https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・A・ファーネス
ジョージ・A・ファーネス(George A. Furness, 1896年 - 1985年4月2日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人、弁護士。軍人としての最終階級は少佐。東京裁判においては、重光葵の弁護人を務めた。
戦後は、マニラで行われた本間雅晴・田辺盛武両中将の軍事裁判の弁護を務め、東京裁判においては、高柳賢三と共に重光葵の弁護人となった。東京裁判で、ファーネスは同じく日本側の弁護人の1人である清瀬一郎にウィリアム・ウェブ裁判長の忌避動議を提出するよう示唆している。また管轄権動議では、裁判所の裁判官は戦勝国ではなく、中立国の代表が当たるべきだと主張した。重光の弁護では、自らアメリカ・イギリスに飛んで、緻密な証拠と情報を集めるだけでなく、重光が外交官として築き続けた信頼によって得た、連合国側から集まった重光を擁護する証言を駆使して、重光に有利な弁護活動を行った。元々ジョセフ・キーナン首席検事らも重光を戦犯として起訴する意思はなく、重光起訴は事実上ソ連の要求に連合国側が屈して行われたものであり、またファーネス・高柳の両弁護人の尽力もあって、重光に下された判決は禁固7年という、いわゆるA級戦犯の中では最も軽いものだった。その後、アメリカの占領政策の転換にともなう公職追放の解除を経て、重光は政界にも復帰している。
映画[編集]
- 海の野郎ども(1957年、新藤兼人監督、日活):船大工
- 地球防衛軍(1957年、本多猪四郎監督、東宝):リチャードソン博士
- 私は貝になりたい(1959年、橋本忍監督、東宝):極東国際軍事裁判における、主人公・清水豊松らの弁護人
- 第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960年、日高繁明監督、第二東映):アメリカ統合参謀本部長
- ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども(1961年、小沢茂弘監督、ニュー東映):モハメッド委員長
- 妖星ゴラス(1962年、本多猪四郎監督、東宝):フーバーマン議長
- クレージー黄金作戦(1967年、坪島孝監督、東宝):キッド・ゴールドの顧問弁護士
テレビドラマ[編集]
- 私は貝になりたい(1958年、KRテレビ):極東国際軍事裁判における、主人公・清水豊松らの弁護人
- 下記2作は、ファーネス自身がかつて法廷で対峙した、ウィリアム・ウェブ裁判長を演じている。
- 日時計(1983年、NHK『NHK特集』)
- 皮肉にも、もし原爆の開発が遅れていたなら
- 日本は4分割占領されていた可能性がありました。
- http://livedoor.blogimg.jp/kaigainoomaera/imgs/3/e/3e73d707-s.png
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010283900
- よく誤解されているのですが、実は日本は分割統治されているのです。
我々はついつい現在の自分達の視点で物を見がちです。
日本という国は「北は北海道から南は沖縄までの日本列島を指す」と思い込んでいます。
しかし、戦前の常識はそうではありません。
北はサハリン、千島列島から南は台湾まで、朝鮮半島も含めた広大な領土が日本だったのです。
現在の日本の総面積は37万8千平方キロ。
しかし戦前は樺太、千島列島、台湾、朝鮮半島を加え、実に72万平方キロの領土があったのです。
戦後、樺太・千島はソ連へ、台湾は中国へ、朝鮮半島は連合国へ、そして沖縄もアメリカへ奪い取られています。
その総面積は約35万平方キロ、半分近い領土が分割統治されてしまっているのです。
さて、それを踏まえて考えます。
確かに日本は独立を認められました。
しかし、元々の連合国側の考えはそうではありません。北海道・本州・四国・九州までもフランスやイギリスに分割統治させる案が存在していました。
さすがに終戦間際になればそこまで現実離れした案は取りようもなく、それでも前例のない「国家への無条件降伏」という方式で連合諸国の委任統治という形を取ることにほぼ決定されていました。
ところが、昭和20年8月にソ連は連合国に断りもなく対日宣戦を表明、更にポツダム宣言を受け入れた日本に攻撃をしかけるというとんでもないルール破りを始めたのです。
元々アメリカは北海道まではソ連に委任させるつもりでいました。
ソ連のスターリンはルーズベルト大統領に絶対の信頼を受けていたのです。
ところが1945年(昭和20年)4月にルーズベルトは死去、ハリー・トルーマンが大統領に就任します。
戦後はソ連とアメリカのお互いの利益の乖離につながることを悟っていたトルーマンはソ連に対して強硬路線を明確にしており、原爆の使用もソ連に通告して投下するという行為まで行っていました。
このままではアメリカに全てを奪われると焦ったスターリンは対日宣戦を決断し、武力行使を始めたのです。
実際には、トルーマンはルーズベルトの政策の継承を行うことを宣言していました。
確かにルーズベルト時代に外政担当だったトルーマンはソ連に厳しい態度を取っていましたが、それは必ずしもルーズベルト時代の約束を反故にするという明確な意思があったわけではないのです。
それなのにスターリンは、焦って羊の衣を脱ぎ捨て狼の本性を現してしまった。
共産主義革命の最大の障害である日本帝国を排除するため利用していたアメリカに、最後の最後でその正体を曝してしまったのです。
愕然としたアメリカは、北海道に原爆を落としてでもソ連の侵入を阻止するという強い態度を示します。
ソ連にとって、更に強力な共産主義革命の障壁が出現してしまったのです。