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[転載]本場大島紬の里 奄美生活資料館に行こう 鹿児島市内です

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藤都喜エ門が生涯を捧げた大島紬と奄美の自然・文化に触れられる名所です。
 海のシルクロードをイメージした「日本風庭園」とブーゲンブリア・ソテツなど南国情緒あふれる「奄美風庭園」が観る者を南の島へ誘います。
 大島紬の製造工場や「都喜エ門」ブランドを展示する美術館を見ることができます。
 また、草木染体験や「大島紬製品」「奄美特産品」の販売を行っているほか、レストラン「花ん華」では奄美大島の郷土料理である「鶏飯」を食べることができます。



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都喜ヱ門は「紬一つをわが命とぞする」を人生哲学として、七十有余年を大島紬と共に歩みました。本場大島紬の伝統技法をベースにしながらも新しい図柄・技法を求め、より忠実に表現するための絣や染色技法を開発し時代を先取りする作品創りに打ち込んでいました。1973年には『都喜ヱ門』ブランドを展開し、多くの方々に愛されてきました。
1994年には「百寿」が海を渡り、英国立ヴィクトリア博物館に収蔵され美術作品として世界的に評価されることとなり、海外はもとより国内でも高い評価を受け、数々の有識者がご来園くださりました。


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糸を糸巻きにかけていく工程です。


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トリキリアゲ




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ハジキ

かつての琉球列島で女性の手に施されていた刺青 ハジチ 針突 について

現代では人形、絵画、マンガ、ゲームなどでは再現されることがない、かつての民族習慣である針衝 針突(はじち ハジチ  ハヅキ はりとつ)についてまとめました。


滅亡した琉球
blog更新。「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 kousyou.cc/archives/11106
同じく滅びた習慣である琉球諸島のハジチ
ハジチ彫りを生業とする針突師(ハジチャー)が居て、各地を廻り、「首里那覇では今、菱形模様が流行っている」などと、情報を提供してハジチ商売をしていたようだ。

場所によっては、心得のある者が、その地域のハジチを一手に引き受けていた…地方の女子たちは、1〜2年に一度やって来る針突師を心待ちにしていたんだって。

…親たちも、この針突費用稼ぎだけは、大目にみていたようだ。むしろ、奨励していたような節がある。

初めて針突をする手を「サラ手。サラてぃー」と言い「まっさらな手」を意味する。奇数年齢の年の吉日を選び、そのサラ手に「ハジチ」が施されると、家族はもちろん、友人知人が集まり、祝いの座が設けられた。美風だったのである。
 
針突の所要時間は存外に短く、3、4時間。術後はトーヌカシー(おから)で突き跡を洗い、痛さと腫れを引かせたようだ。
トーヌカシーには民間療法の特効があったのだろうか。神経が細やかな指や手の甲を針で突くのだから、痛くないわけがない。
ハジチセーク(針突き職人、ハジチャーとも)とよばれる専門の女性があたったという。
泡盛で墨をすり、それを手の甲に模様を描いてから針に墨をつけ、上から縫い針を束ねて突くやり方と、針で突きながら模様をつくっていくやり方があったという。針で突く痛みをこらえるために、大豆を煎って黒砂糖でまぶしたものを食べたようだ。
始めて7歳前後の少女の中指と無名指とに豆大の點を黥し,人妻となり出産前後又は24~5歳に至りて手背に黥するのを通例

十文宇形の紋様臓物の上達せんが爲めの黥…

カシキと稱し絲巻を示した紋様であつて,意味は前掲のものと同じく織物の巧みならんが爲めの黥…

鋏を示した紋様であつて,機又は縫物の上手ならんが爲めの黥

繊維工業学会誌
Vol. 6 (1940) No. 4 P 149-167
JST.Journalarchive/fiber1935/6.149

この写真によって、人々がこの個人的な装飾の方法に頼った度合いに関していくらか見当がつきます。日本政府はこの風習を禁止しましたが、かつてこの習慣が広く行われていた時代には、違った島あるいは違った社会階層から来た女性は、手や腕に彫り込まれた模様によってただちに区別することができたのです。

転載元: 奄美大島にいきたいな日本人の絆


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