Quantcast
Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

田辺白浜  田辺の街中探訪へ出かけよう!

$
0
0


   2008年4月26日(土)-6月1日(日)
 
 田辺市稲成町に位置する高山寺には、真言宗御室派の寺院として、
仏教美術に関わる文化財が伝来していますが、境内には有名な高山寺
貝塚があり、また近世・近現代においては、田辺地域の文化活動の
中心として、様々な芸術作品・学術資料などが次々と収蔵されました。
 この特別展では、田辺地域の文化財が集積する拠点として、
高山寺所蔵の資料を初めて総合的に紹介します。

みどころ

作品紹介

目 録

コラム(金曜更新)


 展 示 の み ど こ ろ
 
(1)聖徳太子像と弘法大師像がそろって登場!
 《高山寺の中心的な仏教美術の文化財を公開》
・木造聖徳太子孝養像
(もくぞうしょうとくたいしきょうようぞう)(県指定・鎌倉時代後期)・
 木造弘法大師坐像
(もくぞうこうぼうだいしざぞう)(鎌倉時代後期)がそろって
 寺外で公開されるのは初めてのこと。
・重要な仏画・経典を公開。
  「大般若波羅蜜多経
(だいはんにゃはらみたきょう)巻第289」(市指定・奈良時代後期)など。

(2)芦雪が高山寺で見た中国の絵?
 《高山寺に集積した、様々な種類の文化財を公開》
・元・明時代の中国画、もしくはそれに影響を受けた作品を初公開。
・長沢芦雪の作品(寒山拾得図
(かんざんじっとくず)・柳に烏図(いずれも県指定))を展示。
  天明7年(1787)に芦雪は高山寺を訪問している。
・田辺で隆盛した俳諧に関する資料(「田辺六俳仙
(たなべろくはいせん)」の俳句)
・田辺城主・安藤家から拝領した笙
(しょう) ・篳篥 (ひちりき)

(3)近代の田辺で活躍したスターが集合
《毛利清雅 (もうりせいが) (柴庵)・南方熊楠 (みなかたくまぐす)
・植芝(盛平
(うえしばもりへい) に関する資料(3人とも高山寺に墓がある)》
・南方熊楠の手紙(5点、これまで未報告のもの)を展示。
 高山寺の住職でもあった、毛利柴庵の資料と、あわせて展示。
・合気道の祖・植芝盛平の書を公開。

(4)寺院の展覧会に考古資料!?
 《高山寺貝塚出土資料、浦宏 (うらひろし) の研究資料》
・高山寺貝塚が昭和13年(1938)に発見された時の、縄文土器・貝殻・獣骨・魚骨を展示。
・田辺の考古学者・浦宏(1897~1983)の考古学研究によって戦前に調査された、
 県内重要遺跡発見の考古資料を公開。
 県内の考古学の黎明期(昭和10年代)の資料。
 丸山古墳・高野山奥の院経塚・綱不知
(つなしらず) 遺跡など。
 遺物以外に、調査の過程を物語る調査日誌なども展示。

 
 作 品 紹 介

(1)聖徳太子孝養立像(しょうとくたいしきょうようりゅうぞう)→画像
和歌山県指定文化財 木造
像高
127.7㎝ 鎌倉時代後期
 高山寺の信仰の中心として、長く伝えられてきた像である。聖徳太子が16歳の時、父の用明天皇の病気が治るように祈った姿をあらわす。彫刻の表現様式から、鎌倉時代後期までさかのぼるものと考えられる。県内では、中世にさかのぼる聖徳太子孝養像は確認されておらず、非常に貴重である。現在は、多宝塔に安置されている。
 
(2)弘法大師坐像(こうぼうだいしざぞう)→画像
木造 像高79.3㎝ 鎌倉時代後期
 高山寺大師堂は田辺の人びとの信仰を広く集め、参詣者も多い。本像は大師堂に安置される弘法大師坐像で、初公開となる。一木割矧造として首を襟に沿って割り放すなど古様な構造で、目鼻立ちのはっきりした明快な表情、肘をゆったりと構えた姿勢、充実した張りのある立体表現などの特徴から、鎌倉時代後期の制作と見られる。類例の少ない中世弘法大師像として極めて貴重である。
 
(3)寒山拾得図 長沢芦雪筆(かんざんじっとくず ながさわろせつひつ)→画像
和歌山県指定文化財 紙本墨画 縦86.5㎝ 横160.0㎝ 江戸時代 天明7年(1787)
 江戸時代中期に活躍した画家・長沢芦雪が、高山寺に来訪して残した作品である。高山寺に残る記録「三番日含」(県指定)によると、芦雪は天明7年(1787)の2月12日晩から15日昼までの間滞在し、この絵を初めとして、いくつかの作品を描いたことがわかる。
 
