旧高鷲村民の開拓史証言 「記念館」きょう郡上市に開館
岐阜新聞Web 4月24日(日)8時42分配信
岐阜県郡上市高鷲町大鷲のたかす町民センター内に「たかす開拓記念館」が24日開館する。旧高鷲村は、明治期は北海道、昭和初期は旧満州(中国東北部)へ移民を送り出し、終戦前後は村内で開拓を進めてきた歴史がある。展示では、写真や資料と旧村民の証言をもとに一連の歴史を伝える。
昭和初期の農村は貧しく、国策として分村・分郷計画が進められた。旧高鷲村も旧満州への分村計画を立て、1940年以降「琿春(こんしゅん)高鷲開拓団」を組織。123戸646人が渡った記録がある。
旧満州に関する展示では、現地の居住環境や農作業など暮らしぶりが分かる写真のほか、6人の証言もまとめた。終戦直前、旧ソ連の侵攻で状況が一変し、多くの犠牲者が出たことなどを伝える。
14歳で旧満州に渡った麦島博昭さん(88)は「私は4カ月で戻ったが、戦後に引き揚げた母親はいつも泣きながら苦労を語っていた」と振り返り、「亡くなった父も旧満州の生活を熱心に記録していた。記念館を喜んでいるだろう」と語った。
ほかに、郡上村満州開拓団や旧郡上郡の他の他の地域で組織された開拓団の概要も紹介。展示に関わった高鷲文化財保護協会の馬渕旻修(あきのぶ)会長(69)は「満州開拓は遠い話ではない。今ある平和は先人たちのおかげだということを考える場所になれば」と語る。
記念館は市が整備し、総事業費は約2700万円。24日は午後2時から記念式典がある。
昭和初期の農村は貧しく、国策として分村・分郷計画が進められた。旧高鷲村も旧満州への分村計画を立て、1940年以降「琿春(こんしゅん)高鷲開拓団」を組織。123戸646人が渡った記録がある。
旧満州に関する展示では、現地の居住環境や農作業など暮らしぶりが分かる写真のほか、6人の証言もまとめた。終戦直前、旧ソ連の侵攻で状況が一変し、多くの犠牲者が出たことなどを伝える。
14歳で旧満州に渡った麦島博昭さん(88)は「私は4カ月で戻ったが、戦後に引き揚げた母親はいつも泣きながら苦労を語っていた」と振り返り、「亡くなった父も旧満州の生活を熱心に記録していた。記念館を喜んでいるだろう」と語った。
ほかに、郡上村満州開拓団や旧郡上郡の他の他の地域で組織された開拓団の概要も紹介。展示に関わった高鷲文化財保護協会の馬渕旻修(あきのぶ)会長(69)は「満州開拓は遠い話ではない。今ある平和は先人たちのおかげだということを考える場所になれば」と語る。
記念館は市が整備し、総事業費は約2700万円。24日は午後2時から記念式典がある。
岐阜新聞社