある。上位機になるほど、手動操作が可能になり機能が多い傾向がある。
オート
撮影対象の光の状況を画像エンジンが自動的に判断し、適正な色状態を再現する。撮影場面によっては補正が足りない、あるいは過剰補正となる場合も多々ある。そもそも万能なオートホワイトバランスというものは存在せず、カメラ毎にメーカーの開発部門の設計思想を反映していると思しき「癖」が存在している。

プリセット(等。ニコン他「プリセット」の語をこの機能ではなく次に説明する機能に使っているメーカーもある)
晴天時や曇天時・電球光・蛍光灯エレクトロニックフラッシュ光などごとの、あらかじめ用意されている設定から選択する。

 プリセットホワイトバランス(ニコン・ペンタックス)・マニュアルホワイトバランス(キヤノン)・プリセットカスタムホワイトバランス(フジフイルム)・ワンタッチホワイトバランス(オリンパス)・カスタムホワイトバランス(ソニー・シグマ)・ホワイトセット(パナソニック)
色基準(純粋な白色もしくはグレー[1]。白紙を使うのが簡単だが、撮影機材では露出確認用の18パーセントグレーが兼用される)となる被写体を撮影者が用意し、それをカメラに測定させ、それを基準とする。

色温度指定
色温度を直接、あるいはスライドバー操作などで入力する。

ホワイトバランス補正
露出補正と同様、オートあるいは前述の測定によるバランスから、マニュアルで補正・調整するもの。たとえば、夕日の写真を撮る際に正常なホワイトバランスでは赤みがうまく表現できない場合、赤系に補正して赤みを強調させる、といった効果を出すことができる。

ホワイトバランスブラケティング
オートブラケット機構の1つで、オートバランスや設定値から、青系・赤系and/or緑系・赤紫系で前後何段階かシフトさせ同時に(あるいは連続して)撮影する。
 以上は撮影時の設定だが、いわゆるRAW画像データが取得可能な場合、いわゆるRAW現像時にもバランス調整が可能である(ないし、調整が必要である)。

問題点と解決法

 ユーザが撮影の際に色温度の違いを意識する必要が無い、という点では便利なオートホワイトバランス機能だが、当然弱点もある。

 白熱灯(タングステン電球)が多い夜間の室内撮影においてフラッシュを発光させると、ホワイトバランスも自動的にフラッシュ光に合わせられ、近距離はフラッシュにより適正なホワイトバランスとなるが、背景が赤みを帯びてしまう。特に、内蔵フラッシュの光量が小さいコンパクトタイプのカメラにおいてこの傾向は顕著であり、写真編集ソフトウェアを使っても容易に補正できない。

 このようなとき、外部フラッシュが接続可能な中級機以上であれば、マニュアルまたはプリセットのホワイトバランスで白熱灯に合わせておき、外部フラッシュにアンバー色(薄いオレンジ)のフィルターをかけ、フラッシュの色温度を白熱灯に近づけると、実用的なレベルで自然な撮影が可能となる。おもに報道目的であるが、外部フラッシュにすっぽりかぶせるタイプのフィルターが市販されている。(大相撲中継でのカメラマン席を見ると、外部フラッシュにこのフィルターを着用している者が多い)

 また、夕焼けや特殊な光源の室内などでは、色温度が変わっていること自体が光景を構成する重要な要素のひとつである。プロの仕事やアート的な写真であれば、ライト等でわざと狙った色温度に色かぶりした光景をつくること自体が、仕事の一部でもある。フィルムカメラであればそれを忠実に写し取るが、デジタルカメラはオートホワイトバランスが初期設定になっていることが多く、その状態のまま撮ると本来の「色かぶり」が失われる。この場合、ユーザがオートホワイトバランス以外のモードで設定し直す必要がある。

 これらは、人間が物体色を様々な色温度下で見ることによって正しい色を経験的に推測し、記憶上で補完合成できるに対し、カメラは撮影した1カットの色情報のみから正しい色バランスを一元的に推測演算するしかないために起きる問題である。ただしデジタルカメラは、撮影直後にカメラのモニター(さらに必要であれば外部モニター)を見れば、どのような色調になっているかは即座に確認できるので、これを積極的に活用することで、さらに幅広い写真表現が可能となる。
<img src="//ja.wikipedia.org/wiki/Special:CentralAutoLogin/start?type=1x1" alt="" title="" width="1" height="1" style="border: none; position: absolute;" />
   

