定義
琉球語の「しま(島)」には、「島嶼(island)」の他に「村落(village)」の意があり、奄美・沖縄・先島住民は琉球王国時代からシマ(村落)ごとに帰属意識をもつシマ社会を形成していた。シマごとに決まり事や習俗は微妙に異なり、シマで歌われる歌も多様であった。「我がシマぬウタ(私の村の歌)」が「島唄」の語源である。シマ社会で伝えられてきた言葉を「シマくとぅば(島言葉)」というが[1]、「島唄」も同様の表現である。「島嶼の歌でなく村落の歌である」ということを示すために、「島」という漢字を使わず「シマ唄」と表記されることがある。
これらの歌を「島唄」と総称したのは奄美群島が最初である。このため「本来、島唄とは奄美民謡のことを指す」という言い方がなされる。広義ではシマ社会の歌としての「島唄(シマ唄)」は旧琉球王国全域に分布するとも言える。ただ、THE BOOMの楽曲「島唄」(1992年)の大ヒット等により沖縄・奄美以外の日本本土でも「島唄」という表現が知られるようになると、中には奄美群島の民謡と琉球民謡を混同するものや、沖縄民謡の別名として「島唄」と表記するものも現れ、奄美出身者や奄美民謡関係者からは「島唄は奄美民謡のこと」と主張する声もある。
本項では特に注釈がない限り奄美群島の民謡としての島唄(シマ唄)について記述する。
概要
奄美方言では、「シマ」という言葉は自らの郷里、帰属地を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する。「シマ」という言葉の指す範囲は、奄美群島・個々の島・集落など、場面によって様々であるが、「シマ」と片仮名表記する場合には集落のことを指すことが多い。奄美群島や沖縄県では集落ごとにそのオリジナルの民謡を持っていることが多く、奄美大島の高齢者は、出身集落以外の歌を「シマウタ」とは呼ばないとの報告もある[2]。複数のシマに広まっている歌であっても、集落ごとに異なった歌詞や旋律をもつ場合もある。
歌の内容としては集落毎の生活に密接に根ざしている労働歌や、伝承を歌詞にした歌、呪術の一種であるサカ歌などを口伝によって伝えてきたものが多い。即興の歌遊び(歌掛け)も行われた。島唄に長けたものは唄者(うたしゃ)と称されるが、シマ社会では職業としての歌手ではなかった。20世紀以降、録音・放送技術の発展により歌の保存や伝達手段は飛躍的に進歩したが、方言そのものの衰退という新たな課題が生じている。一方で、島唄がライブなどで興業的に歌われる機会が増え、職業的な島唄歌手も存在するが、奄美群島の著名な唄者は他に生業をもっていることが多い。唄者が競いあう「奄美民謡大賞」などの大会も存在する。これらで大賞を受賞すると群島内でCDなどが発売されるが、中には元ちとせや中孝介などメジャーデビューした者もいる。
楽曲としては伝統的な曲のほか、「ワイド節」のように近年新たに作られ普及した歌もある。
特徴
奄美大島の島唄は、北部の笠利節/笠利唄(かさんぶし/かさんうた)と南部の東節/東唄(ひぎゃぶし/ひぎゃうた)の2つの流れに大別される。笠利節は、ゆったりとした調子で深みのある荘重な表現が特徴であり、東節は、激しく変化に富んだ節回しで情緒的な表現が特徴である。笠利出身の当原ミツヨ、松山美枝子、里アンナは笠利節、朝崎郁恵、元ちとせ、中孝介は東節の系統にあたる。
奄美大島を含む、徳之島以北は本土と同じ五音音階の陽音階(律音階。ヨナ抜き音階参照)で、日本民謡の南限という側面を持つ。一方で、沖永良部島以南(奄美群島では他に与論島)では琉球音階が用いられ、琉歌の北限という側面も持っており、琉球民謡の一翼を担う。琉歌は八音を中心に、五音・六音・七音を標準とする定型詩であり、基本的には「サンパチロク」といわれ、八・八・八・六を基本形とする。
主に用いる楽器の奄美三味線は見た目には沖縄の三線と似ているが、沖縄では太い弦を爪(水牛の角)や、最近では安値で管理しやすいギター用ピックなどでダウンストロークに弾くのに対し、奄美の島唄では細い弦を薄くて細長い竹べらやプラスチックのへらを用いてアップストロークを多用する。
