去年の7/7のネットのニュースで、次期モナコ元首が隠し子の存在公表へトーゴ女性との間に男児とあった。でもこの皇太子、グレースケリーの息子やのに外見はイマイチやね。。。でもまあしかし色々皇太子も大変やね~。特にそんな小国なら国民の関心も高いはずやし。小国やもん。そう、モナコは世界第二の小ささの国。最小はバチカン。
そんな訳でヨーロッパの小国って角度で地図を調べてみた。
バチカン、モナコ、ルクセンブルク、マルタは有名だし行った事もあるけど他には、リヒテンシュタイン、サンマリノ、アンドラとか知ってました??
バチカン
世界最小国。イタリアのローマの中(?)にありご存知の通りキリスト教最大宗派カトリックの総本山、サンピエトロ寺院。面積1平方キロもありません。ローマのバチカンエリアいうか教会のみって感じで、全く国という感じはしない。
モナコ
世界第2の小国。観光業が主要な産業で、モンテカルロのカジノは世界的に有名。所得税もなく、法人税も極端に低くなっているので、高所得の外国人や外国企業が税金逃れに集まるタックス・ヘイブンとなっています。だからお金持ちのリゾート地、あとはF1でも有名。
1919年のフランスとの協定で、男子の王位継承者がいない場合フランスに併合されることになっていつので、王位継承者問題はモナコにとってはまさに死活問題!どんなに今回の隠し子騒ぎがイメージダウンでも皇太子の地位は絶対です。
フランスの保護国(本来自国に存在する外交権及び国防権を自国で行使せず、他国にその権限を譲与あるいは奪われている状態にある国家のこと。植民地と違い、国家主権は確保されており、内政権は維持することができる)です。
ルクセンブルク
ベネルクス三国で有名なルクセンブルグ。ベルギー、フランス、ドイツに囲まれた人口44万人ほど、20キロ四方の小国。元々はローマ帝国のルクセンブルク公爵領でした。言語はドイツ語に近いルクセンブルク語。ただし、世界大戦中にドイツに占領されさんざんな目にあったためか、フランス語もよく使われるよう(両語は小学校から必修)。西ヨーロッパ諸国、特にオランダやベルギーとの関係を深くしている。ルクセンブルクの経済は非常に豊かで 一人当たり国民総所得世界一位を誇る。実は友達の親が貿易商で、ここの大公と取引してんねんて~~ケタが違うな。。。
マルタ
マルタは地中海にうかぶ、ヨーロッパと北アフリカをつなぐ淡路島の約半分の大きさの国です。紀元前からいろいろな民族や国が領有を争ってきました。 まず9世紀ごろアラブに支配され、1522年スペイン王によってヨハネ騎士団の領土として与えられます。ヨハネ騎士団は中世さかんだった十字軍(キリスト教勢力による聖地エルサレム奪還を大義としたイスラム教勢力への侵攻)で活躍した連中で、しかし十字軍運動がおとろえるとその活動も衰え、拠点であったギリシアのロードス島も追い出されてしまいます。そこでマルタを与えられたわけです。その後18世紀末にナポレオンに征服されてしまいます。これ以降、マルタ騎士団は島から撤退し、医療活動や慈善事業をおこなう団体として、今でもローマを拠点に活動しています。以後1964年までイギリス領となります。最近は、地中海の英語圏の国として留学に来る日本人も増えています。
リヒテンシュタイン
中世ドイツにはたくさんあった小さな国家の1つが、今なお残っているという珍しい国です。今の領土になったのは1719年、シュレンブルクとファドーツという2つの国がリヒテンシュタイン侯爵家のもとで統一されたのがはじまりです。名目上は神聖ローマ帝国、ナポレオンが立てたライン同盟、ナポレオン没落後はドイツ連邦に入っていましたが、1866年独立しました。小国ということで、東隣の強国オーストリアと同盟を結び独立を保っていましたが、第1次世界大戦でオーストリアが衰退すると、西隣のスイスと関係を深めます。通貨はスイス・フランを使い、外交もほぼスイスが代行します。「非武装中立」な国で、軍隊は1名もおらず、50人の警察官で国の秩序を守っています。
サンマリノ
サンマリノは南北13km、幅9kmという小国で、イタリアの山中にある世界最古の共和国です。人口は約3万人で、大部分がイタリア系の人びとです。イタリア統一の際、統一の英雄ガリバルディをオーストリアからかくまった功績で、サンマリノの独立は認められ、今日にいたっています。
公用語はイタリア語、イタリアから入国する際の入国審査などはないそうです。
主要産業は観光業と切手販売です。サンマリノは世界の切手愛好家向けに多くの切手を作っており、これが重要な外貨獲得手段となっています。
アンドラ
フランスとスペインの国境、ピレネー山脈の中に位置する人口約3万あまりの小国がアンドラです。元首はフランス大統領とスペインのウルヘル司教が共同で務めています。昔はウルヘル司教がもっていた領地、日本風にいえば荘園だったそうです。今でも租税の一部が偶数年に司教に、奇数年にフランスに納められています。
公用語はスペイン語の一種カタロニア語となっていますが、スペイン語、フランス語も話されています。