スナップショット・エステティック(英語: snapshot aesthetic, 「美学的スナップ写真」の意)は、スナップ写真において、芸術写真に位置づけられる作品の総称である

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スナップショット・エステティック   

スナップショット・エステティック英語: snapshot aesthetic, 「美学的スナップ写真」の意)は、スナップ写真において、芸術写真に位置づけられる作品の総称である[1]ロバート・フランク、そしてリー・フリードランダーゲイリー・ウィノグランド英語版がこの写真運動の中心人物である[1]


略歴・概要

前史

  スナップショット(スナップ写真)は、日常の中の光景等を瞬間的に切り取ったものである[2][3]
「スナップショット・エステティック」の初期の理論家には、オーストリアの建築批評家ジョゼフ・アウグスト・ルクス(Joseph August Lux)がいる。ルクスは1908年(明治41年)に『コダックの芸術的秘術』 Künsterlische Kodakgeheimnisseという書籍を上梓し、同書のなかで、コダックの廉価版写真機「ブローニー」を使用することを擁護した。カトリック的近代批評に影響を受けた立場に導かれ、写真機を使用することの気楽さは、人々が自分たちの周囲や生産したものを撮影・記録することができることを意味すると論じ、ルクスの望むものは、現代世界の潮の満ち引きにおける安定性のひとつの典型であった[4]

 ブローニーの登場した1900年(明治33年)以降、写真機の小型・軽量化は急速に進み、ドイツのカメラメーカーライカが生んだ「L型ライカ」や「M型ライカ」は、写真機と写真術の普及、スナップ写真の向上に寄与した[2]。報道の分野にも積極的に使用され、アンリ・カルティエ=ブレッソン木村伊兵衛らは「スナップ・ショットの名手」と呼ばれた[2]

1960年代以降

 ヴァルター・ベンヤミンによる『複製技術時代の芸術』(1935年)によれば、「複製可能性」と「技巧の不在」が写真の本質であり、そうであるならば、もっとも芸術から遠いとみなされ、だれでも容易に撮影可能なスナップ写真にこそ、写真の本質的な可能性が宿るはずだとするのが「スナップショット・エステティック」の考え方である[1]。つねに人物・風景が構図の中心となるスナップ写真において、予測不可能な夾雑物が思わぬ効果をもたらすことに最初に気づいたのが、ロバート・フランクである[1]。リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドが、追ってスナップ写真による美を追求した[1]。「エステティック」(美学的)な「スナップ写真」という語には、「技巧の不在」であるならばそこに美意識こそが際立つという写真家たちの戦略が込められている[1]

 このスタイルの典型における特徴は、平凡な日常的な主題、および中心を外したフレーミングであるように見える。多くの作品において、主題はイメージ間に直結した関連を欠き、個々のイメージの間にある並置関係や分裂関係に依存している。この傾向は、ジョン・シャーカフスキー英語版が促進したものである。シャーカフスキーは、1962年(昭和37年)から1991年(平成3年)にわたってニューヨーク近代美術館(MoMA)の写真部長を務めた人物である。特筆すべき実作家は、ゲイリー・ウィノグランド、ナン・ゴールディンヴォルフガング・ティルマンスマーティン・パー英語版ウィリアム・エグルストン英語版テリー・リチャードソンらである。これらの写真家たちは、ユージン・スミスゴードン・パークスらとは対照的に、「生活や人生を改革するのではなく、知ること」を目的としていた(ジョン・シャーカフスキー『ダイアン・アーバス』)。シャーカフスキーは、1967年(昭和42年)にMoMAで開かれ、後に影響力を持つにいたる「ニュー・ドキュメンツ展」において、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドの作品を購入し、写真界における新傾向をはっきりと認識させた。スナップ写真のようなカジュアルなルックスをもつ写真、圧倒的にふつうの主題をもつ写真、という傾向である。

 「スナップショット・エステティック」という用語は、「古典的」な白黒フィルム英語版で撮られたヴァナキュラー写真英語版におけるスナップ写真家(スナップショット・アーティスト、アノニマスな作家たち)の魅力から湧き上がったものである。次のような特徴がみられる。
  1. ハンドヘルドの写真機から生まれたものであり、現代的かつ安手のデジタルカメラが搭載する電子式ファインダー英語版のようには、そのファインダーは、主題が中心に据えられているかどうかをフレームの隅々まで容易に「視る」ことはできない。

