ブラジル国民
詳細は「ブラジルの国民」および「:en:Demographics of Brazil」を参照
人種と民族
詳細は「ブラジル人」および「:en:Brazilian people」を参照
ブラジル人は大きく4つのグループに分かれる。トゥピー・グアラニー語族の言葉を話す先住民( グアラニー人、アマゾン先住民など)、植民当時のポルトガル系、アフリカからの黒人奴隷の子孫(アフリカ系ブラジル人)、そして19世紀半ばからブラジルに定住するためにポルトガル以外のヨーロッパ、中近東、日本を中心としたアジア諸国からやってきた移民である。
ヨーロッパ系ブラジル人の多くは元ポルトガル人で、植民地時代はポルトガル人と原住民、黒人奴隷との雑婚が常態であった。独立後に続くイタリア人やスペイン人、ポルトガル人、ドイツ人、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人、アシュケナジム系ユダヤ人などのヨーロッパ系や、日本人、アラブ人(シリア人、レバノン人)、中国人などのアジア系の移民の波や、独立後も続いた黒人奴隷の流入がブラジルの多様な民族と文化の形成に貢献し続けている。
ただし北東部はアフリカ系ブラジル人やムラート(白人と黒人との混血)が多く、南部は主にドイツ系やポーランド系、ウクライナ系をはじめとする中東欧系住民が、南西部はイタリア系やスペイン系、ポルトガル系、アラブ系、日系をはじめとして、サンパウロ州のコーヒーブームにより現存するほぼ全てのエスニシティの移民が流入していたなど、地域差も見られる。
白人人口は半数を割り込み、「黒人」「混血」が過半数を占めた[26]。
グアラニー族
グアラニー族 (Guaraníes) とは、アメリカ州の先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけてのラ・プラタ地域(現在の地域でアルゼンチン、ボリビア東部、パラグアイ、ウルグアイ)と、ブラジルに住んでいたが、純粋な民族としてはほとんど絶滅し、グアラニー語を話せる者の多くはメスティーソになっている。
文化
植民地時代のブラジルの農業は、元々ポルトガル人が農耕に向いた民族ではなかったこともあり、征服したグアラニー族の農業を通婚したポルトガル人の子孫がそのまま受け継ぐという形になった。ブラジルではポルトガル人と結婚したグアラニー人の母を通して息子にグアラニー文化が伝承された。南米南部一帯に広がるマテ茶を飲む習慣もグアラニー族由来のものであることを考えると、グアラニー文化の影響力の強さには驚かざるをえない。
歴史
元々が農耕民だったため、ラ・プラタ地域のチャルーア族のような攻撃的なインディオとは違って、スペイン人、ポルトガル人が来寇した直後から同盟が進み、それに伴ってスペイン植民地では主にパラグアイで、ポルトガル植民地ではブラジルで通婚、混血が進んだ。こうしてヨーロッパ人と同盟したグアラニー族は敵対部族を共同で攻撃した。
パラグアイ
ブラジルのサンパウロを根拠地とするバンデランテスと呼ばれた奴隷商人が、グアラニー族を捕らえて奴隷にし、ブラジルで奴隷労働をさせるということがしばしば起きた。そこでスペインは辺境の地パラグアイを防衛するため、イエズス会のミッションを送り込んだ。 伝道団はグアラニー族にカトリックを伝え、さらには自警団を組織してバンデイランチへの抵抗に当たらせた。
グアラニー族はしばしばバンデイランチを打ち破った。キリスト教化が進むにつれて、悪習とされた酷い飲酒の習慣や食人文化もなくなってゆき、このイエズス会の派遣は上手くいったが、スペインでのイエズス会の追放により、パラグアイからもイエズス会は撤退して行った。
パラグアイでは建国時移民を禁止しており、さらに初代独裁者ホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシアはクリオージョが団結して反乱を起こすことを恐れたため、政策的に通婚を強要し、クリオージョとの混血(メスティーソ)がさらに多くなった。現在ではこのようなメスティーソはパラグアイ人の90%を占めるまでに至り、彼らの言葉(グアラニー語)はパラグアイの公用語の一つである。グアラニー語でグアラニー魂を表現したものがパラグアイ文学であるとされる。
ウルグアイ
チャルーア族と共に主要なインディオであった。ブラジルに国境を接しているためパラグアイと同じ問題でイエズス会伝道所が作られた。18世紀に入るとバンダ・オリエンタルを巡るスペインとポルトガルの戦争は激しさを増した。1750年1月13日にマドリード条約が結ばれると、スペインはコロニア・デル・サクラメントをポルトガルから手に入れ、代わりにそれ以外のウルグアイ川東岸地帯がポルトガル(ブラジル)領となった。
しかし、イエズス会と、教化されたグアラニー族はこれに抵抗し、1756年からスペイン軍とポルトガル軍が共同でかれらを攻撃した(グアラニー戦争)。戦争は主に現ブラジルのウルグアイ川北部とパラグアイで行われたが、結果としてウルグアイにいたグアラニー族は、一部を除いてパラグアイに撤退することになった。現在は地名と国名にその影響を残す。
ブラジル
上述のように、ポルトガル人との通婚を通してグアラニー文化の伝承が進み、現在では先住民性=グアラニー性は、ポルトガル性、アフリカ性と並ぶブラジル国民の三本柱のうちの一つとなっている。 南部のリオ・グランデ・ド・スル州やサンタ・カタリナ州やパラナ州につくられたイエズス会伝道所が世界遺産になっている。
アルゼンチン
有名人
- ホセ・ルイス・チラベル - パラグアイ出身のサッカー選手
- アグスティン・バリオス - パラグアイ出身のギタリスト・作曲家・詩人
グアラニー族を題材にした作品
- 映画
- ミッション(1986年、イギリス映画) - 劇映画。史実との異同は当該項参照。
- オペラ
- 「グアラニー族の男 Il Guarany」(1870年、スカラ座初演) - ジョゼ・デ・アレンカールの小説を基にアントーニョ・カルロス・ゴメスが作曲した作品。genial