また、棹を押さえる左手の指で弦を弾く「はじき」や、ハンマリングの「うちゆび」、これらを組み合わせた3連音も多用される。このように奏法・調弦に大きな差があり、鎖国期にはニシキヘビの皮のかわりに和紙を10枚重ねたものが庶民のあいだで愛用されたことから楽器本体の構造にも違いがあるため、基本的に三線との使い回しはできない。呼称は地域や年代によって様々だが、シャミセン(三味線)、ジャミセン(蛇皮線・鹿児島県伝統工芸品)、サンシル(沖永良部島)、サンシンと呼ばれる。リズムを取るための打楽器としては独特の太鼓ちぢん(鼓の転化音)が普及している。
- 琉歌のルーツは神託に求められ、非日常的で神聖な行為と関連していたため。
- おなり神(うない神)信仰による男性の女性の声に近づけて歌いたいという願望。
- 薩摩の支配下で大っぴらに苦しみを表現できなかったため。
- 山合の急峻な地形でのコミュニケーション手段。
- 音色変化と音域を補うという音楽的理由。
代表的な島唄
奄美大島
喜界島
徳之島
沖永良部島
代表的な唄者
レコード
シマ唄は、方言で歌われることから、奄美群島という非常に限定された地域の音楽であるため、そのレコードも独特の製作・流通形態を持っている。シマ唄のレコードの多くは、奄美市名瀬の商店街の中にある、セントラル楽器という小さな楽器店が製作し、自社の店舗で販売するものである。レコーディングも、かつてはセントラル楽器の社宅で行われていた。
奄美 島唄の動画(12,100件)
-Yahoo!検索(動画)奄美博物館紹介で写真撮影しました
奄美は、古くから日本本土と中国、東南アジアとの接点にあり、独特の文化圏を形成してきました。小さな島嶼地域でありながら、その歴史は琉球に属したり、薩摩藩に組み入れられたり、アメリカ軍政下におかれるなどきわめて変化に富んだ歴史を有しています。特に言語・風俗・信仰等は、日本の古代文化との深いつながりを保持しているのではないかといわれ、学問的にも貴重な地域として注目されています。また、自然の分野においても貴重な野生生物が多く、南限種・北限種・固有種が非常に多い地域として注目されており、世界自然遺産登録を目指しております。
このように人文科学・自然科学の分野からも重要な位置を占め、これらの資料を調査研究・収集保存し、情報として発信する役割を担う施設の必要性が高まり、1987年(昭和62年)7月1日に奄美歴史民俗資料館として開館し、1990年(平成2年)7月1日名瀬市立奄美博物館、2006年(平成18年)3月20日奄美市立奄美博物館と名称を変更し、現在にいたっています。
奄美博物館は「黒潮の流れに生きる」を展示の基本テーマとして、導入展示(1階)・人文系展示(2階)・自然科学系展示(3階)・野外展示・企画展示を柱としています。また、これらの展示活動とともに講演会等の開催及び各種講座を実施し、積極的に館外活動を行い、学校・社会教育との連携を図り、市民一般はもちろん、奄美を訪れる人々に対し、内容の濃い情報を発信するよう努めてまいりたいと思っています。
利用案内
名称:奄美市立奄美博物館
住所:奄美市名瀬長浜町517番地
電話:0997-54-1210
住所:奄美市名瀬長浜町517番地
電話:0997-54-1210
www.youtube.com/watch?v=wJpJoFaGJVQ
2003年5月31日に行われた、かごしま有楽館でのライブより、貴島康男・山下聖子の ビデオです。
www.youtube.com/watch?v=TPKr9NGxjPY
奄美民謡 島唄「朝花節」は、特に奄美大島では、唄のある席では必ずといっていいほど 最初 ...
www.youtube.com/watch?v=I2SYsmDf_Yc
奄美島唄里アンナ&牧岡奈美 ヨイスラ節 御徒町. Miura Naohide. Loading... Unsubscribe ...
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奄美島唄唄者・アーティスト 一覧. あ行. 朝崎 郁恵(あさざき いくえ); 朝崎 郁恵 アルバム・参加作品. 中 孝介(あたり こうすけ); 中 孝介 アルバム・参加作品. 石岡 春代(いしおか はるよ); 石岡 春代 アルバム・参加作品. 大島ひろみ(おおしま ひろみ); 大島ひろみ ...
amamikke.com/1485/ - キャッシュ
押しも押されもせぬ、名実ともに奄美島唄界のトップに立つ唄者、築地俊造さん。寝ても覚めても三味線を弾き鳴らし鍛錬した島唄は、全国一の栄冠に輝き、「奄美島唄」を全国、世界へ広めるきっかけとなった。