  1. 自分たちの生活や人生のさまざまな儀式を記録するふつうの人々が生んだものであり、被写体となっている場所は、自分たちが暮らしたり訪れたところである。

1990年代以降

 HIROMIXライアン・マッギンレー英語版ミコ・リム英語版アーニス・バルカス英語版といった1990年代以降の現代写真家たちが、国際的な認知を得ているのは、スナップショット・エステティックの恩恵といえる。1990年代初頭以降、このスタイルは、ファッション写真において、とくに『ザ・フェイス英語版』誌のような若年層向けファッション誌においては、優勢を占めるモードとなった。この時代以降の写真界は、いわゆるヘロインシック英語版と関係が深く、そこにはナン・ゴールディンの作風も深く影を落としている。

 1997年(平成9年)に『写真のアルケオロジー』を上梓した写真史家のジェフリー・バッチェンは、「スナップショット・エステティック」をさらに推し進め、アノニマスかつ膨大な作品群であるヴァナキュラー写真を審美的に評価した。

[転載]日向製錬所 公害被害を訴える主婦へのスラップ訴訟問題 その1

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 黒木睦子さんを初めてツイッターで見たのは、今年(2014年)の夏過ぎだったように記憶している。
当時のフォロワーは、わずか数百名。
 
「スラグ投棄によって子供のセキが止まらない、何とかして欲しい」
 と公害被害を訴える内容で、気の毒に思ってフォローした。
 
 ツイートが目に入れば必ずリツイートしてきた。
 フォロワーは、わずか数ヶ月で2000を超えたが、そのあたりで加害企業から逆告訴されるスラップ訴訟が起こされたことを知り、これは大変と、力を入れて宣伝することになった。
 
 11月14日、スラップ損害賠償請求裁判までの、わずか半月ほどで、フォロワーは2000台から一気に15000を超えた。
 
 私はいてもたってもいられず、裁判の三日も前から1100キロの道のりを軽自動車に乗って日向市に駆けつけた。
 とりあえず現地調査が不可欠と思ったからだ。
 そうして到着の翌朝、現地に行ってみたら、恐ろしい現実が目に飛び込んできた。
 
 現地の投棄は大方終わっていたが、近傍の山に数カ所の新しい投棄準備地が開墾されているのが目に入った。
 日向精錬所は、黒木さんの実家前の山だけでない、西川内地区全体の山をゴミ捨て場にするつもりだったのだ。
 
 そして、投棄地の下を流れる小川には、まるで布団の綿のような白い汚物が、まったく姿を変えることなく残されていた。
 美しい川なのに魚影が見あたらない。
 これは容易ならざる毒物汚染かもしれないと思った。
http://tokaiama.minim.ne.jp/date1/kuroki1.html
 
 黒木さんの家は数キロ先にあるということだが、投棄地にもっとも近い家が彼女の実家だった。
彼女は実家の両親の代弁者として活動してきたのだ。
 そこは肉牛牧場で、たくさんのサイレージフレコンが積んであった。畜産に使う水は投棄地から50mしか離れていない井戸だ。
 
 スラグ投棄地の厚みは50m以上ある。となれば水頭圧が5気圧あることになり、黒木さん実家どころか、周辺数百メートルの井戸や水田、畑地、西川内の大半の住民の生活用水を汚染することになる。
 私の畑も似た条件なので、浸透水の強さは良く知っているつもりだ。
 あとは投棄物の中味が問題だ。
 
 日向市富高西川内地区の山林に、日向製錬所というステンレス用ニッケル精錬を主業務とする住友金属鉱山の子会社が、サンアイというダンプ会社を使って投棄してきたもの。
 それはフェロニッケルスラグという産業廃棄物である。
 
   https://www.pacific-metals.co.jp/file/news/20100409110217-1.pdf
 
 当然ながら、苛酷で知られる産業廃棄物法の規制対象になり、住民への事前説明会や地元の了承など、たくさんの手続きが必要になる。
(東京都ではフェロニッケルスラグをセメント骨材として使用する場合以外、産業廃棄物として認定するよう通達を出している)
 
 ところが黒木さんの説明や、地元民への聞き取りから、そうした産廃法の手続きが取られた形跡がまったくないのである。
 ならば厳しい罰則のある産廃違法投棄ではないか?
 
