長崎県五島列島三井楽の今昔物語
三井楽町
三井楽町 廃止日 廃止理由 現在の自治体 廃止時点のデータ 国 地方 都道府県 郡団体コード面積 総人口 隣接自治体 町の木 町の花 三井楽町役場 所在地 座標
2004年8月1日 | |
新設合併 福江市、富江町、玉之浦町、三井楽町、 岐宿町、奈留町→五島市 | |
五島市 | |
長崎県 | |
南松浦郡 | |
42403-0 | |
33.81km² | |
3,660人 (推計人口、2004年7月1日) | |
南松浦郡玉之浦町、岐宿町 | |
ツバキ | |
スイセン | |
〒853-0692 長崎県南松浦郡三井楽町濱ノ畔郷1473番地の1 | |
北緯32度44分33.3秒 東経128度41分23.6秒 | |
地理
隣接していた自治体
歴史
地名
五島市合併時に末尾の「郷」を廃止。
- 丑ノ浦郷(合併時に丑ノ浦、塩水に分かれる) 大川郷(合併時に大川、高崎に分かれる) 貝津郷 柏郷 嵯峨島郷 岳郷 波砂間郷 浜窄郷(はまさこ) 浜ノ畔郷(はまのくり) 渕ノ元郷
教育
観光・名所
- 高浜海水浴場 白良ケ浜海水浴場 カトリック墓碑群 ふぜん河(遣唐使遺跡)
- さざなみの化石 魚籃観音展望所 千畳敷 火山海食崖
遺跡名 | 三井楽貝塚(みいらくかいづか) | ||
所在地 | 五島市三井楽町浜畦桑ノ木 | ||
緯度 | 北緯32°44′37″ | 経度 | 東経128°41′32″ |
標高 | 5m | 地形 | 砂丘 |
種別 | 貝塚 | 時代 | 弥生時代 |
資料所在地 | 九州大学 | 指定状況 | 未指定 |
参考文献等 | 「三井楽貝塚」『五島遺跡調査報告』 長崎県文化財調査報告 第2集 1964 | ||
遺跡・史跡の概略 | |||
遺跡は現海岸部に近い古砂丘縁辺部に位置する。九州大学などによって1963年に発掘調査が実施された。貝層の厚さは0.6m程度で貝種は23種類。岩礁製の貝が多い。自然遺物ではブリなどの魚類に加え、イルカの骨が目立っている。陸獣としてはシカ、イノシシがある。一般的に弥生時代は稲作を基本とする社会であるが、五島列島においてはその痕跡を示す石庖丁などの農耕具が無く、むしろ豊かな海産物や漁業を主とした生業であったことが推定される。 |
主な遺構 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な遺物 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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遺構・遺物の写真 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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五島市 岐宿町~三井楽町~玉之浦町
遺跡名 | 福江堂崎遺跡(ふくえどうざきいせき)(ふくえどうざきいせき) | ||
所在地 | 五島市奥浦町2010及び 地先公有水面 | ||
緯度 | 北緯32°45′18″ | 経度 | 東経128°50′14″ |
標高 | 5m | 地形 | 砂丘上 |
種別 | 遺物包含地 | 時代 | 縄文時代 |
資料所在地 | 長崎県教育員会 | 指定状況 | 未指定 |
参考文献等 | 「福江・堂崎遺跡」 福江市文化財調査報告書 第4集 1991 | ||
遺跡・史跡の概略 | |||
遺跡は、福江島東半北方の戸岐湾と奥浦湾挟まれた狭小の半島堂崎先端部に位置し、トンボロ状の砂丘を中心とする。遺跡は海岸の浸食が激しい部分について1990年に県と福江市によって調査された。堆積土は6層認められ、この内第3層が縄文中期と後期、第4層が縄文前期の包含層であることが確認された。 |
年代(約) | 時代 | 記 事 |
2万年前頃 | 旧石器時代 | 五島に人が住み着いた 城ガ岳遺跡(宇久島)オオサコ遺跡玉石鼻遺跡(小値賀島) |
1万2千年前頃 | 縄文時代草創期 | |
9千年前頃 | 同 早期 | ハモギ遺跡、目崎遺跡(小値賀島) |
7千年前頃 | 同 前期 | 頭ガ島遺跡(有川町)大板部島洞窟遺跡江湖貝塚、堂崎遺跡(福江市) |
5千年前頃 | 同 中期 | 頭ガ島遺跡(有川町)鰐川遺跡(岐宿町)、殿崎遺跡(小値賀町)、 |
4千年前頃 | 同 後期 | 鰐川遺跡(岐宿町)、殿崎遺跡(小値賀町)、白浜遺跡(福江市)、宮下貝塚(富江町) |
3千年前頃 | 同 晩期 | 白浜貝塚、水の窪遺跡、中島遺跡(以上福江市) |
2300年前頃 | 弥生時代前期 | 浜郷遺跡(有川町)白浜貝塚(福江市)、寄神貝塚(岐宿町)、殿寺遺跡(小値賀町) |
