両界曼荼羅は、金剛界と胎蔵界より成り、教理の説明または修法の対象とされ、金剛界は仏の力が一切の煩悩を打ち破ること、金剛(ダイヤモンド)のごとく強きことを表わし、胎蔵界はその妙力がまだ発露しないこと子の胎内にあるがごときを示したものである。
両界ともに大日如来を中心に、金剛界は諸尊を周囲にめぐらした組織により、胎蔵界は諸尊の配置によって仏界を図示しているが、真理は金胎不二にあると解く。したがってその表現と内在の両世界を分析し仏格をもって図示したものといえる。そこでは、すべての仏、菩薩、天部、鬼神が包含されている。大日如来は文字どおり日輪(太陽)であり、万物万象の母にたとえられるのである。
密教のもつわかりにくいというイメージは、そのシステムが重層的で複雑であることによる。しかし、そのシステムはいたって体系的であり、理路整然としていることを知る時、我々は密教及び視覚的な密教美術の世界観にひきつけられることとなる。
密教の体系的システムを示す最も基本的な表現形態が曼荼羅(まんだら)であり、曼荼羅という図像の形成意図を知ることが、密教を知る先決手段となる。
曼荼羅--マンダラという用語は、古代インドの言葉であるサンスクリット語(梵(ぼん)語)で、本質(真髄・さとり)を表現したものという意味で、聖なる空間を示す。数ある曼荼羅のなかでも両界(りょうかい)曼荼羅は、密教最高の理念ないし密教の理想世界を象徴するものとされる。大日如来を中心にして多くの諸尊が実に整然と、配され、一つ一つの仏の個性が見事に生かされた統一の世界--共存の原理によって成り立つ世界--が表現されている。
純密の根本経典ともいえる『大日経』と『金剛頂経』のいわゆる両部大経をもとに構築された胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅《注6》を合わせて両界(両部)曼荼羅という。両経典はインドにおいて7~8世紀に相前後してそれぞれ異なる地域で別々に成立し、各曼荼羅も独立して存在したようである。これが一具の曼荼羅として整備されたのは、空海の師である恵果(けいか)に負うものとされ、中国の二元的思想--陰陽二元論など、事象を対(つい)概念で把握すること--によったことも考えられている。理という物理的なものの形の世界[胎蔵界]と、智という精神的なものの働きの世界[金剛界]という二つの世界が揃ってはじめて密教世界であるとともに、仏の本質をも意味するのである。両者の分かちがたいことを「理智不二(りちふに)・金胎(こんたい)不二」という。
さて、空海が806(大同元)年に請来した両界曼荼羅は間もなく損傷し、821(弘仁12)年に最初の転写本が作られ、これ以後も1191(建久二)年、1296(永仁4)年、1693(元禄6)年に京都・東寺(教王護国寺)において転写され、空海請来本の図相が伝えられている。この空海が請来した両界曼荼羅は、現行の画像という意味で現図(げんず)曼荼羅といわれる。
現図曼荼羅の画面構成はどのようなものであろうか。
胎蔵界曼荼羅は、左右対称が強調されたもので十二大院からなり、中心に大日如来(法界定印)、そのまわりに合計約400の諸尊を配する。中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)を中心として、上下は各四重、左右は各三重とし、それらがほぼ左右対称に構成されているが、これを次の三部編成にまとめてその働きを表している。(1)仏部--中台八葉院・遍智(へんち)院・釈迦院・文殊(もんじゅ)院・持明(じみょう)院(五大院)・虚空蔵(こくうぞう)院・蘇悉地(そしつじ)院及び上下(東西)外(げ)金剛部院の中央列--は、密教の真髄である智恵と慈悲を表し、(2)蓮華(れんげ)部--観音院(蓮華部院)・地蔵院及び向かって左(北)の外金剛部院--は、やさしい姿でもって慈悲の相を示し、(3)金剛部--金剛手院(金剛部院)・除蓋障(じょがいしょう)院及び向かって右(南)の外金剛部院--は、威厳をもって智恵の相を示しているとされる。なお、最外院の外金剛部院は、曼荼羅の周囲を警護する仏法護持の諸神をめぐらす、つまり、先の三部を護る所とされている。
これに対して、金剛界曼荼羅は一般に九会曼荼羅といわれるように、三段三列の九つの曼荼羅から構成されている。上段中央の一印会(いちいんえ)を大日如来(智拳印)一仏のみで表すほかは、中心となる成身会(じょうじんえ)(羯磨(かつま)会)の1061尊を含め合計約1500尊を配する。なお、上段向かって右の理趣会が金剛薩 (さつた)を本尊とする以外は、全て大日如来を本尊として表している。各一会一会が画面中心の大日如来に向かって強い求心的構成を示し、上下左右(東西南北)の対称性が保たれている。
