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[転載]カネミ油症事件の経過 カネミライスオイル製造

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カネミ油症事件の経過
1)ダーク油事件;カネミ油症事件は予見できなかったのか

 1968(昭和43)年2月20日ごろ、鹿児島県日置郡のブロイラー養鶏団地を
はじめ九州、四国、中国など西日本各地で奇病が発生した。鶏が急に元気が
なくなり、食欲がなくなり、産卵しなくなり、体に浮腫が来、呼吸困難がき
て口を開けて斃死した。その数は推定190万羽から210万羽といわれている。
 連絡を受けた鹿児島県畜産課は家畜保健衛生所九州支場に原因究明を依頼
した。まず、死んだ鶏の解剖の結果、肝臓壊死、腎臓の尿細管拡張、腹水、
胸水、心囊水腫、浮腫、皮下浸潤、出血などの所見が明らかになり、ブロイ
ラー大量斃死の原因は中毒であることが明らかになった。

 3月14日県畜産課は農林省福岡肥飼料検査所に対して「原因は配合飼料に
あると考えられる」と報告した。この配合飼料を製造したのは東急エビス産
業の九州工場と林兼産業の下関工場の2社だけであった。

 検査所の聞き取りでは東急エビス産業側は􌓕奇病発生の原因となった配合
飼料は二製品で、これらの二製品が他の製品と違うところは、北九州小倉区
東港町のカネミ倉庫の米ぬか油を製造する過程で副生するダーク油を材料に
使っていたことである」と述べている􌛖􌛍􌛗。さらに、このダーク油や飼料を鶏に
直接与えると鶏は全く同じような症状を示した。すなわち、3月の中旬には
鶏奇病の原因はカネミ倉庫のダーク油であることは明らかになった。検査所
は3月15日、農林省畜産局流通飼料課に報告し、16日には二社に飼料の回収
を命じた。3月18日には東急エビス中央研究所ではダーク油による動物実験
を開始している。それによると、2月7日、14日に出荷したダーク油にのみ
毒性があることが分かっている。

  3月22日、飼料課長ほか係員たちは、カネミ倉庫の本社工場を立ち入り調
査した。そして、カネミ倉庫の加藤三之輔社長に確かめたところ「ライスオ
イルは飲むことが出来ます。私も飲んでいますが、何の異常もありません。
大丈夫です」と答えたという。ダーク油を製造する工程や製品の出荷状況な
どについてはかなり詳しく事情聴取をしたらしいが、肝心の人が口にする米
ぬか油については追求されなかった。実際、患者の中には健康や美容によい
という宣伝によって、飲用していた者がいたのである。保健所から勧められ
たという者もいた。

  5月には農林省家畜衛生試験場の小華和忠や勝屋茂美らはこれらの飼料を
ひな鶏に食べさせて同じ症状が発症することを確認している。後でわかった
ことだが、ダーク油には1300ppm のカネクロール400が含まれていた。
6月14日、問題の配合飼料とダーク油を使って農林省家畜衛生試験場で
行った再現試験の結果が検査所に報告された。それによると「原因はダーク
油の原料である油脂が変質したために起こった中毒である」というもので
あった。この時、詳しい原料の化学的分析(たとえば、ガスクロマトグラフ
によるなど)を行うべきであった。人の口に入れるものであるから一片の通
知と警告だけで済ませないで、さらなる経過観察を注意深く続けるべきで
あった。

 当時、アメリカでは同じような鶏の水腫病(chick edema disease)
が多発し、‘60年代には多くの報告がアメリカの畜産関係専門書に報告され、
ある種の有機塩素系化合物が原因であることが推定されていたのである。す
なわち、アメリカのCantrellらによって水腫病の原因はヘキサクロロベンゾ
-P-ダイオキシンと同定されていたという。さらに、1956年にはハンブルグ大
学の皮膚科研究グループがダイオキシン類は塩素痤瘡を作ることを明らかに
していた􌛖􌛏􌛗。1967年にすでに、Jensen(スエーデン)も環境中にPCB を発見
していた􌛖􌛎􌛗。すなわち、注意深く関係の専門家たちがその気になればいくつか
の重要な情報はあったのだった。

