大分アジア歴史ツアー
行先
宇佐神宮
大分県立歴史博物館
国見ふるさと展示館
ペテロ岐部カスイ(日本ではじめてエルサレムに行った)
国東市歴史体験学習館(弥生のムラ 安国寺集落遺跡公園)
特別展:カミサマホトケサマ (船尾修)
道の駅くにみ
道の駅国東
別府警察署
連絡先
大阪水・土壌汚染研究会 アジア部会 事務局 atcmdk @yahoo.co.jp
国東から世界へ
太古の昔から、神を信じてきた日本人ですが、6~7世紀の仏教伝来以降は、仏教文化も取り入れ、国家の中心思想としました。神を仏とし、仏を神とする神仏習合文化は、その発祥の地である宇佐神宮・国東半島で最も輝かしくその華をさかせました。互いの異教文化を認め合い、共存するという独特の思想・理念は、世界でもあまり例ををみない特異な文化といわれています。
その世界に誇れる文化を保存し、後世に残すために、世界遺産認定を目指す活動が、この国東の地を中心に活発に展開されています。
太古の昔から、神を信じてきた日本人ですが、6~7世紀の仏教伝来以降は、仏教文化も取り入れ、国家の中心思想としました。神を仏とし、仏を神とする神仏習合文化は、その発祥の地である宇佐神宮・国東半島で最も輝かしくその華をさかせました。互いの異教文化を認め合い、共存するという独特の思想・理念は、世界でもあまり例ををみない特異な文化といわれています。
その世界に誇れる文化を保存し、後世に残すために、世界遺産認定を目指す活動が、この国東の地を中心に活発に展開されています。
木浦鉱山(きうらこうざん)は、大分県南部の佐伯市(旧宇目町)宇目大字木浦鉱山にあるスズや鉛などを産出した鉱山である。
地質
秩父帯の石灰岩や粘板岩に大崩山系の花崗岩が貫入する際に形成されたスズ、鉛、亜鉛、ヒ素などを含むスカルン鉱床であり、仏像構造線の一部を構成する木浦衝上断層に沿って分布している。石英を母体とする鉱脈に磁硫鉄鉱、硫砒鉄鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱などを含む。西部にはコランダムや磁鉄鉱などを含むエメリー鉱の鉱床も見られる。
エメリー鉱は研磨剤や舗装道路の硬質骨材などに使われる。日本でエメリー鉱は木浦鉱山だけで産出する。
歴史
鉱山の拓かれた年代については諸説ある。1607年(慶長12年8月)にここで産出した鉛を将軍に献上したとの記録がある。江戸時代は岡藩の管轄下にあり、乙名や組頭と呼ばれる役人が管理していた。
17世紀後半の最盛期には60の鉱山に1000人の労働者が集まり年間で2000斤のスズや4000斤の鉛を産出し、佐渡金山、石見銀山、生野銀山と並ぶ日本の四大銀山と呼ばれるほどであった。
しかしながら新たな鉱脈の発見は進まず経営は不安定であり、しばしば藩から財政支援が行われた。
1873年(明治6年)8月に官営となったが安価な輸入鉱石に押されるなどして休山状態となった。
1887年(明治20年)から三菱が引き継いだものの1894年(明治27年)に休業している。第一次世界大戦後に亜ヒ酸の製造が行われた。1926年(大正15年)11月に東洋鉱山が設立され、1939年(昭和14年)には554トンのスズを産出するまでになったが、1944年(昭和19年)に発令された錫鉱業整備令によってスズ部門が休止となり、終戦とともに全て休山となった。
戦後は大分県鉱産物五カ年生産計画に基づいて再開発が試みられたものの鉱石の品位が低く、1957年(昭和32年)に中止となったが、1961年(昭和36年)にエメリー鉱の鉱床が発見され、1967年(昭和42年)から採掘が行われている。