第5師団は1941年12月8日0410シンゴラに、0430パタ二-に奇襲上陸に成功し、タイ国軍と軽戦の後、進駐交渉が完了して停戦しました。
一方の、たく美支隊は8日0215上陸に成功しましたが、それは実に真珠湾攻撃に先立つこと1時間余りでした。真珠湾ばかり有名になりましたが・・・。
が、同支隊は水際の英国軍陣地から猛烈な砲火を浴びて損害が続出し、次いで0330頃から英国軍機の攻撃を受けて淡路山丸を失いました。
大東亜戦争第1号の海没輸送船になりました。同輸送船の多くは民間人でしょう!
マレ-半島とシンガポ-ル、上陸地点から約1000キロを50日で占領が目標でしたから1日平均20キロの前進が必要でした。第25軍司令官の頭には「奇襲と突進」の2つの事しかありませんでした。
第3飛行集団は8日未明、航空撃滅戦を開始し、北部マレ-の英国軍機を圧倒し、シンガポ-ル方面に退避させ、8日11時占領したばかりのシンゴラ飛行場に戦闘機部隊が進出しました。かの有名な加藤隼戦闘機部隊ですよ!
また、海軍航空部隊も8日未明、長駆、シンガポ-ルを攻撃し引き続き南部マレ-の航空撃滅戦を続行して開戦2日で早くも大勢が決まりました。
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