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Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
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[転載]港川人

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港川人

   
港川人の復元模型。国立科学博物館の展示[1]。模型制作時は港川人は縄文人の祖先と思われていたため、日本人に似せて模型が作成されたが、後年、最新機器を使った人骨再調査によりこの模型とは異なり、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い復元図が発表された [2]

 港川人(みなとがわじん、Minatogawa people)は、約20000~22000年前に日本沖縄県に存在していたとされている人類
港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。

 1967年[2]から1970年[5]、沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)の海岸に近い石切場で骨が発見された。この人骨は、全身骨格の形で残っている日本の人骨の中で最も古いものである[3]

 身長は男性で約153〜155cm[6]、女性で約144cm[要出典]であった。全体的に小柄で腕は細めで胴長なのに対して手は大きく、下半身がしっかりとしていたとされている。また、顎ががっしりしていて、硬いものも食べていたとされている。

 かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきた[7]が、2009年の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ている。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかという説である。 国立科学博物館の海部陽介研究主幹によると、港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性がある。つまり、港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来したことになる。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたのではないかと述べられている[2][5]

 沖縄県立博物館・美術館には「港川人復元像」が所蔵されている。また、八重瀬町立具志頭歴史民族資料館には、常設展示の1つとして港川人コーナーがあり、全身骨格のレプリカやこれまでの研究成果が紹介されている。
2014年には、港川と近距離の沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で少なくとも9000年以上前の人骨が発掘され、調査が進められている[3]



ホーム > ご利用案内 > 交通・時間・料金

沖縄県立博物館・美術館交通・時間・料金

地図

地図

1 ご案内

主な交通
沖縄モノレール・バス・タクシー
路線バス
おもろまち駅前下車(琉球バス、沖縄バス、那覇交通)
バス
那覇空港発 99番線 おもろもまち3丁目バス停下車 徒歩5分
那覇空港発 120番線 上之屋バス停下車 徒歩10分
市内線 3・7・10番線 県立博物館前バス停下車
市内線 6番線 那覇メインプレイス東口バス停下車 徒歩5分
市外線 バイパス経由 おもろまち駅前バス停下車  徒歩10分
おもろまち行 おもろまち1丁目バス停下車  徒歩3分
沖縄都市モノレール
ゆいレール おもろまち駅下車 徒歩10分
中北部から
空港線及びおもろまち行各社バスで交通広場下車徒歩5分
南部から
バスターミナルから沖縄モノレール乗り換えおもろまち下車徒歩10分
空港から
沖縄モノレールおもろまち下車徒歩10分
タクシーで、博物館・美術館まで、約30分



常設展(総合展示)

 常設展は、総合展示と専門分野ごとの部門展示からなり、沖縄の自然・歴史・文化を、「海洋性」と「島嶼性」という二つの側面から読み解いていきます。
古来より、沖縄の島々は海によってたがいに隔てられると同時に、海によってアジア、太平洋地域と深く結びつけられてきました。島には固有の自然があり、人々の営みがあり、そのひとつひとつが沖縄県の特徴ある自然・歴史・文化を形作っています。島に息づく豊かな自然と、島をとりまく海を媒介とした人々の営みを紹介するとともに、トー(唐:中国)とヤマト(日本)との間で花開いた琉球王朝文化、そして目まぐるしい世替わりを体験してきた沖縄の近代史と戦中、戦後史を射程に入れ、常設展のメインテーマを「海と島に生きる-豊かさ、美しさ、平和を求めて-」としました。

