Quantcast
Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

[転載]新上五島町(しんかみごとうちょう)は、長崎県五島列島の中通島・若松島とその周囲の島を町域とする町である。現在では南松浦郡唯一の地方自治体となっている。

$
0
0

上五島地域で旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡が発見されていることから、これらの時代から人類が生活を営んでいたと推測されています。平安時代には遣唐使船の寄港地にもなるなど、大陸交流の拠点として栄えました。江戸時代、幕府の厳しい弾圧によって信仰を隠さなければならなかったキリスト教徒が、新天地として移住した場所でもあります。

カトリック教会や寺社をはじめとして、地域内には多くの遺跡や文化財が残っています。上五島神楽や青方念仏踊り、捕鯨の伝統を伝える鯨唄や羽差踊り等の郷土芸能、弁財天などの伝統行事等が継承され、独特の地域文化を形成しています。

明治22年4月1日に町村制が施行され、上五島地域は若松村・日ノ島村・青方村・浜ノ浦村・魚目村・北魚目村・有川村・奈良尾村の8村で構成されていました。昭和に入って、青方村・有川村・奈良尾村がそれぞれ町制を施行し(青方町、有川町、奈良尾町)、また、全国的に市町村合併が促進され、「昭和の大合併」と呼ばれた昭和30年代には、上五島地域でも合併が進み、若松村と日ノ島村が若松町に、青方町と浜ノ浦村が上五島町に、魚目村と北魚目村が新魚目町にそれぞれ合併しました。

そして、平成16年8月1日、5町(若松町、上五島町、新魚目町、有川町、奈良尾町)が合併して新上五島町が誕生し、現在に至っています。


新上五島町の歴史的変遷


 五島列島の縄文、弥生時代の遺跡は島内いたるところに見ることができ、現在確認されている
ものは200 箇所以上にのぼります。これまでの調査で最も古い時代の遺跡は6000 年前の縄文前
期です。島内からは縄文前期の土器片や旧石器時代の石器も発見されており、五島人の歴史は
1万年以上にさかのぼるのではないかと推測されています。

 五島列島は古代「値嘉島(ちかしま)」といわれ、「古事記」のイザナギの大八島(おおやしま)の
生成に「次に知訶(ちか)島(しま)を
生みき。亦の名は天之(あめの)忍男(おしお)と謂ふ。」とあり、
また「肥前風土記」にも値嘉郷として地名の由来、
住民、産物などが書かれています。

 現在の五島という地名になったのは平安時代末期の頃からで、当時日本へ渡航して来る中国人によって「五峰」或いは「五島」と呼ばれるようになったといわれています。

 五島列島は中国に最も近い日本の島として、中国大陸との関係は非常に古く、奈良及び平安時
代初期には遣唐使船の日本最後の風待ちの地として、遣唐使制度廃止後も中国商船の博多大宰府
への中継地として国際的にも重要な島とされていました。

【宇久氏統一以前の五島列島】
 鎌倉幕府成立当初の12 世紀末、上五島地域の宇久島、小値賀島、中通島、若松島の四島に
は御厨があり、松浦直が惣追捕使の任務にあたり、松浦一族は唐津方面から松浦、平戸、上五
島にかけて一大集団を形成しました。
 この頃、松浦一族であった初代宇久家盛は、宇久島に城を築き、以来支配圏を広げました。
(当時、五島列島には宇久氏のほか、小値賀島の平戸松浦氏、有川の馬場氏と江氏、青方の青
方一族、奈留の奈留一族、日之島・若松の藤原氏一族、椛島の桑原一族、戸島(富江)の田尾
一族、玉の浦の玉の浦一族、岐宿の貞方氏、大浜の大浜一族などの豪族が分離割拠していまし
たが、宇久氏は権威をもって五島列島を制覇していました。)