(4)鉄鉢 丸山古墳出土(てっぱち まるやまこふんしゅつど)→画像
鉄製 高さ19.7㎝ 口径25.0㎝ 古墳時代中期(5世紀前半)
 紀の川市貴志川町上野山に所在する丸山古墳は、直径42mの円墳である。この古墳からは、昭和8年(1933)・9年に、多量の鉄製品をはじめとする、副葬品が発見されたという。この資料は、そのうちの一つで、朝鮮半島には類例があるものの、国内では他に類を見ない独特の資料である。その後の調査に関わった、田辺在住の考古学者・浦宏(18971983)の旧蔵品。
 


特別展トクベツテン「 田辺タナベ・ 高山寺コウザンジの 文化財ブンカザイ」  展示テンジ資料シリョウ目録モクロク
Ⅰ  高山寺コウザンジ貝塚カイヅカ
番号バンゴウ指定シテイメイ        称ショウ員数インズウ番号バンゴウ指定シテイメイ        称ショウ員数インズウ
1 土器片・ 石器セッキ(高山寺貝塚出土)一括イッカツ33 松藤棕櫚文蒔絵文箱1 合ゴウ
2 貝殻カイガラ・ 獣ケモノボネ・ 魚サカナホネ( 高山コウザン貝塚カイヅカ出土シュツド一括イッカツ34 モモに 綬ジュオビドリブン蒔絵マキエスズリバコ1 合ゴウ
Ⅱ  高山寺コウザンジの 成立セイリツと 展開テンカイ
番号バンゴウ指定シテイメイ      称ショウ員数インズウⅣ  高山寺コウザンジの 古経典キョウテン
3市指定シシテイ奕世年譜3 冊サツ番号バンゴウ指定シテイメイ      称ショウ員数インズウ
4県指定ケンシテイ聖徳ショウトク太子タイシ孝養コウヨウリツゾウ1 躯35市指定シシテイ大般若ダイハンニャミツキョウマキダイ二百八十九2891 巻カン
5 弘法コウボウ大師ダイシ坐像ザゾウ1 躯36市指定シシテイブツセツ阿弥陀アミダキョウ1 巻カン
6 不動明王フドウミョウオウゾウ1 幅フク37 摩訶僧祇律巻 第ダイ91 巻カン
7 五大ゴダイソンゾウ1 幅フク38 大般若波羅蜜多経巻 第ダイ五百三十二5321 巻カン
8 大日ダイニチ如来ニョライゾウ1 幅フク39 大般若波羅蜜多経巻 第ダイ四百三十六4361 巻カン
9 デンヤク行者ギョウジャゾウ1 幅フク40 大般若波羅蜜多経巻 第ダイ五百四十四5441 帖ジョウ
10 如意ニョイリン観音像カンノンゾウ  照ショウヤマゲンヨウヒツ1 幅フク41 百千印陀羅尼経1 巻カン
11県指定ケンシテイ(三番サンバンニチガン)日含・ 諸ショ記録キロク6 冊サツ42 仏説文殊師利現宝蔵 陀羅尼ダラニ3 帖ジョウ
12 高山寺縁起絵巻 堂本印象筆2 巻カン43 毘沙門ビシャモンコウシキ1 巻カン
44 大般若波羅蜜多経巻 第ダイ四十五451 巻カン
Ⅲ 近世の文化と高山寺45 大日ダイニチキョウマキダイ31 帖ジョウ
番号バンゴウ指定シテイメイ      称ショウ員数インズウ46 三国サンゴク仏法ブッポウデンツウ縁起エンギ3 帖ジョウ
13 田辺タナベ  高橋タカハシナミランヒツ1 幅フク47 清浄セイジョウカンオンケン陀羅尼ダラニキョウ1 帖ジョウ
14 花鳥図カチョウズ  伝デンヒツ1 幅フク
15 花鳥図カチョウズ  伝デントウトラヒツ1 幅フクⅤ  近代キンダイの 高山寺コウザンジをめぐる 人々ヒトビト
16 滝見タキミ観音像カンノンゾウ狩野カノウ探幽タンユウヒツツネヤマリュウサン1 幅フク番号バンゴウ指定シテイメイ      称ショウ員数インズウ
17県指定ケンシテイ寒山カンザンジュウトク  長沢ナガサワセツヒツ1 幅フク48 ウミオモネジャナシ追善ツイゼンブン  毛利モウリ清雅セイガフデ1 通ツウ
18県指定ケンシテイヤナギに 烏カラス  長沢ナガサワセツヒツ1 幅フク49 南方ミナカタクマクス書簡ショカン(榎本与 六6宛・須川寛得宛・安部湛英宛)3 通ツウ
19 瀑布バクフ1 幅フク50 南方ミナカタクマクス葉書ハガキ( 楠本クスモト秀男ヒデオアテ2 通ツウ
20 旭日キョクジツセツバイ  維メイシュウケイヒツ1 幅フク51 佐山サヤマデンミギ衛門エイモン書状ショジョウ1 通ツウ
21 秋草アキクサ  南ナンヒツ1 幅フク52 ショ「 合ゴウイキミチ」 植芝盛平 筆ヒツ1 幅フク
22県指定ケンシテイ寿老人ジュロウジン  岸キシコマヒツ1 幅フク53 モク象嵌

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

Trending Articles