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[転載]隠岐・海底遺跡? 隠岐「遺跡」が見せてくれる古代の風景

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隠岐・海底遺跡?

2002年9月、島根県隠岐ノ島で発見された海底構造物は未だに本格的な
調査がされることなく今日に至っている



先史・古代

 隠岐島後(どうご)の西郷町(現隠岐の島町)津井と五箇村(同)久見には、打製石器の原料としての黒曜石を産出する。津井の近くに宮尾(みやび)遺跡が、久見の近辺に中村湊(なかむらみなと)遺跡がある。これらに遺跡は石器製作跡と推測されている。
 サヌカイトより強力な隠岐の黒曜石は広く山陰地方一帯の縄文遺跡に分布し、東は能登半島、西は朝鮮半島にまで及ぶ。弥生時代後期に水稲栽培が島に入り、島後南部の八尾川下流東岸に月無遺跡が出現する。隠岐には約200基の古墳が分布、八尾川下流に隠岐最大の前方後円墳である平神社古墳(へいじんじゃ、全長47メートル、長さ約8メートルの横穴式石室)がある。

 大化の改新以前には億伎国造が設置され、玉若酢命神社宮司家である億岐家が国造家であったと考えられている。隠岐国設置の年代は不明だが、大化改新後全国に国郡が置かれた時から存在したと考えられる。また、当時の木簡には「隠伎国」と記しているものもあり、設置当初にはこの名称が使われていた可能性もある。
隠岐国府は弥生時代から諸島最大の中心地であった島後の八尾川下流に置かれたが、具体的な所在地については下西の台地にあてる甲ノ原説と八尾平野に当てる説がある。国分寺国分尼寺についても所在地は必ずしも確定的ではない。古代の隠岐国は山陰道7国のうち下国で、都からの行程は上り35日、下り18日と定められていた。

 日本海の孤島隠岐は古代から渤海新羅との交渉も記録されている。
 763年には渤海から帰国する日本使節・平群虫麻呂の一行が日本海で遭難して隠岐に漂着し、825年には渤海国使高承祖ら103人、861年には渤海国使李居正ら105人が隠岐国に来着している。
 日本と新羅との関係が緊張すると隠岐国にも影響があり、869年には隠岐に弩師(弓の軍事教官)が置かれ、870年には出雲石見、隠岐に新羅に対する警備を固めるよう命令が出された。
 888年には新羅国人35人が隠岐に漂着、943年には新羅船7隻が寄着するなど現実に新羅との交渉が生じた。

『和名抄』の郡郷

和名抄』によれば、隠岐国は4郡、12郷に分かれていた。
  • 知夫郡 知夫里島及び西ノ島
    • 宇良(うら)郷、由良(ゆら)郷、三田(みた)郷
  • 海部郡 中ノ島
    • 布施郷、海部(あま)郷、佐作(さつくり)郷
  • 周吉郡 隠岐島後(どうご)南部
    • 賀茂郷、庵可(あむか)郷、新野(にいの)郷
  • 穏地郡 隠岐島後北部
    • 都麻(つま)郷、河内(かむち)郷、武良(むら)郷
の各郷である。穏地郡は古い時代には役道郡と呼ばれていた。

延喜式内社

延喜式神名帳』に見える隠岐国式内社は16座15社あり、名神大社は以下の4社。
 僻遠の地にもかかわらず名神大社が多いのは新羅に近いため、国防上の見地から朝廷の尊崇を受けたためとされる。 このほか周吉郡(隠岐の島町西郷地区下西)の式内社玉若酢命神社は国府所在地にあり、隠岐惣社とされる。