約2100年前頃 | 同 中期 | 大浜遺跡(福江市)、寄神貝塚(岐宿町)、神の崎遺跡(小値賀町) |
約1900年前頃 | 同 後期 | 大浜遺跡(福江市)、神の崎遺跡(小値賀町) |
遺跡名 | 茶園遺跡(ちゃえんいせき) | ||
所在地 | 五島市岐宿町岐宿茶園・白餅田 | ||
緯度 | 北緯32°44′58″ | 経度 | 東経128°45′54″ |
標高 | 10~20m | 地形 | 台地 |
種別 | 遺物包含地 | 時代 | 旧石器時代・縄文時代 |
資料所在地 | 長崎県教育委員会 | 指定状況 | 未指定 |
参考文献等 | 『茶園遺跡』 岐宿町文化財調査報告書 第3集 1998 | ||
遺跡・史跡の概略 | |||
遺跡は福江島北部唐船の浦に突き出た低溶岩台地に位置する。畑地帯総合土地改良事業に伴って平成9年(1997)岐宿町教育委員会によって発掘調査された。遺物は3~6層に含まれ、3層は縄文時代早期、4層が縄文時代草創期、5層が旧石器時代末の細石刃文化そして最下層が6層でナイフ形石器文化である。本遺跡の意義としては開地遺跡において旧石器時代末の野岳・休場型細石刃核を主体とする細石刃文化と縄文時代草創期の細石刃文化が層位的に確認されたことである。この事実によって九州地方での細石刃文化の変遷が確認されたことになる。また縄文時代草創期の細石刃文化の石器群と石槍・局部磨製石斧が共伴することも重要である。 |
主な遺構 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主な遺物 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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遺構・遺物の写真 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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福江堂崎遺跡(ふくえどうざきいせき) | 遺物包含地 | 縄文時代 | 五島市 |
水の窪遺跡 | 遺物包含地 | 縄文時代中期・晩期 | 五島市 |
橘遺跡 | 集落跡 | 弥生時代後期 | 五島市 |
江湖貝塚 | 貝塚 | 縄文時代前期 | 五島市 |
白浜貝塚 | 貝塚 | 縄文時代~弥生時代前期 | 五島市 |
中島遺跡 | 遺物包含地 | 縄文時代・古墳時代 | 五島市 |
大板部洞窟 | 洞穴・岩陰・貝塚 | 縄文時代(前期) | 五島市 |
鰐川貝塚 | 貝塚 | 縄文時代(後期) | 五島市 |
茶園遺跡 | 遺物包含地 | 旧石器時代・縄文時代 | 五島市 |
寄神貝塚 | 貝塚・集落跡 | 弥生時代 | 五島市 |
三井楽貝塚 | 貝塚 | 弥生時代 | 五島市 |
宮下貝塚 | 貝塚 | 縄文時代 | 五島市 |
石田城跡 | 城館跡 | 江戸時代 | 五島市 |
一本木遺跡 | 墳墓・遺物包含地 | 縄文時代・弥生時代 | 五島市 |
大浜遺跡 | 遺物包含地 | 縄文・弥生・古墳・古代・中世 | 五島 |
遺跡名 | 大浜遺跡(おおはまいせき) | ||
所在地 | 五島市浜町大浜 | ||
緯度 | 北緯32°39′14″ | 経度 | 東経128°48′40″ |
標高 | 1m前後 | 地形 | 砂丘 |
種別 | 遺物包含地 | 時代 | 縄文・弥生・古墳・古代・中世 |
資料所在地 | 長崎県教育委員会 | 指定状況 | 未指定 |
参考文献等 | 「大浜遺跡」『五島遺跡調査報告』 長崎県文化財調査報告 第2集 1964 「大浜遺跡」 長崎県文化財調査報告書 141集 1998 | ||
遺跡・史跡の概略 | |||
1997年道路改良工事に伴い、県教育委員会が調査を行った。 土層の堆積は7層あり、5層から縄文土器が出土した他、 3層から古代・中世の遺物が多量に出土している。当該地の採集資料には墨書土器も含まれている。古代における官衙的な性格も考えられる。また 7~ 8世紀代の多量の馬の骨が出土しており、古代の牧の可能性が指摘されている。また、 8世紀頃の新羅印花文陶器の出土は当時の朝鮮半島との交流を示唆する重要な資料である。 |
主な遺構 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主な遺物 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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