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[転載]上海事変は中国(蒋介石)が仕掛けた侵略行為

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「日華事変の時、日本軍はシナにいたではないか。すでに侵略行為を行っていた」と言うが…
日本軍がいたのは、中国が外国人を誘致するかのように設けた共同租界という地区。つまり侵略でも占領でもなく、日本企業と日本人を警護するために、8ヵ国のうちの1国として中国の了承の下で駐屯させていたのだ。 
   
   《谷沢永一 渡部昇一
         「日本に『戦争責任』なしhttp://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kenjya07-22&l=as2&o=9&a=4334971555」》



当時の上海は、支那随一の大都会にして国際都市であった。40余ヵ国の人々が租界(外国人が警察権と行政権を有する)に住んでいた。日本20,522人、ロシア11,279人、英国9,243人、米国3,809人、フランス1,647人、ドイツ1,838人(これらの国は上海に軍隊を駐留させていた) 
このように日本人ビジネスマンが多くの欧米人に交じって商業活動を行っていた。さらに蘆溝橋事件の勃発により、揚子江上流から上海に引き揚げてきた日本人の数は、2万2千人にのぼった。


そうした中、蒋介石は上海の非武装地帯に、コンクリートで強固に構築したトーチカを網の目のように築いていった。その上、7月12日に広汎な動員令を発令した蒋は、上海に10個師団を急派し、3万の中央軍が日本人を取り囲んでいた。

そのため、日本は上海で衝突が起こることを危惧していた。エルセイも言うように「当初は日本の政府も軍部も交戦を回避していた」のである。
しかし上海の日本人は、いまや4万人以上にふくらんでいた。その日本人を保護する海軍陸戦隊は、わずか2,800人。このため8月11日、1,200人の陸戦隊が日本から急派された。


日本租界を取り巻いて待機中だった支那便衣隊が、8月13日、15時55分射撃を開始した。その便衣隊に次いで正規軍も発砲してきたため、日本軍も応戦の火ぶたを切った。
8月14日にも支那空軍機が日本の領事館・陸戦隊本部・待機中の軍艦「出雲」を爆撃。また同日、国際租界にも爆弾を投下して、キャセイホテルとパレスホテルの間で死者729人、負傷者861人、交差点での死者1,012人、負傷者1,007人を出した。

中国軍はアメリカ製の十数機の爆撃機で、日本の繊維工業を狙ったが失敗。停泊していた旗艦・出雲に投下して離れたが、そのうち編隊から離れた4機が上海の租界を爆撃し、千人以上のヨーロッパ人が殺された。

…こうして日本は「支那における外国権益を渦中に引き込むを企図したる支那人に依りて、文字通り戦争に押し込まれた」(ニューヨーク・タイムズ上海駐在・アーベント特派員)のである。

当時、上海居留民保護のため上海に駐留していた陸戦隊の数は、多めにみても5千人。対する国民党軍は、すでに無錫・蘇州などに25万人以上が待機していた。(7月7日の「蘆溝橋事件」は、いわば街頭の喧嘩にすぎない。ヤクザの銃撃抗争と国家間の戦争を一緒にするな、との立場)
       《兵頭二十八 正論2005/8月号》

上海での戦闘で日本軍は、クリークによって攻撃を仕掛ける中国軍に手を焼き、多大なる犠牲を出した。こうして戦闘が膠着状態に陥ったため、日本軍第十軍は11月5日、杭州湾上陸を行い、上海派遣軍と合わせて中支派遣軍を編成した。 
そして11月20日、日本はここに至ってようやく大本営を設置した。中支派遣軍は敗走する中国軍を追い首都南京まで攻め込み、12月13日ここを占領した。
      《黄文雄 「日中戦争真実の歴史」》

●きわめて反日的であったニューヨーク・タイムズですら、上海事変勃発の1937年8月の紙面で次のように述べている…(HALLETT ABEND上海特派員の8/31付署名記事・8/31掲載)

外国人は日本を支持
上海における軍事衝突を回避する試みによりここで開催された様々の会議に参加した多くの外国政府の代表や外国の正式なオブザーバーたちは皆、以下の点に同意するだろう。
日本は敵の挑発の下で最大限の忍耐を示した。日本軍は居留民の生命財産を多少危険にさらしても、増援部隊を上陸後数日の間、兵営の中から一歩も外に出さなかったのである。
8/13以前に上海で開催された会議に参加したある使節はこうみている。
「7月初めに北京郊外で始まった紛争の責任が誰にあるのか、ということに関しては意見が分かれるかもしれない。しかし、
上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐためにできる限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。中国軍は外国人の居住している地域と外国の権益を、この衝突の中に巻き込もうとする意図が有るかのように思えた」
 《茂木弘道
  「「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか」》

より一部抜粋ですので
転載元へお寄りください。


イメージ
いかづち国防軍 赤とんぼ






転載元: 雷丸構築的心情世界


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