中世

 建久4年(1193年)、隠岐一国地頭職に佐々木定綱が補任されたことが吾妻鏡に見える。承久3年(1221年)には後鳥羽上皇が海士郡に流され、19年間配所で過ごし、元弘2年(1332年)年には後醍醐天皇が配流される。天皇の配流地は隠岐島後の国分寺説と島前黒木御所説があり、決着が付いていないが、天皇はやがて脱出する。
 室町時代の守護は京極氏で、隠岐守護代となったのは京極氏一門の隠岐氏で、東郷の宮田城、後に下西の甲ノ尾城を本拠地とした。これに対して在地勢力は隠岐氏に対立する毛利氏の支援を得て、両者間に戦いも起こったが、尼子氏の滅亡とともに隠岐国は毛利氏一門の吉川元春の支配となった。


「遺跡」が見せてくれる古代の風景

 古代の人の営みを知るには、遺跡の発掘で見つかるものが重視されていますが、その遺跡があった頃のその場所の風景は今と違っていた可能性も考える必要があります。
 例えば縄文時代のなかば、約6000年前は今よりもずっと暖かい気候がひろがり、海面が今よりも2〜3m高く(縄文海進)、現在の平野のかなりの部分が海の下になっていました。古代の人々が魚介類を食べて残った貝殻や魚の骨などが捨てられた貝塚が、今の海岸線の近くにはなく、ずっと内陸にあるのはこのためです。 貝塚だけでなく、住居跡などの縄文時代の遺跡も同じように、少し小高い場所にしかありません。また、古い神社も同様です。
 実は縄文時代、どれくらい海面が高くなり、海岸線がどこまで内陸に入り込んでいたかを知る方法は多くありません。貝塚や縄文遺跡など、人の営みの痕跡の分布から、逆に過去の風景、地域の環境変化を読みとることもできるのです。

現在の集落と縄文時代の遺跡と縄文海進期の海岸線

ポイント

  • 海水準変動と古代史
  • 遺跡の持つ地球科学的な価値
『いにしえの島根』/島根古代文化センターの資料によると
黒曜石

  山から採掘されたときは表面が風化して、
 ざらざらした灰色や灰黒色をしているものが多いが、  
 割るとこのように黒く輝く表面が現れる。

今から1万年以上前の旧石器時代から2300年前の縄文時代まで、物を削ったりする道具の
ほとんどは石を使用していた。
特に黒曜石は刃物、鏃等によく使われていた。
しかし利用の割に原産地が限られるため貴重なものであった。
出雲では隠岐で採掘されたものを利用していた。
現在の科学は黒曜石の原産地を解明するところまで進歩した。
それによると隠岐島産の黒曜石は中国地方だけに止まらず、朝鮮、さらにはウラジオストク、
ナホトカ周辺まで運ばれて使用されていたことが判明している。
隠岐の国土、人口を考えれば、かって朝鮮やロシアまで航海する国力を持っていたとは
到底考えられない。
とすれば隠岐に一番近い出雲がその任を負っていた可能性も考えられる。
この事は出雲王国の存在といわないまでも、出雲にこの黒曜石を移動させるほどの
人口と技術が存在したということを微かに匂わせている。
    

      広範囲な黒曜石の分布状況



JpGU2012 隠岐ジオパーク ~不思議な自然環境と歴史を探る~  


     島根の史跡 >  おもな史跡等 >  大城遺跡

島根の史跡

島根の史跡ロゴ大城遺跡
復元整備された弥生墳丘墓の画像
復元整備された弥生墳丘墓
隠岐の島で初の発見!
四隅突出型弥生墳丘墓

大城遺跡
山陰地方の弥生時代のお墓といえば四隅突出型弥生墳丘墓ですが、隠岐島でもこの大城遺跡で唯一発見されています。お墓は約18m×10m程の長方形の墓で、土器や管玉が見つかっています。現在、造られた弥生時代後期の姿に復元整備されています。
大城遺跡地図
大城遺跡の地図
【お問い合せ】
隠岐の島町教育委員会