総合展示

 常設展へのアプローチでは、イノー(ラグーン)に広がるサンゴ礁を足元に見ながら、あたかも島に上陸するような感覚を体験することができます。そして正面のサークルホールでは、琉球列島の成り立ちと生物の進化をテーマとした映像とともに、1万8千年前の原始の沖縄に暮らした港川人とその時代の動物相の再現模型が展開します。これに続く総合展示では、「海で結ばれた人々」から「沖縄の今、そして未来へ」まで各テーマに沿って、沖縄の豊かな自然と海からの恵み、そしてそこにくらした先人たちの歴史・文化をたどっていきます。
 また、展示室中央に設けられた「シマの自然とくらし」のコーナーには、鹿児島から台湾まで東西1000キロ、南北400キロの海域に散在する琉球列島の大小の島々を壮観できる大型ジオラマを配置し、島々の特徴ある自然・歴史・文化を情報端末機を用いて紹介しています。また、人工衛星によって撮影された画像を用いて、島々を観察することができます。
■島の自然と暮らし
■島の自然と暮らし

プロローグ ニライカナイの彼方から

 常設展へのアプローチです。足下にサンゴ礁を見ながら、沖縄へ上陸するイメージを演出しています。

1 海で結ばれた人々
サークルホールの展示

 「化石の宝庫・沖縄」から発見された、さまざまな化石を展示しています。クジラやアンモナイトなど、原始の海にくらした生き物をはじめ、1万8千年前の日本人のルーツと目される「港川人」や、その頃に生きていたリュウキュウジカ、ヤンバルクイナなどの化石が、ステージ上に展開します。また、正面のスクリーンでは、古生代から現在に至るまでの琉球列島の地史を映像で概観し、沖縄の自然・歴史・文化の旅へと誘います。
■サークルホール
■サークルホール
古我地原貝塚模型
 うるま市石川で発見された古我地原貝塚の発掘調査にもとづき、縄文人の生活を復元しています。東側に海を望む台地上に、小さなグループで暮らしていた縄文人たちの竪穴式住居や、ゴミ捨て場である貝塚など、縄文人の生活をみることができます。

2 貝塚のムラから琉球王国へ

グスク時代になり、それぞれの地域に有力者が登場するようになると、防御などを目的とした、さまざまなグスクがつくられていきます。また、有力者たちは中国への朝貢を通して文化の移入や交易に努め、富が築かれていきました。各地の勢力は、やがて北山、中山、南山の3つに収斂し、激しい抗争を繰り広げます。これらの3つの勢力は、15世紀はじめまでに尚巴志によって統一され、琉球王国が築かれました。ここからおよそ500年の長きにわたり、首里を拠点とする王国の歴史がはじまります。

3 王国の繁栄

 琉球王国は独自の国家として成立しましたが、国内権力基盤の不安定さによって、第一尚氏から第二尚氏へ王統の交代が起こりました。この時代、中国との冊封・朝貢貿易を確立していた琉球は、中国・日本・東南アジアをつなぐ中継貿易を行います。東アジアの大海原の架け橋として船を操り、国際色豊かな産物が国中にあふれるさまを謳った旧首里城正殿鐘の銘文は、往事を偲ぶ貴重な資料です。ここでは、東アジア有数の貿易国家として繁栄したあと、より強固な国家体制がつくられた琉球王国の時代を紹介します。
■進貢船
■進貢船

4 薩摩の琉球支配と王国

 1609年、薩摩島津氏の侵攻によって琉球は江戸幕府の影響下に置かれましたが、中国との関係は引き続き維持されました。羽地朝秀、蔡温など政治家の強力なリーダシップによって、王国の経営が行われ、近世文化が創造されていきます。またこの時代、貝摺奉行所などによって優秀な工芸品が多くつくられるとともに、「中山世鑑」、「球陽」などの歴史資料が数多く著されました。

5 王国の衰亡

 中国・日本という両大国との関係を維持しながら、王国を維持してきた琉球ですが、19世紀に入ると矛盾が深まります。農村の疲弊や首里王府の財政難などが原因で、王国の経営は行き詰まりが顕著となりました。さらに、アジア進出を目指す欧米諸国の外圧が琉球に押し寄せ、王国は危機的な状況に陥ります。

転載元: 海洋文化交流のブログ


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