飯坂温泉散策の旅
飯坂温泉
飯坂温泉 温泉情報 所在地座標交通泉質
1689年(元禄2年)5月2日、江戸から下って来た松尾芭蕉と弟子の河合曾良が泊まり、翌日に発った[2]。雨に降られた芭蕉らは、温泉に入って貧家に宿をとった。『おくのほそ道』によれば、土間に莚を敷き、囲炉裏のそばで寝たが、雨漏りがあり、蚤と蚊に悩まされ、芭蕉の持病が再発するなど散々であった[3]。山中温泉の好印象とは対照的である。この温泉を、曾良は飯坂、芭蕉は飯塚と日記には違う字で書いた。飯塚の例は他の文書にもあるという[4]
旅館風景 | |
福島県福島市飯坂町・飯坂町湯野 | |
北緯37度49分55.0秒 東経140度27分16.0秒座標: 北緯37度49分55.0秒 東経140度27分16.0秒 | |
鉄道 : 福島交通飯坂線・飯坂温泉駅 車 : 東北自動車道・福島飯坂ICから15分 | |
単純温泉 |
概要
飯坂町を流れる摺上川を挟んで60棟以上の旅館が立ち並んでいる。東北新幹線福島駅から私鉄飯坂電車に乗り換え飯坂温泉駅まで主要時間20分程度と非常に交通の便が良い。東北自動車道福島飯坂インターチェンジからも10分程度でたどり着ける。
古くから歓楽街温泉として花柳界が存在したものの、温泉情趣に則った木造旅館が多く見られた。東北自動車道の整備や東北新幹線の敷設などによって首都圏などから団体旅行客が多数流入したことによって開発や投資が進んだ。観光客数のピークは1973年で約177万人にのぼったが、2009年には約81万人と半分以下にまで減っているものの[1]、現代の需要に合わせて日帰り浴場や足湯なども充実している。
飯坂温泉街の近隣を通る福島県道5号上名倉飯坂伊達線(フルーツライン)沿いには福島を代表する観光スポットのくだもの狩りや直売所が立ち並ぶ場所が近くにあり、福島特産のモモやナシ、リンゴやサクランボと言ったくだもの全般を取り扱っている。
飯坂八幡神社例大祭の飯坂けんか祭りは福島市エリア随一の激しさの祭事であり、日本三大けんか祭りに数えられる。西根神社境内に祭られる高畑天満宮のうそかえ祭は東北・北海道地方では唯一この神社のみで行われており、うそかえ祭開催時には平日でありながら数万人、一日中行列が絶えない程の観光スポットである。
歴史
飯坂温泉は奥羽地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれた。伝説によると、日本武尊の東征にまで遡るといわれ、この地で湯治したといういわれが残る。また、西行法師もこの湯を訪れ、ここで「あかずして 別れし人のすむ里は 左波子(さばこ)の見ゆる 山の彼方か」と読み、そこから「鯖湖の湯」という名が定着した。源泉は至る所に点在し、農民、庶民などに重宝されていた。
1689年(元禄2年)5月2日、江戸から下って来た松尾芭蕉と弟子の河合曾良が泊まり、翌日に発った[2]。雨に降られた芭蕉らは、温泉に入って貧家に宿をとった。『おくのほそ道』によれば、土間に莚を敷き、囲炉裏のそばで寝たが、雨漏りがあり、蚤と蚊に悩まされ、芭蕉の持病が再発するなど散々であった[3]。山中温泉の好印象とは対照的である。この温泉を、曾良は飯坂、芭蕉は飯塚と日記には違う字で書いた。飯塚の例は他の文書にもあるという[4]
尤も、この頃には既に温泉地としての体裁が整ってきたものの内湯はあまり見られなく、思い思いに宿を選んで、点在する外湯で湯治を施すようなスタイルであったといわれる。尚、飯坂という地名は、1300年頃、伊達家の分家(伊達政信)が飯坂姓を名乗り、一帯を開墾したことに因む。これがいつしか飯坂村の温泉、すなわち飯坂温泉と呼ばれるようになった。伊達政信は、1300年頃、古舘に「湯山城」を築き、飯坂氏を称したとされる。そのため、摺上川べりから同城に通じる坂道は「飯坂」と呼ばれた。1300年以前の地名は、石那坂と呼ばれていたと考えられている。
戦前には、ボーリングによる源泉の乱開発によって枯渇の危機を迎えたことがあったが、その後の規制によって源泉保護が行われている。