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[転載]日本史は明治維新から始めるべし。

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そもそも明治維新て何なのかを知ろうとしなかったから、あの戦争で「勝って来るぞと勇ましく」で死んじゃったんだ。ぞ!
東京新聞「こちら特報部」より。
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政府は来年を「明治百五十年」と喧伝するが、明治政府により「賊軍」とされた側には「戊辰戦争百五十年」の節目にあたる。
東北各地では苦難に満ちた歴史を振り返り、名誉回復を目指す動きが活発化している。

蝦夷地から改名して来年で百五十年目の北海道が進める記念事業も、アイヌ民族との共生を前面に打ち出し、「開拓」などの官軍史観から距離を置く。
歴史再考の動きから見えるものは-。(池田悌一、佐藤大、中山洋子)

福島県会津若松市の鶴ヶ城から南西に約一㌔。
蔵造りの商家などが並ぶレトロな通りの一角にある阿弥陀寺は、新選組の人気隊士の斎藤一の墓があることで知られる。

だが、地元の郷土史家簗田直幸さん(64)がそっと手を合わせた墓所は斎藤のものではない。

「ここは東軍の戦死者約千三百人が埋葬されている聖地なんです」
簗田さんら地元有志は二年前に「会津戊辰戦争百五十聞年事業実行委員会」(阿部隆一会長)を設立。

戊辰戦争を捉え直す活動に取り組んでいる。
激戦による犠牲や長らく埋葬を許されなかった「非道」は地域に大きな遺恨を残したが、その後の歩みも苦難に満ちたものだった。

境内にある「復禄記念」は、そうした旧会津藩士の名誉回復運動の象徴の一つという。

明治政府は武士への俸禄を廃止、代償として士族に金禄公債を交付したが、廃藩置県のときに会津藩はない。
青森県の斗南藩に転封されていた旧会津藩士たちは、存在そのものが否定され、交付の対象外とされた。

明治四十二年に集団提訴し、十年がかりの粘り強い交渉で勝利した旧藩士らの喜びと誇りが記念樽に刻まれた。

梁田さんは「戊辰戦争に勝った人たちによる歴史が今も続いている。今こそ原点に立ち返って考える必要がある」と力を込める。

東日本大震災について今村雅弘元復興相が今年四月に「まだ東北であっちの方でよかった」と発言し、被災地の怒りを買ったが、梁田さんらは、こうした東北軽視は明治政府から続く歴史とみる。

「3.11の被害も戊辰の敗戦に重なる。目に見える被害はなくとも、
原発事故の風評被害で真綿で首をしめるようにじわじわと追い詰められている」との危機感を吐露。

実行委のメンバーで市民団体「幕末史を見直す会」の鈴木ひろみさん(69)が不安視するのは、教育勅語の称揚など、最近の「明治」
回帰の動きだ。

「歴史を学ぶのは同じ過ちを繰り返さないため。いいことも悪い
ことも包み隠さずに国民に伝えることからしか始まらない」と訴えた。

歴史再考の動きは民間だは民間だけではない。
会津若松市も昨年十月、「新しい時代を誇り高く生きた会津人の功績とその思いに光を当てる」ため、「戊辰150周年記念事業実行委員会」を立ち上げた。

商工や文化関係など百三十七団体が名を連ねる。
今秋にはプレイベントとして、奥羽越列藩同盟に参加した東北や新潟の首長らを招いたシンポジウムの開催を予定。

来年は記念式典や白虎隊をテーマにしたオペラの上演を企画する。
政府は来年を明治百五十年と位置付けするが、実行委事務局を兼ねる市観光課の担当者は「会津は旧体制側なのiで、歴史を踏まえると
やはり戊辰百五十年になる。いまさら正当性を主張
するつもりはありませんが」と話した。

戊辰戦争を見直す動きは、「奥羽越列藩同盟」に名を連ねた東北や新潟の各地でみられる。

秋田藩は奥羽越列藩同盟で寝返って官軍に付いたため、今でも仙台の知り合いは、秋田の人間は信用できないと言っていますが、あの法務大臣の金田勝年のところですから頷けます。

私見。


福島県白河市は、激戦地の一つ「白河口の戦い」の舞台だ。

「白河戊辰150周年記念事業実行委員会」は八月から、ゆかりの地を市民らと巡るミニツアーを企画。

来年七月には、この地で戦った薩長を含む旧二十数藩の自治体関係者と合同慰霊祭を開く。

仙台市博物館は来年秋、特別展を催す予定だ。
具体的な展示内容は未定だが、担当学芸員は「奥羽越列藩同盟を中心とした東北側の視点で描きたい」と話す。

五十嵐川を挟んで激戦が繰り広げられた新潟県三条市の教育委員会は先月、約二十年前に市民有志が制作した「まんが戊辰戦役」を復刻し、市内の小学六年と中学二年全員に配った。
市教委の担当者は「もうすぐ百五十年。地域史に興味を持ってほしい」と願う。

「明治」の歴史観に距離を置くのは北海道も同じだ。

道では同じ一八年に「北海道百五十年」事業を計画している。
一八六九(明治二)年に開拓使が設置され、政府が蝦夷地の名称を
北海道と定めてから百五十年目の節目になるためだ。

高橋はるみ知事の四期目の公約でもある。
その記念事業で道は「開拓」や「明治」の言葉を慎重に避けている(何故だ?)

