$ 0 0 明応7年(1498年)に起きた明応地震やそれに伴う津波により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖となった。この大災害は舞阪から弁天島を分け、その津波により村全体が引っ越したことから村櫛(現在の浜松市西区村櫛町)という地名が付くほどであった。また気賀の地震の神社の様が流れ着いた(元は新居の神様)など、記録や伝承が残る。この時に決壊した場所は今切(いまぎれ)と呼ばれ、その後は渡し船で往来するようになった。今切は文字通り「今切れた」という意味である。