2/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7]
◆『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する
パネリスト:
阿羅健一(近現代史研究家)
江崎道朗(評論家)
藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
水間政憲(ジャーナリスト)
司会:水島総
パネリスト:
阿羅健一(近現代史研究家)
江崎道朗(評論家)
藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
水間政憲(ジャーナリスト)
司会:水島総
ユネスコ記憶遺産登録に関して
中国が南京事件に関する文書と慰安婦関連資料のユネスコ記憶遺産への登録申請をユネスコへ行ったことに対し、日本政府は登録までに繰返し中国政府に申請を取り下げるよう抗議を行っていた[333]。2015年10月9日にユネスコは「Nanjing Massacre (南京虐殺)」に関する文書をユネスコ記憶遺産に登録することを決めた[334]。
中国が申請し、登録された資料は、犠牲者数を30万人以上とした南京軍事法廷の判決書の他、日本軍が撮影した写真、アメリカ人牧師が撮影したフィルム、生存者とされる者の証言や外国人の日記など11点であった[335]。
- 金陵女子文理学院宿舎管理員・程瑞芳の日記
- 米国人ジョン・マギー牧師の16ミリフィルム
- 南京市民の羅瑾が保存した日本軍撮影の民間人虐殺や女性へのいたずら、強姦の写真16枚
- 呉旋が南京臨時政府参議院宛てに送った日本軍の暴行写真
- 南京軍事法廷における谷寿夫への判決文
- 南京軍事法廷での米国人マイナー・シール・ベイツの証言
- 南京大虐殺の生存者陸李秀英の証言
- 南京臨時政府調査委員会の調査表
- 南京軍事法廷が調査した犯罪の証拠
- 南京大虐殺の案件に対する市民の上申書
- 外国人日記「南京占領-目撃者の記述」
日本政府は中国の申請はユネスコ記憶遺産の政治利用であると抗議した[335]。登録発表後、日本政府は「資料は中国側の一方的な主張に基づいており、真正性や完全性に問題があることは明らかだ。」として抗議した。日本外務省は「中立公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」「政治利用されることがないよう制度改革を求めていく」との外務報道官談話を発表した。
また、日本政府は登録された際には世界第二位の拠出率(アメリカは支払いを停止しているため日本が実質一位)のユネスコの分担金を見直すことを示唆していたが、登録を受けて分担金拠出の凍結の検討に入った。日本の自由民主党や民主党や維新の党など与野党も登録を批判した[336][337][338]。
毎日新聞はユネスコ世界遺産と無形文化遺産は、登録審議が公開されるが、記憶遺産は審議も勧告内容も非公開であるため透明化が求められていると報じた[335]。このほか藤岡信勝は登録を決定した現事務局長イリナ・ボコヴァは抗日戦争勝利70周年記念式典にも参加した親中派であり、公正性にも疑問があるとした[313]。
写真史料
南京事件の写真資料(マギー牧師の写真、国国民党が編纂した『日寇暴行実録』(1938年)、日本人のカメラマン撮影など)は、数多く存在しているが、その信憑性を検証しないままに扱われていた。だが、後述するように1984年の朝日新聞1984年8月4日大阪版夕刊(翌朝全国掲載)「南京大虐殺の証拠写真」の生首写真が間違いであったなど、信憑性のない写真が一部混在していた。
南京事件関連の写真を検証してきた松尾一郎やその研究に参加した東中野修道等は、アイリス・チャンの著作などの南京事件関係の書籍に掲載数多くの「証拠写真」を捏造写真として指摘している[317][318][319]。故意(捏造)であるかは、別として今まで指摘された間違い写真の例は、(故意かは別として)他の関係ない写真が混じっている、南京事件の後の1938年の日本軍の軍装(つまり南京以外の場所のもの)、編集者の誤記など、様々である。
その上で、東中野修道”南京大虐殺の証拠写真はすべて捏造である”と主張している[320]。ただし、東中野修道の写真分析と全て捏造という主張には、行き過ぎがあり、考証・指摘の間違いもある。例えば女性の陰部に異物を入れる残虐行為は中国人しか行わないので偽写真とみなしたが、実は日本兵も同じことを行っていた記録はあり[321]、そもそも外国人でも殺人事件そのものは撮影がほぼ不可能なことを考慮していない、などの疑問点が存在する。
アサヒグラフと『日寇暴行実録』の写真
写真週刊誌『アサヒグラフ』1937(昭和12)年11月10日号に、江蘇省宝山県盛家橋部落の中国人農民の写真に「我が兵(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ」とキャプションがつけられ掲載された[324]。