 この時、その鶏卵や汚染鶏を食べた者がどうなったかの調査もない。また
死んだ鶏の80%前後が地中に埋められたとみられる。それらは環境汚染を
起こしてはいないのか、決して腐敗しない化学物質だから現在も残留してい
て厄介なはずである。

 ダーク油の汚染が指摘された3月下旬から油症が発覚した10月までの約半
年間に国、北九州、カネミは何らかの対策がとれたはずであった。しかし、
何かの対策がとられた形跡はない。

 九大油症研究班の倉恒匡徳は「ダーク油事件は油症事件が報道される約
8ヶ月も前に発生していたのである。鶏の病気は人に深刻な影響を与えるお
それがある。農林省が、この誰しも考える“おそれ”に配慮して、この事件
を厚生省に連絡しておれば、油症の拡大もまた防げたことが考えられる」と
書いている。


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2)油症発覚;食品衛生法違反では􌗉
 ダーク油事件の当時、西日本の各地で体に黒い吹き出物がでる患者が多発
して各地の医療機関を訪れていた。汚染されたダーク油の出荷時期、ブロイ
ラーの発病時期と問題のライスオイルの出荷時期、奇病の発症時期とは同じ
だった。
 1968年4月以来、ブロイラーの方は出荷停止によって発生が食い止
められた。しかし、ライスオイルの方は人間に関することであったが、発症
が発見されて、原因が分かるまでにさらに時間がかかった。その間、被害は
拡大していった。とくに、被害拡大防止こそが行政の最大の責任であったに
もかかわらず、その懈怠によって被害が拡大した。

 6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断された
が、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。しかし、食中毒事件
として捉えられていなかったか、少なくともそのような対応は見られていな
い。それは、皮膚科は食品衛生法の処理に慣れていなかったこともある。そ
の後、九大にライスオイルを持ち込んだ者がいたが問題にされないので、10
月3日、その米ぬか油を今度は大牟田保健所に届けた。そこで、やっと保健
所は翌日、福岡県衛生部に集団的奇病の発生を連絡した。





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昭和43年1月度精製々品出来高

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昭和43年3月度精製々品出来高


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昭和43年4月度精製々品出来高
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昭和43年4月度精製々品出来高

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 その以前から、九大と福岡県衛生部は事前に察知していたと思われる。九
大の五島応安医師は学会に発表するまで控えていたという。これは食品衛生
法の届出義務違反ではないか。

 10月10日に朝日新聞で奇病発生が発表されると、翌11日、衛生部は九大病
院に派遣、調査を開始した。新聞は11日にはダーク油との関連を報道する。

 一方、北九州市衛生局は11日にカネミ倉庫に立ち入り調査を実施し、サンプ
ルを採取して九大に分析を依頼した。この日、カネミ倉庫に対して原因がはっ
きりするまで販売を中止するように勧告したが、会社側はそれを受け入れな
かったために、15日食品衛生法によって1ヶ月の営業停止を通知した。
新聞に連日報道されると、疑いをもった人々が保健所に届出て、その数は
同日、30日には1万2270人に達した。
 九州大学医学部、同薬学部、県衛生部合同の「油症研究班」が10月14日に結成され。19日には「油症患者診断基準」を決定した。まだ、原因が確定されていない時のもので、未知の疾患に対する診断基準であるからあくまで暫定的なものでなくてはならなかった。

3)病因物質の追求
 10月14日に久留米大学の山口誠哉教授はヒ素中毒説を発表した(後否定)

 10月18日、九大医学部に油症外来を開設して集団検診を始める。

 10月19日に編成された油症研究班は班長、勝木司馬之助(内科、九大病院
長)、副班長は樋口謙太郎(九大皮膚科教授)と下野修(福岡県衛生部長)か
らなり、部会として臨床部会(部会長樋口謙太郎)、分析専門部会(部会長塚
元久雄九大薬学部部長)、疫学部会(部会長倉恒匡徳・公衆衛生学教授)を置
いた。

