熟年再婚で再出発
大震災という思わぬ災難に打ちひしがれて2年4か月、最愛の人を亡くした人たちにはいまだにかける言葉もないが、そろそろ立ち上がりつつある人も現れ、中には再婚で再出発をした例も現れてきた。
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たまたま、震災とは関係ないが、熟年再婚という
日刊現代の記事があったので、ご紹介したい。
勿論賛否の分かれるところは、多々あるのだが・・・
私達はこうして熟年再婚した
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①
出会いは中高年お見合い相談所
日刊ゲンダイ・橘 由歩
高木 徹さん(60=仮名)と恭子さん(58=同)は毎朝山並みを眺めながら朝食をとる。「今日はあの山に登ろうか」となれば、さっそくおにぎりを作りだす。
「2人で何でもできるのがいいんですよ」と徹さん。3年前に再婚したばかり。徹さんは41歳で妻を癌で失い小・中学生の子供3人を男手ひとつで育てた。
子供は巣立ち、ひとり、家に残された。
「暗い部屋に帰り、コンビニの惣菜でテレビを見ながら酒飲んで寝て、また会社。話し相手もいないし、体調も崩してね・・・」
一方、恭子さんは20代で駆け落ちしたが、43歳でひとり郷里に戻った。
「50歳になった時、このままひとりでさびしく生きて、何もなく死んでいくのはいやだって」
2人の出会いは、登録した中高年お見合い相談所の懇親会だった。
「私はお金とかではなく、温かい人、人柄が合う人を求めていて、徹さんがそうでした」
結婚を決めたのは、2回目のデートの後、同居まで2か月、入籍はその翌月。57歳と55歳のスピード婚だった。
父の苦労を知る徹さんの子供たちは結婚に大賛成。徹さんが再婚相手に求めていたのは価値観だ。
「今さら自分を曲げて結婚なんかできないから、同じ価値観の人がいい」
一方、恭子さんは「初めて会った人には思えなかった」と言ってこう続ける。
「私、この人となら、きっと幸せになれるんじゃないのかなあって確信した」
赤の他人が夫婦となるために選んだのが、畑づくりという共同作業だ。
「意気投合して結婚しても。生い立ちも過去も違う.熟年再婚は関係を作っていくしかない」と徹さん。
とりわけ大事にしているのが、「性愛ですよ。夫婦は抱き合っていなきゃ」と笑う。
2人は毎日一緒にお風呂に入り、背中を流し合う。恭子さんが微笑む。
「2人の出会いが遅かったから、私は夫婦の生活を大事にしたいの、私は一人の寂しさを知っている、徹さんもそう。だからこそ一緒にいるの」
ひとりの寂しさを知っているからこそお互いを大事にしたい。
ひとりなら得られない喜びだからと、2人一緒に微笑んだ。 ②へ