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隠岐漁民、竹島の岩ノリ製造…不法占拠前から
2016年02月09日 07時48分
韓国が1952年に李承晩ラインを一方的に設定し、竹島(島根県)の不法占拠を開始するより以前の明治後期から大正期にかけて、隠岐諸島の漁民が竹島で岩ノリを摘み取り、製品化していたことが、島根県竹島資料室の調査でわかった。
同室は「竹島が隠岐漁民の生活拠点の一つとなっていたことが改めて裏付けられた」としている。
同室が昨年10、12月に隠岐の島町久見地区で聞き取り調査し、夫の母親から竹島産の岩ノリ製造の話を聞いたという作田アイコさん(83)や、作田さんの息子2人の証言を得た。
作田さんは「夫の祖父(作田芳吉さん、1878~1955年)が竹島に行き、岩ノリを摘んだことがある。竹島の岩ノリは大きくて長いので、久見では縄のひもに引っかけて干した」などと証言した。
また、アシカ漁などを行うために島後に設立された「竹島漁猟合資会社」の「生産品勘定帳」(1911年5月4日)を、元県職員が53年に筆写した写し(県立図書館所蔵)には、竹島からノリ1俵を入荷したことが記載されていた。
県内は「 十六島(うっぷるい)海苔(のり)」など、岩ノリの主要産地。なかでも隠岐諸島は高品質な岩ノリで知られ、竹島産もそれらと一緒に、長崎や大阪に出荷されていたという。
県竹島問題研究顧問の下條正男・拓殖大教授は「日本が竹島を持続的に実効支配していた明確な証拠で、我が国固有の領土であることをさらに補強することになった」と話している。
2016年02月09日 07時48分Copyright © The Yomiuri Shimbun