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大阪高槻の三島鴨神社は、日本で最初の三島神社(山祇神社)とされる。鴨神社の祭神は大山積命 (おおやまづみのみこと) 。

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三島鴨神社(みしまかもじんじゃ)は、大阪府高槻市にある神社式内社論社で、旧社格郷社
社伝では、伊予大山祇神社伊豆三嶋大社とともに「三三島」と呼ばれたという。また、日本で最初の三島神社(山祇神社)とされる。
 
 

祭神

現在の祭神は以下の2柱。
『伊予国風土記』逸文によれば、伊予国乎知郡(越智郡)御島に坐す大山積神(大山祇命に同じ)は、またの名を「和多志の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島に鎮座していたという。
「津の国の御島」とは摂津国三島(現 高槻市三島江)を指すとされ、この記述によれば大山祇神社愛媛県今治市)の祭神は元々は当地の神とされる。なお、この「大山積神」は記紀の記す大山祇神と別の神格であるという指摘もある。
 
事代主神(ことしろぬしのかみ)
 
事代主神は鴨氏の氏神とされ、当地に鴨氏の進出が背景にあるとされる。
日本書紀』神代巻には、事代主神が八尋熊鰐となって三島溝橛耳の娘・三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命神武天皇の后になったと記す。三島溝橛耳一族の氏神として、当社近くには溝咋神社が祀られている。
 
歴史
 
創建
 
 創建は不詳。当社は元々淀川の川中島(御島)に祀られていたといい、社伝では仁徳天皇茨田堤を築くにあたって、淀川鎮守の神として百済から遷り祀られたという。
 上記の『伊予国風土記』逸文によると、大山積神は百済から当地に祀られ、次いで伊予国の大山祇神社に遷座したとされる。同文に見える「津の国の御島」が当社であれば、大山祇神社大三島瀬戸に鎮座したのが推古天皇2年(594年)とされているので、当社はこれ以前の創建となる。なお、当社では伊豆の三嶋大社へも当社から御魂が遷されたとしている。
 一方、事代主神が祭神として祀られていることから、鴨氏の進出が指摘されている[4]。そして、すでに淀川の渡船の神として祀られていた大山祇神(三島神)と事代主神(鴨神)が合祀されたことで、「三島鴨神社」の社名が生まれたとされる。
 
概史
 
 国史では、『日本三代実録元慶8年(884年)12月21日条に、「摂津国三島神」に対して正六位上から従五位下の神階を授けたという記述がある。また延長5年(927年)編纂の『延喜式神名帳』には、式内社として「摂津国島下郡三島鴨神社」の記載があり、その論社とされる。ただし、上記のいずれも、他の論社として高槻市赤大路町の鴨神社も指摘される。
 式内社の比定に関して、当社は島上郡の位置、赤大路町の鴨神社は島下郡の位置とみられ、郡域としては後者が有力視される。また、当社が古くは「幾島大明神」と称したことも、当社を比定しない根拠の1つとされている。
 一方で、『伊予国風土記』逸文で大山積神の別称として「和多志(渡し)の神」と記すことから、河川から離れた鴨神社はこれに当たらないという指摘もある[4]。いずれにしても、現在も特定には至っていない。
 
 当社は、元々は淀川の中洲である川中島(御島)にあったとされる。しかしながら慶長3年(1598年)の淀川堤防修築の際に現在地に移されたという[元和5年(1619年)には、高槻藩主松平家信から2石が寄進された。
 明治に入り、近代社格制度では郷社に列した。明治41年(1908年)、唐崎神社や天満社等周辺の神社を合祀した。
 
神階
元慶8年(884年)12月21日、正六位上から従五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「三島神」。ただし異論もある
 
境内]

摂末社[編集]

  • 八幡宮
  • 唐崎神社
  • 三社
    • 大将軍社、厳島神社、竃神社
  • 國廣大明神

祭事[編集]

  • 月次祭 (毎月1日、15日)[7]
  • 歳旦祭 (1月1日)
  • 焚上祭 (1月15日)
  • 節分祭 (2月3日)
  • 春祭 (4月20日)
  • 戦没者追悼平和祈念式 (9月)
  • 唐崎神社秋祭り (10月20・21日)
  • 秋祭宵宮祭 (10月第4土曜)
  • 秋祭 (10月第4日曜)
  • 七五三詣 (11月1日-30日)
  • 御火焚祭 (12月20日)
古くは、『日本書紀』神代上にある事代主神が三島溝樴姫に通ったという故事に基づき、三島溝樴姫を祀る溝咋神社と同日に神幸を行なっていたという[1]

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺
  • 三島江 - 歌枕の地として知られ、近世以後は淀川の河港として栄えた。
 
 

三島鴨神社所在地
Mishimakamo-jinja haiden.JPG
拝殿
大阪府高槻市三島江2-7-37
 
 
 
 
 
鴨神社(かもじんじゃ)は、大阪府高槻市にある神社式内社論社で、旧社格村社
 
 

祭神

現在の祭神は以下の通り。
 祭神について『神社明細帳』等の諸書では大山積神とされるが、後述のように当社を式内社・三島鴨神社とみる説では、祭神は鴨氏の祖神とみられる。
 また、当地は三島県主が勢力を持っていた所であることから、その祖神を祭神とみる説もある。なお『新撰姓氏録』では、三島県主後裔の三島宿禰(右京神別)と賀茂県主(山城国神別)は同じ祖先と伝えている。

歴史

創建

 創建は不詳。社伝では、先住の鴨氏一族が創祀し、のち渡来系の三島一族が勢力を伸ばしたため、後述の「三島鴨神社」とも称されたとする。

概史

 平安時代中期の『延喜式神名帳』には式内社として「摂津国島下郡三島鴨神社」の記載がある。天坊幸彦が「三島郡の史跡と名勝」で、『大阪府神社明細帳』に「旧記も無御座候へども先前より申伝祭神大山祇命鎮座地所は故島下郡ト称シ(該村往古ハ島下郡ナリ徳川氏ノ代島上郡ヘ編入ノ由申伝)・・・三島鴨トモ俗ニ五位鴨社トモ又三島神トモ申伝来候云々」とあることから、延喜式の三島鴨神社はこの鴨神社であると指摘して以来、当社はその論社の1つとなっている。
 
 式内社の他の論社としては三島江に三島鴨神社がある。三島鴨神社は島上郡の位置にあたることから、郡域としては当社が有力視される。一方で、『伊予国風土記』逸文では大山積神が「津国の御島」から伊予・伊豆に移ったと記すが、神の別称として「和多志(渡し)の神」と記すことから、河川から離れた鴨神社はこれに当たらないという指摘もある。いずれにしても、現在も特定には至っていない。
 
 平安時代末期には、後白河天皇中宮・建春門院が「三島神」に皇子誕生の祈願をしたと伝わる。その結果のちの高倉天皇が誕生し、これを祝して京都五条坂に三島神社が創建されたという。ただし院の参詣先は「三島神」であり、これについても三島江の三島鴨神社とみる説がある。
 明治5年(1872年)、近代社格制度において村社に列した。昭和46年(1971年)、本殿・拝殿が新築された。

神階

 

境内

現地情報

所在地
交通アクセス

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