島根の史跡ロゴ隠岐郷土館
隠岐郷土館の画像
隠岐郷土館
隠岐島の全てが分かる!
総合資料館

隠岐郷土館
明治に建てられた県指定建造物(旧周吉外三郡役所庁舎)で今では資料館として利用されています。中には考古資料から民俗資料、さらには動植物や岩石まで隠岐島の全てが分かる展示品が並べられています。ここに来れば隠岐島の全てが分かるようになっています。
隠岐郷土館の画像
隠岐郷土館地図
隠岐郷土館の地図
問い合わせ
隠岐郷土館TEL.08512-5-2151
開館時間
9:00〜17:00
入館料
300円
休館日
12月28日〜1月3日を除いて年中無休
 



遺跡一覧表示

隠岐郷土館
 
大城遺跡
147件ヒットしました (1件目 ~ 20件目)


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遺跡名称所在地時代遺跡種別
宮尾遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 東郷 宮尾 縄文 古墳 平安 中世 近世 時代不明   集落跡  
神米古墳群 隠岐郡 隠岐の島町 東郷 神米   古墳  
妙光寺跡 隠岐郡 隠岐の島町 原田 寺中   社寺跡  
奥田I遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 今津 奥田 奈良   集落跡  
奥田II遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 今津 奥田   集落跡  
奥田III遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 今津 奥田 古墳   集落跡  

東船遺跡 日本海より遺跡を望む
東船遺跡 日本海より遺跡を望む
著作権:
島根県教育委員会





この遺跡の調査 (2件)



隠岐郡 隠岐の島町 今津 東船 



東船遺跡 出土中世陶磁器
東船遺跡 出土中世陶磁器
著作権:
島根県教育委員会
縄文 近世 奈良 古墳 中世 弥生 近現代 旧石器 時代不明  




   東船遺跡 SI01・SD01出土弥生土器
東船遺跡 SI01・SD01出土弥生土器
集落跡  


   東船遺跡 SK22出土金属製品
東船遺跡 SK22出土金属製品
森遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 今津 森 縄文 古墳 近世 時代不明   集落跡  
大床遺跡画像あり 隠岐郡 隠岐の島町 岬町 大床 近現代   その他  
御崎谷遺跡画像あり 隠岐郡 隠岐の島町 岬町 御崎谷 奈良 平安 古墳 中世 弥生 近現代   その他  
御崎谷II遺跡画像あり 隠岐郡 隠岐の島町 岬町 御崎谷 近現代   その他  
八王寺遺跡 隠岐郡 隠岐の島町 下西 八王子   集落跡  
宮尾古墳群 隠岐郡 隠岐の島町 東郷 宮尾   古墳  
大座西古墳 隠岐郡 隠岐の島町 下西 大座 古墳 奈良 近現代 時代不明   古墳  
半崎横穴 隠岐郡 隠岐の島町 東郷 風早 古墳   横穴墓  
西郷公園古墳 隠岐郡 隠岐の島町 西町   古墳  
西郷小学校古墳群 隠岐郡 隠岐の島町 西町 大城   古墳  
西郷小学校1号墳 隠岐郡 隠岐の島町 西町 大城   古墳  
西郷小学校2号墳 隠岐郡 隠岐の島町 西町 大城   古墳  
下元屋海岸古墳 隠岐郡 隠岐の島町 下元屋   古墳  
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平成24年度 第2回普及講演会を開催しました。

