先週末、連休を利用してマレーシアのペナン島へ行って来た。
昨年末、我が家にショートステイしたカルビンという青年が住む島だ。
夏バカンスは去年のプーケットに続き2回目だが、今回は息抜き+再会が目的となった。
マレーシアは多民族国家というのは、知識としては知っていたが
今回はそれを実感することができた。
マレー人、インド人、華僑によって構成され、宗教もイスラム、ヒンズー教、仏教、キリスト教が
入り混じる移民国家。
街中にはモスクあり寺院あり教会あり。この景観がそれを表している。
ガイドさん曰く、教育も各人種に応じて言語が分けられていると言う。
マレー系にはマレー語、インド系にはヒンドゥ語、華僑には中国語が中心に教えられる。
但しマレー語と英語は必須だそうだ。
こんな感じで書いていると、各人種、宗教が平等に扱われている理想国家の様に思えた。
シンガポールは華僑が多く、彼らが国家や経済の中心を握り、発展を続けている。
これに対し、マレーシアにおいては国家の中枢に入れるのは、イスラム教の人々のみだそうだ。
もちろんマレーシアも発展はしているが、シンガポールのようになっていないのは
こういったところも原因にあるのかもしれないと思った。
もちろん、国の規模、地政学的なこと、歴史背景など多様な原因によって左右されることなので
一概には言えない。
しかし国の発展要因で最も重要な「人」のところで、イスラムしか中枢に行けないことが
活力を多少は削いでいる可能性は高いと思う。
マレー人、インド人、華僑が約1/3ずつといった人口構成では、そうしないと
国が安定しない可能性はあるからかもしれない。
経済は華僑が牛耳っているのは東南アジアでは多いケース。
それで政治なども華僑が牛耳るとその他の人種が社会の不安定要因化してしまうという可能性だ。
この微妙なバランスの上に国家が成り立っている。
日本の状況と対比するとまた色んなことが見えてくる。他国のことを知るのはやはり面白い。
今回の旅では、新渡戸稲造の「武士道」を旅の友としたが、
日本が発展した理由として、武士道がもたらしたものが大きかったと感じた。
忠義や誠実などいくつかの要素があるが、最も発展に対して影響を与え、かつ
他の国の人々と異なったのは「名誉」(=「恥」)の概念だった。
西洋と触れたとき、二流国家の人民と見られることを耐えられない「名誉」の概念。
明治維新のときだけでなく、戦後の発展でも同じような要素が脈々と息づいていると思う。
もちろん、それは今でも。
武士道は、新渡戸曰く1000年のときを経て完成された概念である。
マレーシアはまだ新しい国とはいえ、モザイク国家としての概念をやはり構築している。
表面に現れる違いのみを捉えるのではなく、長期的な視点で本質を捉える。
本質を理解すれば、より多くのものが見えてくる。
そんなことをヤシの木の下で、きれいな海を見ながら思ったマレーシアの旅でした。