中国大陸の権益を虎視眈々と狙う日本軍が盧溝橋事件を引き起こし、それをキッカケにして日中の全面戦争に発展したと言うのが歴史の授業で教わる内容です。
ですが、盧溝橋事件が勃発した1937年7月7日の5日後に両軍は停戦協定を締結していたのです。日本は事件不拡大方針を示し、収束に向かっていました。
ところが、その後、大紅門事件・郎坊事件・広安門事件そして通州事件と第二次上海事変がおき、日中の全面戦争に発展していくことになります。
日中全面戦争となった後も、日本政府は戦争を終結させようと懸命の努力を続けていました。蔣介石率いる中国国民党に対して何度も講和を提案していたのです。
最初は1937年8月に昭和天皇の意思表示からはじまった船津和平案です。外務省出身で上海総領事を務めたことがあり、日中双方から信頼されていた船津辰一郎氏を日本側の代表に立てて行った和平提案です。
当時、日本軍は優勢に戦いを進めており、華北から中国軍を一掃していましたが、それで得た華北での既得権をほとんど放棄することが和平提案に盛り込まれていました。極めて寛大で中国側が受け入れやすい内容だったわけです。
講和が成立する可能性が高かったわけですが、8月9日に上海において、日本軍の大山海軍中尉殺害事件が発生して緊張が一気に高まり、8月13日に第二次上海事変が勃発したことによって和平交渉は頓挫してしまいました。
次に行われた和平工作が第二次上海事変の最中に行われたトラウトマン工作です。これはドイツの中国大使であるトラウトマンを仲介して行われた和平工作です。ところが欧米列強の介入に期待していた蔣介石側の煮え切らない態度に業を煮やした日本側が「国民政府ヲ相手トセズ」と発信していまい、和平工作が頓挫しました。
その後も、1939年12月から日本陸軍今井大佐が当事者となって行われた桐工作等、数々の和平提案が日本側から行われましたが、成就することはありませんでした。
蔣介石の顧問であったオーストラリア人のW・H・ドナルドは終戦後のニューヨクタイムズのインタビューで、日本は1938年から1941年にかけて12の和平提案を行っており、日本側の提案した内容は中国側にとって有利だったと述べています。
日本の和平工作は残念ながら実を結びませんでした。そこには様々な思惑、行き違いがあったのは確かでしょうが、中国側に有利な内容だった和平工作が何故、成功しなかったのか。その裏には中国共産党の暗躍があったのです。
中国共産党が日本と国民党との間で行われた和平工作を潰した理由とは何だったのか。それは戦争を継続したかったからであり、そのために何としても和平工作を潰す必要があったからです。
中国共産党の最終目的は蔣介石率いる国民党を駆逐して中国全土の支配者となることですが、国民党の勢力に対して明らかに劣勢でした。そこで陰謀を仕掛けて、国民党軍と日本軍双方を戦わせて消耗させることによって漁夫の利を得ようとしていたのです。
1937年8月9日に発生した上海での大山勇夫中尉と斎藤一等水兵が惨殺された事件は戦争を継続拡大させたい中国共産党の陰謀である疑いが濃厚なのです。それは船津和平案が話し合われた当日の出来事でした。
大山中尉と斎藤水兵は偵察行動中でした。その際、中国保安隊に停車を命じられたが、日本側がそれを無視し保安隊に発砲して保安隊員一名が死亡ことが大山中尉と斎藤水兵の虐殺につながったとされています。
ですが、当時の上海の日本人居留区は3万の中国国民党軍に包囲されており、防衛する日本軍は4千人しかいませんでした。そのような状況で日本軍を危機に陥れる先制攻撃などするはずがないのです。
中国側が大山中尉と斎藤水兵を射殺して遺体を毀損して日本側の怒りを誘い、日本側が発砲したように見せかけるため中国兵の死体を転がしておいたのが真相だと言われています。
船津和平案が潰れ、その後、日本軍と中国共産党軍の全面衝突という中国共産党の思惑通りの展開になったわけですから、絶妙のタイミングで大山海軍中尉殺害事件という陰謀を仕掛けた黒幕が誰かは明白だと思います。
また、日本の和平工作が成功しなかったのは、当時の近衛首相の側近にソ連のコミンテルンのスパイが紛れ込んでいたからでもあります。そのスパイとは元朝日新聞記者の共産主義者である尾崎秀美と彼に通じるソ連のスパイ、ゾルゲです。
コミンテルンの目的は共産主義勢力を拡大させるです。そのコミンテルンにとって国民党軍に潰されかかっている中国共産党軍の劣勢は看過できない事態でした。国民党を弱体化させたいコミンテルンにとって、日本軍と国民党軍が講和して矛先を中国共産党軍に向けてくるのは悪夢のような展開なのです。
何としても和平工作を潰す必要があり、尾崎とゾルゲは和平に関する情報を中国共産党に流して、連携して和平工作を潰しにかかったのは容易に想像できる筋書きなのです。
外の中国共産党、内のコミンテルンのスパイによって日本の和平工作が妨害され、日本軍と国民党軍は長きに渡る戦いを繰り広げることになってしまったのです。日中双方にとって不幸な歴史としか言いようがありません。
そもそも、日中戦争のキッカケとなった盧溝橋事件自体が中国共産党の陰謀だったのです。(続く)
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