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米子の古代史 山陰歴史館 福市遺跡

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古代の米子
http://www.city.yonago.lg.jp/secure/20572/kofun.jpg
<写真>  岩屋(いわや)古墳(こふん)
( 向山(むこうやま)古墳(こふん)(ぐん)のひとつ)
弥生(やよい)時代が終わると、全国で「 古墳(こふん)」とよばれる土や石を 盛()った大きなお 墓(はか)がたくさんつくられるようになるんだ。この時代は「 古墳(こふん)時代」とよばれて、米子市でもたくさんの 古墳(こふん)がつくられたんだ。米子市 淀江(よどえ)町 福岡(ふくおか)にある「 向山(むこうやま)古墳(こふん)(ぐん)」には、鳥取県の西部を代表する 古墳(こふん)がならんでいて、死者を入れていた部屋も見ることができるんだ。
 
 
http://www.city.yonago.lg.jp/secure/20572/hotoke.jpg
<写真>  上淀廃寺(かみよどはいじ)で見つかった 仏像(ぶつぞう)のかけら
その後の日本では、 奈良(なら)に都がおかれ、国づくりがおこなわれるようになったんだ。
そのなかで、米子のあたりは「 伯耆国(ほうきのくに)」という名前が付けられたんだよ。また、この頃には大陸から 仏教(ぶっきょう)が伝わってきて、全国にお寺が建てられるようになったんだ。
米子市では、この時代に建てられた「 上淀廃寺(かみよどはいじ)」とよばれるお寺のあとが見つかっているよ。 仏像(ぶつぞう)のかけらや、 仏(ほとけ)様のえがかれたかべのかけらが見つかっていて、全国的にとても有名になったんだよ。
 
 原始の米子へ http://www.city.yonago.lg.jp/secure/20572/left.jpg    http://www.city.yonago.lg.jp/secure/20572/right.jpg 中世の米子

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古代淀江平野の情景を想像させる絵画土器
淀江町中西尾の淀江公民館宇田川分館から稲吉方面に向かう、米子市道稲吉福頼線の道路沿いに、『角田(すみだ)遺跡 絵画土器出土地』と刻まれた石碑が建てられています。
角田遺跡は、淀江町稲吉地区にある弥生時代中期の遺跡です。ここでは、昭和55年の発掘調査で絵画土器の破片が発見されています。破片は13片ほどであったようですが、それらを復元すると高さ約150センチメートル、口径約50センチメートルの大型の壺形土器となります。
 
この土器で特に注目したいのは壺に描かれた絵で、太陽のようなもの、舟をこぐ人、2棟の建物、木にぶらさげられた物体、鹿のような動物などが確認できます。弥生時代の土器に絵が見られることさえ珍しいのに、このように多種多様な絵が描かれているのは非常に貴重です。
 
これらの絵は、はるか古代に湖沼が広がっていた淀江平野の村の情景を描いたものと思われます。そしてそのうちの建物の絵は、佐賀県吉野ヶ里遺跡の「物見やぐら」のモデルともなっています。なお、復元された絵画土器は、淀江町福岡の上淀白鳳の丘展示館で展示されています。


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福市遺跡

   
福市遺跡(ふくいちいせき)は、鳥取県米子市福市、通称「長者原台地」上に所在する弥生時代後期から古墳時代中期を中心とする集落遺跡。国の史跡に指定されている。

概要

1966~1968年、住宅団地造成工事に先立つ発掘調査によって発見された。山陰で初めて住民による遺跡の保存運動が起こり、当該地方の住居構造と集落の変遷がわかる集落跡として、1970年に吉塚地区と日焼山地区の39,414平方メートルが国の史跡に指定された。
東西500メートル、南北400メートルの範囲から、竪穴住居跡・土壙墓古墳横穴墓などの遺構が217基検出され、居住域と墓域が分離されている。竪穴住居の形態が円形から方形に変わる様子や、10棟前後を単位とする特徴がある。遺物は、土器石器(石斧・敲石・石台等)など約35,000点が出土した。中でも大型の甑形土器、獣形ミニチュア土器、コマ形紡錘車、鶏形土器、子持勾玉破鏡など、集落遺跡では珍しいものもみられる。
遺跡は環境整備(公園化)がはかられ、福市考古資料館にて遺物が収蔵・展示されている。隣接して史跡青木遺跡が所在する。

関連項目

外部リンク

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米子市福市考古資料館>交通アクセス

交通アクセス

<br /><small><a href="https://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=%E7%B1%B3%E5%AD%90%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E9%99%B0%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%A4%A8&aq=&sll=35.452031,133.418223&sspn=0.099423,0.142479&brcurrent=3,0x3556f6ff71e7de05:0x1452cee3837b9834,0&ie=UTF8&hq=%E7%B1%B3%E5%AD%90%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E9%99%B0%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%A4%A8&hnear=&t=m&cid=17827489321040412511&ll=35.414936,133.371878&spn=0.020985,0.038538&z=14&iwloc=A" style="color:#0000FF;text-align:left" target="_blank">大きな地図で見る</a></small>& amp;amp;amp;amp;amp;amp;lt;/center>

バスをご利用の方へ

  • JR米子駅前バスターミナルから日の丸バス、溝口・日野方面行きに乗車。
  • 「安養寺(あんようじ)入口」で下車。(所要時間:約20分)
     ※八郷線、二部線、根雨線、賀野・岩屋谷線(御内谷行きを除く)

お車をご利用の方へ

  • JR米子駅から国道181号線を岡山方面へ約5km。

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国史跡 福市遺跡
http://www.city.yonago.lg.jp/secure/13787/fukuichi1.jpg福市丘陵(標高25メートル)は、日野川と法勝寺川の合流点に突出するなだらかな丘陵となっていますが、この丘陵の全面に遺跡が分布していることは古くから知られていました。
昭和42年の調査では、遺跡は東西500メートル、南北400メートルくらいの範囲に確認され、山市場、御所原、南御所原、四つ塚谷、日焼山、吉塚、青木向の7支群が設定されました。
遺構は、住居跡152、土坑墓28、古墳6、横穴14、合計217が確認され、遺物は土師器を中心に須恵器と弥生土器の壺、甕、こしき、器台、土製支脚、玉類、武具などが多数検出されました。
国の史跡に指定されたのは、吉塚、日焼山の2支群で、弥生時代後期(3世紀)から古墳時代中期(5世紀)にかけての集落跡と墳墓群です。
遺構は、住居跡90、柱穴群6、溝2、土坑墓24、古墳1、横穴1、合計122が確認されました。また、遺物は、土師器片が約35,000点で最も多く、弥生土器と須恵器が若干、土製紡錘車、土製獣首、鏡片、玉類、鉄器、砥石などが多数検出されています。
http://www.city.yonago.lg.jp/secure/13787/fukuichi2.jpgこの調査は、大規模な住宅団地と学校の用地造成の事前調査として実施されましたが、村落跡と古墳群を中心に構成されたこの遺跡が、山陰における古墳時代の住居構造、集落構成、変遷および土器編年を考えるうえで学術的に重要な価値を持つことが認められ、その一部を国の遺跡として保存、活用されることになりました。これは、米子市民の文化財保護運動の成果です。
【参考資料】



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