 14 世紀終りには、第八代宇久覚は宇久島から下五島にある大値賀島(現在の福江島)の岐宿
に拠点を移し、勢力を広げました。

【福江島を拠点とした宇久氏の五島列島の統一】
 元中5 年(1388)、第九代宇久勝が岐宿から深江(現在の福江)へ移り、辰の口に城を築き、
五島列島全体を支配するようになりました。

 16 世紀初頭、第十六代宇久囲の家臣であった玉の浦納が、福江において15 年間にも及ぶ反
乱を起こしました。第十七代宇久盛定は玉の浦納の乱を終息させるとともに、旧領地を回復さ
せ、五島列島を統治するため福江の江川に江川城を築きました。

 永禄7 年(1564)第十八代宇久純定を治療するため、キリシタンの医者が福江に招かれまし
た。その2 年後の永禄9 年(1566)、宣教師のアルメイダとロレンソが福江で布教を始め、2 年
後には信者の数は3,000 人を数えるに至ったと伝えられています。その後、第十九代宇久純堯
が洗礼を受ける一方で、第二十代宇久純玄はキリシタン迫害を行うなど、キリスト教が地域の
歴史に影響を及ぼすようになりました。この宇久純玄は、宇久姓を五島姓に改め、以降五島を
名乗るようになりました。

 なお、紀州、中国、四国の漁業家が五島にマグロ網、カマス網、カツオ網、捕鯨などの漁場
を求めて来島し、五島漁業の基礎を築いたのも江戸時代の末期頃でした。

【五島藩としての統治】
 慶長17 年(1612)、第二十二代五島盛利は初代五島藩主となりました。盛利は、在郷家臣団を福
江城下に移す「福江直り」によって中央集権的な制度を固め、領内で検地を実施し、家臣の知行高
を決定しました。

 盛利は寛永14 年(1637)、大値賀島を福江島と久賀島(ひさかじま)に、また深江を福江に、戸
島(福江市史では「殿浦」)を富江と改称しました。

 五島氏は御朱印を賦与する特権を慶長18 年(1613)まで有していましたが、鎖国令によって
朱印船制度は廃止され、オランダや唐との貿易は長崎に限定されました。その後、密貿易を企てる
外国船が五島領海に増加したため、五島藩では、遠見番所を増設し11箇所とするなど、藩内の防
御体制を整えました。

 第二十三代藩主五島盛次の弟、盛清に対して、福江藩の領地が分知され、寛文元年(1661)
盛清は初代富江藩主となりました。幕末の嘉永2 年(1849)幕命により福江城を築城し、文久
3 年(1863)に完成しましたがそのわずか5 年後には明治維新となりました。また、寛政9 年
(1797)大村領外海から108 名のキリシタンが六方の浜へ着くなど多くのキリシタンが移住しま
した。

 明治2 年(1869)、富江藩は五島藩に合藩されてその姿を消しました。

【明治以降の上五島地域における行政区域の変遷】
 明治4 年(1871) 廃藩置県により五島藩は福江県となったが、同年12 月には長崎県に合併。
 明治11 年(1878) 郡区町村編成法により、五島列島は南松浦郡に編入。
 明治22 年(1889) 町村制施行により、上五島地域は若松村・日ノ島村・青方村・浜ノ浦村・魚
             目村・北魚目村・有川村・奈良尾村の8 村の構成となった。
昭和 7年(1932) 町制施行により有川村が有川町となった。
昭和16 年(1941) 町制施行により青方村が青方町となった。
昭和18 年(1943) 町制施行により奈良尾村が奈良尾町となった。
昭和31 年(1956) 新設合併と町制施行により、青方町と浜ノ浦村が上五島町に、若松村と日ノ
            島村が若松町に、魚目村と北魚目村が新魚目町となった。
平成16 年(2004) 若松町・上五島町・新魚目町・有川町・奈良尾町が新設合併し、新上五島町
            が発足。




