第二次大戦中、米国と日本は法的擬制の応酬をする不幸な癖に災いされていた。
米は「世界を征服し奴隷化する」野望に燃えた軍国主義的侵略者、日本の姿に囚われすぎ、日本が「白人ブロック」の「奴隷体制」から太平洋地域と「アジアを開放する」というスローガンの下に、日華事変と第二次大戦を戦っていることを見ようとしなかった。
仮に見えたとしても、このスローガンは米にとって法的擬制だった。
しかし、米国の法的擬制より、日本の見せ掛けを信用したアジア人はかなりいる。
1931年の満州から1941年のインド国境まで、日本が破竹の勢いで進出できたのは、アジア・太平洋諸国をヨーロッパの政治・経済的支配から解放するという大亜細亜建設計画(大東亜共栄圏)のダイナミックな革命的魅力に負うところが大きい。
アジア・太平洋地域の植民地には、もともと経済的支配からの政治的独立と自由への渇望がくすぶっていた。
日本のプロパガンダと指導は、それに火をつけたにすぎない。
初めの頃、若干の例外はあったが(フィリピンはその一つ)、アジアと英仏蘭植民地で日本が勝てたのは、現地協力者の活動があったからだ。
開戦当初の日本は、殆ど銃火を交えることなく戦火を収めている。
ヨーロッパのアジア「領有者」たちは、日本軍から逃げたというより、現地住民の敵意から逃げた。
米国が「解放戦争」と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジアの再征服(恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した)だったのだ。
ルーズベルトは1944年8月12日の声明で、アジアの民衆は日本の奴隷になることを望んでいないと言った。
全くその通りだ。
しかし、歴史的にみてアジアの民衆を奴隷にしていたのは日本ではなく、米国が同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国であることを、ルーズベルトは言わないのだ。
日本は当然のことながら、アジアの人々に対して、アジア或は太平洋地域の領土を併合したり、支配しようという意図或は希望は毛頭持っていないと繰り返し宣伝していた。
日本はただアジアをヨーロッパの支配から自由にしたいだけである(米国が南アメリカをヨーロッパの侵入から守っている様に)。
そして、アジアの民が互いに協力して自分たちの資源と文明を発展させることができるようにしたいのだ、というのが日本の主張だった。
日本の主張によれば、アジアでの日本の役割は単に指導者と守護者にすぎない。
アジア・太平洋地域の民衆が西洋列強から開放された暁には、日本がアメリカが南アメリカとの間にもっているのと同じ関係を、彼らとの間で持つことになるだろう、というのが日本の主張である。
アジアを開放したいという日本の願いは「聡明な利己主義」即ち法的擬制から出たものであり、したがって、結局はその実現方法は野蛮であるという前提に立つにせよ、日本がその擬制を信用させるために、アメリカと同じところまで、そしてヨーロッパ諸国よりははるか先まで、行っていたことを認める必要がある。
日本は現地住民に独立を約束した。
それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。
1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返還した。
大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。
例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。
これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。
ビルマは1943年8月1日に独立した。
マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。
マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。
ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。
今日、インドの代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。
こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。
しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。
P367-374
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
日本が破竹の勢いで進出できたのは、アジアを欧米から解放する大東亜共栄圏の実現を現地人が夢見たところが大きかった。
ルーズベルトは、日本がアジアを奴隷にしたと非難したが、アジアを奴隷にしていたのは日本ではなく欧米だった。
日本は現地住民に独立を約束し、独立した現地政権は、戦争の最中でさえ、過去の欧米の現地政権より権威をもっていた。
25回に亘って気まぐれに紹介してきた『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)は今回でお終いです。
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大東亜戦争
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日本への感謝を綴った「日本人よありがとう」という書物の序文に書かれた一編の詩
マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック
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