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[転載]映画『東京裁判』(二)

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2004年1月16日(金)
 
【東京裁判について(2)】
 
                    重光外相の遺産ー東京裁判秘話ー
 

 日本のポツダム宣言受諾後、連合国に対する正式な降伏文書の調印は、昭和20年9月2日、ミズーリ号艦上に
 
おいて行われたのだった。この時の日本政府の主席全権が、当時の外相(東久邇宮内閣)・重光葵であった。
 
 重光は、この調印の後、A級戦犯として極東軍事裁判の法廷に立ち、懲役7年の判決を受けた。この裁判の公
 
判中、彼が巣鴨の拘置所で書き綴った手記は、『巣鴨日記』として後に公刊されている。
 
 この獄中手記の中で最も感銘深いところは、A級戦犯の被告人として戦争責任を追及されている重光に対し
 
て、英国の外交官(当時、日本側の弁護人)ファネスの示した友情について述べられているところである。
 
この裁判の公判中、ファネス弁護人は、友人である重光のために、英・米両国の戦時中の入手困難な外交資料
 
を収集し、裁判が有利に展開するように、それらの資料を重光の手元に送り届けた。このファネス弁護人の友情
 
に感激した重光は、日記の中で、次のようにこの時の感謝の気持ちを書き留めている。
 
 「昭和22年2月7日
 
・ ・・国境を越えた英国人の変わらざる友情は、実に尊いものである。国際間において仕事をするものには、
 
公私の関係において信頼を得ることほど大切なことはない。それが戦争によって公には敵味方となった場合に
 
は、深刻な試練に会う。私が国際人として得た信用は、戦争を超越し国境を越えたるもので、私の困難なる一生
 
を通じて得たる立派な報酬として、感謝と誇りとをもってこれを受け取ることにした。」(『巣鴨日記』)                                   
 
この日記を書いて4日後、ファネスは重光のもとに面会にやって来た。重光の心は、敵味方を超えたファネスの
 
友情に対する感謝の思いで一杯だった。A級戦犯として法廷では被告席に立ち、拘置所においては屈辱的な不
 
自由きわまりない生活の中に身を置きながらも、重光は、自らの外交官としての人生に満足の気持ちを覚えた
 
一日であった。
 
 このファネスとの面会の直後、興奮いまだ覚めやらぬ重光のもとへ、3人の子供たちが拘置所の父のもとにや
 
って来た。この3人の子供たちに向かって、重光は父親として次のように語りかけた。
 
 「・・・人は真心が大事だ。真心を一貫することは何よりも大切で、また愉快なことだ。それは人が認めると否と
 
にかかわるものではないが、逆境に陥った時に自分の真心が通っていたことを知らされることは、真に愉快なこ
 
とである。これがその人の人格であり信用である。
 
 人は不自由のない順調な生涯をする時でも、また逆境にあっても常に修養して一貫した真心によって常に最
 
善を尽くさねばならぬ。立派な精神を養えば必ずそれは透る。この点は、若い者は忘れてはならぬ。」(同上)
 
 3人の子供たちを前にして、拘置所の金網越しに熱っぽく語った重光の言葉は、日本国民の歴史の記録の中
 
に永遠に書き留められ、後世の人々に語り伝えられるべき生きた歴史の教訓である。何よりも次代を担う若い世
 
代に伝えられるべき教訓である。
 
 この日の重光の日記は、感謝の心に満たされつつ、次のようにしめくくられている。
 
 「・・何だか自分が、永い間経験して通って来た過去の途は、青年達にとっては一つの教訓であるとも思え
 
た。・・・今日は実に晴々とした愉快な日であった。生涯の中で最も愉快な日であった、と言える。」(同上)
 
 歴史とは、人間のドラマの歴史であり、人間による真実の探究の歴史でもある。重光が、自らの外交官として
 
生涯をかけて見出した人生の真実とは、以上のような歴史と人生の教訓であった。今日の歴史教育は、歴史上
 
の人物や事件の丸暗記といったものとなっており、また唯物史観の影響も強く、人間による真実の探究のドラマ
 
としての歴史という側面が十分に生徒たちに語り伝えられていない。その意味でも、重光外相の残した歴史と人
 
生についての実物教訓は、日本国民の大いなる歴史の共有財産でもある。
 
(昭和63年2月15日記・映画『東京裁判』を見て)

転載元: 東京裁判史観の諸問題 (ヨウスケドン5)


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