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[転載]6 日本のルーツは中国東シナ海沿岸部

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 韓国(朝鮮)には米作はなかった、コーリャン・稗・粟のような雑穀しか栽培できなかった。韓国(朝鮮)の人々がお米を食べれるようになったのは、10世紀の高麗時代に韓国で米作が始まったらしい。まぁ日本と比べて、圧倒的に遅いことに違いはない。しかも民衆はそれ以後もコーリャンなどの雑穀が依然として韓国では主流だった。だから韓国では箸を使わずにスプーン(レンゲ)で食べる。
 一方日本では、紀元前2世紀には西日本に広く弥生稲作が広まって行った。スサノヲの時(前1世紀)にすでに「箸」の記述が出ているわけだから。日本人は弥生人であれば民衆レベルで紀元前からお米のご飯を食べていたのだ。この基本的な食文化の違いのことだけでも、日本(倭国)と韓国(朝鮮)がまったく民族としても文化としても接点のない隔絶した異文化どうしであることが分かる。
 我々日本人は、実は韓国(朝鮮)のことを何も知らずに来たのだ。韓国がずーっと中国帝国様の属国として生きて来たことも、知らなかった。韓国の文化が中国帝国様によって属国として虐げられて来たことによる「恨み(ハン)の文化」であることも知らなかった。
 しかも中国帝国によって韓国(朝鮮)に押し付けられた中国文化は、孔子の儒教道徳で、それは中国=主人、韓国=下僕という道徳支配(被支配)文化だった。一方日本の天皇家には、儒教道徳思想などどこにもない。天皇家の継承は長男継承ではなくて、天皇家の男子の中で最も優れた人物が実力で皇位を継ぐ。
 それほど日本と韓国(朝鮮)とは、まったく違った文化の国であり、交流は皆無に近かったのだ。なのに旧来は今も日本人のルーツは韓半島だと思い込んでいる人が井沢元彦など多いのは、単純に東アジアの海域の多い東部地域を、陸地だけで見てしまう人たちが多いからだ。陸地だけで見てしまえば、中国→韓半島→日本列島となってしまう。そういう人達には、海・航路・船という発想はまったくないのだ。またそのような人達には、実際には韓国文化と日本文化が何の接点もないほど全く別々の文化だという事実認識さえないのだ。
 実際には中国人の大多数は内陸中国人だが、中国の東シナ海沿岸部の人達は、海の中国人という特別な中国人たちだった。その“東の中国人”が日本列島に渡って日本に“東の中国”を建国したのだ。さらに日本は古代から海路で直接船で中国文化を取りに行けたわけだから、韓国経由の劣った中国文化など必要なかった。
 日本人は古事記のスサノヲの場面ですでに“箸”を使って人々が食事していた。つまり日本人の主流になった弥生人は中国の揚子江河口域の最も稲作文化の強い“東の中国人”たちだった。もちろんお米は、中国の揚子江河口域からその人々とともにもたらされた。
 民族が移動する場合、結局似たような風土の場所に行けば同じ文化をそのまま持って行けるからラクなんだよね。北欧のスウェーデンのルーシ族がユーラシア大陸の北方を東へ東へと進んで行ったのがロシアだ。アフリカに近いスペイン・ポルトガルが新大陸に渡ったのは中南米で、北国のイギリス人が渡った新大陸はアメリカ合衆国・カナダの北米だった。気候風土が似ている場所に移住すれば、元の文化をそのまま使えるわけだから。
 日本人の主流になった弥生人も、中国の東シナ海沿岸部の人達で初めから“稲作の文化”だから、日本列島の九州・西日本に渡ってそのまま“瑞穂の国日本”をすればよかったという、なんとも同じ風土なんだよ。

転載元: 古事記のリアルな解明Ⅱ


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