  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO137.html
 
 だが、日向製錬所は、投棄しているものはフェロニッケルスラグから作られた安全無害なグリーンサンドという農業用土壌改良材であって、これをサンアイというダンプ会社に売って、彼らが谷間を埋めているだけという説明をしているのだ。
 だから産廃法の規制対象にならないから、定められた事前アセスメントも地元説明会も、投棄場の汚水侵出防止養生も必要ないという理屈らしい。
 
 もし、それがウソであって、投棄内容がグリーンサンドでなく有害なフェロニッケルスラグであったなら、大変な大問題であって、認可した県も日向製錬所も逮捕者を出すほどになってしまう。
 ましてや、抗議する主婦の口を封じるために卑劣きわまりないスラップ訴訟まで提起しているのだ。
 この極悪さが世間に認知されるなら、やがて親会社である住友金属鉱山のみならず、住友グループ全体に取り返しのつかない悪評を貼り付ける結果になるだろう。
 企業コンプライアンスの倫理問題をはるかに超えて、一大産業犯罪になってしまう。
 
 そうして、黒木睦子さんに初めて面会して、詳しい事情を聞いた。
 その結果、腰を抜かすほどのひどい現実があることを知らされ、これは本当に深刻で恐ろしい大公害問題であるとの理解に至ったのである。
 
 たまげたのはこれだ。
 黒木さんが、投棄物の有害性を調べるために、汚水溜の底からサンプルを採取した際に、「漏れ出た汚水が、球状に丸まってから下に落ちた。その後、フェロニッケルスラグを採取した手が腫れ上がった」
 
 これを聞いて飛び上がった。
ボタボタ漏れた汚水が強烈な表面張力で球状になるものとは何か?
 それは水銀しかありえない。
 
 さらに黒木さんが、この水をサンプル分析依頼した研究施設の報告によれば
 環境基準値の鉛210倍、ヒ素50倍、フッ素20倍、総水銀15倍、カドミウム3倍、セレン3倍
 が検出されている。
 
 これは本当に恐ろしいことだ。手が腫れ上がった原因は、おそらくヒ素の有機化合物だろう。それ以上の問題は、球状になった汚水、水銀である。
 これは現在、腎障害などの毒性で知られる無機水銀であっても、土壌や水中で容易に有機化し、メチル水銀に変わって恐怖の中枢神経障害、すなわち水俣病を引き起こすことは、すでに世界的に広く知られている。
 
 日向製錬所側は、この汚水溜まりを完全に清掃してからサンプルを採取し、それを宮崎県が分析して「無害」のお墨付きを得たようだ。
 だが、そんな甘い屁理屈と隠蔽工作など通用しない。
 どんなに清掃してみても50メートルの厚い堆積層の底から次々に汚水がわき出してくる。
 その中に水銀、ヒ素、鉛などニッケル鉱石に付随する無数の重金属が含まれているのである。
 
 こうなれば黒木さん個人宅の問題をはるかに超えて、西川内地域も飛び越えて、大字富高地区全体の大公害問題に発展することは間違いない。
 それどころか、産廃不法投棄事件ともなれば、日向製錬所の摘発、関係者の逮捕、さらに県の認可の違法性が問題になり逮捕者が続出することも確実だろう。
 
 宮崎県という地域は、産業王国であり、日向製錬所(住友金属鉱山)のような力の強い組織の意向は絶対であって、警察でさえ簡単に手出しできない権力を形作っている。
 だが、それも公害被害が出てしまえば、隠蔽は不可能だ。今は水俣病の時代と違う。
 小さな主婦の声が、ツイッターやソーシャルメディアを通じて、あっという間に全世界に拡散し、世界中が注目するのである。
 
 この投棄は、農業用土壌改良材の投棄であって、産業廃棄物でないという屁理屈を使っているようだが、だとすれば、なおさら深刻な問題がある。
 普通、有毒性のある産廃を山林に投棄する場合、浸出液の毒性を封じるために、厚手の防水シートにアスファルトコーティング防水を行って養生するが、この場合、こうした防護措置は一切取られていないため、浸透水汚染が極めて深刻な事態になることが避けられないのである。
 
 分けても、ヒ素と水銀問題は極めて深刻である。
 水俣病の場合も、最初、猫の恐ろしい中毒症状が人間にまで波及してきた段階で、加害企業チッソは「無機水銀に水溶性はなく、胎児が吸収する可能性はない」と突っぱねた。 ところが、無機水銀が微生物や光化学反応などで有機化、メチル水銀に変化することが明らかにされ、これが水溶性で人間の脳関を容易に通過し、胎児に激しい障害をもたらすことが証明されたのである。
 
