南京事件については、あちこちで議論されている。
いろんなサイトも見てみた。
いうまでもなく、私より遥かに詳しいサイトがあるので、そちらを見ることが良いのですが、私も少しは記録に残していきたいと思います。
興味のない人もいると思うけど、外国から言われて「知りません」は恥ずかしい。
現在、私は南京大虐殺については0~1万くらいの間ではないかと思っています。
これもいうまでもないことですが、戦闘行為は虐殺ではありません。
山田支隊の捕虜の件(はっきりしない)が無ければ虐殺は無かったかもしれない・・・。
ここから数回にわけて、森王琢(もりおうみがく)氏の講演の記録を紹介します。
森氏は南京総攻撃に大隊長として参戦しています。
以下はここからの転載です。
森王 琢(もりおう みがく)
※平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。
昭和 6年 | 陸軍士官学校卒業 少尉任官(43期生) |
昭和12年 | 大尉 歩兵第20連隊(福知山)中隊長として支那事変出征 途中大隊長戦死のため大隊長代行 南京総攻撃には大隊を指揮して参戦 |
「南京大虐殺はなかった」
私は評論家でも歴史学者でもございませんし、もちろん右翼というような者でもありません。
ただ南京攻略に参加した1人の軍人です。
昭和12(1937)年7月蘆溝橋事件(ろこうきょうじけん)勃発(ぼっぱつ)後、9月に第16師団(京都)に動員下令、私は歩兵第20連隊(福知山)中隊長として出征し最初は北支に上陸、次いで師団は11月17日上海付近に上陸、その後連日戦闘追撃を続け、12月9日に南京の東北地区に進出しました。
途中で連隊長の入院、大隊長代理戦死のため、私が大隊長職を代行して大隊を指揮し、南京総攻撃に参加致しました。
南京は、昭和12(1937)年12月13日完全に占領されましたが、私は翌年の1月下旬まで約1ヶ月余り、南京及びその近辺で警備に任じられておりました。
いわゆる「南京大虐殺」があったと言われているその時、その場所にいて、当時の南京およびその付近の状況はこの目で見て、この身体で体験している者であります。
ただ南京攻略に参加した1人の軍人です。
昭和12(1937)年7月蘆溝橋事件(ろこうきょうじけん)勃発(ぼっぱつ)後、9月に第16師団(京都)に動員下令、私は歩兵第20連隊(福知山)中隊長として出征し最初は北支に上陸、次いで師団は11月17日上海付近に上陸、その後連日戦闘追撃を続け、12月9日に南京の東北地区に進出しました。
途中で連隊長の入院、大隊長代理戦死のため、私が大隊長職を代行して大隊を指揮し、南京総攻撃に参加致しました。
南京は、昭和12(1937)年12月13日完全に占領されましたが、私は翌年の1月下旬まで約1ヶ月余り、南京及びその近辺で警備に任じられておりました。
いわゆる「南京大虐殺」があったと言われているその時、その場所にいて、当時の南京およびその付近の状況はこの目で見て、この身体で体験している者であります。
私が今からお話します事は、いわゆる「南京大虐殺」と言われている議論が、本当はどういうものであるかという事を知って頂き理解して頂いたならば、1人でも多くの人に真相を語り伝えて世間の誤った考えを正して頂きたいと考えております。
当時第一戦において部下と共に戦い、たくさんの部下を戦死により亡(な)くしました指揮官と致しまして、「南京大虐殺」というような真に話にもならない暴論がいかにも、まことしやかに伝えられ、しかもそれを大部分の日本人が些(いささ)かも疑いを持たないで信じている状態は、何としても我慢の出来ないことなのです。
共に戦った戦友、ことに日本の将来を信じて戦死して行った多くの戦友や部下に対して、全く根も葉もない濡れ衣が着せられている事は、私ども生き残った者にとっては、黙っていては申し訳の無いことだと感じており、1人でも多くの人に真実を知って頂きたい、そのために自分が役に立つならば、どんなに遠くでもどんなに忙しくても出掛けて行って真実を話したい、また下手な文章であっても書いて、それを活字にして残しておかねばと願っているのであります。
当時第一戦において部下と共に戦い、たくさんの部下を戦死により亡(な)くしました指揮官と致しまして、「南京大虐殺」というような真に話にもならない暴論がいかにも、まことしやかに伝えられ、しかもそれを大部分の日本人が些(いささ)かも疑いを持たないで信じている状態は、何としても我慢の出来ないことなのです。
共に戦った戦友、ことに日本の将来を信じて戦死して行った多くの戦友や部下に対して、全く根も葉もない濡れ衣が着せられている事は、私ども生き残った者にとっては、黙っていては申し訳の無いことだと感じており、1人でも多くの人に真実を知って頂きたい、そのために自分が役に立つならば、どんなに遠くでもどんなに忙しくても出掛けて行って真実を話したい、また下手な文章であっても書いて、それを活字にして残しておかねばと願っているのであります。
敵の首都、南京を攻撃するために各方面より進撃した各部隊は、昭和12(1937)年12月10日には大体要図のように南京を包囲しておりました。
ネコミ
「体験者だから真実を語るとは限らない」という意見もあります。でも、それは一緒に戦った日本兵の中や従軍記者、安全区にいた外国人の中にも「虐殺はあった」という真逆の証言をする人達についても同じことが言えます。
どちらが真実なのか?
その2へ続きます。