実は一九六八年の「開通百年」事業では「北海道百年記念塔」や「北海道開拓記念館」を建設するなど大々的に執り行われたが、
「開拓使設置を起点とする史観であり、アイヌ民族の歴史を軽視している」と厳しい批判にさらされたためだ。

そのため今回は「命名百五十年」にスポットを当てたという。
一方、四月に高橋知事は明治維新百五十年事業を進める
佐賀県などと連携、道内で議論を呼んでいる。(あっちで良かったの佐賀だぞ)

北海道庁の「北海道百五十年事業室」は「連携は道外にもPRするため。アイヌ文化も含めて発信する」と説明する。
(言い訳が安倍晋三だな)

アイヌ民族の遺骨返還に取り組む「コタンの会」の清水裕二代表は「明治政府を礼賛する事業と連携するのは、とんでもない。すべては『和人』の立場で考えているのでは」と懸念する。
そもそも清水氏は「百五十年」の区切りには否定的だ。

「アイヌの生活圏をすべて奪い尽くした後に、『北海道旧土人保護法』というとんでもない法律をつくったのが明治政府。イベントを開くにしても、アイヌに対する卑劣な行いへの反省が先ではないか。アイヌが大きな犠牲を払った歴史を前面に打ち出してほしい」と切望する。

桑原真人・札幌大前学長(近代北海通史)も道の百五十年事業を「『和人ファースト』の歴史を見直す機会にするべきだ」と訴える。

「明治政府や開拓使が中心になり、北海道で同化政策を徹底的にやった。その完成形が『北海道旧土人保護法』。

しかし、『百年』の時には開発そのものが肯定的にとらえられ、アイヌ問題をどうとらえるか、という視点は希薄だった。

最近流行の言葉でいうと、『和人ファースト』の歴史観だった。『百五十年』ではそれを見直す絶好の機会になる」

放送大学の原武史教授(政治思想史)は「歴史は制服する側、つまり勝者の目線で語られるが、もちろん見方は一つではない。
その裏には傷を負った勢力があるわけで、東北や北海道の人たちの語りのなかにもう一つの歴史が見える」と評価する。

一方、政府が推す「明治」事業には「昭和に改元された直後、政府は明治天皇の誕生日を『明治館』という祝日にするなどの戦略に打
って出た。

来年の明治百五十年は、次の改元のタイミングと一致する。
明治ブームを推し進めようとする政府の姿勢は昭和初期に通じる」と危ぶむ。

原教授は「今は、異議申し立てができる時代だ。近代化の過程
で征服された地域が国内にもあったと思い起こすことは大切だ」と強調した。

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そもそも縄文時代、弥生時代などは最初からやらなくても十分に解るし、それが解らないと何か日本では無くなるのか?

徳川幕府の時代が250年も続いて、それが崩壊した。
徳川幕府と朝廷(天皇・公家)との関係を明治から遡った方が時代背景が解るし、その天皇を略奪し天皇の名の元に、実権を握ろうとした「長州」のテロ行為が「蛤御門の変」だということ。

それが失敗して長州は朝敵となった。
その辺から、ジックリ時間をかけ、史実を元に日本史の勉強をすれば、如何に明治維新は長州が作り上げた政権だったかが分るはず。

安倍政権が目論む明治に戻すというのは、嘘の日本であり、それは明治ではなく、江戸時代の日本を顧みることで、そこに「美しい日本」があるのです。

長州「田布施一族」の朝鮮民族ではなく、天皇と百済に日本を求めれば必然的に日本は美しいのです。

明治という史実が解れば、飛鳥も奈良も平安も鎌倉も室町も安土桃山もそして江戸時代も朝廷が直接政治を行って世が乱れた一時期を除けば、政治は謙虚であったわけです。

「日本史」は明治から
   始めるべし。

余談ですが20年ほど前、山口県・田布施出身の知人が新宿でふぐ料理屋をやっていたのですが、これを東北の人たちに食べてもらえば儲かると考え、会津に出掛けたのです。
各地でふぐ料理の講習を行い、買ってもらおうとしたのですがサッパリ売れない。
意気消沈して東京に帰り、いろいろな人に理由を聞いたら、ある人に「お前は馬鹿だな、戊辰戦争のことを知らないのか」と言われた。

本人は戊辰戦争のことは大雑把だが知っている。
でもそれは100年以上も昔の話であり、料理に影響するとは思わなかった。
会津の人々はあの時の屈辱は孫子の代でも忘れないのである。
山口のふぐなど食べるかが、今の時代でも引き継がれているのです。

大手の食料品メーカー味〇素に勤めていた会津出身の人にその話をしたら、大笑いしながら「私は今でも長州・山口は許しません」と言っていた。

田布施出身の知人と安倍晋三は発想が稚拙で似ているなと思うのです。

転載元: country-gentleman


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