●南山城壁、朝鮮神宮跡、朝鮮総督府
浅川巧の日記 大正11(1922)年6月4日
朝小雨が降ったが、八時頃から晴れて城壁廻り。
(中略)
南山に登った。南山の薬水は美味だった。山頂にはケヤキやエンジュの大樹があって平地になっていた。氷屋も店を出していた。冷やしビールの1本を分けて飲んだ。少し下ると朝鮮神社(後の朝鮮神宮)の工事をしていた。美しい城壁は壊され、壮麗な門は取り除けられて、似つきもしない崇敬を強制する様な神社など巨額の金を費やして建てたりする役人の腹がわからない。山上から眺めると景福宮内の新庁舎など実に馬鹿らしくて腹が立つ。白岳や勤政殿や慶会楼や光化門の間に無理強情に割り込んで座り込んでいる処はいかにもずうずうしい。然もそれらの建物の調和を破っていかにも意地悪く見える。白岳の山のある間永久に日本人の恥をさらしている様にも見える。朝鮮神社も永久に日鮮両民族の融和をはかる根本の力を有していないばかりか、これから又問題の的にもなることであろう。
(後略)
南山の城壁
(朝鮮神宮境内だったところにはには、現在安重根記念館が建っている。)
光化門と朝鮮総督府