 同じことが日向市でも起きるのではないか?
調べてゆく内に、日向製錬所の別の(日向市細島地区)場所で工場を運営し、その跡地から深刻なヒ素やフッ素の猛毒汚染が検出されていたことが分かった。
 
  http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/53279ace574f099270ca1f3025c52739
 
 つまり、日向製錬所とは、産廃不法投棄の常習犯だったのである。
 
 そして公害被害を素朴に訴える主婦に対して、驚くべき恫喝訴訟(スラップ)を仕掛けてきた極悪下劣ぶりには恐れ入るしかない。
 まさか住友グループや資本金1000億円のモンスター企業、住友金属鉱山が、自社のコンプライアンス評価を極端に滅損する愚かなスラップ訴訟を仕掛けたとは考えにくい。
 おそらく日向精錬所内部の暴力団と結びついた愚劣なチンピラ管理職が、勝手に暴走して仕掛けたのだろう。
 いずれ、刑事告訴によって必ず責任を取らせることになる。
 
 いずれ、投棄場所のサンプル調査は避けられない。
彼らが拒絶することは目に見えているが、裁判所に強制開示命令を出させてサンプルを取得分析するしかないだろう。
 これは黒木さんではなく、支援団体がやることになる。
 
 日向製錬所側は、下の方にフェロニッケルスラグを投棄して、上部のサンプル採取の恐れのある場所にはグリーンサンドで覆っている可能性があるので、ボーリングサンプル取得を行うしかないだろう。
 こうして得たサンプルが、産廃法に規定されたスラグであり、なおかつ激しい毒性を持っているとすれば、日向製錬所が検挙されるのは確実であり、県の担当者や河野知事も無事ではすむまい。
 
 先は長いが、焦らず、前を向いて進むしかない。
 とりあえず、西川内地区の水源、井戸汚染が強く懸念されるため、支援組織が大至急、飲料水分析を行うことになるだろう。
 この分析は、九州内部の機関では信用性が薄いので、東京や大阪の機関に依頼することになる。
 現在、関係者と検査機関について調整中、至急開始したいので、一件1万円程度の費用についてカンパをお願いする予定でいる。
 
 東海アマ 2014年11月16日著  現地調査は11月12日~14日

転載元: 東海アマのブログ

[転載]平成27年3月4日 日向のフェロニッケルスラグの審理を傍聴しませんか。

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平成27年3月4日 日向のフェロニッケルスラグの審理を傍聴しませんか。
来られる方は、見に行ったほうがいい。傍聴席が大勢で埋まれば、きっと黒木さんの励みになると思う。



・平成27年2月4日(水)宮崎地方裁判所延岡支部1号法廷
・10:00~11:00
・平成26年(ワ)第86号、(ワ)第89号、損害賠償等請求事件
・当事者:株式会社 日向精錬所 外、代理人:新井貴博
     黒木睦子 外
・民事会議係:(長)塚原稔、(官)百瀬梓、(官)長峰志織、
        書記 廣中久




平成27年2月4日「日向精錬所およびサンアイ損害賠償請求事件 平成26年(ワ)第86号、第89号」(併合審理)のレポート

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・塚原 聡 裁判長   ・百瀬 梓 裁判官  ・長峰志織 裁判官

・原告 日向製錬所、サンアイ
・原告代理人 新井貴博弁護士 外

・被告 黒木睦子
・傍聴人 14人(傍聴席44)
・報道 1社
-----------------
 前回も傍聴された方も多く、開廷前に被告に対して「頑張ってね!応援しているよ」という声もなく、前回のような異様な盛り上がりはありませんでした。至って通常の裁判という感じでした。

前回もいらっしゃったのかも知れませんが、法廷内をスケッチされている方もいらっしゃいました。

以下、開廷の主なやりとりです。

(裁判長)
・出廷の確認→原告、被告
・提出された裁判資料のチエック
→原告 証拠の番号修正
→被告 1月27日提出「答弁書」
新たに2月2日に提出された「経過説明書」

(裁判長)→(原告)
・ブログ及びツイッターで名誉毀損にあたるとされる書き込みのURLを記載してほしい。
・これは「民法723条」(注1)に基づくもので良いか。

 →(原告)はい。
 (注1)民法723条・・・他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。

・また、「民法710条」(注2)にも該当するか。
→(原告)はい。

 (注2)民法710条・・・他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。


(裁判長)→(原告)
被告から2月2日付けで「経過説明書」(注3)が提出されたので、原告は次回までに「反論準備書面」を用意するように。
 (注3)被告が提出した「経過説明書」とは、前回、原告が提出した被告の不法行為を時系列にまとめた証拠資料に対する書類である。こちらも時系列にまとめてある。

