国立科学博物館

National Museum of Nature and Science施設情報 愛称 前身 専門分野 収蔵作品数 来館者数 館長 研究職員 管理運営 年運営費 建物設計 延床面積 開館 所在地 位置 アクセス 公式サイト
![]() 日本館 | |
科博、かはく | |
東京科学博物館 | |
自然科学 | |
407万5991点、うち常設展示数約1万4千点(2011年度時点)[1] | |
214万4001人(2012年度)[2] | |
林良博 | |
60人(2012年度)[3] | |
独立行政法人国立科学博物館 | |
37億7338万8000円(2011年度)[1] | |
本館 - 日本館-糟谷謙三(文部省大臣官房建築課) 地球館-国土交通省関東地方整備局、芦原建築設計研究所[4] | |
91,871m2(2012年4月1日現在、分館等含む)[1] | |
1926年11月2日(開館式挙行日。設立は1877年1月) | |
〒110-8718 東京都台東区上野公園7番20号 | |
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JR・東京メトロ上野駅 京成本線京成上野駅より徒歩 | |
公式サイト | |
プロジェクト:GLAM | |
概要
国立科学博物館は「自然史に関する科学その他の自然科学及びその応用に関する調査及び研究並びにこれらに関する資料の収集、保管(育成を含む)及び公衆への供覧等を行うことにより、自然科学及び社会教育の振興を図る」ことを目的とした博物館である(独立行政法人国立科学博物館法:第3条)。当館は博物館法における博物館ではなく、博物館相当施設である。これは博物館法が国の施設を範疇としていないためである[5]。全国の博物館の指導的な立場としての事業を数多く行っている。独立行政法人化によって国から切り離されたが、その後も名称に「国立」を冠している。これは海外との関わりにおいて国の機関であることを示す必要があるために認められた特例である。
施設は、東京都の2か所と茨城県つくば市の1か所、計3か所に分散している。展示施設は、東京都台東区の上野恩賜公園内に所在する上野本館、東京都港区に所在する附属自然教育園、茨城県つくば市に所在する筑波実験植物園(通称、つくば植物園)と昭和記念筑波研究資料館(筑波実験植物園の敷地内、一般には非公開)がある。研究部門は、新宿区百人町(新宿分館)とつくば市(筑波実験植物園の敷地内)とに分散して所在していたが、2012年に筑波地区に集約された。
なお、上野本館というときは、上野地区の施設全体を指すときと、その中の日本館と呼ばれている建物のみを指すときとがある。
一般的には国立科学博物館といえば上野本館の施設と同義である。エントランス側に面している日本館と呼ばれている建物は当館のシンボルとして強く人々の間で印象づけられている。
近年の独立行政法人化によって、国としての役割を担うように強く求められている。 行政改革の流れで国立博物館との合併が取りざたされたが、現時点では合併されることなくそれぞれ別法人として運営されている。なお当館同様、日本科学未来館は国が関与する科学系の博物館ではあるが、互いに全く関係がない法人である。
なお本記事では、主として上野本館について触れる。それ以外の施設については、それぞれの項目を参照のこと。
当館は1872年、湯島聖堂内に博物館を設立したことに起源をもつ。創立は1877年に教育博物館が設置されたときとしている。その後、高等師範学校の附属となり、博物館としては活動が停滞していた時期もある。大正時代に科学博物館設立の機運が高まったことを受けて、1930年上野公園内に新館(現在、日本館と呼ばれている建物)が建てられ、その翌年には東京科学博物館と改称され、東京市の施設となった。1949年には国に移管され、現在の国立科学博物館となる。その後、自然教育園や資源科学研究所を組み込んだ。筑波研究学園都市の開発に伴って、筑波実験植物園が附属施設として設置された。これによっておおまかな現在の拠点がそろうことになる。
年表
- 1871年 - 文部省に博物局を設置
- 1872年3-4月 - 湯島聖堂大成殿内にて国内初の博覧会開催
- 1872年5月 - 湯島聖堂内にて博覧会の一部資料を定期的に公開する「文部省博物館」を設置
- 1873年 - 「文部省博物館」が太政官正院の博覧会事務局に併合