文化財
新上五島町の国・県・町指定文化財は下記のとおりです。

国・県別指定区分区分名称

国指定重要文化財建造物青砂ヶ浦天主堂
 頭ヶ島天主堂「教会堂・司祭館」
 美術工芸品銅造如来立像
 記念物天然記念物奈良尾のアコウ
 民俗文化財無形(国選択) 五島神楽
 県指定有形文化財建造物大曾教会
 民俗文化財無形上五島神楽
記念物史跡日島の石塔群
天然記念物新魚目曽根火山赤ダキ断崖
五島青方ウバメガシ
奈良尾のヘゴ自生地

指定区分区分文化財名
有形文化財建造物五輪塔
政彦神社棟札
六地蔵塔
今里平家塚と中世墳墓群
御船様
伊藤美俊家住宅
榊ノ浦龍音龍尊堂
旧鯛ノ浦教会堂
冷水天主堂
江袋教会
彫刻福寿庵地蔵堂の木造仏
長福寺木造仏
相河薬師堂薬師仏
相河薬師堂十二干支仏
山中観世音像
美術工芸品銅像薬師如来座像
荒川観音像
秘仏十一面観音
工芸品弁財天像
絵画魚目浦絵図
歴史資料老松神社裏出土の鰐口及び古銭
江戸控訴時の有川湾浦絵図
江口甚右衛門正利肖像画
古文書元禄二年の幕府裁許状
元禄三年の幕府再裁許状
史跡妙典無縁墓碑群
遠見番岳のろし台跡
民俗文化財有形六角地蔵石憧
潮之目恵比須の三枚網羽
書籍江之濱薬師如来縁起
工芸品江之濱薬師御堂「御厨子」
江之濱薬師日光・月光十二神将像御堂
信仰・絵画釈迦涅槃図
無形青方念仏踊り
青方石づき唄
みんかけ
鯨唄・羽差し踊り
鯛ノ浦薙刀踊り
有川神楽
十七日祭り
江ノ浜念仏踊り(きゃあ念仏踊り)
記念物史跡続代官所跡
魚目城跡
富江藩中通代官役所跡役所井戸
鯨供養碑
白魚千軒跡(千人塚)
金比羅神社境内の板碑
荒川郷本倉寺屋敷の石塔群
真浦遺跡(モエン様)
老松神社境内の岩陰遺跡
玄加玄徳の碑
坂本龍馬ゆかりの碑
鯨供養塔と観音石仏二体
天然記念物青方神社社叢
源寿院の銀杏の木
曲崎海岸のはま沈ちょう群落
祖母君神社のアコウ樹
応護島のアコウ樹を中心とした自然林
アコウ樹
遺跡上原遺跡
浜郷遺跡(弥生墳墓)
名勝地芦山の滝



新上五島町

   
しんかみごとうちょう
新上五島町 国 地方 都道府県 郡団体コード面積 総人口人口密度隣接自治体 町の木 町の花 町の鳥 新上五島町役場 所在地 外部リンク
Flag of Shinkamigoto Nagasaki.JPG
新上五島町旗
Shinkamigoto Nagasaki chapter.jpg
新上五島町章
2004年平成16年)10月19日制定
日本の旗日本
九州地方
長崎県
南松浦郡
42411-1
213.94 km²
19,537
推計人口、2015年11月1日)
91.3人/km²
五島市西海市北松浦郡小値賀町
ツバキ
ツバキ
メジロ
857-4492
長崎県南松浦郡新上五島町青方郷1585番地1号
Office building of shinkamigotouchow.jpg北緯32度59分4秒東経129度4分24秒座標: 北緯32度59分4秒 東経129度4分24秒
新上五島町
新上五島町位置図
― 市 / ― 町

頭ヶ島教会
新上五島町(しんかみごとうちょう)は、長崎県五島列島中通島若松島とその周囲の島を町域とする町である。現在では南松浦郡唯一の地方自治体となっている。
2004年(平成16年)8月1日有川町上五島町若松町新魚目町奈良尾町5町が合併して誕生した。



名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


転載元: 海洋文化交流のブログ


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

Trending Articles