 10月22日、高知県衛生研究所がカネミ倉庫の米ぬか油から、27日には国立
衛生試験所がそれぞれ有機塩素系化合物を検出に成功した。米ぬか油から初
めて有機塩素系化合物が検出されたのであった。

 11月4日には研究班の稲神農学部教授がカネミ油に含まれた有機塩素系化
合物のガスクロマトグラフのパターンがカネクロール400(鐘化)のパターン
と一致することを証明した。原因が油に含まれるPCB とするとどこから混
入したかが問題になった。

 11月6日には九大皮膚科の五島應安氏が油症被害と鶏のダーク油による被
害の原因が同じであることを実験的に証明し􌛖􌛐􌛗、11月4日には米ぬか油から、

 11月16日にはダーク油から相次いでPCB が検出された。

 11月16日、篠原久(化学機械工学)教授を団長とする九大調査団がカネミ
倉庫の製油部工場を立ち入り検査した。その結果、脱臭塔内を通っているス
テンレスパイプに3箇所のピンホールを発見して、そこからカネクロールの
漏出が確認された(後にこれは訂正されるのだが)􌛖􌛏􌛗。これによって、原因究
明は終了したとされた。

 しかし、1971年、アメリカのR.W.Risebrough博士の指摘によってカネク
ロール400にはPCBsの他にPCDFs、PCDDsなどが含まれていることが分
かった。その結果、油症の主な原因はPCDFsによるものであることが明らか
になった􌛖􌛏􌛗。いずれにしても、油症は単純な汚染の結果ではなく複合汚染によ
るものであった。したがって、その臨床像も複雑で前例のないものであるこ
とが推定された。

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追跡調査(五島の患者たち)で分かったこと、生活の場でみる



 2000年から2004年にかけて、長崎県五島列島の玉之浦町、奈留町の油症患
者61人(11人は九州在住)について、現地を訪れ検診と聞き取りを行った。
自主医療班は神経内科、精神科、皮膚科、婦人科、疫学、保健師(院生)、看
護師(院生)、社会福祉士からなる􌛖􌛌􌛍􌛗。
男性20人、女性41人。年齢は33歳から79歳。平均年齢は男性60.6歳、女性
は64.8歳でいずれも高齢者が多い。



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事件が起こった1968年は、たまたま椿油が不作な年で、そこに、高級なカネミ油を格安で販売すると、カネミ油が島に持ち込まれました。あとでわかったことですが、再脱臭した劣悪なカネミ油が持ち込まれたので安かったのだと言われています。
 何も知らない島民は、カネミ油で魚を天ぷらにして食べました。ダイオキシンの毒入り油で元気がなくなると、もっと精をつけようとさらに天ぷらを食べたり、美容に良いと、そのままカネミ油を飲んだ人もいました。
 五島列島は隠れキリシタンの里です。島のあちこちに教会が立ち、異国情緒のただよう美しい島です。黒い赤ちゃんが多く生まれたのも、堕胎を避けるキリスト教の影響があったと言われています。
 かくして、カネミ認定患者の約2割が五島市に集中したのです。
 初めて自主検診やヒアリング調査に入った時は、多くの被害者は私たちを警戒しました。何の血縁も地縁もないよそ者が、事件から30年以上も経ってから、なんで来るんだというのが警戒の理由です。今では笑い話ですが、カネミ油症被害者五島市の会会長がこう言いました。「やって来た人たちは、今はやりのオレオレ詐欺の仲間だと思った」。
 こんなこともありました。ある被害者の家に原田正純医師たちと訪問しました。その家の奥さんは複数の黒い赤ちゃんを生んだ人です。ぜひ原田先生に診てもらいたいというので訪問したのですが、家に入ったとたんに主人が出てきて、「お前ら、今ごろ何しにきた。来るなら仮払い金を払う前に来い」とどなり、殴りかからんばかりの勢いでした。私たちは急いで家を出ましたが、その家の奥さんが出てきて言うことには、「お父さんを許してください。カネミを食べる前は人一倍元気な人でした。健康な人を見ると悔しいんです」。





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転載元: カネミ油症に正義を!


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