- 1875年2月 - 併合された博物館の一部を分離。小石川薬園と共に文部省の所轄となる
- 1875年4月 - 「東京博物館」と改称。所蔵資料を全て博物館事務局に移管した為、名称だけの博物館であった
- ―このときの書籍閲覧所書籍庫(1880年竣工、設計林忠恕)が現在、東京芸術大学赤レンガ1号館として残存し、使用されている。
- ―2004年に本館(現日本館)が改装される前までは「教育博物館」の標柱が本館脇の中庭に現存していた。
収蔵資料
資料点数
407万5991点(平成23年度時点)[1]。うち、常設展示数約1万4千点。
- 動物研究部 - 198万5977点
- 植物研究部 - 166万2117点
- 地学研究部 - 23万8629点
- 人類研究部 - 16万0723点
- 理工学研究部 - 2万8545点
指定文化財
所蔵品のうち、以下のものが国の重要文化財に指定されている。
- 地球儀は1695年製、天球儀は1697年製。
- 東芝へとつながる田中製造所の創設者である田中久重によって製作された機械式の置時計。嘉永4年(1851年)作。所有者は東芝。1931年、東京科学博物館(国立科学博物館の前身)に寄託された。地球館2階で展示。詳細は万年自鳴鐘を参照のこと。
- 1880年(明治13年)、明治政府によりイギリスから輸入された天体観測用望遠鏡。トロートン&シムズ社製。日本に輸入された最初の本格的かつ最大の望遠鏡。1967年まで国立天文台で使用された。日本館1階南翼で展示。[13]
- 日本に現存する最古の地震計。1899年に東京帝国大学構内に設置されたもの。イギリス出身の鉱山技師で地震学者のミルンによる考案。ミルンは1876年に工部省工学寮の教師として招かれ来日、日本の地震や火山活動に関心を強め、地震の観測と研究のために地震計を考案した。この型の地震計は世界各地に配置され、初の世界規模の地震観測網となった。日本館1階南翼に展示[14]。
- 蘇言機(錫箔蓄音機)英国製(附:木箱)
- 日本に初めて伝えられた蓄音機。イギリス人のA.ユーイング(James Alfred Ewing)がエジンバラのJ.Milne & Son Makersに製作させ、日本に持参した。1878年11月16日、東京大学理学部の一ツ橋の実験室(現在の学士会館の位置にあった)において、日本で最初に音を記録、再生した。複製品を地球館2階に展示[15]。
また、日本館が「旧東京科学博物館本館」として2008年6月に重要文化財に指定されている。詳細は下記を参照のこと。
旧東京科学博物館本館
関東大震災の復興事業の一環において1931年9月、東京科学博物館本館として竣工した。ネオ・ルネサンス様式。設計は文部省大臣官房建築課の文部技師糟谷謙三[16]。2008年6月9日に重要文化財に指定された[17]。
この建物は人々から愛され国立科学博物館のアイコンとしての側面をもち、上空からみると飛行機の形をしている。展示場の他、天体観測用のドームや講堂などの設備をもつ。
関東大震災クラスの地震に対しても耐えられるように作られており、現在の建築基準法の基準に照らし合わせても問題ないとされている。
上野本館の施設・展示物
上野本館は「人類と自然の共存をめざして」をテーマとし、日本館と地球館の2つの展示館からなる。
日本館

フタバスズキリュウ(日本館 3階北翼)
「日本列島の自然と私たち」がテーマ。2007年4月17日にリニューアルオープン。展示エリアは地上3階、地下1階。
3階南翼 日本列島の素顔
日本列島の地質と、複雑な自然環境の日本列島に生きる生物について気候別、地形別に展示している。
3階 鉱物展示室

日本に落下した隕石(日本館 3階)
櫻井欽一寄贈の櫻井鉱物コレクションを中心に、日本の鉱物を展示している。
3階北翼 日本列島の生い立ち

フタバスズキリュウの産状レプリカ(日本館 3階北翼)

アンモナイト類のニッポニテス(日本館 3階北翼)

パレオパラドキシア(日本館 3階北翼)
日本列島の形成をあらわす岩石や、日本で発見された様々な生物の化石の展示により日本列島の生い立ちを解説している。
- 世界最古級の魚竜。
- 日本で初めて発見された恐竜の化石。
- ナウマンゾウ頭骨
- ナウマンゾウ下顎骨
2階南翼 生き物たちの日本列島

アマミノクロウサギ(日本館 2階南翼)
2階北翼 日本人と自然

忠犬ハチ公の剥製(日本館 2階北翼)