平成24年11月10日(土)に、黒曜石の原産地として有名な島根県隠岐の島町で、第2回の日本旧石器学会普及講演会を実施しました。島根県古代文化センター、隠岐ジオパーク戦略会議と共催で行い、55名の方々の参加をいただきました。詳細は次の通りです。
  • 1.実施場所:隠岐島文化会館研修室(島根県隠岐の島町西郷)
  • 2.主催:  日本旧石器学会、島根県古代文化センター、隠岐ジオパーク戦略会議
  • 3.後援:  隠岐の島町教育委員会、隠岐ジオパーク推進協議会
  • 4.実施概要:以下の通り
(1)開会あいさつ13:30~13:40 島根県教育委員会教育次長 米山 隆
日本旧石器学会広報委員 丹羽野 裕
(2)講演13:40~14:50 岡山大学名誉教授 稲田 孝司
「隠岐の黒曜石と旧石器人」
(3)報告14:50~15:10 島根大学准教授 及川 穣
「原産地遺跡から分かること-信州の黒曜石原産地の調査から-」
(4)ミニシンポジウム15:15~16:30 「隠岐の黒曜石の意義と今後の調査」
 コーディネーター 丹羽野 裕
 パネラー  八幡 浩二(隠岐ジオパーク戦略会議議長》
       稲田 孝司
       及川 穣
(5)紙上発表 竹広 文明「隠岐の島町久見における黒曜石原産地遺跡の調査成果をめぐって
―後期旧石器時代の黒曜石採掘跡が存在か―」

5.内容のあらまし

 まず、稲田孝司日本旧石器学会元会長が「隠岐の黒曜石と旧石器人と題して、講演。旧石器時代の遊動生活の中で、4万年前もの古い時代か」ら隠岐に人が訪れていたことや、恩原遺跡の調査成果などから東北地方の旧石器人も訪れていたことをお話しになり、聴衆の皆さんの関心を引いていました。
 次に及川穣島根大学准教授が、信州での調査事例を元に、原産地遺跡の重要性とその調査からわかることを報告されました。
 ミニシンポジウムでは隠岐ジオパーク戦略会議議長で黒曜石採掘権者でもある八幡浩二氏を加えて、短時間の議論を行いました。まずは隠岐の黒曜石の特徴について議論。八幡氏から他産地のものに比べて硬くて良質であることが示されました。及川氏は信州の黒曜石は隠岐に比べて透明感があるものが多いことを指摘されました。
 次に後期旧石器時代にさかのぼる可能性のある久見高丸地点について論議。八幡氏から遺構が発見された経緯について説明があり、採掘場の崖が大雨で崩れた時に全く違う色・質の落ち込みが現われたことを説明されました。及川氏は採掘跡である可能性が高いが、時期については慎重に調査をして判断する必要のあることを述べられ、稲田氏も結論を急がず、崖面の保護も含めて早めの調査を行い、多くの目で確認しながらじっくり判断すること、採掘跡であれば旧石器時代でなくても大発見であることを強調されました。なお、丹羽野委員からは来年度から島根県古代文化センターで隠岐の黒曜石をテーマに研究を始めることを述べました。
 最後に稲田氏が、まずは隠岐島内でしっかりと遺跡を探すことの重要性を強調。行政の調査だけでなく、島民からの情報や協力が大切であることが力説され、会場の視聴者も熱心に聞き入られました。
 
稲田孝司元会長の講演
 
会場の様子 熱心に聞き入る聴衆
 
ミニシンポジウム(手前から及川氏、稲田氏、八幡氏、丹羽野委員)

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島根県立古代出雲歴史博物館企画展「隠岐之国」展示替えリスト

名    称
展示期間
1 駅鈴(重要文化財)
2 倉印(重要文化財)

1.隠岐の黎明
(1)隠岐島の誕生と黒曜石
3 黒曜石原石

4 ナウマン象 牙

5 ナウマン象 臼歯

6 東船遺跡出土 台形様石器

7 東船遺跡出土 細石刃核

8 東船遺跡出土 石鏃

9 宮尾遺跡出土 爪形文土器

10 宮尾遺跡出土 石皿

11 宮尾遺跡出土 磨石

12 中山遺跡出土 黒曜石製尖頭器

13 東船遺跡出土 石匙

(2)御食国隠岐
14 竹田遺跡出土銅剣(島根県指定文化財)

15 大城遺跡出土スタンプ文土器

16 大城遺跡出土弥生土器

17 大城遺跡出土 管玉

18 東船遺跡出土弥生土器

転載元: 学問の自由のブログ


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