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Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
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[転載]大陸に渡った義経

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北海道から樺太を経て、義経は大陸に渡ったと思います。
義経一行は、黒龍江をさかのぼり、アムール川の支流アングル川流域に至り、さらに上流のオノン川までたどったとされています。その地でモンゴル族の中に入ったのです。
これが、義経・ジンギシカン伝説の始まりです。
この伝説を裏付けるような品々や伝承が残されています。

岩手県の盛岡市名須川町にある曹洞宗のお寺「報恩寺」にある五百羅漢堂に安置されている五百羅漢の中に、マルコ・ポーロと大蒙古の国王フビライ・ハーンの羅漢像が残されています。
フビライ・ハーンはジンギスカンの孫で蒙古の国王で元を創設し中国だけではなくヨーロッパにいたる範囲を支配した人物です。
マルコ・ポーロはイタリアの商人で、蒙古国王フビライ・ハーンに十七年間仕えた人物です。
マルコ・ポーロがヨーロッパに東方の地を紹介した「東方見聞録」は有名です。
その中に日本のことをジパングの名で紹介しています。

「東方見聞録」に書かれているジパングは
ジパングの人々は優雅な仏教徒であり、国王の宮殿の屋根は、すべて黄金で葺かれている。
宮殿内の道路や部屋の床には金が敷き詰められていて窓さえも黄金で出来ていると書かれてあります。

この事を平泉の金色堂と考えるのは不自然でしょうか?
また、平泉の藤原秀衡は膨大な仏教の経典を集めたり、平泉の地に多くの寺を建造しています。
「東方見聞録」に書かれているジパングとは、平泉の事であったのです。

しかし、マルコ・ポーロは日本には来ていません。
では、マルコ・ポーロは誰から、その話を聞いたのでしょう、
蒙古国王フビライ・ハーンしか考えられません、そしてフビライ・ハーンは誰から・・・
平泉の事を知っている人物から聞いたのでしょう、
それは祖父の義経であったと伝承は伝えています。

転載元: 徒然なる歴史の話


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