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[転載]元冠の役 フビライハーン 大艦隊の遭難

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06/12/4二○○七年八月二日(木)

元冠の役 フビライハーン 大艦隊の遭難

台風 は1281年8月21日に突然と襲来した。
1281年5月 わずか準備期間1年で4400隻の大艦隊を率いて 日本に進撃した元 フビライハーンの大艦隊は勝利を確信していた。
が台風によって元 モンゴルの大艦隊は姿を消す。鷹島沖の調査が進められ
その証拠とし沈没船の碇とロープは みな一定の方向を向き沈没しているのだという検証がなされた。 これは 一定方向から強い風を浴びた
という事実である。
 けれど 要因は これだけではなかった。
フビライハーンは わすが1年で4400艘の大艦隊を編成した。
わずか1年で4400艘の船を建造すると言うことは 当時最新の造船技術をもつ中国とは言え 不可能である。 この4400艘の大艦隊は 多分に史上最高の大艦隊である。
 近来、これに匹敵する大艦隊と言えば4000隻を保有した第2次世界大戦 フランス のノルマンディ 連合軍上陸作戦である。
では何故、これほどの船を調達できたのか。
日本への進撃を急ぐフビライハーンは当時の中国の川船 朝鮮の川船を多く調達したのだ。 難破船の海底調査の結果、これら川船の残骸が多く発見された。遠洋航海に適する船には みな船底が竜骨構造になっているが。川船は 平面化かしているため 台風の風を受ければ ひとたまりもなく転覆する。
さらに 、船長 当時として最高は70メートル 水密区画の設計をほどこしてあるものの その船は みな改造船だったのである。
 さらにマストシップの構造にも欠陥が認められ その構造は 横―波に対して脆弱な構造だったのである。
元には 当時最新の武器があった、爆薬 砲弾である。 当時の日本にはなかった 爆薬の効果は絶大なものであり、さらに 弓術は300メートル先をも射ることのできる協力な武器であった。
 これらの武器を駆逐し 上陸を試みる元軍に対して、日本は 剣のみである。
しかし、剣は接近戦に強い。武術に優れている日本の武士団は元上陸に際しての接近戦においては 圧倒的に優勢をほこり その上陸を許さなかった。元軍はここでも大きな過ちを起こした。全体を攻撃するあまり、
自国の武器と戦力に対して過信していたのである。
もし、元軍が上陸地点をきずき そこを処点として攻撃していたならば
日本軍は敗北していたかも知れない。
再上陸を試みる元軍の将軍 アラカンは 陸上船においては卓越した指揮官であった。しかし艦隊を率いての海上戦に対しては 知識も経験も乏しい。
上陸を失敗して 再上陸する前 突如として 台風に襲われたのである。
推定では風速50メートルから70メートルの台風が突然と博多沖は 鷹島周辺に去来したのである。避ける手段はない、
4400隻の大艦隊は大半失われた。当時の中国側の資料によれば
戦死者は7万人近くに及んだといわれる。

フビライハーン のモンゴル軍の不滅神話はここに崩れた。
それ以降 ブビライハーンの統治能力にかげりが見え
やがて 元帝国は 滅びて 再びモンゴルの平原に帰っていったのだ。

余記
 戦争中日本軍は神風を信じた、この元冠の役における偶然性が
日本に不滅の幻想を抱かせた。経済の発展 人工膨張による食糧確保は
大陸進出を抱かせ その結果 多くの民が困難に瀕して あるものは それを理容して巨大財閥を造り栄華を極めた。 人の幸福は 決して経済だけではない、アフリカ住民の一部には その日の食糧のために働き
その日を生きている。文化芸術スポーツは人の心を豊かにするというが
その影も存在するという事実を忘れてはならない。
07/7/12 22時27分44秒 

転載元: 徒然 あさやんの史記と四季 金閣寺


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