この写真は翌1938年に中国国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』に「日本兵に拉致される中国人女性と説明され無断転載された[324]。
この『日寇暴行実録』の写真は、本多勝一が1972年の著書『中国の日本軍』(創樹社)や、1997年11月発行の笠原十九司『南京事件』III章の扉に「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」のキャプションで掲載された。
1998年、秦郁彦がこの写真の原版は『アサヒグラフ』昭和12年11月10日号に掲載された「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ」という写真であることが指摘された[324]。
笠原は、中国国民政府軍事委員会政治部が事実と異なるキャプションを付したことに気付かず使用したことにつき、秦郁彦に謝意を表し、撮影者の故熊崎玉樹カメラマン、朝日新聞、読者に詫びた[325]。これを受け岩波書店も謝罪文を掲載して出品を一時停止し、笠原と相談の上で『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』[326]の日本兵に強姦されたという老婆の写真に差し替えた。
2014年に週刊新潮が、本多勝一が著書『中国の日本軍』に「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵。強姦や輪姦は7歳の幼女から70歳の老婆まで及んだ」とのキャプションとともに掲載していた(上記笠原と同様の)写真の誤用を指摘すると、
本多は
「『中国の日本軍』の写真説明は、同書の凡例にも明記してあるとおり、<すべて中国側の調査・証言にもとづく>ものです。ただ中国側に問題点があることは、俺が司会を務めた座談会 [327]で、吉田裕さんが次のように指摘しているとおりだと思います。<中国側の対応で問題があるのは写真の使い方ですね。いつ、だれが、どこで撮ったかという根拠を確認しないままに、政治的なキャンペーンの中で勝手に写真を使っている。日本の市民運動側もそれを無批判に受け入れてしまうような一面があって、それを反動派につけこまれている>。『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに誤用のようです」
と、文書で回答を寄せた[328]。
朝日新聞の「南京大虐殺の証拠写真」
しかし、この生首写真は、中国軍が馬賊の首を切り落とした写真であることが判明し、記事中で虐殺に関わったとされた歩兵23連隊の戦友会「都城二十三連隊会」が朝日新聞に抗議して訴訟になった(1986年1月に和解)[329]。
村瀬守保写真集
映像史料
- マギーフィルム - ジョン・マギーの記録映像についても論争が在る。
- 『南京』(日本、1938年) - 日本陸軍の戦線後方記録映画。当時の日本のプロパガンダ映画であるとの批判や問題点の指摘があり、論争がある。この映画のカメラマン白井茂は中国の人々が銃殺されるのを目撃したこと、日本軍の入城式の場でも住民が「しょうがない」と歓迎の手旗をふったことがあった、と証言している[332]。
- 『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(米国、1944年)監督フランク・キャプラ、およびこの映画を編集した『中国之怒吼』(中華民国(台湾)、1945年)についてもプロパガンダ映画であるとの批判や問題点の指摘があり、論争がある。
関連作品に関する論争
- アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』についても論争が起こった。
- 漫画「国が燃える」では、南京事件に関する描写が問題となった。
- 中国で2008年に南京事件を報道した記者としてジョージ・ホッグを主人公にした映画『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』が製作された[339]。2015年10月に、習近平総書記が訪英した際に、南京事件を報道した記者としてホッグの名前をあげて日本を非難した[339]。しかし、産経新聞の調査で、映画原作者のジェームズ・マクマナスは、ホッグが行ったのは1938年2月であり、しかも南京には行っていない。映画は脚色され、事実ではないと回答し、さらにホッグはマンチェスター・ガーディアン記者であったとされるが署名記事も在職記録も発見できなかった[339][340]。
偽物の写真が掲載されている「レイプ オブ 南京」の著者であるアイリス チャンは、カリフォルニア州サンノゼのサニーベールで夫と2歳の息子と暮らしていたが、2004年11月9日の午前9時頃に、カリフォルニア州サンタクララ郡の国道17号線、ロスガトスの南で自動車の中で死んでいるのを発見された。
サンタクララ郡警察は、状況証拠からチャンが銃で自分の頭を撃ったものと断定した。
写真ねつ造の手口は、笑顔の南京市民の顔を暗くして分からないようにしたり、売春宿の写真の一部を切り取ってたりして強姦していると主張しています。
写真は正直です。
写真は正直です。