郡上市
前田遺跡出土石器類[まえだいせきしゅつどせっきるい]
■分類 重要文化財
■指定別 | 県 |
■所在地 | 郡上市八幡町島谷 |
■所有者 | 郡上市 |
■指定年月日 | 昭和32年7月9日 |
前田遺跡は郡上市白鳥町前谷部落の南端、長良川の上流上保川とその支流洞ケ谷川との合流地点より、洞ケ谷沿いに約300m遡ったあたりの左岸に位置している。
遺物の採集は明治30年代の古くから行われており、その量は膨大なものとなっている。なかでも石器類が多く、そのうち石鏃・磨製石斧・石匙[さじ]・石皿・御物[ぎょぶつ]石器・石冠・石棒・石刀及び滑石[かっせき]製垂飾等あわせて636点を県重要文化財に指定した。中でも滑石製垂飾品1点は、全体の形状をバナナ形とし、表面には三角形状の陰刻文を施し、内側をえぐって中空とした優品である。
前田遺跡から出土した石器類は多種多様であり、長良川流域における縄文時代の生活の変遷を知るうえで貴重な資料である。
遺物の採集は明治30年代の古くから行われており、その量は膨大なものとなっている。なかでも石器類が多く、そのうち石鏃・磨製石斧・石匙[さじ]・石皿・御物[ぎょぶつ]石器・石冠・石棒・石刀及び滑石[かっせき]製垂飾等あわせて636点を県重要文化財に指定した。中でも滑石製垂飾品1点は、全体の形状をバナナ形とし、表面には三角形状の陰刻文を施し、内側をえぐって中空とした優品である。
前田遺跡から出土した石器類は多種多様であり、長良川流域における縄文時代の生活の変遷を知るうえで貴重な資料である。
縄文時代石器[じょうもんじだいせっき]
■分類 重要文化財
■指定別 | 県 |
■所在地 | 郡上市大和町牧 |
■所有者 | 郡上市 |
■指定年月日 | 昭和51年6月4日 |
郡上市大和町から出土した縄文時代石器は、長良川の支流である栗巣川の右岸、栗巣字竹継に鎮座する薬師堂付近の田を開墾した際に出土したと伝えられている。出土年や出土状況等については明らかでない。県重要文化財に指定したものは、現在薬師堂に保管されている御物[ぎょぶつ]石器・石棒・石剣・石冠・凹石[くぼみいし]・敲[たたき]石等[など]23点である。
そのうち御物石器4点は全て敲打[こうだ]製であり、有紋のものは、石器の両側面等に逆三角形や十字文等を浮彫り、あるいは陰刻風に刻んでいる。また形態の面からみれば、くびれ部がほぼ中央部にみられ両端が突起状につくられたもの、くびれ部が一方にかたより一端が突起状につくられたものがある。
そのうち御物石器4点は全て敲打[こうだ]製であり、有紋のものは、石器の両側面等に逆三角形や十字文等を浮彫り、あるいは陰刻風に刻んでいる。また形態の面からみれば、くびれ部がほぼ中央部にみられ両端が突起状につくられたもの、くびれ部が一方にかたより一端が突起状につくられたものがある。
福田古墳出土品[ふくだこふんしゅつどひん]
■分類 重要文化財
■指定別 | 県 |
■所在地 | 郡上市 |
■所有者 | 個人所有 |
■指定年月日 | 昭和51年6月4日 |
福田古墳は郡上市大和町島地内福田より洞口に通じる町道の傍らに位置し、長良川右岸にせまる山麓に築造されており、大和町を一望できる場所である。
昭和30年(1955)の林道改修工事により、墳丘を失った2基の横穴式石室が発見された。そのうち北側の1号墳の石室は長さ5.3m、奥壁幅1.9mであり、奥壁近くには組み合せ式石棺が設けられていた。1号墳からは須恵器類18点以上、装身具12点及び鉄製品8点以上が出土した。2号墳の石室はほどんど破壊されて全長4.2m幅1.7mが遺存するのみであった。2号墳からは須恵器14点以上及び装身具6点、鉄製品2点等が出土した。
1号墳では2回の追葬が行われているが、出土した須恵器は1時期のセットを示すもので美濃地方6世紀中葉の基準資料とされている。
昭和30年(1955)の林道改修工事により、墳丘を失った2基の横穴式石室が発見された。そのうち北側の1号墳の石室は長さ5.3m、奥壁幅1.9mであり、奥壁近くには組み合せ式石棺が設けられていた。1号墳からは須恵器類18点以上、装身具12点及び鉄製品8点以上が出土した。2号墳の石室はほどんど破壊されて全長4.2m幅1.7mが遺存するのみであった。2号墳からは須恵器14点以上及び装身具6点、鉄製品2点等が出土した。
1号墳では2回の追葬が行われているが、出土した須恵器は1時期のセットを示すもので美濃地方6世紀中葉の基準資料とされている。
■分類 ■指定別 ■所在地 ■所有者 ■指定年月日 応徳寺所蔵の出土品は、応徳寺住職恵隆筆の「宝暦九年(1759)八月青山大和守様より御預け牧村元金堀出仏由来書」によると、同年7月14日の夜、牧村(現大和村牧)の地主彦右衛門が夢の告げによって、東の山麓にあたる元金の桜の古木下から掘り出したもので、それらは領主である郡上藩役所へ届け出され、その後応徳寺へ預けられたと記載されている。
その出土地は、東氏の一族によって建立された尼寺の東林寺跡とみられ、寺域は現在の大和村大字牧字元兼にあたる山際から北の小平地およびその前面の水田に広がっていた。
出土品は、およそ室町時代後期ごろの製作とみられる懸仏2点、懸仏残欠4点、和鏡2点で、採取年次も出土地点もともに明らかであり、東氏ゆかりの東林寺跡の出土品として貴重である。
その出土地は、東氏の一族によって建立された尼寺の東林寺跡とみられ、寺域は現在の大和村大字牧字元兼にあたる山際から北の小平地およびその前面の水田に広がっていた。
出土品は、およそ室町時代後期ごろの製作とみられる懸仏2点、懸仏残欠4点、和鏡2点で、採取年次も出土地点もともに明らかであり、東氏ゆかりの東林寺跡の出土品として貴重である。
重要文化財 |
県 |
郡上市大和町栗巣 |
応徳寺 |
昭和58年2月25日 郡上市 |