(裁判長)→(原告)及び(被告)
この裁判は、「名誉毀損」(注4)が争点の裁判であることに間違いはないか?
→(原告)はい。
→(被告)返事なし。怪訝な表情。

(注4)これが今回の裁判のポイント。裁判所が「名誉毀損」であるとしたことで、「産廃問題」としての取り扱いはなくなった。

(裁判長)→(被告)
・あなたが考えてブログやツイッターに書いたことの元になったことは、被告から提出されなければならない。
→(被告)意味が分からず。

・ブログやツイッターで書いたことの「根拠」になるものを提出するように。
→(被告)私はブログに書いたことが事実、本当のことです。グリーンサンドのことで困っていたので、そのことをブログやツイッターに書きました。

・その「事実」の根拠になったもの、どうしてグリーンサンドが悪いのか、有害なのかを示すものを提出するように。(注5)
 (注5)つまり、これまでも言われてきました「水質検査結果の原本」「健康被害を示す診断書」等の証拠資料の提出を被告に求めました。ただし、次回までにという期限はついていません。

(裁判長)→(原告)
原告は次回までに、被告から出された「経過説明書」に対する「反論準備書面」を用意すること。次回裁判の1週間前までに。

(裁判長)→(被告)
被告は証拠資料が出せるか考えておくこと。

(裁判長)次回公判の日程調整。
 次回は、「3月4日(水)午前11時~」に決定。
閉廷
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以上のような内容でした。10分足らずで終わりました。
 今回、裁判所側が明確に「名誉毀損」と原告・被告双方に伝えたことで、今後の公判の流れが見えてきました。

次回は、被告が提出した「経過説明書」への反論を原告側に投げましたので、そのことがメインになります。
 その間、被告は裁判長がお願いした「証拠資料」を準備することができるかどうかということになります。

証拠資料が提出される可能性があれば、次々回(4月ごろ?)で取り上げられることになるかと思います。

それを受けて、結審になるかどうかということになりますので、早くて5月には結審になるのではないかと思います。

 以上です。

【追加】
 裁判終了後、裁判所隣りの延岡市中小企業振興センター5階の会議室で、「ミニ集会」を行いました。 
傍聴人が14人と少なかったこともあり、私ともうお一人の2人の参加でした。
 予定通り、30分ほどニコ生で第2口頭弁論のレポートをしました。
 で、その後、少しお話をした後、早めに会場をあとにしました。

第3回口頭弁論も終了後、ミニ集会とレポートを行いたいと思います。
 ミニ集会に参加されました皆さん、ありがとうございます。



宮崎地方裁判所延岡支部  第二回口頭弁論を終えて



第二回口頭弁論は、

『グリーンサンドが原因となって、ブログやツイッターを書くようになりました。
困っているのに、いくら言っても原告は聞き入れてくれず、いま、こういう感じになっています。』

と、ツイッターやブログを書き始めた理由を、わたしは裁判長に述べました。

裁判長から、“ツイッターやブログの正しさの立証をして下さい” と言われましたが、

これ以上、どうやって、ツイッターとブログの内容の正しさを説明すればいいのか、よくわかりませんでした。

裁判長は、「意味は分かりますか?」と、訊ねてくれました。

わたしは、よく分からなかったので 「わかりません。」 と答えました。

裁判長は、「要は、根拠となるものを出して下さい。水質検査をやったっておっしゃってるから、あるんだったら出すように。」

と、“水質検査証” のことを言われているのだと思い “根拠となるもの” という意味が何となくわかりました。

裁判所は、“立証” をして下さいとは、水質検査証を出して下さい、ということを言いたかったのだと思いました。

わたしは、はっきり言ってもらえばわかりますが、

はっきり言ってもらわないと、意味がわかりません。


いろんな人の考えがあるようで、

この裁判が「名誉毀損だ」 とか 「産業廃棄物問題ではない」 と、

書いている人がいますが、 もとの原因は グリーンサンド(フェロニッケルスラグ)の 責任の取り方 です。


転載元: 日向産廃スラグ不法投棄恫喝訴訟、住友Gr土壌底質汚染研究会

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