羅臼町郷土資料館 | ||||||||||||||
郷土資料館の内部の様子 | ||||||||||||||
羅臼は太古から少数民族が行き来した地で、多くの遺跡があり、出土品の多くはこの資料館で見ることができる。 旧石器時代から近世までの北海道の歴史を概観できる考古学ファンには必見の資料館である。館内は9つの展示室に分かれており、土器や石器の他にも、漁業や生活の歴史を知ることができる用具や知床に生息する野生動物や海洋生物の剥製・模型も展示されている。 | ||||||||||||||
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羅臼町郷土資料館
※旧植別小中学校
電話番号 0153-88-3850
長い間、親しまれてまいりました「羅臼町郷土資料室」は、
旧植別小中学校を内部改造し、平成23年12月26日(月)に
「羅臼町郷土資料館」としてオープンしました。
町民の皆様より寄贈いただいた生活・漁業に関する資料や、
遺跡から出土した土器や石器、知床の自然を代表するシマフ
クロウやオオワシの剥製などを多数展示しております。
ご来場お待ちしております。
歴史
旭川博物館
夷酋列像
成立の経緯
事件を受けた松前藩は260名の討伐隊を派遣したが、その指揮官の一人が蠣崎波響だった。戦いを鎮圧した後に討伐隊は藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、さらに翌年の1790年にも協力したアイヌに対する二度目の謁見の場が設けられた。藩主・松前道広の命を受けた蠣崎波響は、アイヌのうちもっとも功労があると認められた12人の肖像画を描いた[1]。これが「夷酋列像」である。
絵は寛政2年(1790年)11月に完成し、波響はクナシリ・メナシの戦いで失った藩の威信を回復するために絵を持参して上洛する。大原呑響・高山彦九郎・佐々木良斎の尽力により、夷酋列像は光格天皇の叡覧を仰ぐことになる。
描かれた人物
- マウタラケ(麻烏太蠟潔) - ウラヤスベツ惣乙名
- チョウサマ(超殺麻) - ウラヤスベツ乙名
- ツキノエ(貲吉諾謁) - クナシリ惣乙名
- ションコ(贖穀) - ノッカマフ乙名
- イコトイ(乙箇吐壹) - アッケシ乙名
- シモチ(失莫窒) - アッケシ脇乙名
- イニンカリ(乙唫葛律) - アッケシバラサン乙名
- ノチクサ(訥窒狐殺) - シャモコタン乙名
- ポロヤ(卜羅亜鳥) - ベッカイ乙名
- イコリカヤニ(乙箇律葛亜泥) - クナシリ脇乙名
- ニシコマケ(泥湿穀末決) - アッケシ乙名
- チキリアシカイ(窒吉律亜湿葛乙) - ツキノエの妻、イコトイの母
羅臼の歴史年表
国後島の遺物
国後の遺跡
日本最古の銀製品
植別川遺跡
熊頭注口木製槽
k-pg境界
羅臼町|世界自然遺産の町 知床
www.rausu-town.jp/ - キャッシュ
北海道根室管内の羅臼町は、世界自然遺産知床に代表される世界有数の自然に囲ま れた町です。
知床・羅臼まちづくり基金(ふるさと納税)返礼品制度がスタート!
ja.wikipedia.org/wiki/羅臼町 - キャッシュ
www.rausu-shiretoko.com/ - キャッシュ
知床羅臼町観光協会 日本の最果て知床世界自然遺産 知床羅臼町観光協会の ホームページです.
www.hokkaido-michinoeki.jp > ... > 道の駅を見る - キャッシュ
国道335号沿いに建つ道の駅「知床・らうす」は、魚の城下町、知床羅臼にあり、知床 横断道路の羅臼側の入り口にある道の駅です。目の前には、根室海峡と北方領土・国 後島が横たわり、後ろには日本百名山の1つ標高1,661mの羅臼岳がそびえます。
www.rausu-cruise.com/ - キャッシュ
羅臼港より知床半島を望むクルージング。夏は知床の海を回遊するシャチ、イルカ、 クジラをウォッチングしながら知床半島の先端へ向かいます。冬は流氷ウォッチング。 アザラシの乗った流氷、国後島から昇る朝日を背景にオオワシ、オジロワシが空を舞い 、魚を ...