東日本大震災の被災地福島。実は、私には少なからずとも福島とは関係がある。
今から三十年前のことである。私が社会人になって、数年東京に居たが、その時縁あって東北の会社を技術支援したことがある。その会社が在ったのが、たまたま福島の会津地方だった。
その頃は、会津といえば豪雪地帯でなにか陸の孤島に行く様なイメージだった。そこで、東京の暑い夏を離れ、地方の中小企業に身をおくことはある意味自分を見つめるのには良い機会になった。
先ずは、この東北の会津地方は食べるものは美味しかった。特に、この地方名産の芋煮汁は最高だったし、わっぱめしも最高だった。
自分が故郷から遠くはなれ、身よりもなにもないこの地方にいるということ自体不思議に感じた。
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ところで、本日6月17日、たまたま近所の保健センターを通りかかった。そうしたら、そこに福島PRキャラバン隊が着ていた。特に、会津美里町からだとのことである。
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忘れられていた、被災地の復興支援。ここのところ、確かに大震災についてのニュースも減りだんだん、記憶は風化しつつある。また、このところの気力不足でなかなかボランティアも行けない。
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そこで、このバスの横で販売していた、会津の赤べことおきあがりこぼしを復興支援として購入した。
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販売しているおねえさんは、会津弁だった。その響きが三十年前の記憶を呼び覚ましてくれた。あの頃、会津の女性は、あまり化粧もせずに、冬になるとほっぺたがほんのり寒さで赤くなった。
都会では考えられなかった。でも、福島特産物を販売しているおねねさんは、会津弁だったが、容姿は東京やこのあたりの女性となんら遜色ない化粧をしていた。
時代に流れに、感無量だった。