九つの曼荼羅のうち中心に位置する成身会は、『金剛頂経』が説く人間の精神活動の真相を表しており、金剛界曼荼羅の根本をなしている。第一重院の大円相中の五つの中円相(五解脱輪)の中心に位置する諸尊によって五部の構成を示している。中央中円相の大日如来・上(西)の無量寿(むりょうじゅ)(阿弥陀)如来・下(東)の阿 (あしゅく)如来がそれぞれ胎蔵界の仏部・蓮華部・金剛部を示し、向かって左(南)の宝生(ほうしょう)如来を宝部、右(北)の不空成就(ふくうじょうじゅ)如来を羯磨部とする。宝部は人間生活に不可欠の財宝を象徴し、羯磨部はこの世の全ての働きを表しているとされる。
ところで、密教の世界観は立体的なものである。従って、両界曼荼羅は、図としては平面でありながら、実は球体を表出しているのである。球を半分に切り、それを左右に展開したことになる。両界の各構成図をみると、胎蔵界と金剛界では上下左右の東西南北の位置が丁度逆転していることに気付く。これは重要なことで、両界が合体して固定することなく、永遠に、互いに回転運動していることを示している。つまり、両界の東西を合わせると南北が合致せず、南北を合わせると東西が合致せず、合致しないところが反発し合い、回転して合致しようとするということである。我々(我々の存在する地球)は意識しないにしろ、宇宙のなかで回転しており、仏(密教)の世界の中で我々も同じ状況にあるということである。両界が固定していれば、回転している我々が固定しない(逆も同じ)ことになるのである。まさに宇宙感覚である。
画像は輪王寺蔵両界曼荼羅図: 金剛界 (こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)
最澄と空海
延暦23年(西暦804年)、遣唐使の一員として法華経教理探求を究極の目的に唐に渡った最澄(伝教大師)は、天台山で法華経関係の教理を学ぶと同時に、密教の思想を相承し、更にひろく禅や戒律も兼学しました。目的を果たして帰朝した最澄は、延暦25年(西暦805年)、日本に天台宗を開きます。法華経を中心とした中国天台の教えに密教を加え、顕教(釈迦如来の教え)、密教(大日如来の教え)双方に同等の重きを置いた最澄の教学は、日本天台の基盤となりました。それに対し、最澄と共に入唐、最澄の約1年後に帰朝した空海(弘法大師)は、密教を最上の法門(教え)とする真言宗を開きました。当時の中国最新の密教を導入した空海の本格的な真言密教(東密)に追いつくべく、天台密教(台密)では、最澄の跡を継いだ円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)が入唐して東密に比肩する成果をもたらします。最澄・空海以降の密教は、教理と修法(実践)が体系化される以前の密教(雑密)に対し純密と呼ばれ、儀礼・法具等整備され現在に受け継がれています。
真言宗の教え
<即身成仏>
真言宗の教えの中心は、現在生きているこの身このままで仏になることができるという「即身成仏」の教えです。
私たちは本来、仏性といって仏さまと変わらない心を持っているのですが、普段はそれを忘れて貪り、怒り、無知といった様々な煩悩に惑わされています。真言宗では、手に仏さまを表す印を結び、口に仏さまの真実の言葉である真言を唱え、心に仏さまを想う、「三密」という修行によって、本来の心に気づくことができると説きます。つまり、私たちの行為と言葉と心を仏さまと一つに合わせることによって、精神を含めた身体全体で直感的にさとりに至ろうとするのです。
<大日如来>
真言宗の本尊は大日如来です。大日如来は、宇宙生命の本体、あるいは宇宙一切の存在を仏さまとしたものです。その名前は太陽をイメージしてつけらえていますが、その智慧の光と慈悲の働きが、昼夜を分かたず影日向をつくらず、あらゆる人に及び、太陽を超えたものであるということから、大日と名付けられています。
<曼荼羅>
仏さまのさとりの世界を、私たちが知覚的に感じられるように図示されたものが曼荼羅です。真言宗では大日如来を中心とした「大悲胎蔵生曼荼羅(胎蔵曼荼羅)」と「金剛界曼荼羅」の両部曼荼羅を特に重要視しています。
「胎蔵曼荼羅」は、それぞれの違いを認め、生きとし生けるものすべてを活かしていこうという「慈悲」の世界を表しており、「金剛界曼荼羅」はダイヤモンド(金剛)のように壊れることのない仏さまの「智慧」がどういうものか、仏さまのさとりとはどういうものかを視覚化したものです。